第17話 伝承魔法
エルブライト公国領、ラングルズ城内での妖魔との戦いから明くる三日後。
時間の経過と共に、各所の被害状況がシーン姫の元に届き明らかとなる。それにより、早急に事後処理、事後対策を騎士や文官だけじゃなく、街の人々からも求められていた。
三日前の戦いでは、妖魔が城内にまで入り込んでしまうという、騎士団にとっては大失態と言うしかない戦いがあった。その原因の最有力として挙げられているのが、城に至るまでの道を我物顔で妖魔が通ってきたことである。
城から城下街、街を囲う壁に備わる門へと続くわけだが、門が破られたという報告は一切なかった。妖魔の群れどころか一体として、門番も外を見張る監視塔からも発見できなかったという。3メートルを超える故に目立って当たり前の、トロールが数体いたにも関わらずに……それはあまりに不可解なことだ。
有り得るのだろうか?
それに、どこから妖魔の群れは現れた?
その答えを教えてくれたのは、街の住人による多数の目撃情報だった。
街中の大通りに突如現れたという穴から、次々と妖魔が出てきたらしい。
その様はまるでモンスターのパレードだった――そんなことを誰かが溢していたのが今もイラハの記憶に新しい。
幸い、城に向かって真っ直ぐに動いていたらしいので、街中の被害は思いの外、少ないのが救いだったという。
ちなみに、今はモンスター・パレード化させた穴は消えている。
老魔術師姉弟が両方とも死んだせいか、呼び出し尽くして役目を終えたからかはわからないが、事を起こした老魔術師二人と同様に今は存在しない。
街中に比べて、城内はあまり芳しくなかった。
城門は二人の魔術師が魔法であっさり攻略し、不意を衝かれた城内は、まるで準備が出来ていなかったこともあって、多くの兵士や騎士に死者が出てしまった。
壊された窓や壁の後片付けもそこそこな状態。
壊れた物は時間を掛ければ元に戻るが、人の命まではそうはいかない。そのことがイラハの心に影を落とした。
亡くなったのはイラハの友達でもなければ知り合いでもなかった。それでも人が亡くなって何も感じない者などいない。
人が亡くなって、何も感じない人間になりたくないと言ったイラハの価値観がそう思わせる。
「此度の戦いは残念ながら多くの死傷者を出しました。戦いと言うにはあまりにも突然のことで、また数多くの妖魔を利用し城に攻め入るという、人の道に背いた魔術師がいました。国の危機ではありましたが……ですが、その驚異は去りました! 倒れていった者たち、傷付きながらも戦ってくれた者たちのおかげです! どうか、その者たちの活躍を忘れないであげてください! 此度の殊勲者の名を! 心を――!」
城下で姫の言葉を待つ街の人々に、展望台からシーンが凛とした声で呼び掛けていた。
声を聞いた街の人々から、歓声や喚声、泣き声など、多様な感情が統一感なく城下から響き渡り、街の住人から動揺が大いに見られた。
妖魔を従えているような人の道に外れた者に、一つ違えば国が落とされていたかもしれなかったのだ。当然と言えば当然。
けれど、姫の一声一声に人々は勇気付けられ、不安や悲哀の声よりも、今では歓声の方が勝るようになっていた。
「……ほんとは辛いはずなのに……強いよなぁ」
今回の戦いの終結を高らかに宣言し、凛々しく声を投げ掛けているシーンだが、華奢な身体のいったいどこから、これほどの声量と――そして勇気を出せているのだろうか?
イラハは城下の人々からは見えない、姫から離れた隅っこの方から、シーンの背中に視線を移した。
今も話を続けている姫の周りには、威厳のある、いかにも身分の高そうな騎士たちが整列している。中には若い騎士も数えるほどいたが、中年以上の騎士が大半だ。女性騎士が割りと多く、おおよそ男女半々といったところ。
姫の背中を眺めながら、イラハは昨日の日中、シーンに尋ねられたことを思い出していた。
***
「シーン、教えてくれ。俺を……どうして、この世界に喚んだんだ?」
気だるさが残るものの、既に大事ないイラハ。
そんなイラハの見舞いに来たシーンが、ベッドの中に入ったままのイラハの右腕を大事そうに自分の太股の上に乗せている。イラハの右腕にある制約の文字を隠そうと布切れを巻いてくれている最中だ。
ベッドの上からここぞとばかりにイラハは、この世界に飛ばされてからずっと聞きたかった質問をぶつけてみた。
「……私が、イラハを喚んだ?」
首を傾げるシーンに、一瞬だがイラハは怪訝に思うがそうではない。姫の淀みのない碧い瞳を見て、すぐに気付いた。
どうやら本気でイラハの言っている意味がわかっていないようだ。
「俺がこの世界に喚ばれる直前、目の前に君がいたんだ。それでキ――」
キスをされた――
そう言おうとして、けれど口にしようとしたら、恥ずかしさが込み上がってきて、イラハは躊躇ってしまう。
確かにイラハはシーンと唇を重ねた。
その行いが契約する為に必要な一連の所作だったかは不明だが、イラハが知らずに姫と制約と誓約を結んだことは事実なようだ。
暴れる鬼化したシーンを止めようとした時に、制約が最初は右前腕から――、次いでイラハの全身に激しい痛みをもたらしてきたので、契約の成立に疑いようがない。
「コホン……、俺はシーンに制約と誓約をその時に掛けられた……んだと思う。それに心当たりはないか?」
「制約と誓約…………古代魔法ね。術者と相手との契約を守らせるための誓いの魔法。契約に背けば、相手に苦痛を与え続ける……。……そんな古の魔法を私がイラハに?」
静かにイラハは頷いた。
「……ごめんなさい。覚えていないの……」
悲痛な表情でシーンが応えた。
本心では「やっていない」と言いたかったことだろう。それなのに「覚えていない」と応えたことには理由がある。
鬼化した自分の行動にシーンは自信がないのだ。
鬼化した時の記憶は残っていると、昨日シーンは話していた。だったら、制約と誓約を使ったか、使ってないかは本当はわかっているはずなのだ。
それでも、やっていないと言わない――いや、言えなかったのは、鬼化している時の全ての記憶を、今の自分が共有できているという確信がなかったからに違いない。
イラハから見ても、鬼化した時のシーンは、まるっきり別人にしか思えなかった。
絶対ではない以上、シーンは否定することをしない。
可能性がある限り、自分がやったかもしれないと自分で自分を疑う。
損な選択だとイラハは思った。
故に彼女の性格の良さをイラハに知らせていることに、本人は気付いていない。
「しかし……」
この世界に来る前のシーンがイラハに見せた表情は、鬼化していたとは到底思えないほどに、慈愛と安らぎに満ちたものだったと、イラハは記憶している。
本来のシーンの姿にしか思えなかった。
それなのに覚えていないと言うことは、イラハに制約を掛けたのは、本当はシーンと別人だったということじゃないのか? そんな疑問が脳裏に浮かぶが。
「あの時のシーンは鬼化してるようには見えなかったんだけどな。でも、シーンに心当たりがないってことは……実は俺が見たのは、シーンの姉か妹だったってオチないよな?」
もしそうだとしても、シーンの時にギアスの制約が機能していた以上、姉や妹の線は実は考えにくい。
わかっていて聞いたのは、イラハのただの軽口だ。
ラグマギ情報だが、シーンが一人っ子なのは先刻承知済み。
「私に姉はいないけど、妹ならいますよ」
「え、マジで!?」
ゲームでは存在しなかった、シーン姫に妹がいるという設定にイラハは目を丸くした。
「ラグマギ情報とはなんぞ……」
ラグマギと共通している世界だと思い切っていただけに、突然そうではないと突き付けられた気分を味わう羽目に。
「けど、妹ではないと思います」
「なんで、そう言い切れるんだ?」
気を取り直して、シーンに問うイラハ。
長い睫毛を伏せ、考え込むこと3秒にも満たないが、すぐに考えが纏まったらしく、シーンの瞼が持ち上がる。
「妹がここではない世界にいたというイラハに会ったというなら、そのこと自体が妹には不可能だからです」
どういうことだ? とあからさまに表情に出したイラハに、
「異世界に干渉できるほどの大魔法の知識は、ヴェルカリナ七公国の七姫にしか伝えられていないからです」
「七人の姫のうちの誰かに伝えられているって、アルから聞いたけど……違うのか?」
「あの【白亜の嵐鳴】がそのようなことを? ……異世界干渉魔法は元々は一つの魔法だったのですよ。それを七つに分け、各公国の姫が伝承してきたのです。……いえ、違いますね。ヴェルカリナでは、優れた女性の中から『姫』を選出して国を統べるとされてきましたが、それがそもそもの間違いなのです。一般的にはこちらが知られていますけどね」
開いている窓から一陣の風が入ってきた。
自分の金色の髪が揺れると、シーンが気持ち良さそうに目を細めた。
「実は『姫』を選ぶのは伝承魔法の方なのです。伝承魔法が使えると認められた者こそが『姫』と言われるのです。エルブライト公国では私が五年前に伝承魔法に選ばれました。だから、妹が使えるわけがありません」
「魔法が姫を選ぶ……? 意思でもあるっていうのか?」
「声が聞こえたり、姿が見えるわけではありませんが、私たち七姫はそう思っています……いえ、少なくとも私は」
本当に魔法に意志があるというのなら、イラハが想像していた魔法のイメージと随分違う。イラハが持つ魔法のイメージとは、術者の意思で発動して発現させるものであって、そこに他者の介入があったとしても、魔法そのものに意志があるなんて聞いたこともない。
ラグマギにもなかったことだ。
「そういうことなら、シーンの妹が俺を喚んだんじゃないっていうのにも納得できるな。だったら、七人の姫のうちの誰かが俺を喚んだってことになるのか? いや、違うか……。元々一つの魔法だったってことは、もしかして七人集まらないと伝承魔法ってのは使えないとか?」
「はい。そのはずなのですが……」
「シーンに魔法を使った覚えはない。つまり、この時点で七人揃っていないわけだから、異世界にいる俺とコンタクト取れるはずがなかったわけか……。……訳がわからん」
何か裏技的な抜け道でもあったのだろうか?
残念ながら、イラハにはわからなかったが。
アルなら何か知ってそうな感じだが、肝心のアルはここにはいない。既に城から経った後だ。
「けど、これで俺が次にしないといけないことが決まったよ」
そう言って、イラハは目の前の金髪の少女に笑いかけた。
驚いたことに、シーンもこちらを向いて笑顔を向けてくれている。
「きっと私の力がお役に立つと思いますよ、イラハ」
賢明な子だとイラハは思った。
どうやらイラハの考えに、シーンは気付いたらしい。
「よろしく頼むよ、シーン」
自分の思考がそんなにわかりやすかったのかなと思ったら、イラハはなんだか気恥ずかしくなり、引きつった笑いを溢した。
それを見たシーンが、くすっと可笑しくなって満面の笑顔を見せたものだから、釣られてイラハの口からも今度は自然な笑い声が漏れる。
互いの笑顔が互いの心を幸せな気持ちで満たしていくと、二人はとりとめもない話に花を咲かせた。