第四話
すっかり冷めたコーヒーを一口飲んで、すみれは語り出した。
「私のお父さんとお母さんは、フードファイターに殺されたの」
「な!?」
「フードファイターは、両親の仇」
「一体……何が」
すみれの放った言葉、そして憎悪を隠そうともしない表情に匠は言葉を失った。まるで金縛りに掛かったかの如く、一言も発する事が出来ずに居る。
その様を、すみれは哀しげな瞳で見詰めていた。
(ああ、たっくん。今はあなたもフードファイターなんだものね……)
そう、心の中で呟きながら。
「たっくんも覚えてると思うけど、元々うちのチャレンジメニューはこんな料理じゃなかったの。お父さんが『学生さんや懐の寂しい若者達におなか一杯食べてもらいたいから』って始めた、サービスメニューみたいなものだったのよ。全部食べれたらタダ。食べ切れなかった時の値段も良心的で、儲けなんかは殆ど無かったけれど、みんな喜んでくれてた」
「うん。そうだったね」
「ところが、それに目を付けた連中が居たの。まるで豚の様に醜く食い散らかしては『全部食ったから当然タダだよな』なんて言って帰ってく、薄汚い奴等」
「それが、フードファイターだった?」
「少なくとも自分ではそう名乗ってたわ。それ以来、私はフードファイターを許さなくなったの」
「…………」
彼女の言葉を、無言で受け止めている匠。その表情は、まるで裁判で死刑判決を受けた被告の様に蒼白だった。
「そんな連中にいつまでもたかられたら店は成り立たない。悩んだお父さんはついに中国まで修行の旅に出たわ。四川省の成都にある元祖激辛料理の店に技を学びに。そして半年後、帰国したお父さんが編み出したのが、今のメニューの元になった『大盛り辛口地獄ラーメン』なの。さすがにそいつらも、お父さんが本場で得た技術を駆使して創ったあのラーメンを食べ切る事は出来なくて、店に来なくなったわ……でも」
「やがて、それをも完食する奴が現れた?」
「そう。そいつはテレビでも何度か見た事のある、有名なフードファイターだった。全部食べた後に、嫌味ったらしく『もう少し美味かったら、もっと早く食えたのにな』なんて捨て台詞まで吐いて行ったの」
ぐしゃ、と鈍い水音に驚いた匠はすみれの手元の視線を移す。彼女はコーヒーの紙コップを握りつぶしていた。
ネメシスも裸足で逃げ出しかねない形相で、すみれはさらに話を続ける。
「お父さんは再び中国に旅立って、そしてついに帰って来なかった。崑崙山の麓で、お父さんの変わり果てた姿が発見されたのは半年後。死因は豆板醤の食べ過ぎだった」
「……そんな事が」
「その後、お母さんと私で店を続けたんだけど、元々体の弱かったお母さんは無理が祟って……三年前に……」
大粒の涙を湛えた瞳をすみれは気丈にも手の甲で拭い、小さな声で「ごめんね」と呟いた。
匠はなにも答える事ができなかった。拳を握り締め、小さく頷く。
「お母さんの葬儀が済んでから、私も中国に向かったわ。お父さんのラーメンを完成させるため、そして二人の仇を取るために。死に物狂いで修行した」
「そうして出来上がったのが、超爆盛り極辛煉獄ラーメン。君が復讐のために作り上げた必殺メニューという訳か。フードファイターを倒す、それだけの為に」
匠の問いに、彼の視線を正面から受け止めてすみれは答える。
「ええ。フードファイターは私にとって、憎むべき最大の敵」
そして静かに、哀しげに、しかしはっきりとした口調で付け加えた。
「たとえ、たっくん。あなたでも」
(そうか。そんな事があったのか……)
フードファイターを嫌悪するすみれを、匠は否定する事が出来なかった。
不必要なタダ食いで店に迷惑をかける事はフードファイターとして最も戒めるべき事なのだが、一部に未だそういう連中が存在する事を、彼も知っていたからである。
匠は、自分の事を『敵』と言い切ったかつての恋人、その瞳を静かに見つめていた。
強い決意を秘めた、すみれの瞳。
両親の仇。
店を存続させる為。
そして自分の存在意義。
すみれにとって、フードファイターを倒す事は自らに課せられた崇高な使命。いや、今となっては生きる意味そのものですら、あるのだろう。
それは哀しいほどに純粋で、それ故に強固な決意。
しかし――
彼女の想いを目の当たりにしても尚、匠の信念は揺るがなかった。
そう。すみれがフードファイターを倒す事に自分の全てを懸けている様に、匠もまた自分がフードファイターである事に、全てを懸けているからである。
「……ねえ、すみれちゃん」
匠も明確な意思を湛えた瞳で、すみれに語りかけた。
「俺は最初、文字通り食べる為にこの世界に入ったんだ。さっき話した通り、生きていくだけで精一杯な暮らしの中で突然現れた、これも文字通りおいしい話。協会にスカウトされた時、俺は一も二も無く飛びついたよ。『これでもう食うには困らないぞ』ってね。以来、協会主催のフードファイトリーグや各地のイベントとか今日みたいなテレビの収録とか、そりゃあもうがむしゃらに食いまくった。何も考える事無く、まるで腹をすかせた獣みたいに」
突然始まった匠の話に、すみれは一瞬戸惑った表情を見せたが、それでも真摯に話を聞いていた。匠が自分の決意を語っている事を彼女も感じたのだろう。
「ところが。ただ食うだけの為にやっている事なのに、そんな俺を応援してくれる人達が現れ始めたんだ。『素晴しい食いっぷりだ』とか、『君の食べ方には力がある』とか、中には『あなたから勇気をもらいました』なんて泣きながら言ってくる人もいた」
「……そ、そうなの?」
少し引いた顔で問いかけたすみれに、しかし匠は力強く頷き返す。
「ああ。俺達がやってる事は所詮くだらないショーにすぎなくて、俺に至ってはそんな事すら考えもせずに、ただ食い散らかしてきたんだけれど……そういった人達を見て気付いたんだ。こんな俺でも人を楽しませる、喜ばせる事が出来るって事に。そして俺は誓った。ただいっぱい食べるだけじゃ無い、より強く、より速く、より美しく、観る人全てを楽しませる事の出来る、完璧なフードファイターになろうと! それこそが、ついに手に入れた俺の生き甲斐なんだと!」
いつの間にかヒートアップ気味に話していた事に気付いた匠は、一旦話を切ってやや恥ずかしそうにすみれの顔を覗いた。
存外にもすみれは真剣な顔で、匠の話を聞いている。気を取り直して匠は続けた。
「君がフードファイターを憎む気持ちは良く分かる。恥ずかしい話だけど、実際そういった問題のあるフードファイターは未だに少なく無いから。だけど、それでも俺はフードファイターである事に誇りを持っている。この世界に入って、俺は初めて自分の生き甲斐を手に入れたんだ。だから、俺は食べる。そう、俺はフードファイター。フードファイターなんだ」
自分はフードファイター。
そう言い切る匠に対して、すみれは嫌悪感を抱く事は出来なかった。それどころか、むしろ不思議な清々しさすら感じていた。
(そうね。私の知っているたっくんは、決して自分を曲げない人だもの……でも、それなら私だって……)
フードファイターに全てを奪われた女と、フードファイターになる事で初めて自分を取り戻す事の出来た男。
哀しくも残酷な運命に、それでも二人は目を背けず、互いの信ずる道を進む決意をその胸に抱いていた。
「俺は、仕事とか協会とかは一切関係無く、一人のフードファイターとして君に挑戦する。手加減はしないよ」
迷いの消えた表情でそう言い放って、匠は左手を差し出す。
「私も、昇竜軒店主としてお受けします。たっくん、覚悟なさい」
瞳を潤ませながらも不敵な笑みを浮かべて、すみれは彼の手を強く握った。
「戦う前に、君と話が出来てよかった」
「私も」
固い握手を交わして、二人は別れた。
かつて愛し合った二人といえども。
いや、かつて愛し合った二人なればこそ、この戦いはもはや不可避と言えた。