7・1827年 パリ①
テオドールの死から一年。近ごろフェリは落ちついている。
それはテオドールの死をふっ切ったからではなく、『時越え』の開発が完成に近づいてきたからだ。
魔界は常に紫の薄闇で、朝も夜もない。しかしこのところフェリは規則正しく寝て、目覚めとともに寝台を抜けだし、小屋を後にする。
そしていくつもの『泉』が燃え立つ岩場に立つと、大きく両腕を広げて体いっぱいに『魄』を吸収する。充填されたパワーを確かめるようにフェリは両手のひらに視線を落とす。胸の前で広げた手のひらは、魄の力が凝縮され淡く光っている。
手に意識を集中し、なにやらぶつぶつ唱えてから、フェリは岩山のひとつに向かう。
岩石にびっしりとフェリの手による天界文字の彫り込みがある。人界の古代文字や魔界文字も混じっているようで、ジェニーには彫られた文字列の意味はわからない。
フェリは『魄』のパワーに満ちた手で、文字列のひとつひとつを丁寧になぞる。指先から放たれる細い光が、新たな文字列を刻むこともある。
それは毎日の儀式のようになっていた。
最初のころ、フェリは吸収したエネルギーのすべてを岩山に注ぎこんでしまったから、儀式のあと毎回倒れていた。ようやく自分の体を保つためのエネルギーを残しておくことに気が回るようになったらしく、このところ文字列をなぞったり彫り込んだりしたあとも、フェリは元気である。気持ちに余裕が出てきたようだ。
そして今日は、文字列をなぞる時間がさらに短くなっていた。
「もういいの? フェリ」
うしろで見ていたジェニーは、不思議に思ってフェリに声をかけた。
「うん。もうやることはほとんどないの」
フェリはやっと戻ってきた笑顔で、ジェニーに応えた。
「……ってことは、『時越え』は完成?」
「うん。――って言いたいけど、まだまだ。術式はほぼ書き終わったの。でも、力が足りないの。もっともっと『魄』を注がなきゃ」
「『魄』をもっと……」
「人界行くわよ、ジェニー」
「えっ!」
「うちの縄張りに『泉』湧かせてる、テオドールの後継ぎの新米画家たちにもっとがんばってもらえるように、尻ひっぱたきに行くわよ」
フェリはそう言うと、燃え盛るいくつかの泉に目を向けた。
一番大きな泉は、ゆらゆらとほの暗く燃える暗緑色の炎――。
「一番の有望株はウジェーヌみたいね。あの子の応援はジェニーに任せる。さ、今日は残った力で結界のかけなおしよ。がっちり守りを固めたら、久しぶりの人界よ。ああ、なんだか楽しみね。職人に頼んで石の加工もしたいわー。指輪がいいかしら。うふふ」
フェリは胸元に吊り下げた小袋から赤い石をとりだすと、ウジェーヌの炎にかざすようにして、うれしそうに見入っていた。