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第五話

 すみれが店に帰る頃には出汁も仕上がっていた。

 最後の調整を行う内にやがて山本の率いる撮影隊、そして匠がやって来て――


 そして撮影が始まった。


 頭の悪そうな二流芸人の司会兼レポーターが奇声を発しながら厨房に入り込み、すみれの仕事を解説し始める。

 形だけの愛想笑いをしながら調理をしていたすみれだったが、しかし心中は決して平穏ではいられなかった。 

(私、どうしたらいいんだろう……)

 先刻、「覚悟なさい」などと威勢の良い啖呵を切ったにも係らず、彼女は自分の行為に躊躇していた。

 何と言っても、すみれの創り上げた超爆盛り極辛煉獄ラーメンは異常である。

 彼女の怒り、憎しみ、復讐心、そういった負の感情全てを籠めて『フードファイターを倒す』ただそれだけのために生まれた、情け無用の残虐メニュー。


 ――こんな最悪な料理を、いくら敵に回ったとは言え、たっくんに食べさせて良いのだろうか?


 ――いいえ、いくらたっくんと言えども彼はフードファイター。今の彼は私にとって不倶戴天の敵。それに、もしも手加減なんかしたら、きっと、彼は私を軽蔑するに違いない。


 ――でも、自分で作っておいてなんだけど、こんな物普通の人間にはとてもじゃないけど食べ切れる代物じゃないし。


 ――でもでも、なんかたっくん昔から普通じゃなかったから、もしかしたら本当に全部食べてくれるかも……


 ――って、ああ、結局私は何がしたいのよ! 彼を倒したいの? それとも全部食べ切ってほしいの?


 迷走する心とはうらはらに、料理人として鍛え上げられた彼女の両手はまるで独立した意思を持っているかの如く調理を続けていた。

 凄まじい勢いで野菜を刻む。

 一ミリの誤差も無く、均等にチャーシューを切る。

 慎重かつ大胆に麺を茹でる。

 軽やかに舞う様に、巨大な中華鍋で野菜を炒めて出汁を注ぎ込む。

 技術の深奥に達した、それは達人と呼ぶにふさわしい無駄の無い動きで、すみれはラーメンを作り上げていく。程なく彼女の眼前には巨大な丼と、そこに納められた極悪な色彩のスープにおびただしい量の麺がたうたう、凄まじい様相のラーメンが姿を現した。

 しかし。

 後は具材を盛り込むだけという最終工程の最中。バットの中に並べられた、寒天状に固まった煮こごりの様なキューブアイスめいた物体を手にした瞬間、初めて彼女が動きを止めた。

(どうしよう……)

 すみれは逡巡する。

(今ならまだ、間に合う。只のめちゃくちゃ辛くて信じられない量のラーメン、それだけで済む。でも……これを入れたら、もう後には引き返せない)

 小さな溜息を吐き、天を仰ぐ。

(お父さんだったらこんな時、どうするんだろう?)

 まるで迷子になった幼子の様な表情で、すみれは厨房の隅に飾ってある両親の遺影に答えを求める。

 二人はいつも通りに微笑んでいた。

 その優しい笑顔は、

『お前の信じるままに作りなさい』

 そう語り掛けている様に、彼女には思えた。それは物凄く勝手な解釈だったのだが、とにかくすみれにはそう思えた。

「よし!」

 意を決してバットの中身を掴む。

(お父さん、お母さん。これでいいんだよね?)

 すみれは両親に心の中で語りかけた後、迷いの消えた動きで丼めがけて大量に投入した。何が『これでいい』のかよく分からないが、とにかく投入した。

 一切の手加減無く。

 一切の容赦無く。

 むしろ普段よりも何割か多く。

 凶悪な様相を増していくラーメンに、彼女は想いを籠める。


 ――私の、怨念の結晶である、この超爆盛り激辛煉獄ラーメン。

 もしも……もしもたっくんがこれを食べ切る事が出来たなら……もしもたっくんが、このラーメンと一緒に私の、この歪んだ心をも消し去ってくれたなら、私は……


 すみれの逆上気味な想いの篭ったその丼は、彼女の心境を映し出しているかの如く混沌さを増していった。




「お待たせしました。ご注文の超爆盛り極辛煉獄ラーメンです」

 匠のテーブルに丼の載ったトレイを置く。

「見てください、この真っ赤なスープ! これは、まるで丼に入った溶鉱炉や~!」

 カメラが回り、馬鹿丸出しの司会がなんだかよく分からない叫び声を上げてはしゃぎ回る。まるで躾のなっていない子供の様な態度と口調で意味の無いコメントを連発している司会を無視して、すみれは匠の動きを注視していた。

「頂きます」

 匠は行儀良く一礼し、厨房に架かったすみれの両親の写真にも視線を運んで黙礼をしてから箸を取った。

 その姿は今まで何度も見てきた、汚く食い散らかしながら凄まじい勢いで口に流し込む凡百の二流フードファイター達とは明らかに違う。自分が食べる物、作った者に対する感謝と尊敬、そしてそれを食べる事の出来る喜び、さらには完食する事への明確な決意を纏った、実に堂々たる態度だった。

 すみれの心中に熱い想いがこみ上げる。

 (ああ、やっぱりこの人は昔から変ってない。あの頃のまま、私が好きだった「たっくん」のままなんだ)


 行儀良く「いただきます」をした匠は、手始めにと麺を軽く一箸摘まみ、口に運ぶ。

「ずずずっ……ん? これは!?」

 一口麺を啜った匠は一瞬軽い驚愕の表情を見せた。しかしそれはすぐに不敵な笑みに変わり、自分を見つめるすみれに視線を移した。

 すみれも匠の視線を受け止めながら、小さく微笑む。二人の間に、もはや言葉は不要だった。

 『このスープの絡まり具合は……やるな、すみれちゃん。スープに、重さを感じない程度にとろみをつけたんだね。しかも、これはただの片栗なんかじゃ無い』

『ふふふ、そう。微かなとろみをつける事によってスープが麺に絡まり、しかも冷めにくい凶悪なラーメンになるの。辛味の威力は熱さの二乗に比例するわ。片栗粉では無く吉野の本葛を使うのは粉っぽさを出さない為と、葛のかすかな甘さで辛味を引き立てる為。たっくん、食べ切る事が出来るかしら?』

 二人の顔に浮かんだ笑みは無邪気に遊ぶ子供の様でもあったし、自らの命をチップにして勝負に臨むギャンブラーの様でもあった。

 すみれの挑戦を真正面から受け止める様に、匠は力強く、なおかつしなやかな動きで食べ始めた。

 一口分の麺を的確に箸で取り上げ、一度レンゲに乗せて軽く冷ましてから口に運んで一気に啜る。急に何か思い出したかの様に具の野菜とチャーシューに手を伸ばしたかと思いきや、今度はまるでスープの味を再確認するかの如くレンゲですくい、口に含む。時折り額に浮かぶ汗を左手のハンカチで拭いつつも、右手は次の一口分を箸で正確に摘み上げている。

 決して一定のリズムを崩す事無く、しかもその動きには一片の戸惑いも感じられない。明らかに常軌を逸したハイスピード食法にもかかわらず、匠の動きにはまるで一指しの舞を演じるかの如き華やかさが存在した。

 その美しく、かつ無駄の無い動きは、彼が一流のフードファイターであるという事を声無くとも雄弁に物語っていた。


 瞬く間に五分が経過した。


 匠は開始時のペースを保ったまま箸を進めている。

 彼は驚愕していた。食速を落とさない理由はもちろん時間内に完食する為である。だが、そういった打算だけでは無く、純粋な『美味さ』によって自分が引き込まれている事に気が付いたからであった。

『美味い。尋常じゃない辛さにもかかわらず、本当に美味いよ、すみれちゃん。これを普通のサイズで出せば確実に売れるだろうに、君は何故ここまでして……』

匠の、そういった訴えを察したすみれは心の呵責に耐え切れず、彼から視線を逸らした。

『あなたは私を軽蔑するかしら? たっくん。私は非道い事をしているの。このラーメンは、 このラーメンの味は……不純よ』

 超爆盛り極辛煉獄ラーメンのいやらしさは辛い事、量が多い事だけに留まらない。

 辛くて多い。

 けれども美味い。

 すなわち、美味いのに食べきれない。挑戦者にそういった屈辱感を与えるという狙いも、この料理には隠されていた。

 比内鶏のガラと金華ハム、干し貝柱、干し椎茸、国産和牛の骨髄、その他各種の国産無農薬野菜をふんだんに使って出汁を取り、南紀勝浦産の長期熟成醤油と中国は四川省産の四年間熟成させた極上の豆板醤で味の基盤を固め、大量のおろしニンニクとおろし生姜でインパクトを与えて、とどめにインド人もびっくりの各種香辛料とフレッシュハーブで風味をととのえた採算度外視の、まさに復讐のために作られた必殺メニュー。

しかも恐ろしい事に、この料理には辛さ、美味さ、そして量の多さの中に隠された極めて狡猾な罠が仕込まれていた。

「そろそろ効いて来る頃……」

 すみれは再び匠に視線を戻す。

 その瞳には、笑っている様な泣いている様な、不思議な輝きが湛えられていた。

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