2.魔の森の化け物とカフカ
カフカの好物? カフカはね、お馬さんが大好き!
特にね、背中に生えてる触手のところがおいしいんだよ!
久しぶりに腰を落ち着けられるだろうと部屋中に広げていた荷物をまとめる。まさか一夜を明かすこともできずにここを出て行く羽目になるとは思わなかった。
それもこれも全部あのガキのせいだ。
「神父さん、まだー?」
「もうちょっと待ってくれ」
毛布や杖にロープなどとにかく鞄に詰め込めるだけ詰め込む。ついでに干し肉も貰っておこう。この家に元々あった物ではあるが、これぐらいは貰ってもばちは当たるまい。ぱんぱんに膨らんだ鞄を背負い、それから俺は最後の荷物に目をやる。
腰に付けておく、よく研がれたナイフ。
「よし、準備できたぞ。行こうか」
「うん!」
外を見ると人の気配はすれど誰の姿も見えない。おそらく住民が遠巻きにこの家を見張っているはずだ。だって気になるだろう? 俺だって逆の立場なら絶対に監視しているはずだ。
俺は彼らの望み通りガキを連れて町の外へ向かって歩き出す。
安心するがいい、俺は宿をあてがおうとしてくれたお前たちに何もする気は無いさ。事情が変わっただけだ、仕方がなくてよくあること、そうだろう?
町を出て向かうはこの辺りで魔の森と呼ばれる広大な森林だ。正直、こんな状況でも無ければ近付くことすら考えたくは無かった。
「果実でもあれば儲けだが……」
生い茂る木々を前に思わず呟いた言葉はどうやらガキの耳に届いたらしい。それで首を傾げて言われた言葉が。
「お肉の方がおいしいよ?」
「……そうだろうな」
馬鹿げてる。この時代に肉なんざそうそう食えるはずも無い。
ちらりとガキの方を見る。頬まで裂けた口と黒く濁った腹がどうしても目に入る。そして扉にかけていたつっかえ棒を破壊する馬鹿力。
このガキは既に化け物だ。
思わずそんなことを考えてしまう。
「入るぞ」
「うん!」
だからこそ、俺はこの森へ入ることを選んだのだ。俺は化け物にはなりたくない。例えば、恩義があるにもかかわらずそれに報いようとしない者、とかな。
森の中は薄暗く随分と長く人の手が入っていないことが察せられた。それは運が良ければ普通の食料がが手に入るかもしれないという偽りの希望を与え、それと同時にこの森が如何に危険かという現実的な絶望で俺を包む。
「……あー、お前、何か好きな物はあるのか?」
「カフカだよ!」
「……カフカ、お前好きな物は?」
「お馬さん! とってもおいしいの! あのね、背中の触手のところがね、すっごいおいしいんだよ!」
「馬か……、そうか……」
やはり正気の沙汰じゃない。このガキがもの凄く運の良いやつで、奇跡的なまでに食料が豊富な、化け物共がまだ手付かずの土地からやって来た、というまずあり得ないが論理的にはまだ残っていた可能性が立った今潰えた。
確信を持って言える、こいつは化け物の肉を喰らって生きている。
森の中を彷徨いながらこれからの方針にも迷っていた頃、不意に何か聞こえた気がして俺は足を止める。こういう時は必ず何かいる、十数年の旅の経験が確信と共に伝えている。
「わっ」
すぐ後ろを歩いていたクソガキがぶつかって来たがそれを気に留める余裕は無い。
「神父さんどうしたの?」
「何かいる、少し静かにしろ」
「わかった!」
そう言うとこのガキはわざわざ両手で口を塞いだ。色々と言いたいことはあったが今はそれどころじゃない。腰に差していたナイフを構える。
カサカサカサ。
足音、この音は虫系の化け物だ。上の方から聞こえて来たということは木の枝を伝って俺達に近付いてきている。
ガサガサ。
頭上の枝、その一本が不意に大きく動いた。いや、あれは枝じゃない!
「うじゅるぅ」
「上だ!」
気色悪い呻き声と共にそれがこちらへ向かい跳びかかる。俺は思わずその場を飛び退く。クソガキも俺が思わず上げた声に反応して遠くへ、人の跳躍力で可能なのか疑問なほど遠くへ逃げていた。
クソガキの事に驚く間もなく地面に巨大な虫がぶつかり土砂を撒き散らす。飛んで来る砂を鬱陶しく思っているとその向こうにいる化け物の姿が徐々に鮮明になって行く。
「ムカデか」
そこにいたのは人の体長ほどもある巨大なムカデ、そしてその腹からは触手が生えているのが見える。正に、化け物だ。
思わず冷や汗が伝うのを感じた。確かに俺はこの森に来る際、こういった化け物を相手にすることになるとわかって来たのだが、実際に相対すると恐怖が先んじて来てしまう。
俺はこの化け物に食われた人間を大勢見て来たし、人が化け物になる瞬間も何度も見て来た。
しかし、今日の所はまだ逃げるわけにはいかない。
「おい!」
「どうしたの?」
「こいつが食料だ! ぶっ殺すぞ!」
「わかった!」
どうにかこうにかこのクソガキをあの化け物と相打ちにしてぶち殺すつもりで来たのだからな!