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海神の人魚

 非常に不本意であるが、予備校の特別夏期講習もない貴重な夏休みの土曜日を従妹の佐伯壹與に付き合わされ、無駄に太陽が張り切っている炎天下の中、ウィンドウショッピングや軽食を摂ったり、アテもなく散策をしたりしていた。

 年齢イコール彼女いない歴である俺だが、何が悲しくて従妹とデート紛いの事をせねばならないんだ。

 しかも、この従妹は見た目が無駄に良いため、周りの目を集めて仕方が無い。

 十人並みな見た目で、目付きも悪い俺と、青いハイビスカスがあしらわれた見目艶やかな白のワンピースに、七分丈のジーンズパンツと薄茶のグラディエーターサンダルという、何処ぞの読者モデルみたいな格好をした美少女が連れ立って歩いていたら、誰だって視線を向けてしまうってモノだ。

 もしそんな男女を見付けたら俺だって視線を向けてしまうと思う。

 周囲からの視線に居心地が悪い俺は、先程寄ったアクセサリーショップで自分の用事は済んだと云っていたのを思い出し、隣で落ち着きなく左右に揺れながら歩いている壹與に声を掛ける事にした。


「なぁ、壹與」

「なぁ~にぃ~?」

「さっきのアクセサリーショップで買い物は済んだんだろう?」

「うん、わたしのはね」

「だったら、もう帰らないか? ほら、良い感じに日も傾いているし、良いだろう?」

「駄目だよ~。わたしの用事は済んだけど、わたしの友達の用事は未だなんだからさ」

「……壹與の友人の用事、だと……?」


 うん――っと俺の一歩前に出て、くるりと一回転してワンピースの裾を翻すと、眩しい迄の笑みを浮かべて来た。

 これが壹與でなけば、俺は一発で目の前の少女に心奪われていただろうが、残念ながら、どんなに魅力的であろうと、コイツに対して従妹である以上の感情は浮かばない。


「わたしの友達で、門倉(かどくら)(より)って子が居るんだけど、その子がとても困っているんだ」


 あっ、俺、今、ものっそい厭な予感がしたぞ。

 俺の態度から察したのか、壹與の笑顔に子供が悪戯がバレた時に誤魔化す様な焦りが現れた。


「えっと、そのぉ~……えへへぇ~、御免ね~」

「おい、こら、何でソコで謝る?」

「な、何でかな~?」


 口元に指を当て、明後日の方向に視線を向ける壹與。


「……壹與、正直に云えば手伝わないでもないぞ?」

「ホント?! いや~、実はさ、その依ちゃんって子、高校に入ってからのわたしの一番の友達なんだけど、最近元気がないから心配して尋ねたんだ。そんでね、色々と聞いていると、どうも依ちゃん、実家に帰って参加したお祭り以降から体調が優れないだって。わたしって此の通り、パパや悠ちゃんの様に《視える》人間じゃないから、ちょっと話しを聞いて欲しいな~、って思っているんだ~」


 突然饒舌になり、捲し立てるように一息で話されたため、一瞬、何を何を云われたのか解らなかったが、壹與から云われた内容を頭の中でゆっくりと反芻し、要約する。


 壹與には高校に入った時から門倉依と呼ばれる友人が居る。


 んで、その門倉依って子の調子が悪いから、尋ねたら実家に帰省して祭りに参加して以降からと解った。


 自分じゃそういうのに詳しくないから、伯父さんや俺に何とかして欲しい。


 頭の中で3行で纏めた俺は、1つの結論に達し、口を開いた。


「俺じゃなくて伯父さんに頼め」

「パパ、今日は何か用事があるとかで居ないんだよ」

「だったら、態々今日じゃなく、伯父さんが居る時に頼めば良いだろう?」

「そうしたいんだけど、依ちゃんには今日会ってって云っちゃって、もう待っているから、体調悪い所を出て来てもらったし、今から帰ってもらうのも悪いよ」


 何でコイツは、こうも相手の予定を考えずに行動するかな。

 俺の様な只《感じられる》だけの人間なんかじゃ、話を聞くだけしか出来ず、根本的な解消にならないのに、壹與は何を考えているんだ?


「俺は只《感じられる》だけで、《呪い》の儀式とかには全く以て詳しくないんだぞ? そんな俺が話しを聞いた所で、何の解決にもならないと思うんだがな……」

「いいのいいの。《感じられる》だけでも、それで大まかな事さえ解れば、後は依ちゃん本人が何とか出来るからさ」

「本人が何とか出来る、ねぇ……それじゃ、余計に俺が話しを聞く意味が解らないんだが……」

「もう、そんな子供みたいに駄々を捏ねないで、付いて来て!」


 俺が未だ何かを云おうとしたが、細身の何処にそんな力があるのか、俺の腕を掴むと、引き摺る様に門倉依って子が待っているであろう所に連れて行かれた。

 大通りから若干外れ、人々の喧騒から離れた閑静な住宅街に存在する個人経営の小洒落た喫茶店に近寄るにつれ、俺の体調は非常に悪くなっていった。

 壹與から何も云われなくても解る。

 あの小洒落た喫茶店の中に例の門倉依って子が居るのだろう。

 直視した訳でもないのにこの怠さ……これは、本格的に拙い……。下手したら、今じゃ只のジュエリーボックスになった匣の時よりも酷い事になるぞ……。

 本格的に身の危険を感じた俺は、残る力を振り絞り、壹與に声を掛ける。


「壹與、ヤバイ……本気でヤバイ……今回はマジで俺じゃなくて伯父さんに頼んでくれ……俺、此処迄のは、《齋堂》が大陸で《邪術》を極めて人間を辞めた存在が創り上げた《呪具》を持ち込んだ時以来だ……」

「あ~……アレね~」


 顔をコチラに向けずに応える壹與。


「壹與、知っているのか?」


 頷き、肯定する。


「なら――」

「でも、《所詮は人間を辞めた存在が創った程度のモノ》だったよ」


 所詮? 程度?? だった?? ……壹與が何を云っているのか解らず、返す言葉が浮かばないで呆然としている内に、扉の前に着いてしまった。既に頭を上げるのも億劫な位全身が怠くなっており、逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。

 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、壹與は扉を開き、喫茶店の中に入ってしまう。

 勿論、腕を掴まれているので、俺も喫茶店の中に入る事になる。

 来客を知らせるベルが鳴り、店主であろうカウンターの奥に居るジーンズ素材のエプロンを掛けている口髭を蓄えた初老の男性が俺達を一瞥する。


「いらっしゃいませ」


 想像通りの年齢が感じ取れる声でそれだけ云うと、カウンターの奥で調理の続きを再開した。席に案内しない所から、客も少ないし、好きな所に座って良いという事なのだろう。

 しかし、壹與は俺の腕を握ったままズカズカと店内のある一点目掛けて歩き出した。

 徐々にだが、怠さが強くなっていく身体。

 持ち上げるのも辛く、俯いたままの頭。

 そして、掴まれた腕を引く力が無くなり、立ち止まる足。

 逃げる事が叶わず、遂に俺は地獄の釜の前に来てしまった。


「お待たせ、依ちゃん。調子が悪いのに、出て来てもらっちゃって、ごめんね……」

「ううん、ボクの方こそ、折角のデートの邪魔をしちゃって、ごめんね……」


 デ、デート?! ――っと殊更大仰に壹與が反応する。

 頼む、余り大きな声を出さないでくれ……頭に響く……。

 ってか、若干ハスキーな感じだが、声音と壹與が入学してからの一番の友達って所からして、女子だとは思うが、一人称がボクって……コレまた珍しい娘が友達にいるものだ。


「あれ? 違うの?」

「う、ううん! ち、違わない! ……様な違う様な……ま、まぁ、気にしないで! うん!」

「うん? 壹與がそういうのなら、ボクも余り気にしないけど……何だか彼氏さんの調子が、ボクよりも悪そうなんだけど、本当に大丈夫??」

「ヤダな~、依ちゃん、彼氏だなんて。悠ちゃんはわたしの従兄であって、未だ彼氏じゃないよ。後、悠ちゃんは佐伯悠って云うから、好きに呼んでいいよ~」


 おい、オマエ、今サラリと物凄い爆弾発言をしたぞ?


「そうなんだ~。あの壹與が男子の手を握って嬉しそうにしているから、てっきりそうかと思っちゃったよ」


 あ~、うん、そのスルースキル、なかなか良いと思うよ、うん。

 壹與がテーブルを挟んで、門倉依と呼ばれる娘の前の椅子に座ったので、失礼だとは思うが、成る可く向こう側を視界に収めない様にして、俺は壹與の隣の椅子に腰掛けた。

 俺等が椅子に座ると直ぐに初老の男性がお冷を持って来てくれたので、ついでに注文も済ませてしまう。


「あっ、その……」


 メニュー表を手に取ろうと身体を動かし掛けたが、視界に門倉依を入れてしまいそうになったので、急ブレーキを掛けて動きを止め、何処の喫茶店にでもあろうメニューを頼む事にした。


「アイスティーをお願いします……」

「レモンかミルクはお付けしましょうか?」

「レモンをお願いします……」

「あっ、わたしもアイスティーで、ミルクとガムシロップ多めでお願いしま~す」

「畏まりました」


 今の俺の頭に響く壹與の声とは対照的に、初老の男性は何とも流暢な声で応えて戻って行った。

 注文の間も下を向いたままだったのが気になるのか、門倉依の居る方向から妙に視線を感じるが、無視を決め込み、反応しない事にする。


「い、壹與……もしかして、ボク、佐伯君に嫌われてる?」

「悠ちゃんが初対面の人をいきなり嫌うって事はないから、多分……」

「あ~……壹與が昨日云っていた、《(まじな)い》的な何かがあると、体調が悪くなるって云ってたアレ?」

「うん、多分、それ。悠ちゃん、こういった事で演技をしたりは絶対にしないから、依ちゃんの体調が悪いのは、コレである程度は決まったね」

「……壹與、門倉さんには、俺の体質の事、何処迄話してある?」

「左目の視界に《(まじな)い》関係のモノが入っちゃうと、中身によっては、凄く体調が悪くなっちゃうし、すっごいのだと、視界に入れなくても、体調が悪くなるって事は伝えてあるよ?」

「……そうか……」


 意を決し、俺は左目を閉じたまま顔を上げた。

 テーブルを挟んだ向かい側に座っている、見事な黒の髪をショートに揃えているが、若干ハネていて、周りを惹きつける派手さはないが、中性的な美しさを持った、壹與とは違う方面での美少女が右目に映った。

 綺麗ではある……綺麗ではあるが、壹與と同じ様に全く以て何をどうしようと思わないのは何故だ?

 俺は普通に女子が恋愛の対象だし、雑誌に載る様な綺麗な娘は勿論好きだ。

 けれども、隣の壹與や、今視界に収めている門倉依には、何ら感情が動かない。2人は、世に溢れている雑誌のモデルに決して負けておらず、下手をしたらそれらモデルの女の子よりも上なのに、近寄ろうと思う所か、むしろ、遠ざかりたいとすら思ってしまう。

 壹與は小さい頃から一緒に居たし、実際に従妹という血縁だから、男女間での感情が動かされないのは解るが、目の前の門倉依は全くの他人だ。

 なのに、全く食指が動かない所か、出来る事なら逃げたいとすら思っている俺が居る。

 待てよ……俺は、壹與とは進んで一緒に行動をしようとは思わないが、特に壹與を避ける時はどんな時だ?

 考えろ……考えるんだ……多分、ソコに答えはある……。


「……むぅ~……悠ちゃん、そんなに依ちゃんを見詰めてどうしたの? ま、まさか……依ちゃんに一目ぼ――」

「えっと……門倉さん」


 隣でトンチンカンな思考に陥っている壹與を無視し、俺は門倉依に話し掛ける。


「な、何かな?」


 俺にジッと見詰められたまま、突然話し掛けられ、門倉依が慌てて応える。


「最近、《曰く付き》のモノを手にしたり、そういった場所に行きましたか?」

「あ、え、えっと~……《曰く付き》かどうかは解らないけど、お盆に実家に帰省した時に、昔から続いているお祭りに、主役として参加したよ。それ以外は、特に何もないね」

「そうですか……これは確認になるんですが、俺から見ても解る程、肌が青白い所からして、今も体調は余り宜しくないんですよね?」

「うん、余り宜しくないね」

「帰省した直後はどうでした?」

「その時は健康そのもので、近くの海で泳いだ位だよ」

「っと云う事は、やはり、お祭りに参加してから、いきなり悪くなった、っと?」


 うん――っと首を縦に動かして門倉依は肯定する。


「海で泳いだから、っとは考えられないですか?」

「それはないよ。当日は凄く暑くて、海も暖かく感じられる程だったからね。お祭りは、その3日後だったけど、もし、海で泳いで風邪をひいたりしたなら、もっと早くから体調が悪くなっていると思うし、今も微熱が続くなんて可笑しいよ」

「医者には勿論――」


 行ったよ――っと若干苛立ちながら間髪入れずに門倉依は応える。


「でも、原因は不明。幾つか薬を処方してもらったし、点滴とかも打ってもらったけど、全然良くならないんだ……」


 俺は門倉依から一旦視線を外し、額に手を当てて悩んでしまった。

 これは……どうしたモノか……。

 今迄の話しから考えるに、十中八九、そのお祭りに主役で参加したのが原因だろう。

 海で泳いだ時に何か《悪いモノ》を付けて来てしまった可能性も否定出来ないが、お祭りという神様に関係する祭事の主役をした場合、余程強力なモノでない限り、全て排除される。にも関わらず、俺は彼女の事を左目で直視する事が出来ないし、左目を閉じている今でも、頭が重く、身体全体が怠い。ココ迄酷いのは本当に久し振りだし、《人間を辞めてしまった存在》が関係したモノ以来の――。


「あっ……」


 ある1つの最悪な結論に辿り着いた俺は、面を上げて、余りにも間の抜けた声を出してしまった。


「ゆ、悠ちゃん、何か解ったの?!」


 隣に居る壹與が肩に皺が寄る程強く握り締めて来て、門倉依も若干身を乗り出して来た。

 兎に角、藁にも縋る思いで、何か救いが無いものかと考え、俺を此の場に引き連れて来たのだろうが、俺が辿り着いた結論は、そんな2人を裏切るモノだ。

 壹與が今にも泣き出してしまいそうな表情をして、俺を凝視するが、コレばっかりは口に出す訳にはいかない。

 もしかしたら、違うかもしれない……そう、違うかもしれないんだ。

 先ず、間違い無いだろうが、そんな確実じゃない上に、不謹慎な内容である俺が辿り着いた結論を伝える訳にはいかない。

 俺が頑なに押し黙っていると、身を乗り出していた門倉依が、ゆっくりと椅子に腰を戻し、背凭れに身体を預けると、深呼吸をした。


「ふぅ~………………佐伯君、キミが辿り着いた答えに、何が加わると、それは確定情報となるのかな?」


 成る程、感が鋭く、頭の回転が早いな……伊達に壹與とずっと一緒に居ない、って訳か……。

 言動に騙されがちだが、壹與は凄まじく感が鋭く、頭の回転も異様に早い。

 故に、普通なら、女子から嫌われそうな雰囲気を纏っているにも関わらず、上手く立ち回る事で、周囲からの妬みや問題を回避し、嫌味なく振る舞う事が出来る。

 そんな壹與と1年の頃からずっと一番の友達として一緒に居るんだ。

 黙っていても無駄って事か……。

 俺は諦め、溜息を零した。


「はぁ……それじゃ、訊くが……その門倉さんが主役で参加したお祭りってどんな感じのだったんですか?」


 俺からの質問に、門倉依は微かに笑みを浮かべる。


「先ず、主役は女性しか選ばれず、選ばれた女性は、純白の着物を着るんだ。そして、純白の着物を着た女性は、日本酒や海の幸と一緒に、お神輿に担がれて、山の中にある社に連れて行かれる。その後、社に着いた一同は、女性と日本酒や海の幸をその場に残し、引き返す。1人残された女性は、一緒に担がれて来た日本酒と海の幸を手に、社に入り、一晩その社の中で過ごして、翌日の朝に、村の人達が迎えに来るから、行きの時と同じ様に、お神輿に担がれならが村に降りたらお終いさ。ちょっと駆け足気味に簡単に説明したけど、何か質問あるかい?」


 一気に喋られ、全部を覚えては居ないが、非常に引っ掛かる言葉が幾つかあり、厭でも俺の結論を確実なるモノにしてくれていた。


 先ず、純白の着物。


 次に、女性と一緒にお神輿に担がれる食事。


 そして、社で一晩過ごす。


 帰りの所は、まぁ、行きの時形式に則って行なっているだけだと思うので、省くとして、以上の事から考えられるに、これはもう――。


 俺は、気持ちを強く持つためにも、深呼吸を1つして気持ちを切り替えるが、とても真っ直ぐに門倉依を見る事が出来ず、俯いたまま口を開いた。


「門倉さん……非常に云い難いんだが、キミは――」

「その山の社の神様の嫁にされた、って云いたいのかな?」


 俺の言葉を遮り、続きを引き継いだ門倉依から、まさか考えていた内容を云われるとは思わず、言葉を失い、開いた口が塞がらなかった。

 思わず反射的に面を上げてしまい、右目に収めた門倉依は、神様の嫁になるという事がどういう事であるのか解っていないのか、薄っすらと笑みを浮かべたまま俺を見詰めていた。


「大丈夫、ボクは神様の嫁になる意味も、そうなったら人間がどうなるのかも知っているよ」

「だ、だったら、な、何で、そんなに落ち着いて……」

「だって、ボクはもう――」


 スッ――っと門倉依が鞄から一枚の写真を取り出し、裏返しにして、俺の前に出しだした。

 隣に居る壹與に視線を送るが、ゆっくりと頷いて促されてしまったので、覚悟を決めて写真を手に取り、引っ繰り返した。


「………………――っ?!」


 声にならないという表現はこの時の俺の事を云うのだろう。

 頭の中に言葉が浮かんでは消え、目の前に存在する写真が、本当に存在するモノなのかどうかもあやふやになり、何かを云おうと口を開くが、結局浮かんだ言葉が直前で消えてしまい、諦めて閉じる行為を何度か繰り返してしまい、遂に俺は口を噤んでしまった。

 眼だけを動かし、壹與を盗み見ると、俺が手にしている写真に視線を向けているが、その瞳は、何処か憂いを帯びており、哀れみを感じ取れる程であった。

 俺は手元の写真に視線を戻した。

 写真には、山道を背景に、白無垢としか見えない純白の着物を着て化粧を施された門倉依が写っているのは良いが、その周りを光の筋の様なモノが5本、門倉依を囲む様に写っていた。

 左目を通してもいないのに、貫かれる様な痛みを感じ、最早これ以上は無理と判断した俺は、写真を裏返しながら顔を背けた。

 何度か肩で息をして呼吸を整えた俺は、門倉依を視る事が出来ず、右腕を伸ばして写真を返した。


「ココ迄とは思わなかった……これは……強烈過ぎる……申し訳無いが、俺の様な只感じられるだけの人間は勿論、こういうのに詳しい伯父さんでも、無理だと思う……」


 これ以上期待を持たせるのは酷と判断し、俺は非常な言葉を掛ける事にした。

 壹與の一番の友達だか何だか知らないが、もうどうしようもない……。

 どうにかしてやりたとは思うが、俺には似が勝ち過ぎる――っと云うか、人間には、抗う事が出来ない程の《(まじな)い》だ。


 こんなの――。


「悠ちゃん、勘違いしちゃ駄目だよ。その写真をちゃんと《視なきゃ》」

「《視る》も何も、こんなにハッキリとしているんだ。左目で《視る》必要なんかない」


 やっぱり勘違いしている――っと何が楽しいのか、壹與は笑みを浮かべた。

 コイツ、遂に壊れたか?

 一番の友達がどうしようもなく、心が耐え切れなくなったのかと思い、哀れみの目を向けていたら、そんな目をされても困るんだけど――っと至極全うな言葉を壹與から返されてしまった。

 感情で生きている様な壹與が、至って冷静でいられる事が不思議でならず、意を決し、俺はもう一度だけ、伸ばした右手を折り曲げて、手首を返して確認した。

 やはり、光の様な筋が5本、門倉依を囲う様に写っており、左目を貫く様な痛みを受けたため、視るのを止めようとしたが、ふと、違和感に気付き、門倉依を中心に写真を注視した。


「あ、あれ……?」


 門倉依と光の間に、灰色の煙の様な《ナニカ》が覆う様に写っている……。


 ――何だ? コレは??


 コレからは、《何も感じない》……。

 痛みもなければ、吐き気もない。

 只々、ソコにあるだけ。

 でも、何だ? この、不安な感じ……。

 コレを更に詳しく知るには左目で《視る》必要があるが、俺はこれまでの人生、こんな異様なモノを《視た》事も、聞いた事もない。

 果たして、こんな異様なモノを左目で《視て》俺は無事でいられるのか?

 ……あ~、でも、良いか……ココで俺がぶっ倒れれば、俺の手に負えないってのが伝わって、もう頼って来る事もないだろう。

 意を決し、左目を開けて写真の灰色の煙の様な《ナニカ》を注視した。


 ――あれ? 何とも、ない……?


 否、それは可笑しい。

 ココ迄異様な雰囲気を漂わせているのに、何もないのは変だ。

 実際に、光の様な筋を少しでも注視しようものなら、左目を引き抜きたくなるような吐き気を伴う激痛が襲い来るので、慌てて灰色の煙の様な《ナニカ》のみを《視る》事にした。


「やっぱり、佐伯君でも、難しいかな?」

「あぁ、この灰色の煙の様なのが、何なのか――」


 声を掛けられ、写真から門倉依に視線を移した瞬間、俺は両目を瞑り、俯いたまま勢い良く席を立ち上がった。

 多分、疎らに存在していた他の客が、突然立ち上がった俺を訝しんで注視していると思うが、今は其処じゃない。

 一刻も早く、この場を――門倉依の傍を離れる必要がある。

 俺は踵を返し、一歩踏み出した所で、腕を捕まれ、それ以上進む事が出来なかった。

 確認しなくても解る。

 俺が本当に逃げたい時に必ずと云って良い程邪魔をするのは、1人しか存在しない。

 俺は振り返る事もせず、顔を前に向けたまま声を掛ける。


「壹與、俺は帰る。あんなの俺の……人間の手に負えるモノじゃない」

「わたし、悠ちゃんの様に《感じれない》から、依ちゃんがどんな風に《視えた》のか、凄く知りたいな~」

「後で携帯にメールか何かで教えてやる。だから、今直ぐこの手を離せ」


 イ・ヤ――っと有無を云わせぬ響きを持って返されたが、俺も退く訳にはいかない。

 肩越しに壹與を睨み付けるが、さっきからの貼り付けた様な笑みをずっと浮かべており、逆に俺の方の肝が一瞬縮んだが、構わず疑問点を吐き出す。


「悪いが、今回ばっかりは俺も退けない。《アレ》は何だ? 本当に人間なのか?? っと云うか、《あんな状態》なのに、本人に意思が残っているのか?」

「悠ちゃん、そんなにいっぺんに云われても、わたしも困っちゃうよ」

「なら、要点だけを云わせてもらうが、《アレ》に関わる位なら、《齋堂》とお茶会を開いた方がマシだ」

「う~ん……未だ《齋堂》さんだったか……」

「《未だ》?」


 壹與に完璧に振り返り、両手で両肩を抑えて逃げれなくして正面から彼女の顔を覗き込む。


「今、《未だ》とか云ったよな? どういう事だ??」

「あっ……ううん、こっちの話しだよ、うん」


 あからさまに動揺して視線を外す壹與の両頬を挟んでこちらに向かす。

 端から見たら、恋人同士が今にもキスする様に見えているだろうが、今は他人の目を気にしている場合じゃない。


「壹與、正直に話すんだ。《アレ》は、例え《感じられない》壹與でも、近くに居たら影響を受けるレベルの《(まじな)い》だ。俺は、壹與の事を心配して云っているんだぞ? だから、頼むから、話してくれ」


 俺がいつになく真剣に話すので、初めの方は唸るだけで、どうやってはぐらかそうか悩んでいたが、今の俺から逃げるのは無理と判断したのか、溜息を零して、ゆっくりと口を開いた。


「はぁ……依ちゃん、云っても良い?」


 門倉依に顔を向けて尋ねる壹與。

 俺も釣られて門倉依に顔を向ける。無論、左目は閉じて。

 門倉依は、俺と壹與からの視線を肩を軽く竦めて応える。


「構わないよ。多分、佐伯君は、もう大方の予想は出来てると思うから、伝えてあげた方がスッキリとするんじゃない?」

「依ちゃんがそう云うのなら……」


 壹與が顔を戻したので、俺も顔を正面に向けたまま、椅子に横座りで腰掛ける。


「これは誰にも云わないで欲しいんだけど……依ちゃん、昔、海で溺れた事があるの。それで、村総出で海の散策がされて、溺れてから数時間後に心肺停止状態で見付かったんだ」

「……否、それ、可笑しいだろ……」


 思わずツッコミを入れたが、今は先ず聞いて――っと壹與に云われてしまい、大人しく話しの続きを待つ事にした。


「時間的に絶望的状況だったけど、兎に角救急隊が来る迄の間、心臓マッサージや人工呼吸をしていたら、奇跡的に息を吹き返したんだ」

「成る程、そういう事か」

「でもね――」


「その時、喉に引っ掛かっていた《真珠》が吐出されたんだよ」


 《真珠》――その単語が出て来た途端、云い様のない寒気に襲われ、門倉依の方を《視る》事が出来なくなった。


 ……コロン――っとテーブルの上に《ナニカ》が転がる音が響いた。


「多分ね、悠ちゃんが《感じた》のは、依ちゃん自身もだけど、それ以上に――」


 ゆっくりと壹與の顔が横を向き、視線が斜め下――テーブルの上に存在する《ナニカ》に向かったため、俺もそれに釣られて顔と視線を動かした。


 年季の入った焦げ茶の木目調のテーブルの上に、乳白色の球体――件の《真珠》が転がっていた。


「その大粒の《真珠》だと思うよ?」


 球体の下には、柔らかそうな布が敷かれており、直径15ミリはあろう大粒の《真珠》が何処かに転がってしまわぬ様にされていた。


 門倉依が着せられていた純白の着物もそうだが、この《真珠》はそれ以上に《ヤバイ》雰囲気がする。

 アレも《(しるし)》ではあるけど、これはそんなモノの比じゃない程のありとあらゆる《祝福の呪い(しゅくふくのまじない)》が掛かっているのが、左目を通さなくても《頭に直に伝わってくる》。


 門倉依に纏わり付く、灰色の煙の様な《ナニカ》と大粒の《真珠》……否、門倉依は溺れた時に既に心肺停止状態であったが、心臓マッサージと人工呼吸で息を吹き返し、《真珠》は《身体の中》から見付かったんだ。


 そもそも、息を吹き返したのが本当に門倉依なのか?


 《海中》で《心肺停止状態》だったんだぞ?


 それに、仮に……仮にだ……もし本物の門倉依が息を吹き返したのなら、《身体の中》から見付かったあらゆる《祝福の呪い》が施された大粒の《真珠》は《証》であり、《印》だ。そんなモノを後生大事に持っているなんて――


「正気じゃない……」


 口から思わず漏れてしまった言葉を受け、壹與と門倉依の2人が歪んだ笑みを浮かべながら俺の顔を覗き込んで来たため、顔を背け、表情を一切見ない様にした。

 もう勘弁してくれ。

 この喫茶店に来てからずっと頭が痛いんだ。

 これ以上の干渉は俺の頭と身体が保たない。

 壹與が手を伸ばすよりも早く、椅子から立ち上がり、財布の中から千円札を引っ張り出して、テーブルに叩き付けるように置き、その場を駆け足で後にした。

 2人や疎らに存在していた他の客が俺に注目したが、俯き、何も見ない事にして、喫茶店を抜け、兎に角、あの2人から距離を取るため、一切後ろを振り返らずに、帰路についた。

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