9・1849年~ パリ⑥
神様は、十九世紀においてきぼりになった天使の願いを聞き入れてくれた。
緑かがやく春のシャンロゼーに、またふたりで行くことができたのだ。
木漏れ日が歌う季節。樹木がアーチのように頭上を覆い、草花が咲き誇る田舎道で、ジェニーに体を支えられたウジェーヌは、青空に浮かぶ雲を見上げた。
雲雀が一羽、空高く飛んでゆく。
「私が死んだら、君は天に帰るの?」
「帰らないわ」
「人の世界に残るの?」
「ええ」
「人間なんてろくでもないのに……」
「ろくでもないのもいれば、そうでもないのもいるわよ」
「……ろくでもない爺の最後に付き合わせて悪かった」
「うん、ほんと、ろくでもないわ。人の好き嫌いは多いし、外ではビビリなのに家ではワガママだし、神経質だしすぐ落ち込むし、素直じゃないし批判的だし」
「……」
ジェニーの容赦ない口ぶりに、ウジェーヌはぐっさりきたようだった。目がおろおろと泳いでいる。
背景に「がーん」と描き文字で描いてあるような彼の頬に、ジェニーはすばやくキスをした。唇を離して目を見ると、さっきまで泳いでいた視線が今度は凝結している。
――かわいいなあ。
ジェニーはくすくす笑った。いくつになっても、この人はかわいい。
かわいくて、そしてとても強い。
誰にも負けないくらい、強く伸びやかな精神。熱く強靭な魂。人界でも魔界でも、ジェニーは彼の高潔な魂に寄り添い、ずっと見つめてきたのだ。
「あなたを愛してるわ。ウジェーヌ」
彼の体を支える腕に、力を込める。
「あなたと一緒に過ごせて、しあわせだわ」
ウジェーヌはゆっくりと、ジェニーの顔に視線を向けた。そしていつまでも若々しい天使を見つめて老いた目を細め、ぎこちなく右手をあげて――何十年も絵筆を握り続けた右手をあげて、ジェニーの髪をそっとなでた。
やさしく、慈しむように、震える手でジェニーの髪をなで続けた。
「だから……死なないで」
ジェニーのかすれた声は、涙と同時だった。
輝く新緑と、せつなげなウジェーヌの顔が、涙の膜ににじんでひとつに溶けあう。
叶うはずのない願いを含んで、天使の涙はまなじりからこぼれ、大地に咲く花の上に儚く落ちた。