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歴史もの

魏忠賢

作者: しのぶ

グロ注意。

美しさの無い話です。

 魏忠賢(ぎちゅうけん)は明代の宦官で、中国史上最も悪名高い宦官の一人である。


 もっとも、中国史上有名な宦官というのは大抵悪名で聞こえているのだが・・・



 明より一つ前の漢民族王朝である宋は北方異民族王朝の金に滅ぼされ、その金と、南に逃れた南宋は共にモンゴル族の元に滅ぼされ、元代になって中国全土は異民族の支配する所となった。

 明は、その元を滅ぼして興った王朝である。

 そのため成立当初から排他的な風があった。

 三代皇帝の時代には世界に開けた時もあったが、その後鎖国に入り、勝手に出た者は死刑になった。



 また明代は、それまでの歴代王朝にも増して、皇帝に権力の集中した時代であった。

 初代皇帝、「太祖」洪武帝は、貧民から身を起こして皇帝となり、元を滅ぼした後、臣下の大粛正を行った。

 猜疑心の塊のような太祖は、昔乞食僧をやっていたので、「僧」や「禿」の字を使った者がいると、それだけで皇帝を誹謗したと言われ、数万人が残酷な刑で殺され、一族も皆殺しとなった。

 殺されたのは十万人以上。

 知識人や官吏は戦々恐々とし、とがめを恐れて政治に口を出さず、保身に走る者がほとんどであった。

 一方、民間には活力があり、都市の発達した時代でもあった。




 その明も、魏忠賢が生まれる頃には建国から二百年以上経っていた。

 魏忠賢は粛寧の生まれで、元の名を魏進忠という。

 彼は宦官になってから名を変えたのだが、本作では魏忠賢で通す。


 この頃には北方で再び異民族である満州族の力が強大になっていた。

 国境でまだ食い止めてはいるが、戦闘が断続的に続いている。


 異民族も恐ろしいが、それよりまず人々に恐れられているのは役人であった。


 他の地方と同じように、魏忠賢の故郷でも役人は皇帝の権威をかさに着て領民から搾り取った。

 財産を奪い、珍しい宝を奪い、美女を奪っていくが、逆らえば皇帝に逆らうことになるので逆らえない。

 しかも役人は私兵を雇っているし、土地の有力者や暴力団と結び付いている。


 ある時、一人の男が奪われ続けるのに耐えかねて役人を殺した。

 彼は山中に逃げ、人々はひそかに快哉して彼を英雄視したが、数日後男は捕まった。


 男は人々の集まる市場で公開処刑された。


 執行役人が集まった人々に向かって彼の罪状を読み上げる。


「この男は上を犯し、聖台をおびやかし云々・・・」


 に加えて、

「この男は満州族のスパイであり、国家転覆を計った。」


 と言われ大逆罪とされた。

 これは恐らく、刑を重くするために殺された役人の親族がでっち上げたのだろうが、それに異を唱える術もない。


 男は手足を切り取られ、耳と鼻をそぎ落とされ、生きたまま少しずつ少しずつ切り刻まれて死んだ。

 彼を英雄視していた者達も、これを見て恐れおののき、一斉にひれ伏して


「皇帝万歳!万々歳!!」


 と叫んで再び朝廷に忠誠を誓った。

 後で聞いた話では、処刑された男は賞金目当てに裏切られ、密告されたらしい。



 人々の役人を恐れ憎む心は非常なものだったが、それでも人々は皇帝を批判することはなかった。

 批判すればただでは済まないのはもちろんだが、

 人々は、皇帝は本当は善良な人であって、民の窮状を知らないだけで、悪賢い臣下に耳目をふさがれ、だまされ操られているのだと信じていたからである。

 そんな訳で、人々の憎しみは役人や皇帝の側近たちに集中し、殺しても飽き足りない思いであった。



 魏忠賢が幼い頃、父からお使いに出された事があった。

 帰り道を歩いていると乞食がいた。

 かわいそうなのでお金をあげた。

 良いことをした後は気分がいい。家に帰って、得意げに父に話した。

 ところが父は烈火の如く怒った。


「お前は怠け者なんかに俺の金をやったのか!!」


 魏忠賢はうろたえた。

「しかし父さん、僕は仁義の施しを・・・」


「何が仁義だ!!乞食なんざ、働かないから乞食になるんだ!そんな怠け者にやる金なんてあるか!その金はお前のか!?俺が働いて稼いだ金だ!!

取り返してこい!いや、もう逃げたに決まってる。おい、そこに直れ!!」


 父は魏忠賢をしつけ用のムチでムチ打った。

 それ以来、魏忠賢は二度と、タダで施しはしなかった。




 成長した魏忠賢は働かず、博打を打って過ごした。

 真面目に働いても役人に持っていかれるのだ。馬鹿馬鹿しい。

 魏忠賢もまた、他の人々がひそかに持っているのと同じ願望を持っていた。


 すなわち、奪われる側から、奪う側に回ることである。


 そうすれば今度は自分が人々から憎まれる側になるが、武力さえ持っていれば心配ない。

 ・・・とはいえ、役人になるには競争の非常に厳しい科挙に合格しなければならない。

 読み書きさえできない魏忠賢には不可能だった。

 もう一つ、道があるにはある。


 それは、宦官になる事だ。


 宦官とは去勢された男の役人で、朝廷で使われる使用人である。

 中国の歴代王朝に、宦官の存在しなかった時代は無いと言っていい。

 なぜかといえば、宮廷には後宮というものがあるからだ。

 後宮とはつまりハーレムで、歴代皇帝はこの後宮に各地から集めた美女をかこってきた。

 皇帝になれば、女には不自由しないわけだ。

 その後宮の管理を他の男に任せるわけには行かない皇帝は、宦官を各地から集め、後宮の管理にあたらせてきた。


 それだけでなく、皇帝の私生活の場である内廷で使っているのは宮女と宦官だけで、世継ぎの皇帝は彼らに囲まれて成長する。

 内廷において、真の男は皇帝のみなのである。去勢された者は性格が従順になるし、子がないからその一族が次第に勢力を増して皇帝の地位をおびやかす恐れもない。


 要するに宦官は、皇帝にとって安全な相手なのだ。



 ところで宦官は、民衆からは役人と同じかそれ以上に憎み嫌われていた。

 なぜなら宦官もまた皇帝の権威をかさに着て民衆を虐げているからだ。

 さらに、役人はしょせん内廷にまでは入り込めないが、宦官は内廷に住み込み、かの善良な皇帝をだまし操っている。

 この悪政は、すなわち宦官の悪政なのだという訳だ。


 しかし、役人と違って宦官は、去勢さえすれば誰でもなれる。もちろん手術には命の危険が伴うが、それさえ越えれば一気に奪う側に回れ、全てが思いのままだ・・・

 人々は宦官を蛇蝎の如く忌み嫌い、また同時にひそかにうらやみ妬んでいたのだった。


 そのため、我が子を去勢して宮廷に送り込み、また自ら去勢して一攫千金を狙う者が跡を断たなかった。


 とはいえ、その先は宮廷の奥深く、彼らがその後どうなったのかはほとんど分からない。

 ある者は富貴を得て人々の羨望を集め、ある者は消息の知れないままだった。

 人々は宦官を憎み蔑み、歴代の儒家もまた宦官を攻撃してやまない。

 世間から隔絶された世界に生きる宦官の情報はほとんど人々の耳に入らず、不気味なベールに隠されていた。



 ある時魏忠賢は博打で大負けし、多額の借金を負った。

 なんとか返そうとするが返せるはずもなく、借金取りに押し掛けられ、家族から恨まれ、魏忠賢は追い込まれた。


 そして魏忠賢は決意した。

 宦官になろう。

 宦官になれば、一攫千金も夢ではない。

 彼は手術業者の所にいった。


 手術業者もまた、人々から不気味がられている。

 街の外れにある陰気な建物に行くと、何やら怪しく恐ろしげな雰囲気であった。

 しかし魏忠賢は怖いもの知らずの無頼の徒、返す当てでまた借金をし、その金を業者に払って手術を受ける。


 手術の準備を手際よくすませ、命を落としてもいいという誓約を魏忠賢がすると、いよいよ切る前に、業者は感情の抜け落ちたような目で魏忠賢を見て言った。


「後悔しないな?俺を恨まないな?子孫が絶え家が絶えてもそれはお前の責任だぞ」


 三度その質問をして確かめると、業者は一気に魏忠賢の生殖器を切り取った。


 瞬間、魏忠賢は絶叫して気を失った。

 再び激痛で目が覚め、いろいろ後の処置をして、腰を布でぐるぐる巻きにして寝かされた。

 魏忠賢はショックを受けた。

 今まで怖いものなしだと思っていた。手術が苦痛を伴うものだとはわかっていたはずだ。


 しかしこの世にあれほどの苦痛があるとは思わなかった。

 覚悟を決めていたのに叫んで気絶してしまったことで動揺し、自信を失った。

 さらに死の恐怖が襲ってきた。

 このまま血が止まらずに死ぬかもしれない。


 それから三日間は食べ物も水ももらえなかった。

 苦痛は延々と続いて夜も眠れない。

 飢えと渇きと痛みでのたうち回り、この無防備な状態を思って戦慄した。

 彼は今まで無頼の生活を送っていたので彼は危険に敏感であった。

 いつ襲われてもいいように用心していたのに、こんな立つことさえままならない状態で誰かに襲われたらひとたまりもない。

 今まで感じたこともないような恐怖と苦痛に圧倒され、一秒一秒が長々と恐ろしく辛く、苦業のようだった。




 ・・・傷が全回復するのに三ヶ月かかった。

 鏡に映してみると、魏忠賢はひげが無くなり、喉仏が引っ込んで全体的に体が丸くなっている。声を出してみると、ニワトリのような甲高い異様な声になっている。

 力も前ほど出なくなっていた。


 だが何より変わったのは心であった。

 手術後は精神が安定せず、突然怒りが爆発したり、死ぬ程落ち込んだりした。

 落ち着いてきた後も、もうかつての自分ではなかった。

 前は恐ろしくもなかった事が突然恐ろしくなり、自分の心の内に卑屈な気持ちの生じている事に魏忠賢はがく然とした。


 それにあの苦痛と恐怖の記憶はしっかりと体に刻み込まれ、一生忘れられそうになかった。

 世界は前にも増して恐ろしい所になり、魏忠賢の防衛本能は以前より格段に上昇した。

 しかしゆっくりする暇もなく、彼は宮廷に送り込まれる事になった。

 入る前は自信があったが、今や宮廷が恐ろしかった。


 しかし、もう後戻りはできない。

 魏忠賢は蜘蛛の巣に足を踏み入れてしまったのだ。






 魏忠賢が宮廷に入って驚いたのは、宦官の大部分が貧しい事だった。

 下級の宦官は、満足な食事も睡眠もとれず、擦り切れた服を着てろくに風呂にも入れず、まるで乞食のようだった。


 魏忠賢の抱いていた富貴のイメージとは似ても似つかない。

 しかし、全体の1割にも満たない高級宦官を見てなるほどと思った。


 彼らは豪華な刺繍の施された服を着て人々がかつぐ輿に乗り、大勢の供を従え、宦官なのに宮女をはべらせていた。

 体つきも肥っていて、とても貧しい食事をしているようには見えない。

 辺りをへいげいし、下級宦官や宮女をあごで使う姿は、まさに魏忠賢のイメージしていた宦官そのものであった。


 しかし、彼らの目にもまた、下級宦官と同じものがひそんでいるのに魏忠賢は気付いた。

 すなわち恐怖である。


 彼らはどんなに羽振りが良くとも、常にその下に恐怖を押し隠しているようだった。

 下級宦官も同じだった。

 彼らは大部分が幼少の頃、一攫千金を狙ったり借金を抱えたりした親に去勢されて宮廷に送り込まれた者たちだった。

 彼らは常に何かに怯え、うつろで殺那的な目をしていた。彼らはねたみ深く猜疑心が強く、卑屈で口先が上手く、子供や小動物には優しいが、時折非常に残忍な面をみせることがあった。


 魏忠賢はそこに自分と同じものを見た。

 彼らもまた、この危険と敵だらけの世界に怯え、他人がどうなろうとも、自分だけは何とか恐ろしい目にあわずに済むようにと願っているのだ。

 もっともこれは、宦官に限らず、宮女たちにも、役人たちにも、今まで見てきた市井の人々にも、多かれ少なかれ当てはまる事ではあった。




 宦官の世界もまたきっちり階層化されていて、上司の宦官には絶対服従が要求された。

 その上司もまたその上司に絶対服従、宦官たちは一家の如くであった。もちろん宦官たちは皆、皇帝や皇族の女性たちには絶対服従である。

 魏忠賢は先輩宦官の下に付いて、宮廷の礼儀作法をたたき込まれた。

 その他にもいろいろと先輩の気まぐれに応えなくてはならない。気に障れば容赦なく打たれた。

 朝から晩まで宮廷の掃除や雑用をこなし、夜はへとへとになって倒れこんで眠り、少ししか眠れずまた朝早く起きなければならない。

 その上手術の後遺症で排尿がコントロールできず、何度も失禁した。

 上司を含めあらゆる人間に頭を下げ屈従し、ちょっとでも気に入らない事があるとすぐ打たれる。

 宦官とは本来使用人に過ぎない。

 皇帝や皇后らは宦官に対して、いつでも好きなように、気まぐれに私刑を加える事ができた。

 蹴られたり物を投げ付けられたりすれば幸いである。


 杖刑(じょうけい)という刑がある。要するに棒で打ち叩く刑だ。

 使われるのは太い竹の棒で、あらかじめ水に浸けておき、水を吸って重くなった竹で、うつぶせにさせられた宦官の太ももを打つ。

 この棒の威力は大したもので、一打ちすればたちまち血が吹き出す。

 十回打てば立って歩けなくなり、数十回も打てば大抵の者は死んでしまう。

 横では係の者が規定の数だけきっちり打つよう一打ちごとに数を数え、

 打たれる者は一打ちされるたびに


「私めをお許しください!

 もう二度といたしません!!」


 という意味のことを叫ぶ。

 この刑を受けて死ぬ者が多かったが、前述の通り、新たに送り込まれてくる宦官は跡を断たない。

 替えはいくらでも効くのだ。

 もちろんこの刑を受けるのは宦官に限らず、宮女でも、官吏でも、皇帝や皇族の有力者の怒りを買えばこれをくらった。

 宮廷で働く者達は革製のハンカチの様なものを常に持ち歩いていて、打たれる時にはこれをズボンの下に忍ばせた。

 彼らはこれを「護身布」と呼んでいた。これは必需品で、まさに命がかかっていた。

 宮廷に仕える者でムチ打たれた事の無い者は一人もいないと言っていいほどだ。

 魏忠賢も、何度も打たれた。

 もちろん杖刑だけではない。

 酷刑はいくらでもあるし、皇帝や皇帝に取り入る高級宦官はそれを恣意的に運用できるのだ。


 大逆罪でもかぶせられれば、あの役人殺しの男と同じ目に遭う。

 そうなりたくなければ、皇帝や皇族の有力者に気に入られなければならない。


 それには、へつらい、迎合し、奴隷に徹することだ。

 かといってあからさまに過ぎるとかえって逆効果だ。

 相手の心の微妙な動きまで見通し、命がけでへつらわなければならない。

 このような毎日で魏忠賢のプライドはズタズタにされた。

 しかし、もちろん勝手に辞職して故郷に帰ることなど許されない。

 奴隷だからだ。

 追放されれば宮廷を出れるが、宮廷の外に、庶民に憎み嫌われている宦官の生きる場はほとんどなく、それ以前に財産を貯めていなければ、寺院や道観(道教寺院)に身を寄せる者が多かったが、それもお布施を払える者に限られ、それさえ払えなければのたれ死ぬしかない。

 脱走すれば死刑、自殺すれば連帯責任で仲間が死刑・・・


 魏忠賢は生きた心地もしなかった。


 何より残酷なのは、あの手術は一度きりで終わりではなかったということだ。


 生殖器が切り取られた跡は、治ってくると場合によっては再び生殖器が回復してくることがある。

 幼少期に手術をうけた者は、特に回復することが多かった。


 そのため宦官は定期的に検査を受けなければならず、少しでも「元に戻り」かけていればそれは容赦なく削り落とされた。


 あの苦痛も一度きりだと信じていた魏忠賢は戦慄した。

 もう一度、あの苦痛を・・・?

 それだけは絶対に避けたかったがそれも叶わず、結局また手術を受けなければならなかった。


 しかし例の高級宦官たちはこの定期検査を免れているらしかった。

 彼らは皇帝に寵愛されているので、ワイロを払って逃れているらしい。

 しかし、その彼らも最初は下級宦官だったのだ。


 彼らは、この生き馬の目を抜く宮廷の血みどろの暗闘を生き延び、今日の栄華を手に入れたのだ。

 宦官たちは誰もが少しでも上を目指し、最下層の地獄から抜け出そうとした。


 しかし前述の通り、高級宦官は全体の1割にも満たない。

 彼らの栄華の陰には、名も知られぬ無数の宦官の屍が横たわっているのだ。




 さて、彼ら高級宦官がどうやって今の地位に上り詰めたかといえばそれは皇帝や皇后の寵愛をうけているからに他ならない。

 もっと言えば、要するに皇帝と仲が良いからだ。

 命がけで磨いたへつらい、媚を売り、取り入るテクニックを使って彼らはのし上がったのだ。

 彼らの力の源泉はひとえに皇権によっている。

 だからその後ろ盾を失えばたちまち転落してしまうのだが、たとえ一瞬でも地獄を逃れ栄華を得ることができればそれで構わない。

 魏忠賢はそう思った。


 屈辱や酷刑を免れ、悲惨な最期を遂げる事なく一生を終えられれば幸福といえる宦官の人生では、これだって望み過ぎなくらいだ。




 さて、文字さえ読めない魏忠賢も、人の心を読み、本心を押し隠して演技をする能力には長けていた。

 さらに彼には一度覚えたことは忘れないという特技があった。

 博徒だった頃に培われた能力だが宮廷では誰かのくせや好きなもの嫌いなもの、複雑な人間関係を覚えるこの能力は大変役に立った。人の心を読む能力や演技力は言うまでもなく必須である。


 魏忠賢の指導係である宦官は魏朝といった。

「魏」の姓はこの魏朝からもらったとも言われる。


 やがて魏忠賢は、皇太子の長子である朱由校(しゅゆうこう)の母、王才人の世話を命じられた。

 これだけでも相当の出世である。

 魏朝もまた大物宦官であった。魏忠賢は魏朝が有力者とみて取り入ったのである。

 魏忠賢の誰が有力な人間か見抜き、本心を隠して取り入る能力は、暗闘が常の、一寸先は闇の宮廷で鍛えぬかれていた。そうでなければ、この頃までには死んでいただろう。



 魏忠賢を信頼した魏朝は、大物宦官の王安に魏忠賢を推薦し、王安も彼を目にかけた。


 宮廷の暗闘をくぐり抜けてきた彼らでさえ、魏忠賢の面従腹背には気付かなかった。



 魏朝は、朱由校の乳母の客氏(かくし)と親しかった。

 これを見て魏忠賢はひそかに客氏と親交を深めた。

 朱由校は、皇帝の長子たる皇太子の、そのまた長子である。

 順に皇位が巡れば、朱由校が皇帝になり、育ての母といえる客氏の影響力は大きい。

 その客氏と仲が良ければ、つまり皇帝に影響力を行使できる。

 操ることだって不可能でないし、それでなくとも身の安全は保証できる。


 客氏と魏忠賢は気が合った。

 客氏にはアウトローの風があり、元博徒の魏忠賢は彼女に賭博のテクニックを教えて、宮廷で行われている賭博で彼女を大勝ちさせた。

 いわば博打仲間で、アウトローな二人は仲良くなった。

 魏忠賢の方も、宦官仲間とよく博打を打っていた。

 宦官たちの間では、広く賭博が行われていたのだ。宦官たちは、運がものを言うゲームを好んだ。


 一方、魏朝は自分が先に取り入っていた客氏に魏忠賢が手を出した事に怒ったが、魏忠賢は先手を打って、うまく王安に魏朝のことをざん言して、魏朝を宮廷から追放させた。

 魏忠賢の裏切りだった。




 魏朝を追い落とした魏忠賢は客氏との親交を深め、やがて二人は「対食」関係になった。

 対食とはつまり夫婦である。

 宦官も結婚するのだ。

 宦官と宮女は結婚している者も多かった。もちろん子供はいないが、ある種似たような境遇で生きている宦官と宮女の夫婦は仲睦まじく、普通の夫婦よりずっと固い絆で結ばれている者達も多かった。



 客氏を通じて魏忠賢は朱由校と親交を深めた。

 やがて朱由校は客氏と魏忠賢に信頼を寄せるようになり、三人は親密な関係となった。


 魏忠賢は朱由校のため手足のように惜しみなく働いた。

 朱由校のためならどんな悪事でもやった。

 もちろん客氏との関係も損なわないよう細心の注意を払った。





 やがて皇帝が崩じ、朱由校の父が皇帝となった。泰昌帝である。

 ところがこの泰昌帝は即位後一年で崩じ、朱由校が立って皇帝となった。


 天啓帝である。


 ついに、魏忠賢の時代が来た。


 天啓帝の寵愛を受けた魏忠賢は一挙に大物宦官となったのである。

 もう、定期検査も受けなかったし、掃除や雑用もしなかった。

 彼はもっぱら天啓帝の相手をして過ごすことができた。


 魏忠賢は毎日、芸者や歌妓を皇帝に引き合わせ、宮廷の馬を弓で射たせたりして、皇帝を放蕩にふけらせ、政治をかえりみないようにさせた。

 一部の役人が皇帝をいさめたが、逆に皇帝は怒って彼らを追放した。


 しかし皇帝に信任されていたのは魏忠賢のみならず、いまだ健在の王安もそうであった。

 また王安は真面目な人物で、王安の推薦した官僚が多く政府のポストについており政治は安定していた。


 さて、王安は魏朝を追放した事を後悔し、魏忠賢を危険視し始めていた。

 魏忠賢は自分の立場の危うさをよく分かっていた。

 そこで今回も先手を打って王安を暗殺し、王安の任用した官僚を辞めさせた。

 といってももちろん魏忠賢がその権限を持っているのではない。

 彼は皇帝に言って辞めさせたのである。

 彼は「皇帝陛下の命令」を伝えればよかった。


 そう、彼はついにあの「皇帝を操る宦官」となったのだ。


「皇帝の権威をかさに着る」事ができるようになったのだ。


「奪う側」に回った!!


 王安を消したことで、魏忠賢と客氏の地位は他に並ぶ者がなくなった。皇帝の唯一の腹心となったのだ。


 この世で最高の権威をバックにつけた魏忠賢は、皇帝との関係を損ないさえしなければもう何も恐れるものは無いはずなのだ。


 魏忠賢は絶対に過去に戻る気はなかった。絶対に。


 絶対に自分が頂点に立っていなければならない。

 下層にいればあらゆる苦痛を一身に受ける。

 上にいれば安全だ。

 絶対に上にいなければならない。

 権力を手放してはいけない。絶対にだ。

 戻れば地獄しかない。活路は前にのみあるのだ。


 もちろん彼は、今や自分が人々の憎しみの的となった事をよく分かっていた。


 彼の周囲は敵だらけだ。

 身を守らねばならない。

 皇帝の寵愛だけでは不安定に過ぎる。

 武装する必要があった。




 天啓帝の三年、魏忠賢は東廠(とうしょう)という秘密警察のトップに立った。

 東廠は人々に最も恐れられた組織で、国家の安全を守るためとの名目で、いつでも自由に秘密裏に、人々を逮捕、拷問、処刑できた。

 この東廠を牛耳ることで、ようやく魏忠賢は多少安心することができた。

 彼は東廠の大物たちと親子の盃を交わし、自分と皇帝に忠誠を誓わせ、代わりに彼らにあらゆる便宜をはかってやった。


 漢民族の習慣では、誓いを立てる時血をすすって誓いを述べる。

 東廠の大物たちは自らの血を盃に垂らし、魏忠賢も自らの血を盃に垂らしてそれを飲み干し、言った。


「諸君らは、大明帝国の安全を守るという大任を負っている。

 私は専横しようというのではない。ひとえに大明のためを思っている。

 お前達も大明のため、皇帝陛下のために私に協力してくれ。」


 東廠はさながら太祖の時代のごとく、宮廷から庶民の生活に至るまで監視の目を光らせ、人々はちょっとしたことですぐ逮捕、拷問、処刑された。


 もちろん魏忠賢はこれを利用し、自分に反対する者達を次々に処刑した。


 殺られる前に殺らねばならない。

 彼らが力を持てば逆に自分の方が処刑されるのだ。

 彼は徹底的に敵を弾圧した。

 皇帝の親族でさえ処刑されたのだから、魏忠賢の権威は今や皇帝のごとくであった。

 もちろん彼に抵抗する勢力があり、かつて王安の信任を受けた官僚や、宦官排斥を訴える者達や、国を憂える廷臣達があり、


 彼らの代表的な集団として「東林党」と呼ばれる官僚集団がいて、魏忠賢一派に抵抗した。


 しかし今や魏忠賢一派は東廠のみならず宮廷のすみずみにまで存在しており、東林党や東林党とみなされた者達は次々に逮捕、拷問、処刑されていった。

 人々の同情が東林党に集まったのは言うまでもない。


 追及は庶民にまで及んだ。


 ある男が仲間と酒を飲んでいるとき、魏忠賢の悪口を言った。

 仲間は

「どこで聞かれているかわからないぞ」


 と言って止めたが、男は


「魏忠賢がなんだ。

 奴に俺の皮が剥がせるか!」


 と言った。

 その夜、その仲間たちは突然東廠の役人に起こされ、ある場所に連れていかれた。

 彼らが恐れおののいていると、そこへ魏忠賢その人が現れ、彼らは一斉に平伏した。

 魏忠賢が合図すると、昼間魏忠賢の悪口を言った男が役人達に連れて来られ、仲間たちの目の前で全身の皮を剥がされて殺された。


 そして魏忠賢は笑って、殺した男の仲間たちに金を与えて言った。


「お前たちは、こうならないように気を付けろよ。」


 彼らはがたがた震えながら何度も叩頭(土下座して頭を地面に打ちつける礼)して、何度もお礼を言いながら引き下がった。


 またある男は、娼家で妄言を吐いたために満州族のスパイにでっち上げられて処刑され、「満州族の破壊活動を事前に防いだ」と宣伝された。


 子供の脳を食うと生殖器が再生すると聞いた魏忠賢は、適当な罪状で捕まえた四人の子供を殺し、その脳を食ったといわれている。




 無論、魏忠賢は防御を万全に施していた。

 政府の要職に彼と盃を交わした手下をつけ、宮中では鎧を着て武装し、屈強で信頼できる手下に常に身を守らせていた。

 ひそかに毒と短刀を常に身に付けていたが、これは戦うというより自殺用である。


 自分自身が幾多の人間を拷問し殺しているのだから、自分が生きたまま敵の手に落ちればどうなるかは嫌ほどわかっている。


 しかし、やらなければ自分がやられる。

 この世は万事食うか食われるかなのだ。


 彼が生まれる前のことだが、自分と同じように専横を極めた宦官劉瑾が最期はどうなったか知らない魏忠賢ではなかった。





 全盛期の魏忠賢は、外出する時(本来、宦官は自由に外出することもできない)、天蓋付きの豪華な馬車を四頭の馬に引かせ、市中をドラの音を響かせながら疾駆し、左右を近衛兵に守らせ、料理人、俳優、道化師、召使いらの長い行列を従え、夜になれば辻ごとにお供の者が提灯を持って出迎えるといった風であった。



 権勢にあやかろうとする人々は魏忠賢を褒めたたえ祭り上げ、彼を孔子と並べて祭るべきだと奏上した者もいた。

 魏忠賢はついに生きながら神として祭られ、自ら「尭天舜徳至聖至神」と名乗り、全国各地に彼を祭る祠が建てられ、人々は魏忠賢に対して


「九千歳!!」


 と叫んだ。

「万歳」は皇帝にしか使えないからである。

 しかし彼は今や皇帝も同然であった。そして、客氏は皇后といった所であった。




 天啓帝は大工仕事が趣味であった。

 魏忠賢は皇帝が大工仕事をしている時に政治の相談をする。

 皇帝は邪魔されたくないので


「お前の好きなようにやれ」


 と言うのが常だった。

 このようにして魏忠賢は勝手に政治を動かせたのだが、ある時いつものように大工仕事中に魏忠賢が話し掛けると、皇帝は笑って言った。


「俺が作業中に政治の話を持ちかけるのはやめろと言っただろ。

 わかってるさ。俺はお前を信用している。

 お前の邪魔はしないから、好きにやれ。」


 魏忠賢は笑って、

「やはり陛下にはかないませんな」


 と言って下がった。




 皇帝は作業を続けた。

 実の所、彼は魏忠賢がなにをやっているか知らない訳ではない。

 彼はそれを黙認していたのだ。


 魏忠賢が恐怖政治をやっているのは知っている。しかし、それが何だというのだ?

 少なくとも魏忠賢は自分の敵ではない。

 魏忠賢が自分の政権を支えてくれている事には変わりないのだ。


 彼にはそれで十分だった。


 そうだ、恐怖政治が何だというのだ。

 そんな事は、明が始まった最初の時に、すでに太祖洪武帝がやっている。

 そのおかげで大明の皇権は安定したのだ。


 自分はその太祖の子孫だ。

 どうして太祖を誹謗できよう。

 もしそのやり方が駄目なら、その時この大明帝国も滅ぶのさ・・・

 彼は木くずをフッと吹き払った。







 栄華を極めた魏忠賢も没落はあっという間だった。

 天啓帝が崩じ、彼は後ろ盾を失った。

 しかも天啓帝には子が無く、天啓帝の五番目の弟である朱由検が次の皇帝となった。崇禎帝(すうていてい)である。


 魏忠賢にとっては最悪の事態だった。

 崇禎帝は魏忠賢の専横を憎んでいたからである。先代の崩御後、さっそくかつての敵の生き残りが皇帝の面前で魏忠賢を弾劾し、魏忠賢の「十の大罪」を数え上げた。


 ひれ伏した魏忠賢が目を上げると、皇帝と目が合った。


 皇帝の目には、紛れもない憎悪があった。

 魏忠賢は終わりを悟った。


 仲間に仲介させ、許しを求めさせたがその仲間も追放された。

 もはや決定的だった。



 先帝の死から三ヶ月後、魏忠賢は鳳陽(ほうよう)という土地に赴くよう命じられた。

 鳳陽にある太祖の父母の墓地の視察という名目であった。

 もちろん魏忠賢は信じなかったが、皇帝の命令に逆らえるはずもない。

 宮廷には仲間も多くいるが、鳳陽には手薄だ。





 鳳陽の阜城に来た時、彼の手下が告げに来て言った。


「皇帝は、あなたに追っ手を差し向けています。

 宮中では手が出ないので、ここであなたを捕えるつもりでしょう。」


 魏忠賢はため息をついて言った。


「ご苦労だった。お前はもう帰れ。」


「しかし・・・」


「もう手遅れだ。さあ行け。」


 一緒に来ていた仲間の李朝欽(りちょうきん)が言った。


「どうするんだ・・・」


 魏忠賢は言った。

「どうしようもない。

 自殺しよう。」


 李朝欽にも異論は無かった。

 捕まればどうなるか、考えたくもなかった。


 李朝欽は先に首を吊って死んだ。


 魏忠賢が空を見上げると、もう夕暮れになっている。

 彼の運命のごとく、日は傾き、止めようもない。


 彼も首を吊ろうとして踏み台に上がったが、そこで彼は自分の腕の肉を食いちぎった。

 血があふれ出る。

 その血をすすると、魏忠賢は血に染まった顔を宮廷の方角に向けて呼ばわった。



「皇帝!!皇帝!!よくもこの俺を滅ぼしやがったな!!


 だが見ていろ、死人に何も出来ないならこれまでだ。


 だがそうでないなら、俺は誓う!


 俺は必ず悪鬼になって、この大明帝国を滅ぼしてやる!!!」



 そう叫ぶと、空は丁度かき曇り、暗天に雨が降りだし、雷が鳴った。


 それを見届けると、魏忠賢は首を吊って死んだ。






 その後客氏は死ぬまでムチ打たれて殺され、魏忠賢の一族は皆殺しとなった。


 崇禎帝は混乱した国政を建て直すべく、魏忠賢の敵だった東林党関係者を登用し、人々は皇帝の英断に快哉を叫んだ。


 しかし、崇禎帝は猜疑心が強すぎて政策をうまく進められなかった。

 満州族から国境を守っていた名将、袁崇煥(えんすうかん)をざん言を信じて殺す失策をやり、宮廷では東林党と旧魏忠賢派の利権争いが繰り返され、政治は荒廃し、やがて再び旧魏忠賢派が返り咲いた。


 そうしているうちに農民の反乱軍が起こって首都を制圧し、崇禎帝は自殺して明は滅んだ。

 そしてすぐ、名将袁崇煥がいなくなって手薄になった北方から満州族がなだれ込んできて反乱軍を滅ぼし、そのまま中国全土を征服し、「清」王朝の時代となった。



 明が滅んだのは1644年。


 魏忠賢の死から17年後だった。






 完

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[良い点]  まさか魏忠賢に感情移入することになるとは……  驚きましたー  小説として面白かったです。  現実にいたらヤバイですが(笑) [気になる点]  字下げしてあるともう少しみやすいと思いま…
[良い点] 魏忠賢の事が知りたくて検索したら、こちらがヒットしたので拝読させていただきました。 魏忠賢が書かれた小説が、商業誌を含め、見当たりませんでしたので、 そこが良かったです。 [気になる点]…
[一言] 私も中国ものを書いたりしますが、宦官の扱いには気を遣います~。 専横をはたらいた宦官が最期がどうなるかわかっていて、昇りつめ、破滅の恐怖から弾圧を続けなくてはならなかった魏忠賢の悲哀を感じま…
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