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1・序

     

 群青一色に塗り込めたような、奥行きのない闇だった。

 白い円柱が等間隔に立つ、なめらかな石造りの道。

 ひとりの天使が、ゆっくりと歩む。

 薄絹でできた履物は、冷えた石の感触を素足に伝えてしまうほどに、うすくやわらかで頼りない。

 天使は思う。――魔界や人界だったら、こんなヤワな履物ないわよ。

 白い敷石の石道はうっすらと明るい。足元に影をおとす光源は、天使の背にある白い翼だった。

 フェリは首をめぐらせて、自分の背から突き出す翼を見やった。

 発光する白い翼は、天使の証。

(……天使ねえ。ただちょっと寿命が長いばっかりに、いろいろえらそうにしてきただけの種族よね)

 石道の先には『時の水盤』がある。『時の水盤』に張られた水が映し出す出来事を読み、歴史を破綻に導きそうな事件や人物がないか目を光らせること……それが、『時の天使』である自分の役目。

 石道の行き止まりには、円形屋根の東屋がある。中に入ると、屋根の内側に描かれた天井画が、フェリの翼の光を受けてぼんやりと浮かび上がった。人界のとある教会にある天井画の複製だ。

『悪魔を(ほふ)るサン・ミシェル』。西暦一八六一年にパリで描かれたこの絵は、翼を広げて天から舞い降りた天使が、地に倒れ込む悪魔を今まさに槍で突き刺そうとしている場面を描いた作品だ。作者の人間がどういう意図で描いたものかはさておき、天界では「初めての『時越え』の絵」として、この『時の水盤』の上に掲げられることになった。

 なんでも、その絵の複製をここに描くことを提案したのは、未来の自分だとか……。

 未来の自分は職務のために過去にいるらしい。

 まったく、『時越え』が職務の『時の天使』はややこしい。

 フェリは東屋の中にしつらえられた水盤をのぞきこんだ。

 静かな水面に自分の顔が映る。赤い石の指輪がはまる指で、垂れ下がる一筋の髪を耳にかけ、フェリはため息をついた。

(時は越えられても、自分の時は巻き戻せないのよね)

 水面に映る自分の顔は、美しさを保ってはいるけれど、初老のものだ。

「私、すっかり老けちゃったわ」

 自嘲気味にほほえんだあと、水色の瞳を見開く。

 水底から淡く光が射し、水盤がフェリの網膜を認識した。

 フェリは指輪の赤い石に口づけをひとつ落とし、手を広げて水盤の上に翳した。

 水盤がフェリの指紋を認識した。

 次は、水面に文字が浮かび上がる。

(パスワードね。はいはい)

 フェリが水面ぎりぎりに、文字を描くように指を動かす。

 ……かつて愛した人間の名前。

 水盤がパスワードを認識した。水面にあらゆる時代のあらゆる場面が次々と映りはじめる。水面映像の左端には天界言語が、右端には人界の様々な言語が、張った水の底から泡のように湧きあがって現れては、幾重にも重なり合い消えてゆく。

 フェリの澄んだ水色の瞳が、水盤に浮かび上がる情報をなめるように追い、フェリの卓越した頭脳が、情報の絡まり合いを読み解いてゆく。

 どのくらい映像と文字を追っていただろう。

 長時間の集中からくる目の奥の痛みに、フェリは瞼を閉じた。

 今日はこのくらいでいいだろう。

 十九世紀の時の流れは、悲惨な歴史も含めて、このところ正史から大きな逸脱はなく安定している。『時越え』の悪用はないようだ。

 ならば前々からの案件に、そろそろ取りかかったほうがいい。

「ついに来ちゃったわ、このときが」

 フェリはある若い天使の顔を思い浮かべ、ごめんなさいねと心で詫びた。



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