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第三話


「これから、会えないかな? どうしても、話しておきたい事があるんだ」


 彼の申し出に二つ返事で答えたすみれは、逸る気持ちを抑えきれずに、エプロン姿につっかけサンダルのラフな格好そのままで指定された駅前のコーヒーショップに向かった。

「たっくん、あの場所覚えててくれたんだ!」

 そこは二人が中学生だった頃、大人のカップルの様に振舞いたくてよく足を運んだ店だった。

 今となって見ては何の事も無い、どこにでも在る全国チェーンのコーヒーショップ。しかし、そこで大人を気取って飲んだコーヒーの苦さや、匠がハマっていたやたらにマスタードの利いたホットドックの事、一杯で何時間粘っても文句一つ言わずにいてくれた店員のお姉さんの事などを、すみれはまるで昨日の事の様に思い出せる。

 そして匠がその場所を指定してくれたという事は、彼にとってもあの頃の記憶が、自分と同じ様に忘れ難い、青臭くも心地良いものであるに違いない。その考えはすみれにとってこの上なく嬉しい発見であり、仇敵であるフードファイターとなった彼に会う事へのわだかまりを急速に消し去っていった。

 目的の店に到着すると、匠はまるで十年前と同じ様に、懐かしいあの窓際の席でアイスコーヒーを飲みながらホットドックを頬張っていた。あの頃と違うのはお互い十歳も年を取った事と、彼の食べているホットドックが三本から十二本に増えている事だけだった。

(そういえば、昔からいっぱい食べてたっけなぁ……)

 すみれは心の中に暖かく、甘酸っぱい想いが広がって往くのを自覚しながら店の扉を開けた。


「おまたせ」

「ううん。俺も今来た所だから」

 テーブル上に散らかった皿や紙ナプキンを手早く片付けながら匠は言った。すでに平らげられたホットドック八本分の包装紙を見て、すみれは(相変わらず嘘つくのが下手なんだから)と心の中で呟きつつも、「そう、よかった」と言葉を返した。

 カウンターで買って来たコーヒーを手に、すみれは匠と向かいの席に腰を下ろした。

 改めて匠の顔を見据える。十年の年月は、たしかに彼を少年から青年へと変化させていた。しかし、中性的な作りの細い輪郭や如来像を思わせる優しい瞳は、幼い彼女が想いを寄せていた「たっくん」そのままだった。ホットドックを食べた後何故か鼻の頭にマスタードがついていて、しかもそれに全然気付いていない所など、完全にあの頃と同じである。

「あの……」

 話し掛けようとして、すみれは何故か言葉が詰まった。

 色々言いたい事、聞きたい事が有る筈なのに。

 あるいは有りすぎるからなのだろうか。

 すみれは次の言葉を紡ぎ出す事が出来なかった。あれこれ悩んだ末、結局出てきた言葉は

「久しぶりだね」

 という、どうでも良い一言だった。

「うん」

 匠も、そう答えたきり、何も話せないでいる。彼もどこから話を切り出したものか、考えあぐねている様だった。

 二人の沈黙を遮る様に店の扉が開き、一組の客が入ってきた。

 近所の中学校の制服を着た、初々しいカップル。カウンターで飲み物を買うと、一番奥のテーブル席に座って他愛の無い話をしながら生意気にも二人だけの甘い世界を作り上げている。『若い』というよりも『幼い』という表現が似合うその二人は、まるで十年前の自分達を客観的に見ている様だった。

 二人を見ていたすみれの瞳から、不意に大粒の涙が溢れた。雫が頬を伝う。

「どうして……」

「すみれちゃん?」

「どうして何も言わないでいなくなっちゃったの? どうして連絡してくれなかったの? どうして、どうしてよりによってフードファイターなんかになって帰ってきたの!?」

 そのまますみれは泣き崩れた。

今まで心の奥に溜め込んだ様々な想い。それら全てが涙となって、まるで決壊したダムの様に、もの凄い勢いで溢れ出る。

 匠は、テーブル上の紙ナプキンを握り締めて嗚咽を堪えているすみれの拳に自分の手を重ねて一言、「ごめん」と呟いた。


 すみれが落ち着くのを待って、匠は話し出した。

「十年前のあの日……家に帰ったら親から急に『これからすぐに引っ越すぞ』って言われて、最低限の荷物だけまとめて無理矢理車に押し込められた。親父は小さな貿易会社をやっていたんだけど、社運を賭けて大量に輸入した三次元フラフープで大損をして何もかも失ってしまった事を夜逃げする車の中で聞いたんだ。俺は、せめてすみれちゃんにだけは話をさせてくれって言ったんだけど、聞いてもらえなかった」

 そりゃあそんなもんに社運を賭ければ失敗もしますよ、などと思いながらもさすがにそんなツッコミを入れる事も出来ずに、すみれは匠の話を聞いていた。

「それからはひどい生活だったよ。事業に失敗した親父は人が変ってしまった様に酒に溺れて、そんな親父を捨ててお袋は家を出て行ってしまったんだ。俺は高校にも行けず、町工場で働いた。正直つらい毎日だった。知らない町で友達もろくに出来なくて、仕事もきつかった」

「……そうだったんだ」

(たっくん、そんな酷い事になってたなんて……)

 たとえ知らなかったとはいえ、逆上して匠に非難めいた言葉を浴びせた事を、すみれは激しく後悔した。

「何も楽しい事の無い毎日。その中で唯一の喜びは、ただひたすら食べる事だった。小遣いなんて無い様なもんだったから、完食したらタダになる店とか、賞金がもらえる店とかを見つけてはチャレンジして。何年もそんな事を繰り返している内に、やがてJFFAの眼に留まって、一昨年スカウトされたんだ」

「JFFA?」

「そう。ジャパンフードファイターズアソシエーション。日本フードファイター協会の事だよ」

「そんな組織まであったのか……ああ、そういえば」

 以前、返り討ちにした奴が泣きながら『いつまでも協会が黙っていると思うなよ!』と捨て台詞を残して去って行った事を、唐突にすみれは思い出した。

 あの時は、

「きょうかい? えーと、教会が何か文句言って来るのかしら? 『食べ物無駄にするな』とか言われちゃうのかな?」

 などと能天気な事を考えていたのだが、匠の話で全てを理解した。

(つまり、私はそのJなんとかに眼をつけられたのか。なんか、この頃ヤケに挑戦者が多いと思ってはいたけれど、そんな事情があったとは……)

「JFFAに入会した俺は二級FF、一級FFと順調に昇進して来た。昔から、どういう訳かいくらでも食べる事が出来たからね」

「はあ」

「次の昇進試験に合格すれば国際FFの資格をもらえて、本場アメリカのフードファイトリーグに参加できる、そんな時に君の噂を聞いたんだ。俺達フードファイターを異常なまでに敵視しているという、昇竜軒の女主人『激辛残虐女王』の噂を」

「私そんな仇名で呼ばれてるの!?」

 すみれの問いに深く頷いた匠は、彼女の眼をまっすぐに見据えて語り掛けてきた。

「教えてくれ、すみれちゃん。一体、何があったんだ? 何が君をそこまでさせるんだ?」

 匠の真摯な眼差しを見て、すみれは直感した。


(この人は協会の手先として来たんじゃ無い。あの頃の、私の好きな「たっくん」のまま、私の身を案じて来てくれたんだ)


匠は包み隠さずに、すみれに全てを話した。おそらくは思い出したくも無いであろう、黒歴史とも言える自分の過去を。

(ならば……)

 すみれは考える。

自分も、話さねばなるまい。己の心中に潜む醜い復讐鬼の事を。怒りと悲しみに満ちた、この想いを。

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