9・1849年~ パリ④
病気の静養も兼ねて、ウジェーヌはひまを作っては田舎へでかけた。気ままな先生にジェニーも同行して世話を焼く。よく行ったのはノルマンディーのディエプ海岸や、パリ南東セーヌ河畔のシャンロゼー村だ。
ディエプ海岸に行ったときのこと。
ウジェーヌが暴風雨の中何時間も散歩から帰ってこないから、ジェニーは心配で生きた心地もしなくなり、海岸沿いを半泣きで探した。そうしたらのんきな先生は、防波堤でびしょびしょに濡れながら、大荒れの波間を走る漁船にアホ面で見入っていた。なにか霊感に打たれていたようだけれど、その様子は芸術家というより「航海カコイイ! 海の男カコイイ!」と感動する十歳の子供だった。
シャンロゼー村に行ったときのこと。
「別荘がある」と言うからうきうきしてついて行ったら、想像を越えたボロ家だったので絶句した。
「誰がここで生活のめんどうをみるの?」
「君」
――なぐってやろうかと思った。
ルーブル美術館アポロン室の天井画を依頼されたときのこと。
描くにあたって、ウジェーヌは敬愛するルーベンスの名作に教えを受けようと思い立ったらしい。ルーベンスの作品を観に、ベルギーへ一緒に行こうと誘われた。
「ネロとパトラッシュの国へ行こう」
ジェニーはふたつ返事で誘いにのった。なんだか泣けてくる誘い文句だった。あのネロが魂の強さを持って生まれ変わったら、きっとウジェーヌみたいになったんじゃないかと思っていたから。
「あなたはネロの生まれ変わりだわ」
「いやそれ物語だろう?」
「物語の登場人物にだって魂はあるもん! わたしにとってネロは実在するのよ。転生もするのよ。『もっと強く生きたかった』ってネロだって思ってたのよ。だからあなたに生まれ変わったの」
「私は強くはないんだけども……」
「体と性格はね。でも魂は、じゅうぶん強いわよ」
酷評に次ぐ酷評。アカデミー会員には五回落選。そして結核という病魔。いつ心折れても不思議じゃない状況に身を置きながらも、彼はあきらめずに毎日絵を描き続ける。
強くないはずがないではないか。
ルーベンス研究の成果があったのか、アポロン室の天井画は大きな反響があった。そしてついに、売れなかったウジェーヌの作品に買い手がつくようになった。
毎日が楽しかった。
ずっとこのまま、ウジェーヌと暮らしたかった。
ウジェーヌは妻を持たなかったから、いつも一緒にいる自分が伴侶になったようで、なんだかくすぐったかった。
万国博覧会で、特別に一室を与えられて開いた回顧展。
二十年来の宿願だったアカデミー会員への当選。
かわいい裏庭のある白い素敵なおうちも買った。ジェニーがおじ様になったウジェーヌに再会したあの礼拝堂のすぐ近くである。
(ふたりのおうち……。てへへ)
再会から十年が経っていた。しあわせだったけれど、大きな心配ごともあった。
ウジェーヌの健康がおもわしくない。
フェリに再会できてない。