第14話 心の在処
ゲーム内では妖魔に分類されているゴブリンや オークの遺体が、重なるようにたくさん転がっているバルコニー。その中には多くないとはいえ、騎士や兵士のものまで混ざっており、凄惨な殺し合いがあったことを、床の色を赤く染め上げた血が否が応でも見る者に語りかけてくる。
そこに蝙蝠の翼を背中に仕舞い込んで、夕空から着地する老人が一人。
魔術師風のその男は、自分と同じような姿をしている色違いのローブ姿の老女を見て、こう言った――「姉ちゃん」と。
「お前が……いや、お前たちがここに攻め込んできた主犯か?」
イラハが言い直したのは、目の前の蝙蝠老人が「姉ちゃん」と言った、近くで同じような服装の首を失った老女のことを言っているものと思ったからだ。
「あはっ。主犯? 主導してたのは、そこで頭を無くしたみっともない姉ちゃんのことなんだけど、そうだね。僕もそこに含まれるかなぁ。今は姉ちゃんに代わって、僕が妖魔を指揮してるからね」
蝙蝠老人の言葉に――いや、言葉遣いにイラハは不快感に眉をひそめた。
良い歳も歳、老人が自称「僕」と言い、口調もどこか子供っぽい。率直にイラハは気持ち悪いと思った。何よりの嫌悪感は自分の姉が殺されて平然と、むしろ愉快に笑む、その異常性にだ。
「それはつまりだ。お前の姉が身に付けているペンダントと同じ効果が、お前のやつにもあるって思って良いのか?」
「へぇ~……このペンダントのことも知ってるんだ? ただの子供がこんなところにいるわけないとは思ってたけど……姉ちゃんに教えてもらったのかな? ダメだなぁ、姉ちゃん。敵にネタを知られるなんて、さっ!」
姉に指先を向けた蝙蝠老人。次の瞬間には色を除けば、お揃いのローブを身に纏う相手に向かって、なんの躊躇いもなく光線を放った。胸にぽっかり穴が空き、穴の周囲には肉が焼け焦げた痕が残る。
死者に対して、決して行って良い行為とは思えない。
姉弟なら尚更にイラハには思え、その感情がイラハの胸中で苛つきとなって、ざわつき始める。
「お前、こいつの弟なんだろ? 死んだ人間に鞭打つ必要なんてあったのか?」
「あったさぁ。だって、気持ち良いよね?」
老人の言ってることが、イラハには本気で理解できなかった。
イラハにも姉がいるが、殺したいと思ったことなどないし、もし亡くなってしまったら、凄く悲しむだろうと想像に難しくない。
そう言えば、ましろ姉ちゃんはどうなったんだろう? 俺と同じでこの世界に来てしまったのか? パソコンの前で光に包まれる直前まで俺と一緒だった訳だから、ありえる話だよな……。
――と、場違いにも姉の真銀のことを思い出していたイラハ。
それを蝙蝠老人に思うところがあって黙してしまったと、勘違いしたのかもしれない。アルが口を開いた。
「いちいち、ムキになるんじゃねぇぞ、ガキ。妖魔なんか引き連れてくる奴なんざに、まともな精神を持った奴なんざいねぇんだからよぉ」
「アル……」
言うことには一理ある。
あると思うが、どうにも腑に落ちない。
だが、理解できることもあった。
こいつは多分……自分の一番嫌いなタイプの人間なのだと。
それを確信するためにもイラハには聞くことがあった。
「お前ら姉弟は妖魔まで連れて、何でここを攻め込んだんだ? ここってエルブライト公国の首都でラングルズ城なんだろ? だったら警備も厳しいはずだ。有り体な支配欲か?」
「有り体だなんて言ってくれるね~。でも、実際そうだから否定できないや。その為に姫様にも頑張ってもらったんだしね」
気持ち悪い口調を平然と使う老魔術師の言葉に、イラハの心中のざわつきがいっそう激しさを増す。ただの強風が、暴風へと変化の兆しを見せようとしている。
そのことを誰にも悟られないよう、至って普通にイラハは話の続行を望んだ。
「意外とあっさり話してくれるんだな。その調子で次の質問も頼むぜ。……シーン姫の鬼化にお前たちが関わっているってことか?」
「僕としてはそろそろ君が何者かを聞きたいんだけどね。……ああ、そうだよ。妖魔を大軍で連れたとして、ヴェルカリナのバケモノとして有名な姫様のいる万全のラングルズ城は落とせないだろうからね。だから僕たちは姫の排除を試みたんだ。実力では無理だよ? それができるなら、最初から回りくどいことはしてない。……ねぇ、どうしたと思う?」
老魔術師が尋ねてくるが、しかし、イラハにはわからない。眉間を寄せるだけだ。
そのイラハの態度に優越感を感じたのか、嬉々として老魔術師の口が滑らかに動く。
「わからない? わからない? 聞きたい? 聞きたい? よぉ~し、教えてあげる!」
まるで子供返りした老人だ。
認知症が原因でなさそうなのが、いっそう性質が悪い。
素でこれなのだ。
好奇心を全力で向けられても、イラハには気持ち悪く映るだけで……
「ある日ね。姫様がね。街を一人で巡察してたんだよ。何で身分の高い姫様が、自らそんなことするのか不思議だったけど、よくするらしくてさ。これはチャンスだと思ったね。姉ちゃんが持っている『鬼獣化の指輪』を使うのは」
「鬼獣化の指輪……」
名前からして、その指輪がシーンを鬼化させたものと安易に想像できた。
「指輪の効力は人を鬼に変えるもの。最初は心から……徐々に肉体にも影響が現れ、心身共に鬼と化す。けど、どうやって姫様に指輪をはめてもらうか、あの時は困ったなぁ。警護の者を連れ添ってなかったとはいえ、姫様自身がとんでもないからね。だからね。僕たちはね……」
一拍、老魔術師が間を置いて、
「近くにいた何も知らない子供に、指輪を姫様にプレゼントしてくれるようにお願いしたんだ。もっとも魔法でイエスしか言えない状態にしたんだけどね。あははははっ」
後頭部を思いっ切り殴られたような衝撃が、イラハを襲った。
「今……なんて言った?」
「やだなぁ。ちゃんと聞いてなかったの? ぼ・く・が、子供を操って、姫様に指輪をプレゼントしてあげたのさ。可愛い子がせっかく懐いてたっていうのに、最初は姫様ちょっと困った顔してたけどね。でも最後はすっごい笑顔を見せてくれたんだよ。バカだよね~。その指輪で僕たちが何をしようとしてるか知らずにさ。あ、そうそう。姫様に指輪をはめさせたい理由をまだ話してなかったね」
喜色満面に、得意気に、幼稚に、老魔術師が顔をイラハに近付けてきて、
「正面から攻めれないなら、内から崩してやろうってことだよ」
「……どういうことだ?」
「強くて人望もあって、個でも衆でも隙がないから、鬼にしてやって心をメチャクチャにしてやれってね。そしたら周りは、破壊衝動に駆られた姫様をどんな目で見ると思う?」
「…………」
「恐怖だよ。人の変わった姫様に恐怖するんだ! そして恐怖は伝染する! あらぬ噂となって広がっていくのさ! あ~、楽しいぃっ!」
子供がシーンに手渡そうとした指輪――
本当にシーンは指輪の性質に気付かなかったのか?
気付かないにしても、アルがさっき言っていた通り指輪から何かしら怪しげな魔力ぐらいは感じていたのではないのか?
もっと言えば、子供が操られていたことにも気付いていたかもしれない。
アルほど強い魔獣が、シーンの力を認めていたほどの魔術師だ。
そして、この国――エルブライト公国最強でもある。
最強の魔術師が、何者かの悪意を感じるぐらいわけないのでは?
目の前の子供を人質にとられたと思っても可笑しくない状況でもある。
だから、シーンは子供のプレゼントに困った顔を見せたのではないか?
すぐに子供に笑顔を見せたのは、その子を安心させようとしたから――
ここまではイラハの何の根拠もない想像でしかない。
ラグマギを知る人がいて、今のイラハの気持ちを知れば、ゲーム内の姫のイメージを引きつっていると言われてしまいそうだし、言われてもイラハは言い返せないだろう。
事実、誰よりもシーン姫を贔屓に見ていたのがイラハだ。
その自負だってある。
だが、それでも――
もしもイラハの想像通りで、シーンが自分の身よりも子供を守ろうとするような、そんな優しい姫様なんだとしたら――
イラハは痛いぐらいに力強く奥歯を噛み締めた。
これらは全部イラハの想像に過ぎない。
けれど、思考を巡らすほどイラハは自分の想像が真実に思えてならなかった――
それほどまでに目の前の老人から受ける態度は、イラハの胸中に嫌悪感と苛立ちしか生まなかった。
こいつは自分たちの都合でシーンの心を操り、シーンがこれまで築いてきた人との繋がりを、土足で好き勝手に踏み荒らしたのか。
人が人との繋がり、信用を得るのはとても大変で時間が掛かることをイラハも知っている。
口で言うより、ずっと難しいことも。
逆は……信頼を失なう時は割とあっさりとなのにだ。
だからこそ、許せない。
許すことなんてできない。
シーンが意識を取り戻しても、鬼がこれまでやってきた姿は、見た人の記憶から消えたりはしない。その為、今まで親しかった人に恐怖や軽蔑の視線を向けられることも考えられる。
いや、そうなることが老魔術師の狙いなのだろう。だったら、腹立たしいことにこれまで上手くいっていたに違いない。
……悪くいっているの間違いか。
親しい人に害意を向けられることが、どれだけ辛いことか、想像しただけで胸が締め付けられる。
自分に落ち度がないとなると、納得もできないはずだ。
だが周囲からしたら、そんなことは関係ない。
かもしれない、と思わせるだけで、疑念は生まれる。やがて信頼にヒビが入る。
育んだ時間が絆を深めるものなのだと、イラハは信じている。
それをこいつはぶち壊した。
そう思うと、激しい怒りが止めどなくイラハの胸中に渦巻きだした。
「けどけど、計算違いもあったんだ。最後に完全に鬼化した姫様の姿を城の皆に見せてあげようと、妖魔を嗾かけたのにさ。人のほとんどいない場所で暴れちゃうものだから、目撃者に困ってね。だから、鬼化した姫の話を騎士たちにしてくれるなら、君のこと見逃してあげても良いよ?」
先程からイラハの顔のすぐ目の前で、得意気に言辞を弄す老魔術師に、
「…………れよ」
「ん? 何だって?」
「黙れって、言ってるだろうがっ!! 臭い息、吹き付けるんじゃねぇっ――!!」
ついには息が掛かるぐらい、顔を近付けてきていた老魔術師の顔を、イラハは思いっ切りぶん殴った。
頬骨を捉え、硬い床をボールが命中したボウリングピンのように1バウンド、2バウンドして老体が遠慮なしに転がる。
「俺の一番嫌いなタイプだよ、お前。殴り足りないから、まだ気ぃ失なうなよ」
「…………お、お、お前っ!!」
上半身を起こして、イラハへ沸き起こった怒りに震える老魔術師の口から、隙間風が吹く。どうやら歯が何本か抜けたらしく、前歯に不自然で大きな隙間ができていた。
「ええい! 僕が殴られたっていうのに、何ぼさっとしてる! バカか、お前!?」
「あぁん?」
ペンダントに触れている手をあろうことかアルに向けて吠える老魔術師に、アルはあからさまに不機嫌を表に出した。
そのことを老魔術師が意に介しているかは定かではないが、空気が読めずに多言し続ける。
「妖魔じゃないだろうけど、お前ぐらいのザコが相手なら、余裕でペンダントの魔力が及ぶはずだよ! さぁ、さっさとそこのバカガキをやっつけちゃってよ!」
今のはイラハにだってわかった。
アルの怒りの導火線に火を点けてしまったことに。
「くくっ……。儂様がその辺の弱っちぃやつと一緒に見えるかよ? 怖いもの知らずも大概にしとけよ、てめぇ――っ!!」
今日だけで何度目にしたことだろう……案の定、アルがキレた。
前足を持ち上げ、二足で立ち、未だに倒れたままの老魔術師に向け、鋭い眼光を浴びせ見下ろすアル。
「儂様がやる……。おめぇは引っ込んでろよ、イラハ」
「なんだよ、俺の名前覚えてたのか。けど、わりぃな……。こいつだけは譲るわけにはいかねぇよ」
イラハもアルも全面の標的に向かって、一歩を踏み出す。
「わかってるんだぜ。おめぇのあの剣を作り出すやつ、マナを使ってるんだろ? 戦いっぱなしのくせにまだ使えんのかよ? 言っとくが、マナが尽きたら意識ぁ飛ぶぜ?」
「大丈夫だ……あと二回は使える。……それで十分だ」
「なら、早いもの勝ちっていうのはどうだ?」
「ああ……、それで良い」
アルの提案に肯定の意を示したのも一瞬、二人はほぼ同時に駆けた。
状況に付いていけていない老魔術師の双眸に、右眼は双剣を持つ人の子、左眼は風を纏う白い魔獣が迫ってくる姿が映っていた。