トキヤ~転②真っ白い世界~
一方その頃。
妹の大混乱ぶりなど知る由もない土岐哉はおおいに焦っていた。
「ヤベー……寝すぎた。カラダが痛い。つーか、ほったらかしとかどんなクソゲだよ。あと、トイレ……」
石の床で眠っていたため、目が覚めると体中が痛みで悲鳴を上げていた。
体の痛みに耐えながらも、状況の確認のためにキョロキョロと周りを見回してみるが、何一つ変わったことはないようだ。俺は時刻を確認するため、唯一の持ち物と言っていい腕時計に目をやった。
「12時って……こんな眠ったの久しぶりだぞ。さて、空腹はまだなんとか我慢できるが、トイレはどうにも……」
起き抜けに感じていた尿意を我慢しながらも、さんざん調べつくした部屋を改めて調べなおしたが、どこも変わった様子はない。トイレなどもっての外だ。
「漏らすよりマシか……」
そう言いながら、いよいよ諦めて部屋の隅で用を足そうとしたその時だった。
『ゴゴゴゴゴゴゴゴ……』
重厚な音と共に目の前の扉が開いた。
「なっ……!」
あまりに突然の出来事に驚きを隠せずにいたが、思い切って扉の先へ進む。扉の先に何があるか分からないが、この部屋に閉じこもっていても何も変わらないのだ。また閉じ込められてしまって、次に扉が開くという保証もない。
それならば、扉の先へ向かうというのは、当然の選択である。
そして、扉を出た先に広がっていたのは雄大な大自然……というわけもなく、そこは何かしらの儀式をおこなう祭壇のようなものと、さらに奥の部屋へと続く通路がある部屋だった。
俺のラノベ知識では、こういった空間はすでにトラップ部屋をクリアしないとたどり着けない仕様になっているものがほとんどであったため、最初から警戒心は薄かった。しかし、うっかり変なところを触って、祭壇が光ったりするのではないかという可能性もまた捨てきれずにいた。
「と言うか、そんなファンタジーなことを考えている時点でどうかって話なんだが……」
ぶつぶつと独り言をつぶやく。確かに、さきほどの考えは、ここが現代日本であるという可能性を排除したと思われても仕方のない考えだ。テレビの仕掛けだと言われれば納得できるが、テレビが俺を嵌めるメリットが見当たらない今、その可能性の方が低いだろう。
それに、この部屋が会社の近くに存在するということに関して言うと、どこか説得力がない。
それもそうだろう。
まず扉が勝手に開いたのだ。
どこかしらの国の、最先端の技術なのかもしれないが、そんな技術を俺は知らいない。
俺は未だ開いている扉を見てため息をついた。
『ゴゴゴゴゴゴゴゴ……』
すると、まるでそのため息に反応するかのように、扉が再び閉じてしまったのである。まぁ、前の部屋には用事がないので、特に残念だと思うこともないのだが……。
俺は改めてその扉を調べてみたが、タイマーだのなんだのという現代的なギミックは確認できなかった。
「とりあえず扉は保留だな。」
その後、俺は慎重に周囲の壁から調べていった。
「やっぱりないか……」
ぐるりと1周した時、俺は絶望に打ちひしがれた。
トイレ出現のギミックがなかったのである。もちろん、通路の先にならあるかもしれないが、状況がよく分からない状態で、次の部屋へ行くことはためらわれた。通路の先で、見張りの人間に出くわして掴まった瞬間に粗相をしてしまったら、相手を怒らせて、何をされるか分かったものではない。
しかし、どんな状況に陥ろうとも、やはり人間には生理的現象に対して抗えないものがある。
尿意を感じてから時間も経ち、いよいよ我慢も限界に達しようとしていた。
「くっ……殺せ。」
なんて訳の分からないセリフを吐きつつ、俺は覚悟を決めて祭壇っぽいものを調べることにした。
出来ることなら近づきたくなかった。
これが本音である。
こういう祭壇は、近づいた瞬間に何かが起こるというのが、ゲームでは鉄板のイベントだ。
しかし、他に調べるところもない上に、尿意が限界だ。
『これを調べたら次はその辺でトイレタイムだ!』
心の中で強く思いながら、俺は祭壇を調べ始めた。
それにしても、この祭壇は不思議な雰囲気を醸し出していた。部屋の中心部に位置し、周囲からは1段高くなっている。その中央には腰の高さほどはあろうかという石造りの杯が置かれており、杯の中には水が溜まっていた。
おそらく、天井から水が染み出しており、この杯に溜まるような仕組みになっているのだろう。そう考えた俺は天井を見上げた。
「ん?」
見上げた天井にはそのような仕組みは見られなかった。
疑問に思いつつ、今度は杯を覗き込んだ。
「おぉ……って!誰だこれ!!」
杯の中には透き通った水が並々と注がれていた。しかし、驚いたところはそこではない。
その水に映し出された人物が問題なのだ。
「まさか……俺?」
そこに映し出されていたのは、社畜と化して目の下にクマを作っていた33歳の自分ではなく、顔立ちも幼く、中性的なアイドルのような顔をした誰かであった。
最初、それは魔法の鏡で、自分のなりたい姿を映すものなのだろうと自分を納得させる方法を選んでみたのだが、冷静に考えて、現代日本にそんなとんでもない鏡が存在しうるわけがない。
「はは……バカか俺は。」
そう言いながら、改めて水に映る顔を見る。
やはり若かりし頃の自分だ。
まぁ、水に映っているからといって、自分の顔まで変わったのかどうかは分からない。なにせ第三者がいないのだ。確認のしようがない。
見た目に関して、これ以上確認できないという結論に達した俺はその水を調べることにした。
覗き込むだけでは何の変化もない。若い頃の自分が映るだけだ。
次に少しだけ指で触れてみた。水紋が広がるだけで、特に新しい変化は見られない。
「詰みゲーか?」
思わずそう呟いてしまうほど、辺りは静寂であった。
「やっぱ……飲むしかない感じだな。」
そう言ってみたものの、かなりの不安に襲われた。
毒ではないという確証などどこにもありはしないのだ。むしろ、どこぞの猫仙人様が持つ潜在能力を引き出す水という可能性のほうが高いように思われた。
もし、似たような効果がある水ならば、とんでもない精神力の持ち主でなければ死んでしまう。
「まぁ、一口くらいなら大丈夫だろ……。最悪、吐き出しゃいいんだし。」
俺は覚悟を決めて水をすくう。
両手に取った水の量は、本当に一口程度だが、やはり飲むとなると勇気が必要だった。
「えい!」
気合いと共に水を飲む。
不思議と甘さを含んだ水が咽を通り過ぎ、胃に流れていくのが分かる。
思わずため息をついてしまうほどの美味さであった。
「何もないな……」
俺は改めて自分の体を確認する。
変化があるのならもう起こってもよいはずなのだが。
するとその時、突然足元が輝きだした。
何が原因かは分かっていないが、この状況が変化するのではないかと期待して、内心でガッツポーズをとった。
目が眩むほどの光に思わず目を瞑る。
時間にして30秒ほどだろうか。まぶたを閉じていても分かるほどの明るさが引いて、もう大丈夫だろうと思い目を開けた。
「ここは……」
そこは一面真っ白な世界だった。
足元がふわふわとしており、地に足がついているのかさえ怪しく思われた。
一応、自分が真っ直ぐに立っているため、天地の感覚はあるのだが、これが浮遊状態であったならば、前後左右の感覚さえあいまいだったかもしれない。
「どこだ……」
そう呟きながら、俺は強制的に転移させられたということを直感で理解した。
足元が光るイベントをこなしたのだ。当然どこかへ転移されたのだろう。
オタクとしてそれくらいは容易に想像ができた。だが、それが問題なのではない。
問題なのは、ここがどこかということだ。
「さぁ、説明求ムだぞ~。」
初期イベントでは必ず「チュートリアル」が行われる。
それはゲームだろうがライトノベルだろうが同じことだ。
くだらない説明ならスキップしよう。そう誓って辺りを見回した。
「おい。無視か?」
5分ほど立ち尽くして、何も起きないことを理解した俺は、ふとトイレを我慢していたことを思い出した。
いや、思い出してしまった。
その辺でしてしまうかとも思ったが、この空間でそれをすることはさすがにためらわれた。
放出したモノが、どこへ流れていくかも分からない上に、どこで誰が見ているかも分からないのだ。
しかし、この場にこれ以上留まってていて、何も変わらないだろうということは理解できた。
そんな結論に達した俺は、考え込んでも仕方ないと思い、前なのか後ろなのか分からないが、とりあえず自分が前だと思う方向に歩き出した。
100メートルほど歩いただろうか。目の前にボタンが置かれた台を発見した。
怪しいことこの上ない。しかし、他にヒントになるようなものもなく、なにより、もはや尿意が我慢の限界を迎えていた。
「さぁ、しっかり説明してくれよ~。」
俺は目の前のボタンを思い切り押した。