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第35話 言い訳

 自分が死んだあと、アイナちゃんのことを頼みたい。

 そんなことを言われてしまった俺は、数秒の後、


「冗談、ですよね?」


 と返すのが精いっぱいだった。


「いいえ。冗談ではありません。わたしは本気です」


 ステラさんの目は真剣そのもの。

 言葉からも本気なのが伝わってくる。

 

「急にこんなことを言ってすみません。ですが、わたしにはあまり時間が残されていないようなので……」


 悔しそうに自分の脚を見つめるステラさん。


「わたしの病気のことは、アイナから聞いていますか?」


「え、ええ。さっき聞きました。その……ステラさんが『生き腐れ病』と呼ばれている病にかかっていることを」


「そのとき……アイナは泣いていましたか?」


「泣いていました。我慢していた反動なのか、それはもうわんわんと」


「やっぱり」


 ステラさんが何かから耐えるように目をつむる。


「わたしは……ダメな母親ね」


 そう自嘲気味に言うと、閉じていた目を開ける。


「アイナがずっとムリをしていたことには気づいていました。働けなくなってしまったわたしのために、がんばっていることも」


「……はい」


「わたしは、そんなアイナを見ていて辛かったです。母親なのになにもできなくて。でも本当に辛かったのは……アイナがわたしの前で無理に笑っていたことなんです」


「無理に?」


「ええ。病気のわたしを心配させまいと、虚勢を張っていたんでしょうね。お母さんは心配しなくていいんだよ、って。無理に笑いながら。そんなアイナを見るのが辛くて。自分が情けなくて……」


 溜息をついたステラさんは、「でも」と言葉を続けた。


「最近のアイナにちょっとだけ変化がありました。ある話(・・・)をするときだけ、とても楽しそうに笑っていたんです。取り繕った笑いではなく、昔のように心底楽しそうに……。一度だけ、なんでそんなに楽しそうなのか訊いてみたことがあるんです。そしたらアイナはこう言いました。『優しいお兄ちゃんと出逢ったんだよ』って。シローさん、あなたのことですよ」


 話す内にステラさんの表情が和らいでいく。

 その顔を見るだけで、ステラさんにとってアイナちゃんがどんなに大切な存在かがわかった。


「アイナは、シローさんの話をするときだけは楽しそうに笑っています。ずっと無理をして笑うことしかできなかったアイナが……それが――そんなアイナが、たまにですけど本当の笑顔を浮かべるようになったんです。今日はこんなことがあったよ。シローお兄ちゃんがあんなことしてたんだよ、と。わたしはそれをずっと不思議に思っていました。人との出逢いで、アイナがこんなにも変わるのかと。でも……その理由が今日分かりました」


「理由?」


「ええ。理由です」


 ステラさんは俺を見つめ、言葉を続けた。


「シローさんはあの人に――アイナの父親に似てるんです」


 ステラさんはそう言って寂しげに微笑んだ。

 その憂いを秘めた瞳は、俺越しに旦那さんを――アイナちゃんのお父さんを見ているんだろうな。


「シローさんがうちにやってきたとき、実はわたしビックリしてたんですよ。あの人が帰ってきたんだ、って。心臓が止まるかと思いました」


「なんか、やってきたのが俺ですみません」


「ああ、そういう意味で言ったんじゃありません。勘違いさせたならごめんなさいね。嬉しかったって言いたかったんです。シローさんのおかげで、朧気になっていたあの人の顔を鮮明に思い出せるようになりましたから」


 俺は少なくとも、ニノリッチの町で写真のようなものを見かけたことがない。

 写真や動画のような、故人の姿を残す技術がないと仮定した場合、想い出は記憶力に頼るしかない。

 そして記憶力だけでは、大切な人の顔ですら年月と共に霞んでいってしまうんだろう。


「シローさんのおかげであの人の顔を思い出せたから、いつ向こう(・・・)へ行ってもすぐにあの人を探し出せると思います。それとも優しいあの人のことだから、わたしを迎えに来てくれるかしら?」


「向こうって……ちょっとステラさん、いったい何を言って――」


「いいんです。もういいんですよ。わたしの体ですもの。もう長くないことは、わたしが一番わかっているんです」


 ステラさんは右手を上げ、俺の顔の前に持ってくる。

 痩せ細ったその腕は、小刻みに震えていた。


「手も足も、もう自由に動かせません。わたしがあの人の下へ逝くのも時間の問題でしょう」


 無念だとばかりに首を振るステラさん。


「わたしはアイナだけが心残りでした。わたしが死んでしまったら、アイナはどうなるんだろう、って。ですが……シローさんに会って、シローさんと楽しそうにしているあの子を見て、わたしの心残りは消えました」


 再びステラさんが真っ直ぐに見つめてくる。


「シローさん、不躾なお願いなのは重々承知しています。どうかアイナを――わたしが死んだら、アイナを引き取ってはもらえないでしょうか? あの子は……とても泣き虫だから、心配で……」


 ステラさんは目に涙を浮かべ、言葉を詰まらせる。

 自由に動かない腕では拭うこともできない。

 娘を想って流れた綺麗な雫は、静かに頬を伝い続けていた。


「お願いしますシローさん! 娘を――アイナをどうか――きゃあっ」


 無理に起きようとしたステラさんが体勢を崩し、ベッドから落ちかかってしまう。


「あぶない!」


 すぐに体をキャッチし、自然と抱きかかえる格好に。


「だ、大丈夫ですか?」


「…………はい」


「いまベッドに戻しますね」


「……はい」


 どう支えたらいいかわからない俺は、悩んだ結果お姫様抱っこに辿り着く。

 ステラさんをお姫様抱っこした俺は、よいしょと持ち上げ、ベッドに寝かしつけようとして――


「あれ?」


 不意にあることを思い出した。


「すみませんステラさん、ちょっと脚を触ってもいいですか?」


「ふぇっ!? わたしのあ、脚ですか?」


「はい。脚です」


「……」


「あーあー! べ、別に変なことじゃないですよ? ちょっと気になったことがあっただけです! やましい気持ちなんてこれっぽっちもありませんっ」


「こんな痩せっぽっちな脚でよければ……いくらでも触ってください」


 なんか勘違いされてるっぽいけど、いちおうOKは貰ったぞ。


「じゃ、失礼しまーす」


 俺はステラさんをベッドに座らせ、寝間着をちょっとだけまくり脚を出す。


 成人女性の脚としては、ずいぶんと細い。


「じゃあ、触りますね」


「はい」


 俺は一度心を落ち着け、ゆっくりと脚に触れる。

 つついたり、ちょっと強めに叩いてみたりと繰り返し、


「思った通りだ」


 俺はある確信を得た。


「あの……なにが思った通りなのでしょう? わたしの脚が、その……シローさんのお好みだったんでしょうか?」


 少しだけ頬を赤らめたステラさんが、恥ずかしそうに訊いてくる。

 なにやら酷い勘違いをされたみたいだぞ。


「違います! そんなんじゃないです! ただ俺は、この『生き腐れ病』の原因と治療法について心当たりがあっただけなんですって!」


 慌てながらそう弁明すると、


「そ、そうなんですか。生き腐れ病のちりょうほう…………え?」


 そこには、驚きを通り越して呆然としてしまったステラさんの姿が。

 

「はい。治療法です。ステラさんの病気、俺が治してみせますよ」


「……治る? この生き腐れ病が……?」


「はい。治ります。というか治してみせます。この俺が」


「ほんとう……ですか? ほんとうにこの病が……」


「約束しますよ。俺の叔父はステラさんよりずーっと重い症状でしたけど、いまじゃピンピンしてますからね。ま、ここは俺にまるっと任せてみてください」


 俺は得意げな顔を作り、力強く頷いてみせる。

 ステラさんの雫だった涙が、滝へと放出量が変わった。

 次から次と涙を流しては、感情を押しとどめようと唇を噛みしめている。


「シローさん……わたしは……わたしは……」


 ステラさんは消え入りそうな声で、でもハッキリと。


「……死にたくありません」


 と言った。

 ステラさんはずっと絶望の中にいて、希望が見えず生きることを諦めていたんだろうな。

 俺はそんなステラさんを安心させるように、そっと手を握った。

 生きる希望を、感じてもらえるように。


「大丈夫です。ステラさんは死にませんよ。これからもアイナちゃんと暮らせますって」


「シローさん……」


 ステラさんの瞳が俺を見ている。

 俺は視線を逸らさずに、「大丈夫です」と頷く。

 アイナちゃんたちが戻ってきたのは、そんなタイミングでのことだった。


「アイナたちが戻ってきたぞ。シロー、話はまだ――」

「おかーさんただい――」

「シロー殿ただいまもど――」


 外に出ていた3人が同時に戻ってきて、扉を開けた瞬間同時にフリーズ。

 三人の視線の先には、脚をはだけさせたステラさんが俺に手を握られ、滝のように涙を流している姿が映っていることだろう。


 さて、どう無実を主張したものか。

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