5・1818年 友達④
ウジェーヌと仲良くなって以来、ジェニーはわりと頻繁にルーブル美術館に通っている。「教養をつけよう」なんて一念発起したわけではなく、友達が「いい」と言っているものはみたくなる性分だからである。
ウジェーヌが「いい」と評価するのは荒いタッチで描かれた筋肉男がうねうね躍動する絵が多くて、ジェニーの目にはやっぱり格闘系少年マンガの先祖に映る。
ジェニー自身が「いい」と思ったのは、十八世紀中ごろに流行した装飾画だ。きれいな色のドレスを着た艶やかな貴婦人の絵が、乙女心をくすぐる。ふかふか枕が気持ちよさそうなベッドで子犬と一緒にちょっとエッチなポーズでくつろいでいたり、セクシーな女神と従者に扮して女の子どうしがにこにこしていたり……そんな華やかなスタイルの絵画群である。
ロココ様式というらしい。エロかわいいロココ絵画は「不道徳」ということで、この時代の生真面目な美術界では蔑まれているとかなんとか……。
「ちょいエロくらいで蔑まなくったっていいのにねー。ロココかわいいのに、ロココ」
ジェニーが文句を言ったら、ウジェーヌは
「ロココの代表画家ブーシェは、ルーベンスを意識してるからまあいいとしよう」
と上から目線でウンチクを垂れた。
男の子というのはいつの時代も、自分の専門ジャンルに興味を持つ女の子に、ウンチクを垂れるのが好きな生き物である……。
今日も今日とてジェニーは、ウジェーヌとルーブルに行ってきた。
「ただいまー」
ウジェーヌとの関係はラブじゃないので、友樹とのデートのように服装に気合は入らない。めんどくさいので着慣れたドレスで行った。
十九世紀風のドレスも慣れてくると日常になってしまい、二十世紀にいたころのようにときめかない。できればルイ十五世の愛妾だったポンパドゥール夫人みたいな豪奢なドレスが着たい……十八世紀ロココ風の……とか思ってしまうところが、コスプレ者の業である。キリがない。
「おかえりなさいませ」
玄関先まで女中のエデが出迎えてくれる。
エデはやる気のないジェニーの服装を見て、固い表情のまま片眉だけ上に動かした。表情の乏しいエデだけれど、毎日一緒にいればわかってくる。これは「あきれた顔」だ。
「……なあに。なんか変?」
「ジェニー様もパトロンをお探しなら、殿方と出かける際にはもう少しご自分を飾ったほうがよろしいかと」
「いやわたし、クルティザンヌとか無理だし……」
フェリのせいで完全にクルティザンヌ志願だと思われてる……。迷惑な話だ。
「あっ、でも考えたらわたし、カラダ売るくらいしか十九世紀で稼げる方法ないんだわ! わああああどうしようエデ! いよいよ馬鹿フェリに頼るしかなくなっちゃうよう」
「誰が馬鹿フェリよ」
背後で玄関扉が開いた。
侯爵クラスの貴婦人も真っ青になりそうなほどエレガントに装った、クルティザンヌ・フェリのご帰還である。
ジェニーは思わず廊下の端に寄った。美しさは武器。美の迫力の前にはひれ伏さざるを得ない。
そんなジェニーを横目でにらみ、フェリは結いあげた髪を彩る髪飾りを次々引き抜き、落ちてくる亜麻色の髪を揺すりながら、ぽいぽい廊下に投げ捨てた。
髪飾りだけではない。ショールをはずしてぽい。手袋もぽい。高価な宝石の首飾りもぽい。最後は寝室の前でドレスとコルセットまで脱ぎすて、シュミーズとペチコートだけの姿になり、乱暴な音を立てて扉の奥へと消えた。
ジェニーとエデはしばらく寝室の扉を見つめていたけれど、おなじタイミングでお互いの顔を見た。
一体、なにがあったんだろう?
「フェリ~……」
機嫌が悪いことは確実なので、ジェニーはフェリの神経を逆なでないよう、おだやかに呼びかけつつ寝室の扉を開けた。
フェリはベッドに潜り込んで、上掛けをひっかぶっている。
「どしたの、フェリ? 具合わるいの? 風邪?」
「……あたしをなんだと思ってるの。人間じゃないんだから風邪なんかひかない」
上掛けの下からくぐもった声が聞こえる。
一瞬、涙声に聞こえたのは気のせいだろうか。
(まさか、このフェリが泣くなんてないよね。まさかね)
まさかとは思うのだが、先が続かない。なんて声をかけたらいいのだろう?
ジェニーがうろたえていたら、フェリのほうがふるえる声で言葉を続けた。
「人間じゃないんだから……人間じゃないから……」
「う、うん。そうね、風邪はひかないね」
「人間じゃないから、恋なんかしない……」
「はっ?」
「恋なんかしない……してない」
「……えーと」
「ひっく。しらない……あんなやつしらないもん……」
「……」
ええと。これは、アルベール(かジョルジュかベルトラン)にふられたとか、そういう事態なのだろうか。
ええっ、このフェリがそんなことで泣く?
「フェ、フェリ。男の人なんて何人もいるじゃない。アルベールが駄目ならジョルジュだってベルトランだって……」
「アルベールとジョルジュとベルトランが何人いたって、あいつはひとりしかいない……」
「あいつ? えっ、まだいたんですか、おつきあいしてる人?」
「つきあってなんかいないもん……ひっく」
「あ、つきあう前にふられたんですか」
「大きなお世話よ――――っ!」
フェリががばっと上掛けを跳ね上げた。ベッドの上に「戦闘態勢」で片膝をつくフェリは、怒りで目がぎらぎらしている。
しまったあ! 失言!
ジェニーは両手で口を覆うが、出てきた言葉は戻らない。
「あっ、あっ、あんたが『遺産を受け継いだ』とか上手いこと言って、小奇麗な格好してウジェーヌと上手くいってるからさ! あ、あたしだってと思って……。貧乏な格好じゃ相手にしてくれなかったけど、きれいに装えばふりむいてくれると思ったのにさ……!」
「わたしウジェーヌと上手くいってるとかそういうんじゃないですよ! 友達……」
「うるさいうるさいうるさい! なによあんたばっかりーっ!」
「わたしの本命は友樹くんですってば!」
「本命がいるならへらへらウジェーヌとあそぶな!」
「あんたが言いますかそれ!? つか誰? 誰にふられたんですか?」
「ふられたふられた言うな――――っ! ちくしょーテオドールのばかああああああ!」
「え――――っ!」
フェリの本命は十九世紀の岡本太郎っ!?
どごーん。
ジェニーの脳内で火山がはじけた。