第二話
「こんな形でこの町に戻って来るとはなぁ……」
駅の改札口を出て、寂れた商店街を眺めながら匠は呟いた。
「来た事あるのか?」
「昔、住んでたんですよ」
匠がぶっきらぼうに答えると、同行の男は興味無さそうに「ふぅん」と頷く。
「明るい内に済ませるからな。ちゃっちゃと頼むぞ」
まるで吐き捨てる様に言うと、男は返事も待たずに足早に歩いて行った。彼は匠なぞ使い捨ての道具としか見ていないので、当然扱いも軽い。もっとも、匠にしても彼の事は『せいぜい利用出来る内に利用させてもらう存在』程度にしか考えていなかったから、これはこれでお互いの目的が一致した、ドライながらも理想的な関係と言えなくも無い。
匠は以前より確実に活気を失っている商店街を一瞥。その片隅に佇む小さなラーメン屋に足を運びつつ、物思いに耽っていた。
(あれから十年か。よりによってこんな形で再会する事になるとは……それにしても、一体彼女に何が起きたんだろう。まあ、変わったと言えば俺も相当変わってしまった訳だが……)
今ひとつ気乗りのしない匠をあっさりと置き去りにした男を追いかけて、歩き出す。
重たい足取りを引きずりながら。
「おはようございまーす。昨日連絡した大日テレビの者ですがー」
男は業界特有の厚かましい態度で挨拶を済ますと、「おお、やってますなぁ、今日はよろしくお願いしますねぇ」などと言いながらずけずけと厨房にまで入りこみ、あまつさえ「んー、いい匂いだ」とか呟きつつ勝手に寸胴鍋の蓋まで開けていた。
(何度見ても嫌な連中……)
すみれは瞳に浮かんだ軽蔑の色を隠そうともせず、それでも形だけは丁寧な受け答えをしながら、山本と名乗ったテレビ局の男と打ち合わせに入った。
昇竜軒は元々安くてボリュームのある料理が売りの店だが、その極目付と言えるのが、先代であるすみれの父が始めた『チャレンジメニュー』と称する超大盛りの料理である。
その中でも歴代最強のメニューと謳われているのが、すみれの考案した超爆盛り極辛煉獄ラーメンである。店のメニューに載って以来一年と八ヶ月、未だ食べ切った者は居ない。
全国の有名フードファイターをことごとく払い除けてきたこの料理はやがてマスコミの眼に留まり、最近では月に一度位の割合でこういったオファーが来る様になっていた。
すみれにしてもテレビは店にとって宣伝になるし、何よりも憎きフードファイター達が苦しむ様を公共の電波に晒せるというのは、この上ない喜びであった。
「それで、今日挑戦する方はもう見えてるんですか?」
「ええ。すぐに来ますよ」
「……そうですか」
今回の獲物はどんな奴だろう?
すみれは残虐な笑みを浮かべながら、まだ見ぬ挑戦者に想いを馳せていた。
(なるべく自信たっぷりの、いけ好かない奴が来るといいな。食べる前に頭悪そうなビックマウスを叩いてくれたりすると最高なんだけど。そういえば前回の男は傑作だったな。『俺の胃袋は銀河だから』とか言ってた割には三分の一も食べれなくて、最後は涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになってたもんなぁ。ふふふ)
云々。歪んだ好奇心を胸に抱きつつ挑戦者を待っていたすみれは、しかし扉を開けた相手を見た瞬間、思考の全てを飛ばされてしまった。
「久しぶりだね、すみれちゃん」
「まさか……まさか、たっくん!?」
「あれ? 知り合いなんだ? ああ、そう言やあ匠は昔ここに住んでたんだっけ? すると何だ、幼馴染み? じゃあアレだ、『幼馴染み、運命の対決!』とかそんな感じのテロップなんか乗せちゃったりして。良いねぇ、盛り上がるねぇ」
勝手に余計な演出などを言い出す山本には目もくれず、すみれは呆けた様に匠の顔を凝視していた。
「いや、コレは今ウチの局で売り出し中の新人フードファイターなんですがね。いやこりゃあナイスな偶然だ、良いよぉ、数字取れそうじゃあないの」
「は、はあ」
事情が判明した後になっても、すみれは混乱から逃れる事は出来ない。むしろ余計に訳が分からなくなっていた。
呆然としているすみれの事などお構い無しに山本は一通りの段取りを決めると、撮影隊と打ち合わせをすると言って一旦店を去った。出汁ができ上がる二時間後にまた来て、その後撮影という段取りになっていたが、もはや彼女にとってそんな事はどうでも良くなっていた。
たっくん。
ちっちゃい頃から中学二年のあの日まで、いつも一緒だった、たっくん。
どうして? 一体、なんでこんな事に?
匠はかつて隣近所に住んでいた、すみれの幼馴染だった。
近所に同年齢の子供が居なかった事もあり、まるで兄妹の様に育った二人だったが、幼いとは言え男と女である事に変わりは無い。そう、すみれはいつも優しい匠に幼いながらも確たる恋心を抱いていた。
匠もすみれの事を憎からず想っていたらしく、子供同士の拙い約束とは言え『おおきくなったらケッコンしようね』とまで誓い合った二人であった。
しかし無情にも彼の家は中学二年の冬、ある日何も言わず突然引越してしまい、それ以来匠からは何の音沙汰も無かった。
後になって、それはどうやら夜逃げだったらしい事を両親から聞いていたが、どうあれ大好きだった匠を失った事実は変えようも無く、彼の記憶は心に深く刺さった棘となって彼女を苛んでいた。
その匠が、十年の時を経て再び彼女の前に現れた。
しかも、よりによって彼女が最も忌み嫌う最悪の存在、フードファイターとなって。
(一体……どうして?)
すみれの思考を遮る様に、電話が鳴った。
「はい、ありがとうございます、昇竜軒ですが……たっくん!?」
はたしてと言うべきか、電話の相手は匠だった。