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2・友樹の嘆き①


      

 彼女は美しかった。

 十八年の人生で出会った中で、最も美しい人だと友樹は思った。

 友樹お気に入りの喫茶店「睡蓮(すいれん)」は、地元樺色商店街にある。ちょっと芸術好きだったりヨーロッパ好きだったりする(ベレー帽だのループタイだのを愛用しがちな)御年配が愛するこの店に、同年代の若者はほとんどこない。

 友樹はそっと顔をあげ、窓際のテーブルにいる外国人女性を盗み見た。

 彼女は頬杖をついて本を読んでいた。亜麻色の髪を品よくシニヨンにまとめ、黒いタートルネックを着ている。指に光る赤いガーネットが唯一の装飾で、地味とも言える装いなのに、一流ホテルのロビーにいたって誰もが目を止めるような輝きを持っていた。

 彼女を見ていると、ここが樺色商店街であることを忘れることができた。友樹は窓から見える風景――(かば)(しき)商店街だからってピンクのカバが(のぼり)に描かれている――を視界から抹消し、ここはパリのサン・ジェルマン・デ・プレであると思い込むことにした。

(なんの本読んでるんだろう……)

 彼女が読んでいるのは詩集のようである。横文字だ。

 ボードレールかな。ヴェルレーヌかな。それともマラルメ? ランボー?

 だったら趣味が合うのになあ……。

 二十世紀ももうすぐ終わる一九九八年の高校生にしては、友樹の趣味はレトロ過ぎる。百年はやく生まれればよかったと、自分でも思う友樹である。

 友樹は壁のモネとルノワールの複製画を見やった。うつろう陽光に美を見出した印象派の画家たち。流れる曲は「月の光」。ドビュッシーの静かで夢幻的なピアノ曲。

 ああ、どうして僕はこういうのがトレンドだった時代に生まれてこなかったんだろう。下品で五月蝿(うるさ)い二十世紀末なんか大嫌いだ。なんでピンクのカバに囲まれて生きていかなきゃいけないんだ。公共の道にピンクのカバを召喚するセンスがひたすら憎い……!

 やがて美しい外国人女性はキャメルのコートをはおり、店主と日本語でふたことみことにこやかにお天気の話をして、「睡蓮」を出て行った。

(彼女、日本語話せたんだ……)

 百年はやくとは言わない。せめて四十年はやく生まれていたら、彼女に声をかけたのに。友樹は肩を落とした。若輩の我が身が悲しい。黒のタートルネックが似合うその人は、年の頃六十歳くらいだったのだ。

 あの美しい人に、また会うことができるだろうか。

 と、思っていたらあっさり会えた。

 喫茶店を出たあと本屋に寄って家に帰ったら、自宅に彼女がいた。友樹の母親は華道の師範をやっていて、彼女は新しいお弟子さんだったのだ。

 春が来て友樹が大学生になり、彼女――マダム・ギユウ――と親しく話せるようになった頃。友樹はマダムにもちかけられた。

「孫娘の家庭教師をやってくれないかしら」



 マダム・ギユウのお孫さん!

 マダムとおなじフランス国籍だけれど、今まで親の仕事のため世界中を転々としていたという。だけどもう十四歳、そろそろ一ヶ所に落ち着いて教育を受けなくてはいけない。孫娘は日本文化が好きなので、おばあちゃんのいる日本をえらんだのだそうだ。

(日本文化が好き……)

 友樹はリビングで緑茶をすすっていた。ちらりと時計を見上げる。もうすぐ生け花教室にマダムがやってくる時間だ。今日、例のお孫さんを紹介がてら連れて来るらしい。

 友樹は緊張していた。岡倉天心「茶の本」を支える手がぷるぷるしてしまう。

 マダムはスシスキヤキテンプ~ラなんてあぶらっこいことは言わない。好きな日本食は湯葉のお吸い物と、柚子をきかせた蕪の浅漬けだそうである。マダムは歌舞伎の華やぎよりも能の幽玄が好きなんだそうである。そういう上品なマダムのお孫さんである。

 友樹は日本人として恥ずかしくないよう、日本文化の吸収に努めた。「茶の本」を読了したら「風姿花伝」を読もう。

 ぴんぽーん。インターホンが鳴る。母親が出る。玄関からきこえるマダムの「こんにちは」の声は、いつも深くてやさしい響き。

 そしてはじめてきくマダムの孫娘の声……。

「こっんにっちは――――っ!」

 友樹はおもわずテレビを確認した。

 ついていない。

 ついていたとしても、この家のテレビにアニメが映し出されることは、な・い。

 友樹の背に冷たい汗が流れ落ちた。日本文化が好きって……まさか……まさか……。

 母と、マダムと、孫娘の足音がリビングに近付いてくる。

 友樹は顔をうつむけてふるえる膝頭を見つめ、さっきのアニメ声が幻聴であることを願った。

 しかし現実は無情。こわいものみたさでリビング入り口をふりかえった友樹の目に、牡丹の花の妖怪がとびこんできた。

 スカート部分が非現実的なレベルにおもいっきりひらんひらんな、ミニ丈のワンピース。まるで逆さにした八重咲き牡丹から足が突き出しているかのようだ。妖怪の手には、魔法のスティックのごとき装飾過多なパステルピンクの槍が握られている。

 一瞬の驚愕。

 そして訪れる、やり場のない怒り。

 こんなドアホウな服装、現実世界にあるか! 

 コスプレ娘は二次元の世界へかえれ――――っ!

 


「『瞬殺天使めるもメモラ』の、メタモルフォーゼめるもなんですよー」

「ああそう……」

 母とマダムは和室へ、友樹はジェニー・ギユウとリビングのソファに合い向かいで座っていた。髪型もアニメ仕様なのか、ぐりんぐりんにカールさせた髪を左右高い位置で二ヶ所結んでいる。紅毛碧眼な上に童顔だから、似合うっちゃ似合う。

 しかし、友樹はアニメなんぞにまーったく興味がない。興味がないうえに憎んでいる。

(悪夢だ……)

 友樹はにこにこしているジェニーを苦々しい思いで見た。一体いつから「日本文化」はこういうものになり変わってしまったんだよ……。

「マダムはそうゆうの、『文化侵略だ』って怒らないの?」

「フェリさ……おばあさまも大好きですよ、日本のアニメ。『フランダースの犬』とか」

「まさか! 俳句とお能が好きなマダムがジャパニメーションなんて!」

「やだ~、だまされちゃってる友樹くん。フェリさ……おばあさまのアレはキャラですから。フレンチマダムキャラですから。作ってますから。フランスに夢を持ってる日本人男性はああゆうのが好きなんでしょ? ほんとーはもっとずっとぶっとんだ人なんだからー」

「うそうそうそうそ! うそだっ!」

「ほんとだも~ん」

「僕はマダムがキャラつくってるなんて信じないから! ありのままのマダムだと信じて、君にも正しい日本文化を教えるぞ」

「よろしくー。わたし、人間界慣れてないんで、日本もフランスもよくしらないんですよ」

「ちょっと待って。今変な言葉をきいた。『人間界慣れてない』ってなんだよ」

「だって天使ですもん。わたし、天界上層からとある使命を受けて、友樹くんのもとに遣わされたの。マダム・ギユウも実は祖母ではなくて、わたしの上司にあたる天使なんです」

「……」

 友樹はすっかりさめた緑茶をすすった。

 ジェニーが披露した天使設定。一体どのように反応しろと? 

 勘弁してくれ……。

 友樹が黙っているのをしゃべってOKと感じたのか、ジェニーはノリノリで設定を拡張しはじめた。

「しかもわたし、現在の天使ではないんですよね。未来の天界から来たの。友樹くんは、二十一世紀の天界にとって重要な役割を果たす人物を導く役目を持ってるんですって。わたしが、二十世紀最後の年に、その人物と友樹くんを引き合わせるんだそうです。詳しいことはわたしも知らされてないんですけど……」

 ジェニーはそこまで言ったところで、友樹の向かい側からとなりに移った。

「な、なに? なんでいきなりとなりに座るの?」

「友樹くんってかっこいいですよね……。東洋系・インテリ・眼鏡・美少年って、わたしすっごく萌え要素です」

「そ、そりゃどうも。しなだれかかるのやめてくれる? 僕ロリコンじゃないんで」

「もう十四歳ですよう」

「二十五歳以上じゃないと受けつけないんだ!」

「なにそれ。このご時世にそんなのヘンタイですよ! フェリ様は詳しいことはおっしゃいませんけど、おそらくわたしと友樹くんは天使と人間の壁を越えて、結ばれる運命にあるんです。二十世紀最後の年に、友樹くんの前に現れる重要人物は、きっとわたしと友樹くんの愛の結晶だわ。友樹くんは父親として重要人物に影響を与えるんです」

「二十世紀最後の年っつったら二〇〇〇年じゃないか! 再来年じゃないか! そのとき僕はハタチだぞ。父親なんてはやすぎる!」

「でも無理じゃないでしょー?」

「無理! 君じゃ無理! 妄想止まれ!」

「妄想じゃないですっ。友樹くんに会ってピンと来たの。わたし人界勤務の事前学習で、何本か映画をみせられたんです。その中にですね、ヒーローが未来からヒロインを守るためにやってきて、敵の最強ロボから彼女を守りがてらちゃっかり子作りする話があって。その子供は未来の人類にとって非常に重要な人物なんです」

「ああ、君の妄想の元ネタは『ターミネーター』か」

「妄想じゃないですっ。あの映画をみせられたのは意味があるんですっ。ふんだ。見てらっしゃい。絶対オトしてやるんだからあ!」

「冗談じゃない! オチてたまるか!」



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