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5.カフカと神父さんの食卓

 お母さんは何が好き?

 ……えー、内緒なの? カフカお母さんが好きな物知りたいのにー!



 新たな町を目指し森を抜ける。その為に森の中を歩き続けてもう三日目。

 流石に限界が近付いていた。


「おい、ちょっと待て」

「神父さん、もう疲れたの?」

「……そうかもな」


 疲れた、どころの騒ぎではない。この三日ろくに食事も摂れず、化け物に怯えるあまり寝る時間も最小限だ。このガキもいつ化け物になるかわかったもんじゃない以上油断は出来ないし。

 正直な所、体力の限界を迎えている。


「……そうだな、お前木登りは出来るか?」

「カフカ木登り得意だよ! あの枝だって一っ跳びだよ!」


 そう言ってこのガキが指差した枝は俺の身長の倍以上の高さだ。当然、普通の人間が届く高さでは無いし、いわんやこいつの背丈は俺よりも頭二つは低い。

 まああの怪力を考えればそのぐらいは出来て当然か。


「一旦木の上まで行ってこの森がどのぐらい続いているか見て来てくれ」


 とりあえず方角はある程度一定に進めているという前提の元、これまで来た方角とこれから向かう予定の方角を伝える。


「わかった! カフカに任せて!」


 実に良い返事だ。どのぐらい信用できるかはわからんが。


 カフカが宣言通りに一っ跳びに登って行き姿が見えなくなる。俺は座るのに丁度良い木の根に腰を下ろして力無く項垂れる。

 おそらく、まだ森を抜けるには距離がある。持って来た食料は底を尽きていた。そこらに生えている草木をどうにかして食えないかと思案するが、俺にはどれが食える物か判断できない。毒に当たりでもしたら今の体力では致命的だ。


「……あのガキが希望を持てる情報を持って帰ってくれればいいが」


 そう呟くと頭上の木々がざわめいてその枝葉を縫うようにしてクソガキが降りて来る。


「とーう!」


 空中で回転しながらダイナミックな着地。

 たっぷり食事を摂っているせいかこのガキは体力が有り余っているようで何より。


「どうだった?」


 そう尋ねるも返事は無い。着地した姿勢のまま何か余韻にでも浸っているようにじっとしている。


「足でも挫いたんじゃないだろうな」


 そう言うとゆっくりと立ち上がり両手を空に伸ばした。あほらしくなって黙っているとなぜかこっちを何度もちらちら見て来るのにふと気が付く。


「何だ」

「今のかっこよかった?」

「は?」

「くるくるどーん、って感じ! かっこよかった!?」


 随分と余裕があるんだな、腹が立つぜ。


「あー、あー、かっこよかったかっこよかった」

「ほんと!」

「もちろんだとも、素晴らしい回転だったね。着地も綺麗だったよ」

「でしょでしょ!」


 こっちに擦り寄って来るクソガキの頭を撫でる。心中の怒りは一旦無視だ。腹立つガキでもこの森を抜けるまでは機嫌を取っておかねばならない。


「ところで森は後どのぐらい続いてた?」

「え?」


 数秒の沈黙。

 もう一度このクソガキが戻って来た時、俺にもたらされたのは想定通り望まぬ結果だった。それはつまり、明確に死が近付いていることを予感させてくれるものだ。



 夜が来る。

 今日一日はほとんど前へ進むことができなかった。俺の体力はもはやまともに歩くことすら厳しくなってきている。手を握られ先導されてようやく老人のような歩行速度で歩ける程度だ。

 はっきり言おう、限界だ。


「神父さん、神父さんも一緒に食べよ?」


 そしてその原因が食事を摂っていないことであることなど、こんな小さなガキにすらわかってしまう。食べずに生きていくことができないことは誰にだってわかるのだ。

 しかし、その、食事は!


「……俺は、いい」


 このクソガキが持つその肉に、強烈な忌避感を抱かずにはいられない。見るだけで多くの者を、 化け物へとその身を変えた者達を思い出す。

 飢えに耐えられず化け物の肉を腹いっぱいに食って自らも化け物となった旅の共を、腕に生えて来た突起を切り落としてまでそれを隠し続け終いには俺に襲い掛かった哀れな少女を、俺を長生きさせる為にそして自らを殺させる為に化け物の肉を喰らった神父の事を。

 俺は、化け物になど、なりたくはない。


「お母さん言ってたよ。人間は食べないと死んじゃうって。……カフカ、神父さんが死んじゃうの嫌だよ……」


 幼子の目に映る憂慮、不安、心配、それに罪悪感。今にも泣きそうな彼女を見て俺はそれでも化け物になどなりたくないと強く思う。

 そうだ、俺は化け物になどなりたくはない!


 例えばそう、幼子の純粋な気持ちを無下にしてしまう大人のような。


「……わかった。折角だ、一番いい焼き加減のを頼む」

「うん! 任せて!」


 クソガキの顔に笑顔が咲く。俺は確かに、ずっとそんな表情を見たかった気がする。平和で、平穏で、皆が助け合って暮らす世界の中で俺達は笑い合っていたのに。

 ……神父よ。俺もあなたのように化け物になるのかもしれない。このことをあなたは悲しむかもしれないな。しかし、あなたがそうしたように心まで化け物にはなるまいとする高潔な精神を抱き続けるつもりだ。


 肉の脂が弾ける、激しい空腹に襲われた状態では少し離れているにも関わらずその匂いがよく感じ取れる。あれを食ったらきっと旨いだろう、たとえあの肉がおよそ人の食う物と思えぬ味だとしても今の俺には関係ない。

 そしてあのガキは俺の言う通りに一番良い焼き加減の物を持って来るつもりだ。幾つもの串を並べ真剣な眼差しでその焼き具合を確認している。


「これだー!」


 そして一本の串を取り天に掲げた。つくね状になった肉の塊、その表面を肉汁と脂が混じって垂れているのが遠目でもわかる。少々焦げが多く黒っぽいのは気になるが今更そんなことで文句を言える状態でもない。


「神父さん、これ!」


 口元に持ってこられたそれを見た、匂いを嗅いだ。

 この時の俺はそれが目の前に来るまではきっとぎりぎりまで躊躇うだろうと想像していた。幾度となく食べるように促されていずれ口にするのだと、そう思っていた。

 しかし現実は違う。


「おー!」


 俺は躊躇うことなくその肉に齧り付いていた。思ったより覚悟が決まっていたのか? 違う。後で気が付いたが俺の口の端からは涎が垂れ視線はずっと肉を追い続けていた。

 要するに、ただただ空腹で限界だった、それだけだ。心の中でどれだけ強がろうと空腹には耐え兼ねていただけなのだ。


「おいしい?」


 下から覗き込むような上目遣いをみるとこいつは狙っているのかと疑ってしまうが、まあそんな器用な事が出来るタイプでは無いだろう。

 とりあえず旨いかどうか、だ。なんて答えもう決まっているが。


「旨い旨い、よく焼けてるよ」

「ほんと!? よかった!」


 眩しい笑顔に思わず目を逸らす。ガキはシンプルに感情を出してくるから苦手だ。こっちがどれだけ警戒して心を閉ざそうと無理矢理力業で中に入ろうとしてきやがる。

 俺にはそれがたまらなく恐ろしい。


「神父さん、こっちのもよく焼けてるよ!」


 ……この打算の無い笑みと言葉は俺の心を突き刺してくるようにさえ思える。

 だから俺は大きく息を吐いて、その肉を受け取った。


「ありがとよ」


 一本食べたら二本も同じだ。そんなわけが無いのに俺は躊躇いなく化け物の肉を喰らう。さて、これで俺はどのぐらい化け物になるんだ?

 ガキも肉を次々と食べていく。余程旨いのか、或いは俺が食ったのが余程嬉しいのか終始笑顔のままで、だ。

 呑気で羨ましい限りだよ。



 暴食の代償は恐怖だ。すっかり夜も更けてガキは寝入ってしまった。俺は火に近付き自らの身体を何度も念入りに確認する。


「……変化らしい変化は見られないな」


 幸いにも俺の身体に化け物への変化の兆しは見られない。経験上、一度の食事で周囲から気が付くほどの変化が現れることは無かったが、俺自身の体調も含め何らの変化が見られないのは少々不気味だ。しかし個人差もあるし、単に俺の運が良かっただけかもしれない。


「……本当にそうか?」


 一つ、疑問がある。このガキと行動を共にして三日。その間ずっと化け物の肉を食べていた、それも大量に、だ。

 にも関わらずこのガキに変化が無いのはなぜだ?


「……そういえば」


 あのガキは化け物を狩る際になぜか生きたままその身をかき回すと言う無意味にグロテスクで気味の悪い工程を踏んでいる。それも毎回、きっちりと、生きたまま、だ。


「あの工程に意味があったとすれば?」


 あれをしている最中、あの化け物は体液を吐き出していた。もしもあれが人を化け物に変える毒なのだとすれば? あの工程が化け物の肉に含まれる毒を抜く為のものだったとすれば?

 俺にもあのガキにも変化が無い事に説明がつく。


「……希望的観測過ぎる、とは思うが」


 化け物が現れて数十年が過ぎている。その間に同じことを誰も試さなかったのだろうか? 或いは同じことを試した者は誰一人として信用を得られず孤独に死んでいったのか?

 ……後者の可能性が無いとは言い切れない。誰が食ったら化け物になるかもしれない肉を進んで食いたがるのだ。毒が抜けているんだなどと言われても信用できるわけが無い。食い続けることで証明しようにもなあ。

 個人の体質だったらどうする? 本当に毒が抜け切っているかどうやって判別する? もしもその工程を失敗していたら化け物になるのか?

 まあ、反論が幾らでも思い付くな。


「……しかしもしもそうなら」


 俺はまだまだ生きていられるのかもしれない。場合によっては、このガキを殺すことなく。


「……なあ、カフカ。お前はどんな人生を歩んで来たんだ?」


 返事は無く彼女の寝息だけがそこに漂っている。俺は大きな溜息と共に焚火に薪をくべる。火に照らされたカフカは穏やかな表情で不安など何も無いように見える。しかし今の俺にはその中身を窺い知ることは出来なかった。


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