第43話 それぞれのために
アイナちゃんに「一緒に住もう」と言った、その日の夜。
俺は徹夜で対策を練った。
アイナちゃんたち親子と、一緒に住むことで起こりうる問題。
それが、ばーちゃんの家に帰るタイミングだ。
俺は夜になるとばーちゃんの家に帰っている。
閉店後に入口の鍵を閉め、二階にある自室へと行く。
そこから俺にしか見えない襖(俺の背後にずっとついてくる)を開け、ばーちゃんの家へと戻るのだ。
当然ながら、その間はこっちの世界に俺がいないことになる。
アイナちゃんたちと一緒に住むとなると、部屋に俺がいないことを不思議に思うかもしれない。
その問題を回避するために思いついたのが――
『いっそこっちで寝泊りしちゃえばいいじゃん』
という、身もふたもない策だったりする。
もともと商品の買い出し以外では、寝に帰っていたようなものだ。
必要なときだけ帰ればいいし、なんだったらアイナちゃんたちが寝たあとばーちゃんの家に戻ってもいいしね。
それに、カレンさんに呼ばれて役場に行ったり、ライヤーさんに誘われて朝までお酒に付き合い、気づけばゲロまみれ、ってことも多々ある日常を送っている。
ばーちゃんの家に戻るタイミングなんて、いくらでもあるのだ。
そんなわけで結論にたどり着いた俺は、一睡もせずに夜が明けてしまったけれど上機嫌だった。
開店前、鼻歌交じりに日本から持ってきたアイテムを棚に並べていると、
「おはよー、シローお兄ちゃん」
カランコロンと扉につけた呼びベルが鳴り、アイナちゃんが店に入ってきた。
当店自慢の看板娘がご出勤だ。
俺は振り返り、アイナちゃんに挨拶を返そうとして――
「おはようアイナちゃ――って‥‥えぇっ!? ステラさんっ?」
その後ろに、ステラさんもいることに気づいた。
ステラさんは優しく微笑み、小さく会釈する。
「おはようございます。シローさん」
「お、おはようございます」
「すみません。急にやってきてしまって……」
申し訳なさそうな顔でステラさん。
俺は慌てて首を振る。
「いえ、大丈夫ですよ。それより、どうぞ中に入ってください。開店前でちょっと散らかってますけど……あ、この椅子に座ってください」
「おかーさん、はいってはいって」
「それではおじゃましますね」
「どーぞどーぞ」
ステラさんが店に入ってきて、俺が用意した椅子に座る。
脚気から回復したステラさんは、すっかり元気になった。
肌艶もよくなり、はじめて会った時よりも少しだけふっくらして健康的な体つきをしている。
8歳になる娘がいるようには見えない美人さんだ。
俺は保温ポットにいれてある紅茶をカップに注ぎ、ステラさんに渡す。
「ステラさんが来たということは、ひょっとして『あのこと』についてでしょうか?」
俺がそう質問すると、ステラさんが答えるよりも早くアイナちゃんが口を開いた。
「シローお兄ちゃん聞いて! おかーさんね、ここに住むのはんたいしてるの!」
「え、そうなの?」
「うん、そうなの! だからシローお兄ちゃんもおかーさんをせっとくして! いっしょに住もうって!」
アイナちゃんはほっぺを膨らませ、プンスコとご立腹な様子。
一方でステラさんは困り顔。
「いけませんよアイナ。わたしたちがここに住んでしまうと、シローさんのご迷惑になってしまいます」
ステラさんがそう窘めると、
「そうなのシローお兄ちゃん?」
無垢な瞳が俺に向けられる。
しかも、ちょっと泣きそうな顔だ。
「俺は迷惑だなんて思わないよ」
「ほら! シローお兄ちゃんはめいわくじゃないって!」
アイナちゃんがステラさんを見あげる。
でも、ステラさんは静かに首を振った。
「アイナ、大人にはね、子供にはわからない事情もあるのよ」
「えー? 『じじょー』って、なぁに?」
「大人の男女が一緒に住むとなると……その、いろいろあるの」
「いろいろ?」
アイナちゃんが首を傾げる。
それを見てステラさんはくすりと笑う。
「アイナ、大人の男性と女性が一緒に住むのはね、結婚してからなのよ」
「ケッコン!?」
アイナちゃんが大きな声を出した。
なるほど。世間体ってやつだな。
母一人、子一人のアイナちゃんたちと、彼女すらいない俺が一緒に住む。
そんな状況を見て、町の人たちはなにを思うか?
俺自身はなんて言われようが構わない。
もともと謎のアイテムを扱う、変な商人ぐらいには思われているだろうしね。
けれど、ステラさんまで奇異の目で見られてしまうのは、ちょっと違うと思うのだ。
ステラさんの歳はしらないけれど、こんなにもキレイで美人なんだ。
本人と、そしてアイナちゃんが望むのなら再婚相手なんていくらでも見つかるだろう。
しかし、そこに俺が一緒に住んでいるとなると話は変わる。
あらぬ誤解を与え、再婚の機会を奪ってしまうかもしれないのだ。
ステラさんが反対するのも当然。
でもそれを、8歳のアイナちゃんに言って理解してもらえるだろうか?
「そう結婚。わたしたちが一緒に住んでしまうと、シローさんが結婚できなくなってしまうのよ」
ステラさんの言葉に、俺は目をぱちくり。
え、そっち?
自分じゃなくて俺なの?
俺の心配をしてくれているの?
「シローお兄ちゃんが……ケッコンできなくなるの?」
「ええ、そうよ」
「それが……めーわく?」
「そう」
ステラさんがアイナちゃんの頭を撫でる。
「わたしたちのせいで、シローさんが素敵な女性と出逢うチャンスをなくしてしまうかのしれないの。アイナはそれでもいい?」
「じゃっ、じゃあ、おかーさんとシローお兄ちゃんがケッコンすればいいんだよっ!」
「「っ!?」」
まさかの発言にステラさんはビックリ。
俺はもっとビックリだ。
「きゅ、急になにを言うのアイナ。シローさんとけっ……だなんて」
ステラさんが顔を真っ赤にして言い淀む。
「ねぇシローお兄ちゃん! おかーさんとケッコンして!」
「あ、アイナちゃん……?」
アイナちゃんが俺の手を、両手でぐわしと握る。
「おかーさんね、びじんでしょ? それにとってもやさしいからね、シローお兄ちゃんもきっと――ううん、ぜったいすきになると思うの! だからおねがい! おかーさんとケッコンしてください!!」
「アイナ、し、シローさんに迷惑をかけては、い、いけません!」
慌てふためくステラさん。
だがアイナちゃんは引き下がらない。
「シローお兄ちゃんいいでしょ? おかーさんとケッコンしてぇ」
「あはは、それはダメだよアイナちゃん」
「おかーさんのこと、キライ?」
「ううん。そんなことないよ。とっても優しくてキレイなひとだと思う」
俺はしゃがみ込み、アイナちゃんと視線を合わす。
「俺はしたことがないからわからないけれど、結婚っていうのは、愛し合っている恋人同士がするものなんだ。だから、そんなに簡単に決めていいものじゃないんだよ。わかるかな?」
「…………うん」
アイナちゃんがこくりと頷く。
「わかってくれてありがとう。それとステラさん、」
「は、はい」
「俺のことは気にしないでください。俺は二人と一緒に住むことを迷惑だなんて思ってませんから。それに、」
一度そこで区切り、照れ隠しに頬をポリポリ。
「俺はいま、ホント商売が楽しくて恋人とか、結婚とか考えていないんですよね。むしろ独り身だからこそ商売に打ち込めるんです。だから――だから、ステラさんの方こそ迷惑でないのなら、この店の二階で一緒に住みませんか?」
「シローさん……」
「ほら、店の二階に住めば一緒にいられる時間も多くなりますしね。アイナちゃんが言ってましたよ。『おかーさんといっしょにいれるほうがうれしいな』って」
「まあ……そうなのアイナ?」
「うん。アイナ、おかーさんといれてしあわせだもん」
「そう。お母さんもアイナと一緒にいれて幸せよ」
ステラさんがアイナちゃんを優しく抱きしめる。
親子の愛情たっぷりなハグを見てると、心がポカポカしてきちゃうよね。
「シローさん、本当にご迷惑ではありませんか?」
「何度でも言いますけど、これっぽっちも迷惑なんかじゃありません」
「……こんなおばさんと一緒に住むと、変な誤解をされるかもしれませんよ?」
「やだなー、ステラさんのどこが『おばさん』なんですか」
「おばさんですよ。……もう26歳ですし」
「26歳でおばさんなら、25歳の俺は『おじさん』ですよ」
「えぇ!? シローさん25歳なんですかっ? わたしの一つ下。もっと若いと思ってました……」
「童顔ですみません。まあ、俺はまだまだ若いつもりなんで、俺の基準だとステラさんも若いんです。だから自分のことを、もう『おばさん』なんて言っちゃダメですよ?」
「……わかりました」
ステラさんがどこか恥ずかしそうな顔で頷き、次いで、
「ありがとうございますシローさん。それではお言葉に甘えさせていただきます。これからお世話になりますね」
「シローお兄ちゃん、アイナもおせわになります!」
こうして俺は、アイナちゃんとステラさん親子と一緒に住むことになったのだった。




