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 フレウェルの二度目の訪問からちょうど一週間後の夜。ミルクリアがそわそわしながら待っていると、しっかり戸は叩かれた。意識していなかったが、いつもちょうど同じくらいの時間に訪れているようだった。


 ミルクリアが戸を開けるとフレウェルが立っていた。その後ろを見ると笑顔を見せるギルガムもいた。ミルクリアは小さく会釈をした。


 フレウェルは一人ミルクリアの家に入ると戸を閉めた。


「今日は絵を描いているところを見せてくれるか?」


「は、はい。ではこちらに」


 ミルクリアはフレウェルをアトリエに案内した。予め小さなテーブルの上に紅茶とお菓子が用意してある。


「よろしければこちらをどうぞ。退屈かもしれませんから」


 ミルクリアは紅茶を淹れた。フレウェルは頷いてテーブルの近くの小さな椅子に腰掛けた。


「少し進んでいるな」


「はい」


 フレウェルは既に絵を見ていた。先週とは違い、色が全体的についていた。背景の岩場に濃い茶色がつけられている。奥に行くほど濃く、手前になるほど薄くなっている。人物の輪郭はしっかりと縁取られ、顔や身体には薄く茶色が入っている。茶色ばかりの絵なのに不思議と奥行き感や岩場と人物の判別がつく。


「今日はこれから聖人に色をつけていこうと思っています」


「そうか」


 フレウェルはじっと絵を見ていた。その視線を感じながらミルクリアはキャンバスの前に腰掛けた。


「あ、あの退屈でしたらおっしゃってください」


 ミルクリアは筆を握ったがどうにも気になるらしくフレウェルを振り返った。


「俺のことは気にするな。いつものように描いていればいい」


「はい」


 ミルクリアは頷くとキャンバスに向かった。


 はじめは後ろをちらちらと気にしていたミルクリアだったが、しばし進めていると絵の中に入っていくように集中していった。人物の色付けは特に繊細な作業だ。


 薄い茶色で塗られた人物の上に濃い茶色乗せていく。濃い茶色が終わると次は白だ。濃い茶色で人物の痩せ細った頬や目の窪みが、白で光の当たる部分や張り出した骨などが表現される。それによって人物が浮き出るように現れてきた。同じ茶色を使うのに少しずつ色を変えたり手でぼかしたりして色を変える。そうすることで人物に生命が宿るようだ。


 顔の次は身体だ。顔よりももっと濃い茶色を使って色を上塗りしていく。そこまで塗ってミルクリアはようやく筆を置いた。


「乾くのを待ちます」


 ミルクリアはフレウェルを振り返って控えめにそう告げた。痩せ細り一見すると聖人とは思えない醜い老人を描き出している人とは思えないミルクリアの白い肌と柔らかそうな唇、少し赤い頬。そのギャップをフレウェルはしばし瞬きをしながら見つめた。


 何も言わないフレウェルにミルクリアが不安そうな顔をすると、フレウェルはようやく、


「こちらに」


 と、近くに来るように勧めた。ミルクリアは自分の座っていた椅子を持ってフレウェルに向き合って座った。フレウェルはすっかり冷め切った紅茶を口にした。


「見事だ」


 フレウェルはカップを置くとミルクリアに賞賛の言葉を口にした。ミルクリアはさらに頬を赤く染め、


「ありがとうございます」


 と、応えた。


「お主は商店で働いているそうだな」


「あ、はい……」


「何故働く」


「働かないと暮らしていけないので」


 ミルクリアは目を伏せた。


「何故だ。絵では食べていけないのか」


「絵からの収入はありません」


「なんだと?」


 フレウェルは眉を潜めた。王子であるフレウェルにはその辺りの常識が備わっていなかった。


「私は女性なので」


「女性……」


 フレウェルはミルクリアの言葉の意味を考えているようだった。


「実家はどこだ?」


「私は孤児なのです。ここから少し離れたソルスの街から参りました」


「そうか……それは画家になるためか?」


「はい」


 ミルクリアは顔をどんどん下げていった。


「だが上手くいかない?」


「はい」


「こんなに上手いのにか?」


「そうおっしゃっていただけて光栄でございます」


 ミルクリアはフレウェルを見上げた。


「お主の夢を阻むものは性別か……」


 フレウェルは拳を握った。すべて理解したようだった。


「お主はこの国を恨んだりしないのか?性別ですべて決まってしまうようなこの国を」


 フレウェルの強い口調にミルクリアは少し驚いた顔を見せたが、すぐにしっかりした意思を持った目で返答した。


「恨んだりいたしません」


「何故だ?そのような腕を持っているのならば画家になれるはずなのだぞ」


「確かに性別のせいで悲しい想いはたくさんいたします。でも、恨んでいても性別は変わりません。私はただいいと思うものを描いていくしか道はありません」


 フレウェルはミルクリアのその言葉に黒い瞳を見開いた。そして、固く握っていた拳を解いた。


「そうか……お主は強いのだな。俺なんかよりもずっと……」


「そんなことはございません」


 ミルクリアは否定したが、フレウェルは痩せ細った聖人の絵をじっと見て何かを考え込んでいるようだった。


「俺にこの国のそんな悪しき慣習を変える力があればよかったのだが……すまない」


 フレウェルは頭を下げた。


「そんな!顔をお上げくださいフレウェル様!」


 ミルクリアは悲鳴に近い声で懇願した。フレウェルは顔を上げてミルクリアを見ると悲しそうに笑った。


「そんな顔までさせてしまうとはな」


「フレウェル様……」


 ミルクリアは心配そうな顔でフレウェルを見つめた。そこで今日の時間の終わりを告げるドアを叩く音が入り口から聞こえた。フレウェルは重い身体をゆっくりと立ち上がらせて聖人の絵の前に立った。


「ミルクリア・リライト」


「はい」


「この絵はどうするのだ?何かに出品するものか?」


「今のところはその予定はございません」


「それでは」


 フレウェルはミルクリアを振り返った。


「この絵が完成したら俺に売ってくれるか?」


 ミルクリアは心底驚いた顔をして胸に手を当てた。


「よ…よろしいのですか?」


「あぁ」


「それでしたら、ぜひ」


 ミルクリアは少し瞳をうるませた。誰かに自分の絵を買ってもらうということは初めてのことだ。


「ありがとう。楽しみにしている」


 フレウェルは笑顔を見せた。初めて見るフレウェルの笑顔にミルクリアは顔を赤くして固まってしまった。


「それでは、邪魔したな」


 フレウェルは出口に向かって、


「また来る」


 と、いつものように告げてからミルクリアの家を出て行った。

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