5・1818年 友達⑦
『空間越え』で跳んだ先は、ものさびしい墓地だった。
おりしも時刻は黄昏時。人影はなく、陰鬱に光をなくしてゆく空に、はばたくコウモリの黒い影がひとつふたつ……。
ジェニーの肩からは細い腕が回されたままである。
「……フェリ、だよね」
「おばけー」
安堵でどっと気が抜けた。よかった、フェリだ。
「助かった……」
「助かってないよ。おばけだもん」
「おばけより天使がこわい」
ジェニーは肩に乗っかって首の前で交差している二本の腕を、一本ずつはずした。ふりかえると寝巻姿ではなく、きちんと普段着に着替えたフェリがいる。
「よくわたしの居所がわかりましたね」
「そろそろ魔界の縄張り見回りにいかなきゃーと思って、あんた呼んだらいないんだもん。エデにきいたらウジェーヌのところだって言うからさー。あたしを差し置いて男とイチャイチャするなんてけしからんと思って、気配たどって迎えにきたのー」
「イチャイチャなんかしてないですってば。それより、あの天使――」
「天界保守派のパルキスね」
「天界保守派……?」
「とにかく天界が第一で、魔界なんか認めない。人間は死後『魂』を生みだすためだけに存在する天使の家畜。そういう思想の一派よ。最近天界で勢力を伸ばしてきてるの。あたしも目をつけられてる。でも、殺されはしないわ。堕天使でも同胞を殺したら、天界では出世できなくなるもの。あんたを狙ったのは、単なる脅し」
「脅し? ずいぶん念の入った脅しでしたよ……」
「パルキスは堕天使が心底嫌いなのよ。天使のくせに天界を捨てて、魔界を選ぶ行為が許せないの。天界第一主義者だもの」
「よく知ってますね。知り合いだったんですか?」
「まあなんというか、人界風の言い方すれば許婚だったというか」
許婚!?
ジェニーは耳を疑った。フェリとパルキスが許婚!
「なっ、なっ、なんで――」
「好きで将来を誓ったわけじゃないわよー。上層の意向よー。あんただってきいたことあるでしょ、ある程度能力が高かったりすると、優秀な次世代を残すために嫌でも上層の決めた相手と子供つくらなきゃいけないの。このあたしに、あのパルキスと寝台をともにしろですって! 冗談じゃないわよ。あいつに体許すくらいなら人間と結婚するわよ。テオドールと……あ、いやいやいや……」
「……上層ってそんな命令するんですか」
「安心しなさい。あたしみたいに優秀な天使にだけだから。でももうしらないもんねー。天界なんか戻らないもんねー」
「……それで天界を出たんですか?」
「それもあるし、いろいろよ! あたしは自由にやりたかったのよ。心の求めるままに、好きに生きたかったの。だから、自分と似たように好きにやりたがる人間のそばにいたかったの。それだけ。パルキスは今のところあたしたちには手を出してこないでしょうけど、『泉』には手を出してくるかもしれないわ。魔界に力をもたらす『泉』を片っ端から取り上げようとしてくるかもしれないわ。テオドールの『泉』をもっと厳重に守らなくっちゃ。結界に工夫を凝らさなくっちゃ」
「……テオドールの『泉』」
「『泉』を守るくらいしか、あたしがあいつにやってやれることなんてないしね」
フェリはジェニーにくるりと背を向けた。早足で墓地を出て行こうとする。
ジェニーはその後を追いかけた。
モンパルナスの墓地をゆくフェリの後ろ姿に、ジェニーの尊敬する未来のフェリの後ろ姿が、重なって見えるような気がした。