4・1818年 パリ⑥
官展。それはフランスにおける公式の展覧会。十七世紀にルーブル宮サロン・カレで開かれたことに起源を持ち、十八世紀からは定期的に開催されているフランスで最も権威のある美術展覧会である。
顔見知りになった画家たちがみーんなサロンサロンと騒いでいたところから察するに、画家としてのし上がるためには、まず官展でウケなくてはいけないらしい。
ウケればいい買い手もつくし、批評家筋にほめられれば貴族からの注文も入るし、作品が政府買い上げになったらそれこそ画壇のヒーローになれる。だからみんなサロンに向けた制作は必死の様子。官展うけのよいテーマを探り、官展うけのよい画法を研究し、官展うけのよい見せ方を工夫し……。
(う~ん……。芸術ってそういうものなのかしらん。なんかちがうような。もっと熱くこう、岡本太郎センセイなかんじじゃないの? 『芸術は爆発だ!』的な……)
ジェニーの乏しい芸術観に合致する画家は、火山先輩ことテオドール・ジェリコーくらいしかいない。あの人はわかりやすかった。うん。
(画家キャラだったら『芸術は爆発だ! どりゃあ!』で、作家キャラだったら『生まれてきてすみません……うじうじ』よねー、やっぱり。キャラ立ちだいじ)
大いなる偏見を抱きつつ、ジェニーはサロン会場の壁をみっちりと覆いつくす絵画群をながめる。
壁面はマンガのコマ割りのように絵が並び、ぎっちぎちだ。
二十世紀の美術展なら、こんなふうに壁の上から下まで絵を並べまくるような配置はしないと思う。隙間なくぎっしり絵がある上に、描かれている絵もリアルCG並みの細密描写ばかりで、正直言って観るのに疲れる。しかもどのコマも……じゃないどの絵も状況描写のような説明的なシーンばかりである。
(はい。神様の降臨ですね)
(はい。古代の戦争ですね)
(はい。貴族の令嬢ですね)
「う~ん……」
ジェニーは眉間にしわを寄せて腕を組んだ。
率直に言って、つまらない。
上手い下手で言うなら、どの絵もすばらしく上手い。CG並みだ。この時代の画家はほとんどコンピューター化してるんじゃないかと思うほどの超絶技巧の持ち主ばかりであるらしい。
でも、息苦しい。生真面目すぎる。
神様降臨ならアホほどまぶしく神々しくしてほしいし、戦闘シーンならアホほど迫力出してほしいし、美少女ならアホほど背景に花背負ってほしい。しかし、どれもこれも現実をぶっちぎってくれるアホ感がない。ロマンがない。
(こんなにかっちりきっちり彫刻みたいな3Dに描かなくていいからさー。効果線入れようよ。デフォルメしようよ。花とばそうよ。マンガみたいに)
――と言ったところで、これはこういうものとして受け入れるしかないようだった。
絵画鑑賞は趣味にできそうにないなあ、しかたがない(いや当初の目的どおり)そっち方面の芸術家カップルでも探そうと、ジェニーは展示を観に来ている人々を見回した。
サロンは一般公開なので、美術界の人のみならずジェニーのような暇つぶし風の人もいる。もちろん美術関係者らしい鋭い視線を絵になげかけている人もいる。
作品名と画家名を記した有料の小冊子に書き込みをしている人たちは、画商か評論家だろうか。
そんな美術業界人のひとりに、ジェニーの目が自然と吸い寄せられた。
二十代後半くらいの美青年がいた。古代彫刻のように均整のとれた体つき、気品のある横顔の高く尖った鼻筋、さらさらした明るい金髪。彼を見た人は絵画から理想美が抜け出てきたとでも思うのか、みんなふりかえって二度見していた。
ジェニーは気付いてしまった。
同族発見……。
ジェニーはブロンドの青年にくるりと背を向けた。この時代の天使と接触するのはまずいと思ったからだ。
天使がサロンになんの用だろうと気になったので、彫刻の影から青年の様子を探る。青年天使は小冊子と作品を照らし合わせては、なにやらチェックを入れている。
青年天使に画商風の男性が近づいてきて、声をかけた。画商風のほうは人間だ。
「どうだい、パルキス? 今回のサロンは」
パルキスと呼ばれた青年天使は、勿体ぶった動きで彼に顔を向けた。
そのときはじめて正面の顔が見えた。正面から見ても非の打ちどころのない美青年であり、その尊大な態度はフェリに会いに来るダンディーたちを思わせた。
「感情表現に溺れ芸術の真髄から外れた作品が何点かありますね。困った風潮です。若い画家は理性の燈火が見えなくなっているのでしょうか。私には古代ギリシアからの嘆きが聞こえてくる」
「君は相変わらず手厳しいな」
「芸術は混沌たる感情世界を捉えるものではなく、永遠不動の真理に捧げられるものです。万人の理性が認める絶対的な美の追求が、芸術家の存在意義であるということを忘れてはならない。静謐な威厳、明快で安定した構図、聖書・歴史に取材した画題。そこから逸脱した作品は落選させるべきでしょう。画家個人の感情の発露など、場末の酒場で娼婦相手にやるか、悪魔と契約して地獄に堕ちてからやればよい」
(――小難しくてよくわかんないけど、なんかきっつぅ!)
彫刻の陰からきいていたジェニーは青ざめた。
あの美青年天使とは、あんまりお友達になれそうにない。
理屈っぽそうだから友樹なら気が合うのかなとも思ったけれど、友樹と彼とではかなりちがう気もする。
友樹も言うことはきっついが、あの人は音楽を聴いたり詩を読んだりしてうっとりするかわいいところがある(だからスキ)。「感情に溺れず万人の理性が認める絶対的な美を追求せよ」なんて堅苦しい言い分は、うっとり友樹には似合わないのだ。
(友樹くんだったらこのサロン、なんて言うかなあ……)
たぶん、あんまり良くは言わないんじゃないかなあ……。友樹が好きな印象派とやらの絵は、もっと色鮮やかでふわふわしたかんじだ。そう言えば彼はリアルCGがきらいだっだっけ。
友樹くんにあいたいなあ……。
あと五十年か。長いなあ……。
愛しい友樹の面影を胸に、ジェニーはとぼとぼとサロンをあとにした。