三題噺 お題 『ポン酢・旧国鉄殺人事件・ホッチキスは笑う』
短編(掌編)の練習ということで、一時間くらいを目安に書いたら変なモノができあがってしまった……orz
あと、正確なお題は「ポン酢の力を信じるんだ!」でしたけど、それ入れると一気にギャグになるので「ポン酢」だけにさせてもらいました。ご了承くださいませ。
夜空に月が出ていた。
血のように赤く、不気味なほど暗い月。
観測者のいないこの世界で、それは満足げに下界を見下ろす。
人の気配が途絶えた、ただ高層ビルが乱立するだけの無機質な町並みを。
今夜は皆既月食だっただろうか、と男は思った。
深い霧の底に沈んだゴーストタウン。駅前の広場も大通りも、現実と寸分違わぬ状態のまま、霧の流れに身をゆだねている。アーケードのついた商店街、行き付けの居酒屋、ずいぶん昔のマンガばかり集めた古本屋、中高校生の利用が多いファーストフード店……。
夢にしてはあまりにも精巧で、しかし致命的なまでに崩壊している奇妙な空間。
ふと、広小路に設置されている時計を見上げる。
もし今が深夜であるならば、車や通行人の姿が皆無であるのも頷ける。
だが、街灯に薄ぼんやりと浮かぶ丸い時計には針がなかった。いや、それどころか数字すら書かれていなかったのである。
「赤い月……」
本来時計盤のある所には、血のような赤い赤い月が笑っていた。ソレはひたと男を見据え、束縛する。幼いころ、祖母から伝えられた昔話が男の脳裏に蘇る。
――いいかい? 赤い月を見たら、必ず近くの建物に逃げ込むんだよ。でないと、月に食べられてしまうからねぇ。
住人が見当たらないのは、その妙な言い伝えのせいなのだろうか。馬鹿馬鹿しい。
そう心では吐きつつも、男はちょうど目の前にあった書店へと足を踏み入れた。
中はひんやりとしていて、痛いほどに静まりかえっていた。男は棚の間を歩き始めた。
おかしい、と感じたのは新刊コーナー、趣味、新書、専門書の棚を一巡り終えたときだった。どの棚の本も背表紙にタイトルが書かれていないのである。一冊抜き取って中身を検めてみても、すべてが白紙のページだった。
やはり変だ。一体どうしたというのだろうか。
度重なる怪奇に不安と焦燥を抱きながら、男は階段を上がり文庫コーナーへと入った。
ここでも白紙の本が立ち並ぶだけかと思いきや、一冊だけ背表紙にタイトルの書かれた本があった。
旧国鉄殺人事件。
活字は苦手な方であったが、男はまるで一筋の光明を見出したような気持ちでその本をめくった。
それから二時間後。男はため息と共に本を棚に戻した。
特に変わったところのない、普通に推理小説だった。展開に工夫があるわけでもなく、ラストにどんでん返しが用意されているわけでもない。ただ、淡々と被害者の男を追っているという感じだった。
その男は最後、駅のホームから何者かに突き飛ばされ電車に轢かれて死ぬのだが、そのとき咄嗟に犯人を示唆する手掛かり、すなわちダイイングメッセージとなり得るモノを手にした。その辺の文房具屋で売られているホッチキスである。
また、それとは別に、男が死ぬ直前に高松市の讃岐うどん店で食べていたポン酢うどんから微量の睡眠薬が検出された。
探偵はそれらから犯人を突き止め、事件を解決するのだが、その結末はあまりにあっけなく、この場で特筆すべきものでは決してない幼稚で稚拙な出来だった。
時間を無駄にしてしまった。
男は首を振り、再び濃霧の中へ――月の視界へと引き返した。
先ほど読んだ推理小説の影響か、男の足は自然に無人の駅へと向かっていた。
半ば予想していた通り、発券機も改札も電光掲示板も、すべての機能が停止していた。
男は改札を抜け、ホームへ下りる。
と、その時である。
電光掲示板の一つがジジッ……とノイズのような音を立て、画面上部に列車到着の知らせが表示された。
××:××発 急行 無間行き
掲示板にはやはり正確な時刻が示されていなかった。行き先もこれまた妙である。
無間とは一体どこであろうか……。少なくとも男の住む県内にそのような場所はない。路線距離が二十キロメートル未満のローカル線にしてはあり得ないことだった。
とは言え、こうして電車が動いているということは、人が乗っているということである。
ひとまず車掌か運転士に行き先を尋ねてみよう、と男は安心しかけたが、ふと掲示板をもう一度確認して悪寒が体中を駆け巡った。
九番線 ××:××発 急行 無間行き
九番線? それはおかしい。この駅には“八番線までしか存在しないはずである”。仮に路線の拡大を図ったとしても、一日二日で完成するはずもない。
で、ではあの列車は……。
パニックに陥った男の脳裏に浮かんだのは、またしても例の都市伝説だった。
――かつて、この地を走っていた一本の国鉄。しかし、不可解な人身事故が相次いで起きたことにより、“呪われた電車”として人々の間に定着。その後まもなくして路線は閉鎖された。以来、皆既月食の日には幻の九番線が復活し、幽霊列車が人を食らうという……。
「は、ははは……そんな非科学的なこと、あるわけないだろう」
わざと大声を出してみるが、それは瞬く間に霧に吸い込まれ、代わりにガタン、ゴトン……と、ソレはゆっくり近づいてくる。
ガタン、ゴトン……ガタン、ゴトン……ガタン、ゴトン……。
その音色は、まるで規則正しい歯車のようで――
ガタン、ゴトン……ガタン、ゴトン……ガタン、ゴトン……。
閉じた世界に逃げ場はなく――
ガタン、ゴトン……ガタン、ゴトン……ガタン、ゴトン……。
それでも足掻こうと、男は急いで踵を返した。
カラン、と軽い音がした。どうやら、何かを蹴り飛ばしてしまったらしい。
五メートルほど先にあるそれを見たとき、男は、嗚呼、とため息を漏らした。
――そうか、あの小説の主人公は……。
それを拾い上げるのと同時に、どん、と背中に衝撃が走った。体が宙に放り出される。
その瞬間、あの赤い月と目が合った。月は男の末路を笑っていたが、男も精一杯強がって微笑みを返した。
「わたしは呪いや幽霊なんて決して信じない。今回は、ただ運が悪かっただけだ」
無人の駅に、グシャリ、と嫌な音が響き渡った。
内蔵と肉片がまき散らされた夥しい血の海で、ホッチキスだけが口を開けて笑っていた。