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(1)荒《すさ》ぶ山

(1) すさぶ山


 その日も前日と同じように、しらじらと夜が明ける朝方、爽やかな涼風が木々の間を静かにそよいだ。

 

涼風に優しく揺れる木の葉の先から、生まれたばかりの小さな朝露が一滴ポトンと落ちた。

 

朝明けの柔らかい葉洩れ日が木陰やウロ(木や土にできた穴)に身を休め、うとうとまどろんでいた山の住民、生き物たちの鼻奥をくすぐり始めた。と思う間もなくだった。日は昨日迄の悠揚な日照が嘘のように()きりたち、強い日差しで山を燦々と照射した。

 

日が昇り一時もすると山は息をするにも喘ぐほど猛烈な炎熱に包まれた。

 

ガラス板を思わせる青白く目映まばやい空の何処を眺めても雲の影一片もなかった。

 

葉陰に身を隠し、ただ蹲っているだけで目眩を覚える烈日にもかかわらず、大空の何処から落ちてくるのか、ときおりぱらぱらと日照り雨が葉を叩いたが、それは葉を濡らすほどではなかった。

 

昼近くになり空は油照り、薄霧を覆ったように黒っぽく霞んでいた。

 

山肌を覆い隠す色鮮やかな緑葉が、強い日射に炙られ油を塗ったようにきらきらときらめいていた。

 

午後を少し回る頃、遠く連なる峻嶺の肩口に見え隠れしていた白い千切れ雲が、奥山の頂をかすめ生き物たちの棲む山にゆっくりと漂い流れきた。

 

夏の長く熱い日がようやく西に傾き始めた頃、小さな浮き雲の一片が徐々により集い、厚みを増して大きな入道雲になった

 

雲が赤々と燃える日を隠し始めたと思う間もなくだった。並び連なる山の尾根からむくむくと黒い雲が湧いた。

 と同時に、突風が山の頂から一陣、山裾に走った。

 

風は木々間を疾駆し梢の先を大きく波打たせた。

 

山は厚雲の間からときおり日が射すだけの夕方を思わせる景色になっていた。 

 

黒雲が山頂を覆い尽くしたのは僅かな時間を要しただけだった。

 

山間は日の余光が何処にも感じられず、連なる峰々の頂きが不気味な文様の暗雲に隠れたその直後だった。


 雨雲の縁で強風に煽られ煙のように揺らめいていた薄雲が、山肌を這いながらゆっくりと山裾に滑り落ち始めたが、霧雲は山の中腹まで下ると計ったように旋風に煽られ霧散した。そして再び山頂に舞い上がり黒い雲と重なった。

 

日盛りのはずの山間は黄昏時を思わせる場景になっていた。

 

空一面、幾重にも重なり厚みを増した不気味な文様の雷雲が空を覆い隠していた。

 

日の光は何処にも感じられなくなった。と同時に、雲は山肌を覆いながらゆっくりと降下し始めたが、山の中腹まで下りると思い直したようにその場に止まり沈滞した。

 

一時、停滞している雲の下、パラパラと間断的に降る小雨と涼風すずかぜが、熱い日差しに焼けた木の葉の先を穏やかに揺らした。

 

シトシトと降る細雨と微風は酷暑に炙られた山の木々を優しく慰撫した。雨は生き物たちにも快かったが、山に棲息する生き物たちは知っていた。

 

 

 穏やかな慈雨と清風の後には必ず山がすさぶことを。

 

 生き物たちが一時の間、風に火照った身体を休め、荒れる山に備え逃げ込む棲家に身を返したと思う間もなくだった。

 

 ピッカー。

 

 青白い数条の閃光が森閑と佇む山々と、黒雲の狭間はざまをいきなり引き裂いた。稲妻に一瞬晒された生き物たちの顔が、恐ろしい仇敵に不意に遭遇したように強ばり歪んで硬直した。

 

 目を剥いた生き物たちが、はっと我に戻り逃げ出す僅かな瞬時、山は何事もなかったように暗く沈んで暗澹としたが、次の瞬間、生き物たちの肝を竦ませる激しい雷鳴が轟いた。雷電と同時に激しいい落雷音が山間をビリビリと震わせた。いかずちは木陰に蹲り身を寄せ息を潜める生き物たちを震え上がらせた。

 

 電光と烈風は荒雨をともない山を激しく叩いた。

 

 山は豪嵐に荒れる海だった。

 

 暗く沈んだ山は間断なく放射される雷の閃光に晒された。

 

 激しく吹き荒ぶ雨風は樹木を前後左右に大きく波打たせた。

 

 雨は飛沫をあげ木立の冠を横殴りに駆けた。

 

 ギシギシ、バギバギッ。ビキバギッ。

 

 雷雨に耐え切れない青木か、それともよわいを重ねた老木か……鈍い裂音とともに風に巻かれ暗空に放り投げられた。舞い上がり一片の木片となってしまった生木は旋風に巻かれ、暗澹あんたんとした樹海に沈んで消えた。

 

 山に棲息する生き物たちは息をするのを忘れ蹲っていた。

 

 烈風、猛雨に襲われても洞窟やウロ(木や土の中に出来た洞穴)に逃げ込める生き物たちは幸せだった。穴の中に深く身を隠し、雨と風が通り過ぎるのを待っていればそれでよかった。

 

 洞窟やウロ、這い込む場所のない生き物たちは大変だったが、本能がそれを救った。それぞれの知恵と工夫で生きる手立てを考えた。 

 ただ……苛酷な条件の自然界で生き延びることができるのは、成長した生き物たちと仲間や両親の庇護、それに類いまれなる幸運に恵まれた生類だけだった。

 

 親や仲間たちからはぐれてしまった幼い生き物たちには雨を避ける術もなく、安全な場所に逃げ延びる手段を捻り出す知恵もなかった。

 

 親とはぐれた幼子は、風雨に叩かれ体熱を徐々に奪われ、そのまま動かなくなってしまう。

 

 雨と風は、いつになったら止むのか、日はいつ昇るのか。

 

 腹が空いたら……餌を、餌を何処でどうして探したら……小さくて弱い生き物たちはなにも知らなかった……。


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