第54話 一夜の宴 前編
お酒を求め、我先へと殺到する冒険者たち。
当初はその勢いに押されていた俺だけれど、
「シローを困らせるとお酒あげないんだにゃ」
とキキさん。
頬をぷくーと膨らまし、両手を腰にあて『怒ってるポーズ』のキキさんは、殺到する冒険者たちに睨みを利かせる。
効果は覿面だった。
冒険者たちは居心地悪そうな顔をすると、すごすごと列を作りはじめたではないか。
「………………これでもう大丈夫」
列が作られるのを見たネスカさんが言う。
その手にはいつのまにやら、チョコレートリキュールのボトルがしっかりと抱えられていた。
殺到する冒険者たちを見て、自分の取り分がなくなることを畏れたのかもしれない。
「では改めて……」
俺は営業スマイルを浮かべる。
記念すべき一人目は、ヒゲを生やした戦士のおじちゃん。
「いらっしゃいませ。どんなお酒をお求めですか?」
「うまいやつをくれ! 一番うまいやつだ!」
「フッ、困りますねお客さん……。うちのお酒はどれも美味しいものばかりですよ? それに好みによって『一番美味しいお酒』は変わりますからねぇ」
「そ、そうなのか? ならどうすっかなぁ……ん? それ! その氷水に浸かってる酒はなんだ!?」
「あれは『ビール』と言いまして、独特の飲みやすい味わいが特徴なお酒です。いまならライムと呼ばれる果物をサービスでつけていますので、果汁を絞って入れると美味しさが何倍にも引き立ちますよ。俺がおすすめするお酒の一つなんですが、どうでしょう?」
俺のトークに、ヒゲを生やした冒険者はゴクリと生唾を飲み込む。
「よ、よし! ならそれをくれ!」
「かしこまりました」
俺は目でアイナちゃんに合図を送る。
アイナちゃんは頷き、クーラーボックス代わりの桶の中から瓶ビールを持ってくる。
しっかりタオルで水を拭きとり、キャップを外してから、くし形切りしたライムをワンカット瓶の口に刺す。
「はい、おまたせしましたっ」
ヒゲを生やした冒険者へと渡す。
「ありがとよ、お嬢ちゃん」
「おじちゃん、この『らいむ』をね、ぎゅーってしぼるとお酒がおいしくなるんだって……です」
アイナちゃんは、あたふたしながら飲み方を説明する。
いま冒険者に渡したのは、日本で最も飲まれているメキシカンビールだ。
BARにいけばほぼ必ずと言っていいほど置いてあるし、なんならコンビニやスーパーでも売っている。
「ふーん。こうか?」
ヒゲを生やした冒険者はライムを絞り、飲み口から伝い落ちた果汁がメキシカンビールに混ざっていく。
一連の動作を見守っていた冒険者たちから、「おぉ……」と声が漏れた。
果実を絞って入れる飲み方が、新鮮だったのかもしれない。
「そんじゃ、まずはひと口…………ッ!?」
ヒゲを生やした冒険者が目を見開く。
「……っぷはぁ! な、なんだこの酒は!? しゅわしゅわしてて、薄味なのに果汁の酸っぱさがまたコイツを美味くして……しかもバカみたいに冷えてやがるからいくらでも飲めちまう! ――――んぐっ、んぐっ、んぐっ――ふぅ……うめぇ。こんなうめぇ酒を飲んだのははじめてだ!」
「お気に召したようですね。じつはですね、そのビールは塩を一つまみ入れると更に美味しくなりますよ。試してみますか?」
そう言って俺は、小皿に盛った塩(岩塩)をカウンターに置く。
再び、ヒゲを生やした冒険者が喉を鳴らすのがわかった。
「塩か。試さねぇわけには――っと、あぶねぇあぶねぇ。アンタは商人だったな」
ヒゲを生やした冒険者が、目に警戒の色を浮かべる。
「なあ大将よ、そんな簡単に塩をすすめちゃいるけど、その塩一摘まみでいくら取るつもりなんだ? どんだけ美味くなるっつってもよ、酒より高かったら世話ねぇぜ」
こっちに来た初日、串焼きを買ったけど味がついていなかったことからもわかるように、辺境にあるニノリッチでは、塩やコショウは高価な嗜好品だ。
警戒するのもしかたがないというもの。
だから俺は、「チッチッチ」と舌を鳴らしながら人差し指を振った。
「もちろん塩もサービスですよ」
「ほ、本当か!?」
「ええ、本当です。ああ、でも入れすぎると逆にまずくなってしまいますので気をつけてくださいね。他にも、塩を舐めてからビールを飲むのもおすすめですよ」
「わかった」
ヒゲを生やした冒険者は少し迷ったあと塩をつまみ、
「こんなもんか?」
「そんなもんですね」
ビールへ入れる。
「どれ……んく、んく、んく…………っ!?」
「どうです?」
俺の質問に、ヒゲを生やした冒険者は恍惚とした顔で。
「なんだよ、この爽快感はよぉ。塩とエール――おっと、ビールだったな。酒と塩がこんなにも合うなんて……」
空になった瓶を見つめたあと、
「もう一本くれ! こんな美味いモン、一杯で満足できるわきゃねーぞ!」
カウンターに身を乗り出し、詰め寄ってくる。
しかし――
「おいこらジャパス! 飲んだんならさっさと後ろにいきな! 後がつっかえてんだよ!」
「「「そーだそーだ!」」」
「こちとらテメェが飲み終わるまで黙って待っててやったんだからなっ!」
「「「そーだそーだ!!」」」
冒険者たちから起こる、大ブーイング。
極めつけは、ドワーフの古強者のひと言だ。
「…………ジャパス、いまならまだ見逃してやる。早くそこを空けろ」
強面ドワーフがドスの効いた声を響かせ、ヒゲを生やした冒険者はすごすごと後ろに下がり、最後尾に並ぶ。
「では次の人、どうぞ!」
そこからはもう、戦場さながらの忙しさだった。
人生で一番忙しい時間だったかもしれない。
「俺もジャパスと同じのをくれ!」
「わかりました。アイナちゃん、お願いしてい?」
「ん! こちらへどーぞ!」
メキシカンビールを求める人はアイナちゃんに任せ、
「わたし、エールは好きじゃないのよねぇ。他にいいお酒はないかしら?」
「ならワインなんかはどうでしょう?」
「そういえば昨夜お兄さんが言ってたわね。いろんな種類があるって」
「ええ。本日は定番の赤、白、ロゼの他にもオレンジワインを用意させてもらいました」
「せっかくだし、その『おれんじワイン』をもらおうかしら?」
「かしこまりました。ステラさん、そこの右から4番目のボトルをこのグラスに注いでください」
「わ、わかりました」
ワインを欲する人はステラさんにお任せする。
「次の方どうぞ!」
そんな感じに行列をさばいていると、
「ようあんちゃん、大人気だな」
「あ、ライヤーさん!」
蒼い閃光のリーダー、ライヤーさんの番がやってきた。
やっぱり並んでたんですね。
「ライヤーさんはなににします?」
「おれは酒にそこまで詳しかないからよ、あんちゃんが選んでくれないか?」
「わかりました」
俺は頷き、箱からウィスキーのボトルを取り出す。
――崎山18年。
崎山ウィスキーは深みのある味わいと、繊細で上品なテイストの日本を代表するシングルモルトだ。
俺はキメ顔をつくりキャップを開け、氷を数個入れたウィスキーグラスにダブルで。
「お待たせしましたライヤーさん。崎山18年のダブルをロックでどうぞ」
「ちょっと何言ってるかわからねぇけど、もらっとくぜ」
崎山ウィスキーのラインナップには、『崎山』『崎山12年』『崎山18年』『崎山25年』『崎山55年』がある。
俺が用意した18年は定価が2万5000円だが、通販やオークションでは3倍以上の値段で売られ、25年と55年に至っては入手すら難しい人気のウィスキーだ。
飲み飽きず、幾重にも押し寄せる複雑な香味が、多くのウィスキー好きを魅了し続けている一品なのだが――
「んくっ! …………っぷはぁ。あんちゃんのおすすめだけあって美味いなコレ。でもちーっと量が少ねぇかな?」
ライヤーさんは味わうことなく、一口で飲み干してしまうのでした。
BARで飲んだらダブルで6000円するお酒も、ライヤーさんにかかればひと口だ。
「……」
「ん? どうしたあんちゃん?」
「……」
「なんでそんな悲しい顔してるのかわからねぇけどよ、元気出せよ」
慰めるように俺の肩を叩いたライヤーさんは、列の最後尾へ。
悲しみに打ちひしがれる俺の前に、
「……坊主、約束だ。火がつくほど強い酒ってやつを飲ませてもらおうか」
ついに古強者のドワーフが立つのだった。




