5・1818年 友達②
なんとなく親近感の持てる人だったので、ジェニーはウジェーヌのスケッチブックを家まで届けてあげることにした。
テオドールに教えてもらった住所をたずねる。家の人にスケッチブックを渡すだけですぐ帰ろうと思ったら、ウジェーヌの年の離れたお姉さんに家の中へ招かれた。
家の様子はつつましかったけれど、生活苦をかんじるほどではない。
通された居間にウジェーヌが入ってきた。
「画帳、わざわざどうもありがとう」
「いいの、ひまだから。それはそうと、画帳と一緒にこれが落ちてたんだけど、これもあなたの絵? 女の子のスケッチ。エリザベス嬢って書いてあ……」
「わー! わーわーわーわーわー!」
愛らしい女の子が描いてある紙切れを渡そうとしたところでお姉さんが部屋を横切り、途端にウジェーヌが奇声を発しはじめた。
「なんなの。エリザベス嬢って誰……」
「わーわーわーわーわー!」
「エリザ……」
「わー!」
うるさいですよと、お姉さんがウジェーヌをたしなめた。
顔を真っ赤にした彼に紙切れをひったくられる。
なんとなく事情は読めたけれど、どうも釈然としない。だってジェリコー先輩は?
「ひとつきいていい?」
「な、なに」
「ジェリコーさんのアトリエで裸になってたのはなんで?」
「絵のモデルをやってたからに決まってる」
「……なーんだ。つまんなーい。本命はエリザベス嬢かあ~」
「わーわーわー! ちょ、ちょっとこっち来てこっち!」
ジェニーは押されるように居間からアトリエになっている部屋へ連れていかれた。部屋は狭くて雑然としていて、油絵やスケッチブックが大量に壁に立てかけられている。
ウジェーヌは赤面&必死の形相で、ジェニーに向き直った。
「エリザベスは姉さんのところに行儀見習いに来てたことがある子なんだよ。姉さんにバレたら困るから名前出さないでよ!」
「なんで困るの? 恋人でしょ?」
「こ、恋人なんかじゃないよ」
なるほど。片思いか。
「だったらなおさら、バラして協力してもらえばいいじゃない」
「やだよ!」
「わたしなんかまわり中に『友樹くんスキスキ』って言ってまわってるよー。ほかの女の子の牽制も兼ねて」
「……つ、強いね君。でもみんなにしられてふられでもしたら……」
「百回くらいふられてるけどねー。『君を恋人に? ぞっとする』って」
「なんでそこまで言われて笑ってられるの」
「今日ふられても明日は好かれるかもしれないじゃない」
「そ、そりゃそうだけど。僕には無理だよそんな考え方……。それにエリザベスだって僕なんかに想いを打ち明けられても、きっと迷惑だよ……。僕なんか貧乏だし……病弱だし……口下手だし……」
「ねーねー、これ自画像? なんで中世みたいな服着てるの?」
ジェニーはウジェーヌの泣きごとなどまるで聞かず、描きかけの油絵を観賞していた。
「ちょっと! なに見てんだよ」
「見えるように置いてあるんだもん。ねえねえ、ひょっとしてこれ……」
コスプレ?
「ハムレットだよ。好きなんだよ、シェイクスピアが」
「好きだと自画像にハムレットの衣裳着せちゃうの?」
「悪い?」
「悪くない! その気持ちよくわかる! 仲間っ! あたしだってメタモルフォーゼめるもの服着てたもん!」
ジェニーは同類を見つけた喜びをありったけこめて、ウジェーヌの両肩をがしっとつかんだ。ウジェーヌは目を白黒させている。
「意味わかんない……。わけわかんない……。君って」
「よく言われる」
「ルーブルでも変な子だって思ったよ。君みたいな人、いそうでなかなかいないよ」
「は? わたしなんか言ったっけ?」
「なんていうか……君は僕が今まで出会った人間像に当てはまらないんだ。芸術をしらない人間には二種類いる。しったかぶりと開き直り。批評家の意見を借りてきて無知をとりつくろう人間と、芸術なんて人生に必要ないって言い切る人間。君はどっちでもなかった。『とっかかりがあれば、もっと美術のことしりたくなるかもしれない』って言った」
「うーん。まあそうゆうもんでしょ? 未来の自分はわかんないからねー。だから未来の友樹くんもわからない! 未来のエリザベス嬢もわからない! 勇気出してウジェーヌ」
「なんか君と話してるとほんとに勇気が湧いてくるなあ」
「そう言って頂けてなにより」
ジェニーは満面の笑みをウジェーヌに向けた。
彼は求めているような情熱野郎ではない。でも孤独を感じていた十九世紀に分かりあえる仲間がいたことが、情熱野郎をゲットするよりも、ずっとずっとうれしかった。