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 肖像画の制作は色を重ねては削る最終工程に移っていた。ただ、完成が近づくにつれて筆は重くなり思うように進まなくなった。溜息も増えた。それでもミルクリアは絵の前に座ることを辞めなかった。


 とうとう完成間近という時にフレウェルはやってきた。フレウェルの訪問は何よりも嬉しいことのはずなのに、ミルクリアの顔は曇った。


 フレウェルは今回は予め食事を持ってきていた。肖像画の仕上げに入る前に二人はテーブルに向かい合って座り食事を取った。肉や野菜が挟まったサンドウィッチとスープだった。とても美味しかったがミルクリアの顔は晴れないままだった。


「絵の進捗はどうだ?」


「はい……」


 ミルクリアはサンドウィッチを置いて唇を噛み締めた。


「もうほぼ完成です。恐らく今日、この場で完成させられる…かと」


 今にも泣き出しそうな顔をしながら声を絞り出した。テーブルの上に添えられた手は少し震えている。その白く細い手にフレウェルは自分の手を重ねた。


「ありがとう。完成した絵を見るのが楽しみだ」


 ミルクリアは潤んだ瞳でフレウェルを見つめた。フレウェルは「大丈夫だ」と言うかのように優しく微笑んで頷いた。


「まずは食べよう。食べないと力が出ない」


 フレウェルはそう言うと名残惜しそうにミルクリアの手を一撫でしてからそっと手を離した。


 結局ミルクリアは半分くらい食事を残した。残った分は大切そうに布をかけておき、絵の前に座った。しばらく筆も持たずにそれを眺め、ふぅと一息ついてからようやく筆を手にした。


 フレウェルはそのままテーブルの前に座り、ミルクリアをじっと見つめた。


「俺は絵が好きだ」


 集中しきれていなかったミルクリアは手を止めてフレウェルを見た。


「本も音楽も彫刻も好きだが、その中でも特に絵を見ることが一番好きだ。自分で描いてみようと試みたこともある」


「そうだったんですか!?」


 ミルクリアの声が思わず跳ねた。


「だが、全然ダメだった。思う通りに描けないのだ」


「毎日描いていれば次第に上手になりますよ」


「いや、違う」


 フレウェルは首を振った。


「俺もそれは試みたが継続して絵を描くことができなかった。続かないのだ。どうしても途中で投げ出してしまう。ミルクリアを見ていると、集中して絵を描き続けることも才能なのだと思う」


「そういう……ものでしょうか」


 ミルクリアは首を傾げた。


「その代わりに俺は文章を紡ぐことが得意なようだ。綺麗な言葉をただ書くことが楽しい。それはいくらでも続けられる」


「そうなのですか。フレウェル様の紡いだ言葉を見てみたいです」


「見せるようなものではないさ。何しろ真剣にそれだけに取り組める環境に俺はいないのだからな」


「稚拙でも構いません。はじめは誰しもそんなものです」


「そうか」


 フレウェルは柔らかく微笑んだ。


「物語よりは詩を書くことが好きだ。ミルクリアが絵を描く横で同じ景色を見ながら詩を書いてみたいな」


「はい……ぜひ」


 ミルクリアは久しぶりに幸福そうな笑顔を見せた。それを見たフレウェルも同じように笑った。


 それからフレウェルは何も言葉を発しなかった。ミルクリアが集中した様子を見せたからだった。フレウェルはそれを飽きもせずにじっと眺めていた。


 長い時間が過ぎ、夜が更けてきた時のことだった。ミルクリアは筆を置き、目の前の絵を少し興奮したような顔でしげしげと眺めた。そして、ミルクリアの瞳がフレウェルを捉えた。


「できました……!見て、いただけますか?」


「あぁ」


 フレウェルは立ち上がり、少し緊張した面持ちで絵の前に立った。フレウェルがこの絵を目にするのは初めてだ。ミルクリアも立ち上がり、絵の前をフレウェルに譲った。


 絵の前に立ったフレウェルは黒い瞳を真ん丸に見開いて「あぁ……」と、声をあげた。口を少し動かすがそれ以上言葉は出てこなかった。


 肖像画のフレウェルは穏やかに笑っていた。キツい目は細められ、口元が少し緩んでいる。

 背景は暗い。フレウェルの斜め上から一筋の光が差し込み、照らされているのがわかる。


 この肖像画は異例だ。この国の肖像画といえば立派な部屋の立派な椅子に座った主が威厳のある顔をしているのが一般的だ。それに対して暗い中微笑みを浮かべるフレウェルの肖像画。


 ミルクリアは肖像画を描くにあたって街に保管される歴代国王の肖像画の複製画などを見て、一般的な肖像画がどのようなものか知っていた。それでもこう描きたいと思った。心が動く通りに描き上げた。


 この絵を見て国民はどう思うだろうか。伝え聞くフレウェルの印象とまったく違うこの絵を見て、国民はどう感じるのだろうか。


 ミルクリアはフレウェルの反応を不安に思いそっと顔を伺い見ると、フレウェルの頬には一筋の涙が流れ落ちていた。ミルクリアは息を飲み、そっとフレウェルの手を両手で握った。フレウェルは肖像画から目を離さぬまま力強くそれを握り返した。


「ありがとうミルクリア……」


 フレウェルの声は震えていた。


「ありがとう、最高の肖像画だ……」


 ミルクリアも一緒に涙を流した。


 二人は床に座り込んで身を寄せ合った。そして、明るくなるまで言葉もなくその絵を見つめ続けたのだった。

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