第13話 魔術師二人
「さて、と。いつまでもこうしちゃいられないし、姫様をどこか安全なところに移さないとな」
「ああ、それには大いに賛同するぜ」
俺の言葉にアルが素直な態度を見せるなんて珍しい――などとイラハが思っていたら、
「一番安全じゃねぇ男と一緒にいるんだもんなぁ! ぎゃははははっ!」
「――っ!」
イラハへの当て付けらしく、アルがイヤらしい顔でイラハを覗いて笑いだす。
今、イラハの腕の中には気絶しているシーンがおり、
「うるせぇ! いい加減、もう、忘れろ!」
ついつい、イラハも顔を真っ赤にして反論してしまうものだから、その都度、アルが気を良くし執拗に笑いからかってくること、既に六回目。
「とにかく、ここを離れるぞ」
姫の腰に置いていた手をそのまま下へ動かし、両膝の裏からイラハの手を通した。反対の手で姫の上半身を支えると、お姫様だっこの完成。
これはこれでさっきとは別の羞恥心がイラハを襲ってくるものだから、アルの笑いの種にされてしまった。
「もう、どうにでもしてくれ……」
しっかりとイラハがシーンを抱える。一刻も早く、アルの羞恥攻めから逃げ出したい気持ちが、部屋から出ようと早々に一歩を踏み出す。
すると、姫の指に蛇が巻き付いているようなデザインをした薄気味の悪い指輪が、スルリと床に落ちたのが見えた。
イラハはただの指輪だと思い、気に留めなかったが、
「それがその女を鬼化させた原因の物よ」
思っていたよりも、うんと重要な物だったことに驚くイラハを余所に、アルは落ちた指輪を粉々に踏み砕いた。
「大方、気を失い、鬼化が解けた時にしか指から外れないような代物だったんだろうよ。こいつは呪いに近しい咒具だ」
「咒具……そんな物、なんだって身に付けていたんだ? 知らなかったのか?」
「おめぇじゃあるまいし、そりゃあねぇよ」
「なんでそう言い切れるんだよ?」
「その女は儂様たちとの戦いでは近接戦ばかりだったが、本来は魔術師……それも使い手の少ない結界魔術の達人だ。見ただけで指輪が怪しいとわかったはずだぜ」
シーンが魔術師ということは『ラグマギ』で知っていたが、結界魔術師なるものを聞いたのは初耳だった。ただ、どちらの場合であっても、鬼化したシーンに魔術師らしいところなんて微塵も見受けられなかったが。
「格闘家みたいなバリバリの肉弾戦を魔術師にされてたわけか……シーンが魔術師じゃなく戦士や騎士だったらと思ったらゾッとする話だな」
「魔術師相手にボコボコだったものなぁ、おめぇ」
「お前もだよ!!」
他人事みたいに言うアルにイラハは間髪入れずにつっ込んだ。
「とにかく、いつまでもシーンをこのままにしておけない。どこか安全な場所で休ませないと」
そうしてイラハが姫を抱えて、まだ血が乾ききっていない床を慎重に歩き、出入り口を目指すと――
「――――」
無言でイラハの進路を白い魔獣が阻んだ。
またしてもイラハの足はアルによって止められたことになる。
「何のつもりだ? ……そう言えば、お前、最初からやけに姫様を狙ってたな……恨みでもあったのか?」
「…………」
「まさか、姫様を殺す気か? もう鬼じゃなくなったのなら、そこまでする必要ないだろ!?」
「……勘違いするんじゃねぇよ。今はそういう気分じゃねぇ。……長い間、牢に閉じ込められていたことについては一言言ってやりてぇ気持ちはあるがな」
シーンが狙いじゃないとすると……
もしかして……
「もしかして、俺か!? 俺との決着をつける気か!」
「クックック……」
とびきり愉快そうに邪悪に笑んだ顔を、イラハにもわかるようにアルが表情を変えた。そんな笑い方されたら悪い予感しか浮かばない。
マナはほとんど尽き、ライフも半分を切ったまま。
イラハの生命線と言っても過言ではない【刀剣創造】も肝心のマナ不足で、もってあと二回が限界。前の戦いで何本も壊されたことを踏まえると、絶対に足りない。
なら体術はというと……スキルを覚えたかったがAPの都合でそれは叶わなかった。運動神経は良い方だと自負しているが、リアルで武道を嗜むこともなかったので、そういう諸事情でお察しレベルに留まっている。
鬼化したシーンが戦っていたゴブリンやオークが使っていた武器を横目で眺めてみる。落ちていたのは棍棒類が多く、イラハが使える刀剣の類いは少ない。あっても一目で刃が欠けていたり、折れてたりと、アルを相手にするには心許ないを通り越している。
「……あれ? 俺、絶体絶命じゃねぇ……?」
遅れながらも現状を理解すると、切れるカードのなんと乏しいことかと嘆くしかない。いや、切れるカードすらもなかったのだ。
「何やってやがる。ほら、行くんじゃねぇのかよ」
「え? ……行く?」
戦闘を覚悟していたイラハの頭の中は、予想外の言葉に思考が追い付いてくれない。
「てめぇが言い出したんだろうが。そいつを安全なところへ連れて行くってよぉ」
「あ……ああ、そういうことか」
ここでようやくイラハの理解が追い付いたところで――
「……城内の騒ぎが一向に収まってやしねぇ……。おかしいとは思わねぇか?」
「――――」
扉から一番近い位置に立っているアルの横を通って扉を開けてみる。部屋の中にいる時は気付かなかった喧騒が、すぐにイラハの鼓膜に響いてきた。
ここの部屋は防音がかなりしっかりしていたらしいが、そんなことをアルが言っているとは思えなくて……。
鉄を激しく打ち付け合う音、怒声に檄、稀に爆発音……これらの音から連想するものは……
「戦闘中か……。上でも下でも変わらず戦いが続いているようだけど……まぁ、親玉は俺たちが来る前に姫様が倒したんだから、直に片付くんじゃないか?」
「それがおかしいって言ってるんだよ」
「おかしい?」
アルの言葉を咀嚼する。
何がおかしい?
いや……何かがおかしい……?
「そうか! 親玉がいなくなったってのに、何でさっき始まったかのような激しい戦闘音がまだ続いているんだ? 普通、収縮に向かっていくはずだ」
自分の想像を裏付けるために、イラハはシーンを抱えたまま、血に塗れた広い部屋の中を抜け、バルコニーに出た。
そこでイラハは自分の考えに確信を深める。
シーン……というより鬼化した姫が殺したと思われる緑のローブを着た魔術師の斬り刻まれた、頭部の損われた死体。流れた血はどこも完全に凝固している。それは時間が経過したことへの証左を意味する。
「俺たちがここに辿り着いた時には、既にこいつの血は固まっていたはずだ。そう考えると、こいつは俺たちが来る前にはとっくに殺されていて、時間もそれなりに経っていないとおかしい……。まだ城内にいる奴等が退却を始める時間は十分にあったはずなんだ」
「そういうこった」
「だけど、それなら何でまだ戦闘が当たり前のように続いているんだ? これじゃあ、まるで――」
「まるで他に親玉がいるみたい……だろ?」
「――っ」
親玉らしき奴は既に討たれていて、シーンの鬼化を解いたら、残りは時間の問題。これで一件落着だと思っていた。
ところがネクスト・ステージの追加をレベル1で言い渡されてしまうとは。
「こんな嬉しくない隠しステージなんかあってたまるか! 何度も言うが、こっちはレベル1だぞ、クソゲーか!? いや、クソゲー決定だ!」
「――――」
げんなりした気分でいたところに、突如、脳裏に警鐘が鳴り響く。
この感覚は受動的にイラハがまだ気付いていない他者の気配を知らせてくれる【気配感知】の恩恵――
「姉ちゃん、なかなか帰ってこないと思ったら、なぁんだ、殺られてやんの!
抜け駆けするから罰が当たったんだな。良い気味だ! ざまぁっ!」
口調は軽く若者を思わせるが、声音は年老いた男のもの。
夕陽の残る空を見上げると、赤茶色のローブを頭まで被った老人が空に浮いていた。綺麗な夕焼け空に不釣り合いな黒い翼……蝙蝠のものとわかる翼を、ローブの背中に穴を開けて通しているのか、そこから拡げて空に浮いている。
首には見覚えのあるペンダントが。
バルコニーで亡くなった、緑のローブ姿の死体が首から身に付けている物とそっくりだ。
つまり、こいつは――
「早速、隠しステージの開始ときたか……。どんだけクソゲーなんだよ」