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5・1818年 友達⑤


「ジェリコー先輩がフェリシテをふった?」

「うん。そのせいでフェリが落ち込んじゃって……。やるべき仕事もやらないから、代わりにわたしがなんとかする羽目になっちゃった」

 言いながらジェニーは、槍を振るう要領で想像上の敵キャラに箒の柄でダメージを与えた。

 なにをやっているかというと、ウジェーヌのアトリエでモデルをやっているのである。

 モデルと言っても、肖像画よろしくじーっとしているわけではない。ウジェーヌに「君が動くところをスケッチしてみたい」と言われたので、箒を使って戦闘シミュレーションを披露してやっているのである。

「代わりになんとかするって……君がモデルの仕事を?」

「え……あ、う、ううん」

 ジェニーはうろたえて動きを止めた。

 そうだ、この言い方だとフェリの代わりにモデルの仕事を引き受けたことになってしまう。ラファエロ描くところのマリア像並みに優美なフェリの代理が、自分に務まるわけがない。

「あ、えーと、モデルじゃなくって、フェリは……田舎に守らなくっちゃいけないものがあるのよ。ほったらかしてるから、わたしが様子を見に行こうかと」

 魔界にあるテオドールの『泉』は、フェリが定期的に戻って結界を張ってくる。フェリの霊力はたいしたもので、結界さえきちんと機能していれば雑魚悪魔など手を出せないのだが、霊力はたいしたものでも性格がいいかげんなので、メンテナンスを怠るのだ。

 黒サイ頭の悪魔に結界のほころびから侵入された過去があるというのに、喉元過ぎれば熱さを忘れるタイプらしく、最近結界の張り直しをサボっているのだ。

 いざとなったらジェニーがいると思って、気を抜いているのかもしれない……。

 もうひとつジェニーが懸念しているのは、フェリが自分をふったジェリコーの『泉』なんかもうどうでもいいと思っているのではないかということだ。

 どうでもいいでは困る。ジェリコーの『泉』は『(はく)』を湧かせる大切な資本なのである。『魄』がなければ『扉』もこじ開けられないし、『時越え』の研究もできなくなってしまう。

 『扉』も開かず『時越え』もできずでは、ジェニーとしては大変困る。だからフェリに代わって『泉』を守らなくてはならないのだ。

「……フェリは、田舎に家族でも残してきているの?」

 画帳から顔をあげて、ウジェーヌが同情の面持ちでジェニーを見た。

「うん、そんなようなものよ」

 ジェニーは言葉を濁したけれど、ウジェーヌの瞳からいたわりの色は消えなかった。この人は、基本的にやさしい。

「でもなんで、君がフェリの代わりに?」

「ええと……フェリにはいろいろ世話になってるし。慣れないところで楽しく暮らしていくにはどうしたらいいか、先輩として教えてくれたのはフェリだし」

 こちらのフェリではなく、未来のフェリを思い浮かべながらジェニーは答えた。

 過去のフェリに協力させるのが本当の目的だったとしても、出来の悪い天使だったジェニーを厳しくときにはやさしく、根気よく鍛え上げてくれたのも未来のフェリだ。

「先輩として……。そうか。導いてくれる先輩って大事だよね」

 ウジェーヌの言葉にうなずくジェニー。

 うん、大事よ。第二階級フェリ様のほうは、大事。

(それにくらべてこっちのフェリは……。あれがフェリ様じゃなかったら、愛想もつき果てるってものよ、ホント)

「だからまあ、かつて同じアトリエで学んだ先輩のために僕も弁護させてもらうと、ジェリコー先輩がフェリシテをふったのは、ある種のおもいやりだと思うよ」

「へっ?」

「ジェリコー先輩は今、勝負に出てるから。理想主義で硬直した美術界に、風穴を開けようと戦ってるところだから。女の人に深い愛情を捧げてる余裕はないんだ……。遊びの相手だったらわからないけど、本気で愛してくれる女の人には、応えられないと思うんだ」

「……」

「フェリシテがジェリコー先輩のことを本気で好きなのは、僕が見てたってわかるくらいだったもの。先輩本人が彼女の気持ちに気付いてないわけないと思うんだよね」

「そっか……」

「男には戦わなきゃならないときがあるんだよ」

 ウジェーヌは真面目な顔をして、ふたたび画帳に目を落とした。

「ぷ」

「なぜ笑う」

「似合わない……。ウジェーヌにそのせりふ」

「うるさいなあ! はい、じゃあ次は『かいしんのいちげき』で箒振って! まわりの絵にぶつけないように。くれぐれもぶつけないように。絶対ぶつけないように!」

「狭いから無理ー。わたしの『かいしんのいちげき』が見たかったら、もっとえらくなって広いアトリエに移って!」

「くそー。いつかどえらくなってやろうじゃないか」

「はいはい。がんばってねー」

 ジェニーは軽く受け流すように答えつつも、本気でウジェーヌを応援していた。

 アトリエを訪ねるたびに、部屋を埋め尽くしてゆく模写の数々。画帳の数々。

 この人はテオドールのようにわかりやすく表に出さなくとも、どこかを目指して、なにかを求めて、日々淡々と規則正しく、鍛錬を重ねている。

 狭いアトリエを圧迫するように順調に増えてゆくキャンバス群が、ウジェーヌのたゆまぬ歩みを、ものも言わずに示していた。

(ウジェーヌってなに考えてるんだろう)

 「無教養」な相手に、ウジェーヌは絵画を語らない。芸術を語らない。ウジェーヌはジェニーに対して「これ以上語っても無駄」という明確なラインを持っていて、それ以上は口をつぐんで笑っている。

 なんだかくやしかった。

 もっと話してほしかった。

 自分の「無教養」がうらめしくなってきた。

 ウジェーヌのように絵は描けなくとも、彼と同じ目線でこの世界を見てみたかった。ナポレオンの魂があたらしい息吹を吹きかけていった、この時代のこの国の空気を感じてみたかった。

『君はおなじ時代でおなじものを見ている人間と繋がることしか考えないのか? 何十年、何百年前の人間に学ぼうって気持ちはかけらもないのか?』

 なぜかいつかの友樹の言葉が、胸のうちで蘇る。

 ウジェーヌはミケランジェロを模写する。ルーベンスを模写する。何十年、何百年も前の人間に、ウジェーヌはいつも絵画を学んでいる。

 そしてウジェーヌの模写したミケランジェロやルーベンスの絵の前に、最新の美術批評誌が積み重なっている。

 偉大な過去の絵を模写しながらも、ウジェーヌはいつも「今」を見ている。

 いや。「今」ではなく、もしかしたら彼は「未来」を見ているのかもしれない。だって友樹も言っていたもの。

『同時代から離れて過去に学べる人間だけが、時代の呪縛を離れて未来に進めるんだ』



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