日常②土岐哉と理沙~
正午。
土岐哉は社員食堂にいた。
珍しく午前中に仕事がひと段落し、早めの昼食を摂っていたのだ。
「お!流星が社食にいるなんて珍しいじゃん!」
社員食堂中に響き渡っているのではないかとさえ思ってしまうほどの大声で、俺の恥ずかしい名前を呼びぶような奴の心当たりなど、俺は1人しか知らなかった。
「黙れ拓斗。俺の名前を大声で呼ぶんじゃない。」
土岐哉は盛大にため息をつきながら声の主を見る。一流企業ともなると、社員食堂もそれなりに立派な広さとなっているのだが、今はお昼時だ。
少し早いとはいえ、この社員食堂にはそれなりに大勢の人がいる。そんな中で名前を呼ばれることは、苦痛を通り越して地獄だった。
「え~。いいじゃんかよ~。同期のよしみでさ。許してよ。」
相変わらず軽い男だ。
この軽い男の代表みたいな奴、朝霧拓斗とは同期入社ということもあり、仕事でもよくペアを組まされるのだが、その軽さからは想像もできないほど仕事に関しては優秀だ。
出会ったばかりの頃は鬱陶しくもあったこのやりとりも、今では挨拶みたいなものになっていたりするのだ。
「もういい。って、なんで横に座るんだよ!」
「え?だって、一緒にメシ食べるの久しぶりだろ?」
俺は再びため息をついた。
「そうだが……俺は特に用事はないぞ。」
俺は憮然とした表情を浮かべる。
食事は一人で摂りたいと思っているわけではないのだが、騒がしすぎる拓斗と一緒だと、多少なり疲れてしまうのだ。
「まぁまぁ、そう言うなって。俺はお前が喜びそうな話を持ってきてやったってのに。」
拓斗の言葉にピクリと反応してしまう。
「まさか……。」
「そうだ……。あの本の続きがいよいよ発売される。」
俺は叫びだしたい気持ちを抑えることでいっぱいだった。
「発売日は1週間後だ。お前は忙しすぎて本屋にすら行けないようだから、また手に入ったら連絡ボックスの中にでも入れておいてやるよ。」
「神よ……」
拓斗の言葉を聞いた瞬間、思わず口から言葉が溢れてしまった。
俺たちがいったい何の話をしているのかというと、拓斗は俺の趣味である「読書」のジャンルを、唯一知っており、それを共有できる人間なのだ。
さらに、忙しすぎる俺の代わりに買いに行ってくれるというオマケつき。
こんなことを言うのもなんだが、俺は世間で言うところの「オタク」である。と言っても、リュックを背負い、シャツをインし、某電気街を歩き回るような本気のものではなく、ライトノベルを読み漁り、アニメをこよなく愛する平々凡々なものである。
勉強一筋に生きてきたように思われるが、そこはやはり人間。そんなことは不可能だ。
俺にも「中二」の時期はあったし、エロい亀の仙人が登場するアニメや、霊界からの依頼で探偵をするアニメなんかには胸をおどらせたものだ。
他にも、鬼の手をもつ少々エロちっくな漫画や、アルファベットの「I」の付く登場人物が複数登場する漫画なんかにはかなりお世話になった記憶がある。
もちろん、「妹」の出てくる漫画やアニメなんかも片っ端から読破している。
「お前の趣味のこと、妹ちゃんはまだ知らないんだっけ?」
拓斗のことの言葉には、妹にバレていないのかという意味を含んでいるのだが、ある意味毎度お馴染みのようになっている。
その言葉を聞いて、俺は笑みを浮かべる。
「妹に見つかった日には死ねる自信がある。」
どこぞのネルフの司令官のような威圧的なポーズで俺はセリフをキメた。
「いや……なんでバレないんだよ?」
不思議そうな拓斗を置いて、俺は淡々と食事をすすめていった。
16時。
授業を終えて、学校の最寄り駅で親友と別れた理沙は、電車に乗り込んだ。
今から向かうのは地元のスーパーだ。
「ん~。今日もお兄ちゃんは遅いから、帰ってきた時に何か食べれるものがあったらきっと喜んでくれるよね!」
そんなブラコン街道まっしぐらな結論にたどり着き、笑顔になる理沙。
その笑顔が電車の中の男たちをより一層魅了していることになど気づくわけもなく、理沙は電車を降りて、商店街へと向かっていった。
「おっ!理沙ちゃん!今日も可愛いね!!サービスしちゃうよ!」
太い大根を片手にセクハラぎりぎりの発言をかますおじさん。
商店街といえば、こんなテンプレのセリフを言う人が必ずいる。土岐哉ならばきっとそうツッコんだだろう。しかし、今は理沙1人だ。
「もー。おじさんいつもそんなこと言って……」
困り顔の理沙。
「妹のセリフまでもテンプレとは……」
土岐哉のセリフが聞こえてきそうなものではあるが、そこはお嬢様学校の生徒。そんな知識に触れることなく、シスコンの兄に守られてまっすぐに育ってきたのだ。
本当に困っているのだろう。
「え~っと、今日はカレーにするから、ニンジンと玉ねぎと……」
食材を次々に指さす理沙。
「はいよ!!」
威勢よく商品を取るおやじの手には指定した倍の量が握られていた。
「サービスサービス!」
後ろで奥様がものすごい顔をしていることなど、理沙以外の誰も知る由がなかった。
「あ、ありがとうございます。」
理沙はさらに困った顔でお礼を告げた。
困り顔でお礼を告げる理沙ちゃんも可愛かった。
それがこのおやじの最期の言葉となったのは言うまでもない。
「えっと、あとは……。うん。大丈夫。」
桜の季節も過ぎ、気候的にはまだまだ過ごしやすい季節ではあるが、行く先行く先で「大量」のサービスを受けた理沙の両手はすでにいっぱいだった。
「っと……ちょっと重たい……。っと……!」
あまりの重さに、荷物を持ち換えようとしたその時だった。
「大丈夫?」
重さに耐えきれず、フラついてしまった理沙を支える女性がいた。
「あ!彩夏さん!」
理沙の目の前に現れた女性の名前は香住彩夏。
土岐哉と同じ年齢の幼馴染だ。
名前に「夏」が入っているだけあって、夏をイメージさせる健康的な美人である。
細身のスーツを着こなし、カッコいいという印象を抱かせる人物だ。
「ありがとうございます!彩夏さん、今日は早いですね?仕事はもう終わりですか?」
丁寧に腰を折りお礼を告げた理沙。
お礼をする態度とは違い、その話し方はかなりの親しさを感じさせる。
「今日は出先から直帰なんだ~。あと、お礼なんていいって。それより大丈夫?なんかすごい荷物だね?」
「えっと……なんだかたくさんサービスしてもらったみたいで……」
困り顔の理沙と大量の荷物という組み合わせを見た彩夏は思わず苦笑いをしてしまった。
「あはは……そりゃ大変だったね。半分持つから貸して。」
「あ、ありがとうございます。」
そう言って、理沙は荷物の半分を彩夏に手渡す。
彩夏にとってこの場面はもはや慣れたものだ。
美少女が買い物にきたら、男なら誰だってオマケしたくなるものだ。たとえそれが、利益を度外視したものになるとしても……。
もちろん、この状況は理沙も幾度となく経験していた。だからこそ、彩夏が荷物を持つと言った時、すぐに手渡したのだ。
「ふふ……。」
「どうしたんですか?彩夏さん。」
ふいに微笑んだ彩夏を不思議そうに見る理沙。
「ん~。ちょっと昔のことを思い出してたの。ちょっと前はさ、理沙ちゃん「大丈夫です!」って言って荷物渡してくれなかったんだもん。」
中学生の頃からその美貌が際立ってきた理沙は、買い物でも同じだけの量を手にすることが多かった。
高校生になった今でもフラつくことがあるのに、中学生の時は荷物をぶちまける事態にまで陥ったことがあったのだ。
「あの時は私がやらなきゃって……」
恥ずかしそうにうつむく理沙。
母親を亡くし、自分が頑張らなければと強く思うあまり、人に頼ることを是としない時期があったのだ。
「ということは、今は少しは頼りにしてくれてるってことかな~?」
いちいちこういう分かりきった確認をしたがるのが彩夏である。
理沙の反応を見て楽しんでいるのだ。
「えっと……はい。すいません……私がもっとしっかりしてれば……」
「はい、スト~ップ。」
沈みかけた理沙に明るく声をかける彩夏。
「お姉さんは嬉しいよ~。理沙ちゃん頑張り屋さんでとっても可愛いんだもん!むしろ、手伝わせて!というか、かまわせて!」
荷物を持っていない方の手で拳を作りながら鼻息を荒くする彩夏。
本当の妹ではないが、妹のように可愛がっているのがよく分かる。
「それにしても、こんな超絶美少女の理沙ちゃんにだけ苦労をかけるとは……あんのバカは一体何様のつもりなんだろーね?理沙ちゃん。もうさ、私の家に妹としておいでよ。」
今までの優しい雰囲気が一転。殺気さえも感じられるほどに怒りをあらわにした彩夏。
「あ、あの、お兄ちゃんは本当に忙しくて……それに、私の学費とかのために働いてくれてるから……その……。それに、お兄ちゃんは私がいないと何もできないから……。」
わたわたと兄の弁解を始めたた理沙。兄の事を考えているのだろうその表情は、心なしか赤みを帯びていた。
そんな理沙を見て毒気を抜かれる彩夏。
「ほんっと、あのバカは殺さなきゃならないわね。」
これほどの美少女に想いを寄せられて尚、まったく気づきもしないバカ兄貴。
それをどう処理するかが、彩夏の最大の課題であった。
「まぁ、お互いに無自覚みたいだし、しばらくはそっとしておきましょ。」
そんなふうにつぶやいた彩夏は、2人して家路につくのであった。