第5話 取引の先に
「取引が不成立になったなら、再取引をしよう」
「…………はぁ?」
殺気に塗れていた白い魔獣の双眼が、イラハの突拍子もない言葉で呆気に取られた。
「いや、だから最初の取引の条件が終わったのなら、条件を変えてもう一回取引しようって話」
「…………」
魔獣が大きく嘆息して、
「お前はそれで良いのかよ?」
「そうしないとお前、俺を殺そうとするだろ? それじゃあ、俺が困るんだ。だから平和的にいこうぜ? それにお前にいろいろ聞きたいことがあるんだ。そっちの条件はそのままで、こっちは情報を提供してもらう。取引の更新ってのはどうだ?」
今のイラハにはこの世界の情報は喉から手が出るほど欲しい。
シーン姫がイラハを元の世界に戻せる手掛かりがあるかもしれないが、それはまだ推測の域を出ず、楽観的になるのはまだ早い。
ダメだった時のことも考えて、情報は少しでも多く揃えておきたい。
異世界ものの常として、すぐに元いた世界に帰れた者など稀なのだから、用心に越したことはないはずだ。
「……けっ。何百年もこんなつまらんところに入れられて話し相手にも飢えてたところだ……。呑んでやらぁ、その条件。……さっさと話しな」
張り詰めていた空気が和らいだ気がイラハはしたので、
「すぐにどうこうされるってのはなくなったと思って良いよな? 確認なんだけど、ここは七人の姫が統べる七公国ヴェルカリナの一つ、エルブライト公国で間違いないか?」
なるべく怪しまれないように端的に、かつ要点を押さえたつもりだった。
「なんだ? 自分がどこにいるかもわからずに捕まったのかぁ? ……もしかして、お前ヴェルカリナの外から来たってか? くく、マヌケめぇ。スパイでもしてバレたか?」
「……まぁ、外からと言えば外からか、な? つうか、お前だって捕まってるんだから、人のこと言えないじゃないか」
別の世界から仮想現実世界、もしくは異世界にやって来ました――と言うのは躊躇われる。
どう説明して良いかわからないが、話して信じてもらえるかがまず怪しい。
この世界に住む人たちに、ここはゲームの中の作られた世界だなどとどうして言えようか。
この世界の住人はゲームのキャラクター……作られた存在という可能性がある。
もっとも、イラハの中でその線はかなり薄いのでは、と今は考え直していた。
虚実を真実に意識を認識させるほどの超高度な仮想世界かもしれないと思っていたが、五感がどうしてもその考えを拒む。
理由はシーン姫の態度や表情、温もりが――、目の前の魔獣が作り物とは思えないほどに生気に満ち満ちていたからだ。
それを知って、どの顔で作り物と言えようか。
壁やら鎖、今も照らしている月光もそうだが、視覚も聴覚も嗅覚も触覚も味覚から受け取る情報がゲームにしては精密過ぎると絶えず脳に訴えてくるのだ。
リアル過ぎて容量がどうこうの域を既に超えているはず。
視覚のみで考えても、グラフィックに定評のある最新作のゲームでも、この世界と比べたら圧倒的に画素数で劣るだろう。
いや、そんな次元のレベルではない。
それでも形を成しているということは、ここがゲームではない可能性を示唆しているとしか思えなかった。
ここまで異世界よりの考えに傾いているのに、仮想現実世界の可能性を残しているのは、今も視界左上に見える簡易ステータス画面の存在、それのみだ。
唯一の存在なのに、存在力が高過ぎてとても無視できない。
ここが『ラグマギ』なのは間違いない。
問題はこの世界が仮想現実世界と呼ばれるゲームの中なのか、実在する異世界に呼び出されたのか――。
それを知ることで今後の対策が変わってくると思われた。
「で、どうなんだ?」
「お前の言う通り、ここはエルブライト公国よぉ。そんで首都ラングルズの城の地下というわけだ。ここを逃げ出せても上に行けば、警備は厳重だぜぇ」
「……それは困ったな……。じゃあさ……」
一拍置いて――
「異世界召喚みたいなこと出来る奴はいるか?」
ズバッと本題に切り込んだ。
「…………面白いことを聞く」
殺気の和らいでいた魔獣の青い瞳に再び殺意の灯火が宿るのをイラハは見逃さなかった。
「その情報を聞きたければ、そろそろ儂様の方の取引条件も叶えて欲しいもんだ……。片方の条件だけ叶うってのはフェアじゃねえよなぁ、人間?」
魔獣の言う通りなのだが、イラハは悪い予感がしてならない。
殺気を相手に放ってくるような奴を解放して大丈夫なのかと不安に……、
「というか、これ襲ってくるんじゃないのか!? 拘束のされ方からして、鎖の数が俺の時の四倍。単純に危険度も四倍ってことにならないか!?」
情報を出させるのもこれが限界。これ以上は危険と隣り合わせ。
なら、気付かれないようにと、イラハが後ろに退がりつつ――
「儂様なら、異世界召喚を使える奴のことを知っているぜ。それも複数だ。これは一人ではできねぇ」
「なに!?」
最悪、シーン姫に聞けばなんとかなるかと思っていたが、今の魔獣の発言はとても聞き捨てられるものではなかった。
「一人ではできない?」
元の世界でディスプレイから半身出てきたのがシーン姫だけだったことといい、異世界なのか仮想現実世界なのかはまだはっきりしてないが、この世界で最初に見かけたのもまたシーン姫だった。だから、てっきり姫一人に原因があるものとイラハは無意識に決め込んでしまっていたが、ここで他の者の関与の疑いが生まれてしまう。
イラハの足が鳥黐に踏み入れたみたいにピタリと動きが止まってしまった。
「どうするよ? 言っとくが、儂様の知ってる情報は限られた奴しか知らねぇはずだ……。この国の姫さんも含めてなぁ」
「――――」
魔獣の口元が愉悦に引き上がり、鋸のようなギザギザした牙を見せる。
「……わかった。ギブアンドテイクだな」
「ぎぶあんと……なんだ、それ?」
「それだといろいろ物をくれそうな蟻っぽいな。ギブアンドテイクだ。もらったらお返ししようみたいな意味。……で、お前をここから出すとして、何で俺を助けようとした時みたいに、自分の毛を使わないんだ?」
「ああ……、これかぁ?」
白い毛が一房伸びると、毛自体に意志があるみたいにクネクネ動いて存在をイラハに示す。
「……実際に見た方が早い」
毛の塊が、数分前のイラハのように四肢に枷をされている魔獣の戒めに向かっていくと――、
バチっ――
毛の尖端と枷が触れようとした瞬間、うっすらと見えた光の膜が火花を出して接触を拒んだ。本来白かった毛の先が黒く焦げ付いているのが一目でわかる。
「そういうことか……って、それ俺がやっても焦げるじゃねえか!? 無理だろ!」
「馬鹿が、慌てるな! この枷は特別製で儂様のような強い力がなきゃ反応せんわ! その証拠にお前は自分の枷を自力で解いただろ。お前を捕らえてた枷も儂様のと同じだったんだぜ。要するに儂様より弱いお前なら大丈夫ってこった」
「……最後の一言、別にいらないだろ」
今のに限らず、さっきから人に助けてもらう態度か――、と不満を顔に出すイラハだが、実際自分の時よりも厳重に拘束された姿を見たらなんとも言えない。
イラハが牢から脱出する際、格子を斬る為に【刀剣創造】スキルによって生み出した刀は維持時間が近付いているもののまだ健在だ。
「最後に一仕事、頼む」
自分のいた牢にそうしたように、一挙手一投足同じに刀を振るう――
「――――っ!」
パリィン――!
「――――」
手の中で刀は鏡が割れたみたいに砕け散った。
格子の質がイラハがいた牢と同じであれば、同じように断ち斬れたはずだ。
しかし、そうではなかった――
というわけではなく、刀を通して掌に伝わる感触がそれを否定した。
枷は厳重でも、格子は何も違わない。
――なら、何故斬れていない?
「おめぇのその剣に似た刃物は何だ? 見たことがねぇ……魔法か? 儂様がここにいる間に人の世の文化は変わったようだな」
粉々に散る刀は役目は終えたと、光の粒子となって儚く姿を消失していく。
現世に留まることを許されなかった光の残骸に仏頂面で目を凝らしていた魔獣の口がニタァっと開いた。
「だが、良くやったぜぇ……取引成立だ」
否――、
創造された刀はしっかりと持ち主の意を叶えてくれていた。
遅れて格子の何本かが滑るように石造りの床に落ちて金属音を響かせるのとほぼ同時に、なんと魔獣を縛る十六本の鎖までが一斉に張りを失い……切断されていた。
「約束は果たした。次はお前の番だ。しっかり異世界召喚のこと話してもらうぜ」
飄々としたイラハの顔には、満面の笑みが。
その顔がすぐに驚きに変わるとは露知らずに――
「がはははっ! 儂様が人間と約束なんざ守るわけねぇだろうが! だが褒美はくれてやる! 数百年ぶりの記念すべき儂様の食べ物第一号にしてやるわ!!」
嬉々としてイラハに襲いかかってくるその姿は……まさに獣そのものだった。
「やっぱりフラグだったんじゃないかよ! ランドルト環の上向き野郎!」
ランドルト環がこの世界の視覚検査にも使われているかは知らないが、ありったけの怨嗟を込めて叫ぶイラハに、鋭い鈎爪を持った魔獣の右腕が横から薙ぎ払われ――
イラハの胴体はあっさりと二つに引き裂かれてしまった……




