表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

後編

2025.05.10 一部の描写、人物の台詞を加筆・修正。

 探偵姫の熱情溢れる言葉に、若い騎士たちは思考の海に沈み込む。拓真は目を閉じてソファにもたれかかる。修平は眼鏡を外すと、瞼を抑えた。征四郎は腕を組んで小さく唸り出し、稔は顎を撫でた。涼は小さな体を長いソファの上にごろりと転がすと、天井を無言で見つめた。彼らはいつになく真剣な表情だった。それはただ単に少女の歓心を買うためだけではなく、難題に挑む義務を課せられた人の上に立つ人間としてのプライドから生じた行動だった。

 そんな中、ただ一人、真砂昴だけがいつもと変わらない調子だった。


「ドーナツのお代わりはいかがですか?」

「いただきます!」

「私もいただきます」


 マネージャーの申し出に、昴は勢いよく答える。皐月は目を輝かせる少年に優しい眼差しを向けた。

 しばらく経って、稔が訊ねた。


「加西いろりを殺害する動機のある人間は、他にいなかったのかな? 彼女を嫌っていた人間とか」

「そうだな、嫌っていたというのは語弊があるが……とても二面性が強い人間だと云われていたらしい」

「二面性?」

「加西いろりとして人前に出ている時の彼女は非常にストイックで、煩わしいことには一切関心を寄せず、人間嫌いのように思えるほどだという話がある。先程も言ったが、雑誌のインタビューも芹沢が仲介して仕方なしに受けていた。だが、素顔である小原莉奈として人前に出た時は、元来の社交的な性格が表に出てとても明るかった。小原莉奈と加西いろり。二つの顔をはっきりと使い分けしていたのだ」

「アーティストとしての顔を加西いろりに集約したのかな」

「そういう顔を使い分けるところがいかにも芸術家らしいと好ましく思う者もいたが、気難しいと考える者もいたそうだ。だが、そのせいで殺意を抱くような揉め事はなかったはずだ。あったなら警察も既に辿り着いていただろう」


 修平が手を挙げた。


「アトリエは全焼したそうだけど、何か盗まれていたということはないか?」

「金目の物が盗まれた形跡はなかった。住宅部分に金庫はあったが、中に入っていた証券類と貴金属は無事だった。亡き父親から相続した物だな。ただ――」


 皐月は修平の顔を見た。


「一つ気になることがある。実は、事件の二年ほど前から加西は芹沢に妙な頼みをしていた。一部の作品について、売れたときに金を指定の口座に振り込むのではなく現金で欲しいと」

「現金で? どうして?」と、拓真が頭に疑問符を浮かべた。

「芹沢はその理由を訊いたが、はぐらかすばかりで答えてくれなかったそうだ。彼女がこの金を何に使ったのか、一切明らかとなっていない」


 征四郎が口を開いた。


「なあ、思いついたことがあるんだけどよ。黒田明沙は繁華街の(ワル)どもとつるんでたんだよな。だったら、奴がそいつらを雇って殺させたってこともあり得るんじゃねえのか?」

「勿論その可能性も検討したらしい。黒田明沙と関係のあるごろつきどもの事件当日のアリバイも確認した。だが、彼らもその日繁華街で遊んでいる姿を多数から目撃されている」

「やっぱ駄目か」と、征四郎はがっかりした。

「そういえば気になったんだけど」


 稔が何かに気づいたように言った。


「黒田明沙ってのは悪党から好かれるような女だったのかな?」

「美人だったのかもな。写真はあるか?」

「これだ」


 皐月が出した写真には、一人の少女が写っていた。学校の制服に身を包んだ、地味で陰気そうな女だ。シャープな輪郭の小さい顔に黒縁の眼鏡をかけている。印象だけで語るなら文学少女のようだ。目は小さくて覇気がなく、ひ弱そうに見えた。


「素材は悪くなさそうだね。化粧すれば綺麗になるんじゃない?」

「これが後々繁華街で遊び歩く悪い女になるのか。分かんねえな」


 征四郎と涼は、写真の少女を見て感想を言い合った。


「うーん、明沙本人の犯行は無理。ごろつきを使うのも駄目。じゃあ、他に可能性ってあるかな?」


 稔がお手上げだと言わんばかりに体をソファに投げ出した。


「いや、一つ検討していない可能性があるんじゃないか?」


 突然、拓真がはっとして目を見開いた。


「そんなのあったかな?」と、稔が体を投げ出したまま、顔だけ上げた。

「加西いろりが自殺したという可能性だ」


 場がどよめいた。

 修平が呆れたように溜息を吐いた。


「自殺? 何故そんな話になるんだ」

「加西の遺体にはナイフが刺さったままだったんだろう? それなら、彼女自身が胸をナイフで刺した後、そのまま池に身を投げたという可能性も考えられるんじゃないか?」

「どうして加西が自殺しなきゃならねえんだ? 自殺の動機は何なんだよ?」

「絶望だ」と、拓真は征四郎の問いに答えた。

「加西いろりは、子どもの頃に母親が死んでから父親と折り合いが悪く、内側に昏い感情を溜め込んでいた。表向きには明るい性格で通していたが、本当はずっと精神に不安定さを抱えていたんだろう。彼女はそれを創作活動に打ち込むことで発散した。だけど、それでもなお負の感情を消し去るには足りなかったんだ。さっき小原莉奈と加西いろりの顔を使い分けている話があっただろう? あれも彼女の不安定な精神の表れだったんだ。どうにか耐え続けたけど、ついに限界が訪れた。事件の夜、芹沢と逢った時の加西は穏やかな顔をしていたのは、すべてを終わらせる決心をしたからだ。問題を解決する目途が立ったと言っていたのも、それを指していたんだよ。彼女は“明沙の問題が解決する目途が立った”とは一言も言ってないからね」

「はー、成程」


 涼は感嘆を漏らした。


「自殺か。そう考えると確かに辻褄は合う」


 稔も賛同の意思を見せた。

 逆に、反対意見を出したのは征四郎だった。


「それだと火事の方はどうなんだよ? まさか自殺と同じタイミングで偶然火事が起きたってのか?」

「そんなわけないさ。火事も加西自身で仕組んだんだよ。プラグに火事が起こるような細工をして、自分が去った後に自動で火がつくようにしたんだ。自分の人生の痕跡を完全に消し去るためにね。それに問題行動を改める気のなかった明沙を殺す意図もあった。彼女が寝ている間に焼け死ぬように」


 征四郎は、拓真の推理を頭の中で検討し直した。たっぷり三十秒ほど考える間、修平も同じように考えていた。しかし、最後には二人同時に降参した。


「駄目だ。反論が思いつかねえ」

「悔しいがこれが真実だと思う」


 拓真は勝利を確信する笑みを見せた。自分はついにやった、と勝鬨を上げたい気分を必死に抑えた。

 彼は愛する少女の反応を確かめようと視線を動かした。

 ところが、探偵姫の瞳には冷静さがあり、無感情のようであった。

 彼女は拓真の目を見て訊ねた。


「拓真。もし、加西いろりが自殺であるならば、遺書がないのは何故だと思う?」

「単純に残さなかっただけじゃないか?」

「自殺するなら、わざわざ車で一時間近く離れた公園まで行く必要はないと思うが? アトリエとともに炎に包まれるのがもっと簡単ではないのか? 縁もゆかりもない場所で自殺するのは不自然だ」


 拓真は一瞬言葉に詰まったが、どうにか言葉を絞り出した。


「焼身自殺は苦しいというし、火は避けたのかも……」

「ならば、アトリエで自分にナイフを刺せばいいだろう。死んだ後で火が回ろうとも気にする必要はない」

「ええと……」


 拓真は視線を泳がせた。彼はライバルたちに助けを乞うように目を向けたが、彼らは代わりの答えを持たなかった。

 ついに、拓真は諦めた。


「良い推理だと思ったんだけど……」

「悪くはなかった。着眼点は良かったと思う」


 皐月は気持ちの沈んだ拓真を慰めた。


「うーん、やっぱり推理する材料が足りないのかな?」

「見落としがあるのかもしれないな」

「でも、他にどんな可能性があるっていうんだ? 明沙犯人説、芹沢犯人説、ごろつき雇われ説、自殺説。思いつく限りは挙げたはずだろ?」

「それとも、まだ名前の挙がっていない第三者が……?」


 拓真を除いた四人は、顔を突き合わせてあれこれと考え出した。

 皐月は咳払いをした。


「皆、少しいいだろうか。まだ一人、意見を出していない人物がいる」


 皐月はそう言うと、ここまでずっと黙ってドーナツを頬張っていた昴を見た。


「昴の意見も聞いてみようと思う。構わないな?」


 昴は皐月としばらく視線を合わせた後、口の中のドーナツを呑み込んだ。

 彼はテーブルに近づき広げられた資料をじっと見下ろすと、一人でうんうんと頷いた。


「凄いなあ」と、昴は呟いた。

「何が凄いんだ?」


 拓真が問うと、昴は加西いろりのインタビュー記事を指差した。


「ほら、女性は化粧をすると変わるって云うじゃない。あれ本当なんだなって。ほら、この記事の写真と卒業アルバムの写真を見比べてみてよ。同じ人には見えないでしょ? 卒業アルバムの方はごく普通の女の子っぽいのに、記事の方は刺々しくて人を寄せ付けない威圧感があるよ。化粧一つでここまで印象が変わるなんてね」


 五人の少年が一斉に脱力した。


(ここまでの話を聴いて、出てきた言葉がそれか……まったく)


 拓真は平静を装って、答えた。


「確かにそうだね。ここまで変わるのは凄いと思うよ」

「新堂もそう思う? いや、本当に馬鹿にできないよ。印象が百八十度変わればまったくの別人に見えるんだから。本当に別人だったとし(・・・・・・・・・・)ても気づけないんじゃ(・・・・・・・・・・)ないかな(・・・・)


 昴が発した言葉に、一瞬男たちが固まった。皐月だけが変わらない様子で、昴の顔をじっと見つめている。


「どういうことだ?」


 最初に我に返った征四郎が言った。


「“加西いろり”として人前に出るときはきついメイクをしているのは、素顔を晒さないため。メディアへの露出を嫌うのも、正体を知られる危険を少なくするため。だから、()は考えたんだよ。加西いろりの正体は小原莉奈ではないと」


 がらりと口調と雰囲気が変貌した昴に、少年たちは困惑した。真砂昴はこんな人間だっただろうか?

 修平が気圧されながらも口を開く。


「加西は莉奈じゃなくて別の誰かだったって? 誰だというんだ?」

「勿論一人しか考えられない。アトリエに住むもう一人の人間、黒田明沙だ。明沙が雇われたのはアトリエに莉奈が移り住んだのと同じ。つまり、加西いろりが活動を開始したのと同じ時期だ。アトリエで実際に創作に励んでいたのは明沙の方だったんだよ」

「明沙が莉奈のゴーストだったというのか?」


 拓真は信じられないと言いたげな表情を作る。


「アトリエを建て、明沙を雇い、同居させた。これらを踏まえると、恐らく父親の小原道郎が裏で糸を引いていたんだろう。明沙を雇ったのは彼だからな」

「だけど、なんで明沙をゴーストに仕立て上げる必要があったのさ!」


 涼は理解できないように叫んだ。


「それを語るには、まず小原家の背景を解き明かす必要がある」と、昴は前置きした。

「小原莉奈は小さい頃に母親を亡くした。父親は金にものを言わせて好きにやって、自分の世話は家政婦任せ。母親代わりに雇ったというが、それで子どもが満足できるはずがない。莉奈は寂しい思いをしただろう。家族愛に飢えていた彼女は、その気持ちを胸の内に押し込めて生きてきた。父親は一応気にかけていたみたいだし、父親の放蕩癖を嫌だと思いつつも縁を切ろうまでは考えなかった。

 ところが、二十歳を前にして思ってもいない事実が判明した。あちこちで女遊びを繰り返していた父親が、他所の女との間に子どもを儲けていたと知ったんだ。しかも、莉奈には隠れて、その母親と子どもに金銭的援助をしていることも分かった。小原氏はトラブルが起きると金で解決していたが、逆に言えばすぐに金を出すくらいには寛容だった。父親の秘密を知った時の莉奈の激情はどれほどだったか、想像に難くない。莉奈は父親から一歳年下の腹違いの妹について訊き出した。あるいは、自分で調べたのかもしれない。妹は母親と二人暮らしで、父親がいない不遇な環境下でもお互い助け合って、懸命に生きてきた。それが莉奈の癪に障った。自分は親の愛情を十分に与えられなかったのに、腹違いの妹は母親との間に愛情を育んでいたのが気に食わなかったんだ。

 だが、その母親は死に、娘は孤独の身となった。それと同じタイミングで莉奈に隠し子の存在がばれてしまった。残された娘に支援したかった小原氏は困り果てただろう。どうにか娘を説き伏せて、アーティストを志す隠し子へ支援を続けた」


 昴が語った内容に誰もが驚きを隠せなかった。皐月は頬杖を突いて「ふむ」と興味深そうに呟いた。サロンのマネージャーは目を細めて、話の続きを待った。


「明沙が莉奈の妹……?」と、拓真が絞り出すように声を出した。


 昴は頷くと、テーブルの上から二枚の写真を拾い上げた。莉奈の写真と、明沙の写真だ。


「この二人の顔を見比べてみろよ。顔立ちが似てるだろう? どちらも小顔で顔のラインがすっきりしている。目は小さいのも同じだ。父親に似たんだろうな」


 拓真と涼が食い入るように二枚の写真を凝視する。

 昴は話を再開した。


「最初は怒りを抱えていた莉奈だが、明沙がアーティストの才能があると知り、一つのアイデアが浮かんだ。自分を差し置いて家族の愛情に恵まれた妹へのささやかな復讐を成し遂げる画期的なアイデアを。明沙の作品は、小原氏が代理で画廊に持ち込んでいたから、誰も作者の顔を知らなかった。それに明沙は大人しい性格で、昔虐められていたこともあって、人前に出たがらなかった。そこで莉奈は、妹のアーティストとしての名誉を掠め取ろうと思いついたんだ。自分が欲しくても得られなかった幸福を持っていた妹から、“加西いろり”として手に入れたものをすべて奪うために。莉奈は父親に過去の振舞いを水に流す代わりに、明沙の功績を自分のものにするように手を貸せと強要した」

「ちょっと待て。父親は反対しなかったのか? お前の推理じゃ、父親もグルなんだろう? 娘を気にかけていたなら莉奈のアイデアには乗らないんじゃないか?」


 修平は納得がいかずに口を挟んだ。


「小原氏も最初は拒絶したと思うよ。彼にとってどちらの娘も大事だったから。だが、明沙自身が了承した――してしまった。彼女も莉奈に対して少なからず負い目があったんだろう。小原氏から密かに支援してもらっていたとはいえ、表向きには父親がいないことで虐められていた。片親の苦しみは明沙にも十分理解できたから、莉奈に一定の同情心を持っていたんだ。それに人間嫌いだった明沙にとっては、“加西いろり”の正体として表に出てくれる存在は都合が良かった」

「双方の思惑がうまい具合に一致したというわけか」


 皐月は静かに目を閉じると、小さく溜息を吐いた。


「成程。でも、流石に莉奈を“加西いろり”として人と会わせるわけにはいかなかった。莉奈は芸術のことなんて何も知らないから、喋らせると全部ばれる危険があるから。だから、“加西いろり”が必要なときは、明沙にメイクをさせて外に出したんだね」と、稔は合点がいった様子で言った。


 征四郎は頭の中にかかっていた霧が晴れ、爽快感のあまり指を鳴らした。

 

「二人の顔が似ているのを利用することを思いついたんだな! 明沙が“加西いろりを名乗る小原莉奈”のふりをしてもばれないと踏んだんだ」

「ただ」と、修平が眼鏡の奥の瞳を光らせた。

「性格の違いは誤魔化しようがない。莉奈は社交的で、明沙は内向的。莉奈の普段の調子を知っている奴からすれば、“加西いろり”の人付き合いが悪いのは不思議で仕方なかったに違いない。素顔とアーティストの顔を使い分けてるだけと、勝手に納得してくれたのは幸運だったな」

「で、“加西いろり”の名声が高まるに連れて、莉奈も天才アーティストとして称賛されるようになった。気持ちよかっただろうね。明沙が得るはずだった金も名誉も横取りしたんだから。しかも、生活に困っていたわけじゃなくて、ただ明沙への嫌がらせのためだったんでしょ? 性格悪ー」


 同級生たちが次々と自分と同じ考えへと至る姿を見て、昴は微笑んだ。

 拓真は、指でテーブルを叩きながら考えをまとめた。


「しかし――小原氏が死んでから状況が変わった。そういうことだろう?」

「この後何が起きたのか、新堂も気づいたみたいだな」


 昴が言うと、拓真は確信を持って頷いた。


「父親が死んでから、莉奈の歯止めが効かなくなったんだ。それまでは父親の目もあって、莉奈は明沙に対してあまり酷い真似はできなかった。だが、監視の目がなくなると、莉奈はより悪辣な手段で明沙を貶めるようになった。それが例の素行不良の一件だ。明沙が繁華街でごろつきとつるんでいたという話。あれは本当は莉奈の仕業だったんだ」

「私にもようやく分かってきた」と、皐月が言った。

「明沙が莉奈のふりをできたように、莉奈も明沙のふりをできた。明沙として繁華街でわざと人目に触れる真似をして、明沙の評判を下げることを愉しみ始めた」


 昴は憐れみを表情に湛えた。


「最早莉奈にとって明沙を苦しめること自体が人生の目的となっていた。父親から財産を相続して、新しく人生を始めることもできたのに、その道を選べなかった(・・・・・・)。莉奈の行いは卑しかったが、哀れでもあった」

「哀れ、ですか」と、静かに話を聴いていたマネージャーが呟いた。

「貴方は彼女が可哀想だと思うのですね」


 昴はマネージャーの言葉に、優しく言葉を返した。


「俺が思うに、莉奈と明沙は表裏一体の関係でした。明沙は鬱屈とした感情を芸術に注いだり、母親の愛を支えに耐えられることができたが、莉奈には感情のはけ口がなかった。学校では友人たちとにこやかに話すことはできても、胸の内を曝け出すことはできなかった。二人の違いは、自分の感情をコントロールする術を持っていたか否かだったんです。もし、何かが違っていれば、莉奈が明沙のようになっていたかもしれないし、明沙が莉奈のようになっていたかもしれない」

「莉奈が悪い仲間と付き合いだしたのは、単に明沙に濡れ衣を着せるためだけではなく、“人目を気にせず好きなようにやりたい”という感情の発露だった、ということも考えうるな」


 莉奈の感情に思いを馳せ、皐月は窓の外の景色へと視線を移した。

 拓真も、修平も、征四郎も、稔も、涼も、二人の女が秘めていた闇について自分なりに咀嚼しようと試みた。


「一方、明沙の方にも変化があった。小原氏が死んだ後、彼女は作品を生み出すことにより一層心血を注ぐようになった。非難すべき点はあったが、それでも小原氏は彼女にとって父親だった。悲しみを昇華し、より素晴らしい作品を世に出した。それに伴って、明沙の中にも“加西いろりを名乗る小原莉奈”ではなく本当の姿である黒田明沙として生きたいという欲求が湧きあがった。恐らく、莉奈が自分のふりをして好き勝手に振る舞ったことが、切っ掛けになったんだろう。明沙も最初から暗い性格だったわけじゃない。様々な要因が重なって人間嫌いを拗らせただけで、心の奥底では明るい未来を望んでいた。彼女は“加西いろり”として芹沢と交流する時、インタビューを受けた時、それが決して手の届かない望みではないと気づいたんだ。

 ある晩、明沙は莉奈に自分の心境を伝えた。“何故好きに生きるのが駄目なのか。私は今まで我慢した分の人生を取り戻したいだけ”――これは悪い遊びを咎められたことに対する反発ではなく、莉奈の代役という仮面を捨て去りたいという願望だ。だが、莉奈からすれば聞き入れるわけにはいかない。“貴女は私の助けがなければ生きていけないことを理解しているの”――加西いろりとして稼いだ金のすべては、ゴーストになった後で新しく開設された専用の銀行口座に振り込まれていた。元々小原氏が管理していたんだろうが、彼の死後は莉奈が口座を握っていた。莉奈は金を自分が握っていることを盾にして、明沙を脅した」

「明沙は真実を暴露しようと思わなかったの? 本当のことがバレて困るのは莉奈の方でしょ?」


 涼が疑問を口にした。

 代わりに答えたのは、皐月だった。


「その場合、自分の出生の秘密も明かす必要があるだろう。それは明沙にとっても良い流れではない。過去に負った心の傷が癒えず残ったままなら、隠しておきたいのが心情だ」

「そうかあ。無理もないかな」

「明沙は秘密を隠したまま新しい人生を手に入れたいと考えていたが、それは叶わなかった。諦めきれなかった明沙は、強硬手段に訴えることにした。そうだな、昴?」

「ああ、明沙もまた莉奈のように歯止めが効かなくなっていた。こういう悪い部分で似ていたのも姉妹かな。

 準備は二年前から始まった。芹沢に頼んで自分の取り分の内一部を、銀行口座への振込ではなく現金で欲しいと頼んだ。後で自由に使える金を確保するためだ。莉奈はこの動きにまったく気づいていなかった。明沙は元々助手兼雑務担当って名目で雇われていた。実際に、家の雑務は明沙が担当していたんだ。小原氏が、生前金勘定を教え込んだんだと思う。だから、確定申告も明沙がすべてやっていた。莉奈は通帳に記された金額を知っているだけで、金の流れは全然把握していなかった。

 十分な額の現金を確保した明沙は、ついに計画を行動に移した。事件当日の日没後、明沙は莉奈を現場の公園へ呼び出した。加西いろりの秘密を知っている。取引がしたいから来い、とでも匿名の脅迫状でも送ったんだろう。人気のない場所で莉奈を殺害し、池に遺体を沈める。それから急いで画廊へ向かった。勿論“加西いろり”としてね。明沙は芹沢と話をした後、人と会う約束があるからと言い残し七時に店を出る。そしてアトリエへ戻ると、コンセントから出火したように見せかけて火を放ち、あたかも運良く避難できたかのように装った。後は病院で待つだけでよかった。

 翌朝、莉奈の遺体が発見される。警察は芹沢の証言から、七時に店を出た後に現場へ向かったと考えるだろう。アトリエの火事に巻き込まれた明沙のアリバイは、警察が証言してくれる。池に遺体を捨てたのは発見を遅らせる目的があったが、万が一遺体が早くに発見されても死亡推定時刻を割り出しにくくするという狙いもあった。こうして犯行時刻は七時四十分以降だと警察は判断した。実際の犯行時刻が、“加西いろり”が六時半に画廊を訪れるより前だとは誰も思わなかったというわけだ」

「もう一つ謎が残ってるぞ。アリバイはそれでいいとして、わざわざアトリエに火を放ったのはなんでだ?」と、征四郎が残る疑問を提示した。

「加西いろりの痕跡を焼き尽くすためだ。アトリエには明沙の指紋がついた道具や資料が大量に残っている。警察にアトリエを調べられたら、明沙こそが加西いろりだとばれてしまうんだよ。そうなればアリバイトリックは見破られるだろう。だから、加西いろりの真実を示す証拠は何一つとして残すわけにはいかなかったんだよ」


 昴は近くのソファに腰を下ろして一息吐いた。


「事件後、明沙は隠していた金を持って東京を去った。今度こそ本当の人生を歩むため」

「彼女は今もアーティストとして活動しているのだろうか?」


 皐月は、殺人者のその後が気にかかった。

 昴は意味深に笑うと、すっと視線を一点へと動かした。皆もそれにつられて同じ場所を見る。そこには加西いろりの絵の前に立つマネージャーの姿があった。


「貴方なら黒田明沙の現在をご存じではありませんか、芹沢晴人さん(・・・・・・)


 稔がぎょっとして体を引き攣らせる。涼は驚愕の悲鳴を上げた。

 芹沢晴人は静かに言った。


「いつからお気づきでしたか?」

「始めの方から妙だと思っていました。皐月さんが事件の説明をしている時、貴方は当然のように補足を入れていましたね。皐月さんも貴方が口を挟むことに、何の疑問も抱いてない様子だった。それに貴方が芹沢晴人の人物像について語る時、皐月さんは面白そうに笑っていた。最後の方になると、事件の当事者としての目線で語っていましたね」


 昴は皐月を見た。彼女は悪戯に成功した子どものようにウインクを返した。


「皐月さんが言っていた“事件をよく知る人”とは貴方のことですね。貴方がこの事件の謎解きを持ちかけたんだ」

「ええ、そうです」と、芹沢はあっさり認めた。彼は皐月に向き直り、頭を下げた。

「皐月様には私のためにこの場を設けていただき、誠に感謝します」

「私も貴方の挑戦に興味があったから引き受けただけですので、礼は不要です。ですが、今、昴が口にした言葉の真偽は気になりますね。貴方は黒田明沙が今、どこにいるのかご存じなのですか?」

「彼女は今、名古屋で絵画教室の教師をしていますよ。慎ましく、穏やかに日々を過ごしています」


 芹沢は振り返ると、背後の絵を見た。


「あの時ほどの輝きはなくとも、良い絵を描いています」


 拓真が思わず立ち上がった。


「待ってください。貴方は黒田明沙が加西いろりだと知っていたんですか?」

「彼はそれを知る立場にあった唯一の人間だよ」と、昴が言った。

「加西いろりと外部の接点であった彼は、他の誰よりも加西いろりを知っていた。彼は普段の小原莉奈の話を聞いて、どうしても自分のパートナーと同一人物だとは思えなかった。そこで加西いろりは別の誰かではないかと疑った。可能性があるのはただ一人、彼女の同居人だけだ。貴方は黒田明沙の顔を確かめて、彼女こそが自分が愛した人間だと確信したんですね」

「確信までは至りませんでした。もしかしたら、という考えだけで」


 芹沢はやるせない表情で首を振った。


「本人を追及する勇気はなかったんです。本当だったら彼女との関係性が壊れてしまうんじゃないかと怖くなって。私は彼女の作品が本当に好きでした。画家になることを諦めた後、せめて美術の世界で働ければと足掻いて、美しい絵を扱う仕事に就いて無聊を慰めました。才能あるアーティストが羽ばたくのに手を貸して、自分にもこの世界に居場所があるんだと思い込もうとしたんです。そんな私に、光を与えてくれたのが加西いろりでした。私は人目で彼女の絵に惚れ込んでしまった。小原氏の紹介で直接引き合わされてからは、完全に舞い上がってしまいました。私は自分の自尊心のためでなく、彼女のために行動したいと思うようになったのです。

 ですから、彼女の秘密に触れてしまったのではないかと思った時、私はどうすればいいか悩みました。真実を指摘すれば、加西いろりは画壇から姿を消すかもしれない。そう思うと不安で夜も眠れませんでした。結局、私はこの気づきを自分の胸に秘めておくことにしました。真実がどうであれ、加西いろりという希望の前では些細な問題だと」


 彼は自嘲気味に笑った。


「ですが、それは間違いだったのでしょう。あの事件が起きました。小原莉奈が死に、黒田明沙は街を去った。私は愛した人も、真実を知る機会も失った」

「貴方の中にはそのことがしこりとなって残っていた。だから、皐月さんがミステリー好きだと知った時に、この事件の謎解きを持ちかけたんですね。俺たちが貴方と同じ結論に辿り着くかどうか確かめるために」

「ええ。そして、貴方は私と同じ考えに至りました。やはり、これが真実だったのでしょう。おかげで私は自分が間違っていたと再確認できた」


 昴は思わず吹き出した。


「間違っていた? いやいや! 本音に蓋をしてはいけませんよ、芹沢さん。貴方が謎解きを持ちかけたのは、愛した女性がまだ生きていると確かめたかったからです。貴方はまだ彼女に未練があるんですよ」


 芹沢は押し黙った。昴は畳みかけるように続ける。


「貴方はもう一度彼女に逢いに行こうか迷っているのでしょう? 一度は捨て去った過去を想起させるのは忍びない。このまま何もかも忘れてしまうのが一番じゃないか? そう思っているのなら言わせてもらいましょう――さっさと逢いに行け(・・・・・・・・・)


 昴と芹沢のやり取りを、皐月と五人の少年は固唾を呑んで見守っていた。


「人付き合いを嫌っていた明沙が、何故貴方の画廊にだけ足繫く通っていたと思います? 自分の作品を理解し、八方に手を尽くしてくれた貴方にだけは心を開いていたんですよ。大体貴方の頼みでもなければ、雑誌のインタビューなど受ける気になりますか。ただでさえ公に顔を出すのはリスクがあったというのに。事件の夜に逢った加西いろりが穏やかな顔をしていたのは、加西いろりとして最後に貴方の顔を見ることができて心残りがなくなったからですよ」


 昴は芹沢の元へ歩み寄る。


「だから――今からでも遅くありません。彼女の元へ行くんです。そして、貴方の本心を包み隠さず話しましょう。彼女の心の傷はまだ完全には癒えていない。貴方が彼女を本当の意味で救うのです」

「しかし、真相が明らかとなったからには――」

「真相? いいえ、これはただの推理ゲームの回答です。《探偵クラブ》の初会合の余興に過ぎません。そうだね、皐月さん?」

「ああ、そうだとも。これは私たちが導き出した一つの答えに過ぎない」


 皐月に追従するように、他の者も次々に言葉を発した。


「僕たちは、ただ未解決事件についてあれこれ語り合っていただけです」

「所詮はただの与太話だ。警察に持ち込む必要などない」

「ま、ミステリードラマの脚本には十分だったんじゃねえの?」

「法律家を目指す者としては、想像だけで人を罰するわけにはいかない。確かな証拠は一つもないんだから」

「うんうん。芹沢さんがどうしようが僕たちには関係のない話だもんね」


 昴は友人たちの心意気に満足すると、芹沢を見据えた。


「彼女としっかり話をしてください。その後で彼女がどんな決断を下すかは分かりません。ですが、悪い結果にはならないでしょう。俺の勘はよく当たるんです」


 芹沢はしばらく放心したように立ち尽くしていた。やがて、彼は感極まったように涙ぐみ、深々とお辞儀をした。


「ありがとうございます」




 芹沢がリビングルームから去ると、拓真は感服したように息を漏らした。


「まさか、こんなことになるとはね」

「一本の映画でも観終わったような気分だ」


 征四郎は疲れたように言った。しかし、その顔は爽やかだった。

 

「真砂がここまでやるとはな。意外だった」

「いつ、あの真相に辿り着いたの?」


 修平と稔が、昴の顔を見た。


「明沙の写真を見た時、莉奈とよく似ていると思ってね。それでぴんときた。二人の本当の関係に着目して事件を見直して見たんだよ」

「これだけ弁が立てば法曹界でもやっていけるんじゃない?」

「本当に凄いよ! 名探偵じゃん!」


 涼が手放しに称賛した。すると、皐月が得意気な顔を見せた。


「昴ならどの世界でもやっていけるだろう。やはり君を呼んで正解だった」

「皐月くんは彼の推理力を以前から知っていたのか?」


 拓真は皐月の態度に引っかかりを覚えた。彼女の口振りは、まるで昔から昴のことを知っているかのようだった。


「勿論だ。だからこそ私は彼を《探偵クラブ》に招待したのだからな。探偵に憧れる(・・・・・・)人間として、いつか彼に追いつきたいと願っているがまだまだ遠いな。君の推理力は昔よりも研ぎ澄まされている」


 そう言って、皐月は熱い眼差しを昴へ向けた。

 五人の少年はそれを見てはっとした。皐月が見せるその目は、今までに一度も見たことのない熱烈な輝きを放っていた。その瞬間、彼らはかつて耳にした皐月にまつわる真偽不明の噂話を思い出した。

 早水グループ主催のパーティで起きた殺人事件。それを解決したとされる正体不明の探偵。皐月にとって憧れの人(・・・・)


(まさか――)


 彼らは一様に冷たい汗を流すと、油の切れた機械のように鈍い動きで首を動かし、昴を見つめた。

 皐月が憧れる名探偵の正体とは。彼女が昴へ送る視線の意味とは。

 五人の頭脳はここにきて急速に回り始める。頭の中でバラバラだったピースが組み上がっていき、彼らにとって絶望的な真実が浮かび上がった。

 揃って挙動不審になった少年たちを眺めて、皐月はくすくすと笑う。それを見て昴は苦笑しながら肩をすくめた。

感想・評価お待ちしております。

今後も探偵・真砂昴の活躍を描いていく予定です。


現在は異世界ファンタジー小説『ぼっちに絆は重すぎる ~一年四組の異世界迷宮攻略記~』を連載しています。そちらもお読みいただけると幸いです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ