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7・1827年 パリ④


 枯葉の舞い散るセーヌの川辺をふたりで歩いた。

 以前のウジェーヌは女の子と歩くことにもじもじしていたのに、今のウジェーヌはエスコートぶりが板に着いていた。ジェニーはすこし、それがさみしい気がした。

「姉さん、死んだんだ」

 ウジェーヌの言葉に、ジェニーは目を見張った。ジェニーがあそびにいくと、いつも歓迎してくれたアンリエットのやさしい笑顔を思い出す。

 ウジェーヌの顔を見たけれど、言葉を継げない。

 ウジェーヌは七歳でお父さんを、十六歳でお母さんを亡くしているから、年の離れたお姉さんはお母さんのような存在だったはずだ。

 ウジェーヌの悲しみが染み入るようで、ジェニーが言葉をなくしていると、ウジェーヌは沈んだ空気を吹き消すように、ふっと小さく笑った。

「でも、シャルルがいるから。甥っ子の。シャルルのためにも頑張らなくっちゃ――」

 そうねと答えようとしたら、ウジェーヌが続けた。

「と思ってるんだけど、正直めげそう……」

「ウジェーヌ……」

「今開かれてるサロン、観た?」

「ううん、まだ。入選してるんでしょ?」

「入選してるよ……十三点。でも、ボロッカスに言われてるよ。不道徳だとかなんだとか」

「ボロッカスに言われるのはいつものことじゃないの? ウジェーヌの絵って低評価か高評価のどっちかじゃない。ほめてくれる人もいるでしょ。なんかニューウェーブっぽい一派。……えーっと、『ロマン派』とか言われてる人たち」

「あまりのボロッカスぶりに、ロマン派からも冷笑された」

「あんたロマン派の代表みたいに言われてなかったっけ?」

「僕は絵画の歴史を愛する古典主義者です。ロマン派の連中が、古典派をしりぞけて自分の趣味嗜好を正当化するために、僕の画風をダシにしてるだけ」

「そうなの?」

「ロマン派の連中は過去の偉大な作品に対する尊敬を持ってない。革命が生んだ自由の風潮に乗っかって、群れて新しがってるだけ。歴史を知らないうすっぺらなロマン主義運動なんて、今盛り上がっててもすぐ終わるんじゃない?」

「……よくわかんないけど、その言い方ってすっごい嫌われそうな気がする」

「どうせ僕は嫌われ者です。古典派にも嫌われて、ロマン派にも嫌われて」

「そうでしょう、そうでしょう。あんたしゃべると感じわるいもん。黙ってればやさしそうなのに」

 憎まれ口をたたきながらも、ジェニーはなでるようにウジェーヌのくせのある黒髪を手で梳いてやった。

「やめてよ……」

 そう言いながらも、ウジェーヌはジェニーの手を避けも払いもせず、そっとまつげを伏せた。

 悪評に傷ついているんだなあ……。

 ジェニーはそう思って、髪を梳く手にいたわりをこめる。

「ボロッカスに言われても、どうせまた政府買い上げになるわよ。だいじょうぶよ」

「……今回は無理かも。さっき、画壇のえらーい子爵に呼ばれてさ……。遠まわしに『残酷な絵はもう描くな』って言われた。新聞にも『善意がない』とか『悪趣味』とか書かれるし。なんだかなあ……。題材が残酷だから駄目とか筆のタッチが荒いから駄目とか、そこじゃないとこも見てよっていつも思うんだけど」

「厳しいなあ十九世紀は」

「ぜんぜん自由がないんだから。決まりきった様式に従わないと、容赦なく駄目出しだよ。僕、色彩と動きが単調な絵には魂がゆさぶられないんだ。でも、自分の魂に正直になると酷評がとんでくる。頭おかしいんじゃないのって言われる。もうどうしろっていうんだか……。前回のサロンのときだって、『ウジェーヌ・ドラクロワは偏狂者だ。狂人病院に送り返したらいい』とか書かれたし」

「あらら」

「『彼は醜いもの、おぞましいもの、怪奇なものに対する趣味を持っている』とかさ」

「うーん、それはそのとおりでしょ」

「『デッサンを知らない』とか『色彩に溺れて構図が放漫』だとか」

「そこらへんはわたしにはさっぱりわかんないけど」

「『絵の具のバケツをキャンバスにぶちまけて、それを箒でかきまわしたような絵』とか」

「それ、そのまんまの絵が二十世紀の美術館ならありそうな気がする……」

「『芸術は失われた。健全な伝統は過ぎ去った。野蛮人が戸口までやってきている』だって」

「あはははははは!」

 ジェニーはおもわず爆笑した。

「なにがおかしいのさ」

「や、『野蛮人が戸口までやってきている』ってなんかスゴイ。なんかキャッチー。むしろほめてる! ロックなフレーズ。絶対ほめてる!」

「全然ほめてないよ……。またわけのわかんないこと言い出したな」

 ジェニーは笑いが止まらなかった。

 そうか、ウジェーヌがきれいな仕上げのリアルCG絵にしないで筆の筆致を残すのは、エレキギターでわざとザギザギした音を出したりするようなものなんだ。美しい発声で歌いあげないでシャウトするようなものなんだ。

 そうしたほうがいい表現というのは、確かにある。

「あんたってロックだったのね~。やっと気づいたわ~。いや~なるほど~」

「あのさ、僕にわかるように話してくれない?」

「ロック聴きたくなってきちゃったなあ……。無理だけど。サロン観てくるわ。あんたのギターリフとシャウトを聴いてくる」

「だから僕にわかるように話せと。君はいつの時代のどこの国の人なんだ!」

「二十一世紀の天界の天使、またの姿は二十世紀末の日本の中学生よ。年齢的にはもう高校生になったわね」

「……その妄想はもういいから。まだ言ってんのか。なんで日本(ジャポン)

「あんたと二十世紀末の日本で一緒に過ごしたかったな。でもまあ、十九世紀のパリでもいっか! あんたがあんたなら、いつの時代のどこの国の人でもいいわ」

 ジェニーはストレートに思っていることを口にしただけだった。

 なのになぜか、ウジェーヌは息を飲んで黙ってしまった。

 体の動きすら止まっている。

 ひらりひらりと舞い落ちて来た枯葉が一枚、ウジェーヌの頭に乗っかる。

 なのにまだ動かないので、どうしたんだろう?と思っているところに、「ジェニー!」と呼びかける声がした。

 フェリだ。

「交渉成立よ、ジェニー。あのおばさんには三〇〇フランで別の部屋に移ってもらうことになったわ!」

 フェリが歩み寄ってきてようやく、ウジェーヌの固まっていた体が元にもどった。

 フェリはぎこちなく顔を向ける彼に「おひさしぶり、ウジェーヌ」と声をかけ、にやっと計算高い笑みを浮かべた。

 今フェリの目に映っているのはやさしい目をした黒髪の青年ではなく、『(はく)』を生みだす暗緑色の炎だろうなとジェニーは思った。


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