第9話 拳鬼と拳竜相対す
ザルツは拳竜と相見えてもまともに戦わないようにアリアから予め釘を刺されていた。
まず勝てないからだ。
アリアが言うことは最もだったが、己の本能を抑えておけるかは保証できなかった。
だが図らずも出会ってしまったならばそれは不可抗力だろう。
何より彼は敵を自らより後ろに通さないように厳命されているのだから。
「あんたが噂の拳竜だな。一度やって《殴り合って》みたかったんだ。第三次世界大戦で戦車殴り飛ばしたって聞いてるぜ。」
甲殻人は両手の拳同士を打ち鳴らして歓喜に震える。
「ほう。私と殴り合いをご所望してくれるのですかな?それは願っても無いお誘いですな。」
このご時世に至近距離で素直に肉弾戦をしてくれるような相手などそうそういるものではない。
むしろ嘘であり罠を仕掛けている可能性の方が高いだろう。
しかし敵の眼は卑怯者のそれではない。
魔術と銃弾飛び交う現代の戦場にて、己のように徒手空拳を主に戦う兵士などもういないと思っていたが。
アルゼンは本音を言えば早めにアリア嬢を抑えることで、交渉を終えて本命に備えたかった。
だから敵が本陣を置きそうな場所に最短ルートで接近していったのだ。
彼にとっては前座でしか無かったのだが、主のためにも自らの快楽など横に置かなければならない。
相手が自らと全力で殴り合える程の拳豪であるならば、こんな機会はもう二度と来ないかもしれない。
戦闘種族としての本能が欲望を刺激するが、ここで素直にそれに従う程幼くはない。
「こちらにも予定があるので長くはお相手できませんが、全力でお応え致しましょう。」
「その余裕のツラァ気に入らねえな。絶対にブン殴ってやるぜ。」
「やってみせなさい、できるならば。」
組んでいた腕をとき、合金魔術を展開する。
その両腕にタングステンを主体とした人を壊すのに最適な合金が創造される。
鋼合竜の合金体は竜人の中でもトップクラスの頑強性と柔軟性を誇り、衝撃にも熱にも強い。
己の体躯に魔力を通して合金を纏うことで、地竜以上の装甲を実現している。
嘗てその男はたった一人で魔術を使わず、戦力として1個大隊に匹敵するジパングの戦車隊を壊滅させた。
歴史に名を残す中では竜闘術最強の使い手とされた男が、その本質を解放する。
ザルツは黒猫と同じく接近戦ならばアリアが信用してもいいレベルの戦力だった。
それでも鋼合竜は分の悪い相手だと見られたのだ。
だが殴り合いを切望していたのはザルツも同じだった。
クソ親父を除けば自分と正面から拳を打ち合える人間など殆ど見たこともない。
大抵はそんな距離に近づけさせてはくれないのもある。
自分も全力の殴り合いなど久しくしていない。
拳竜以上に喧嘩相手に飢えていた彼は、このような千載一遇のチャンスを逃すことなどあり得ない。
人生で二度と無いかもしれない好機と判断した甲殻人は、もう実力を隠す理由もない。
軍籍学生となれば自分の存在はどうせバレるだろうし。
そうしなければ勝てない相手であることも察していたからだ。
戦闘種族にも等級がある。
ピンからキリまで様々だが、概ね下位、中位、上位に分かれる。
種族内でもバラバラで、獣人や昆虫人のような多種族は下から上まで幅広い。
その中でも竜人はほぼ全ての種族が上位に位置している。
戦闘種族の等級の強弱というのは実は本来は実際の戦力比ではなかった。
現在は時代と共に意味が変化しており、純粋な戦力の差だと思っている者が大半だが。
元は主に敵対者の命を奪う行為に対する忌避の欠如と、痛みに対する耐性という精神強度の差である。
例えば先ほどまで眼の前で仲良く談笑していた家族が、自分を裏切り不意打ちして殺そうとすれば、
自らが致命傷を負ったとしても、それに反応して同種族間で何の躊躇いも無く対象を殺すことができる。
このような精神性を産まれた時から併せ持っているのが、上位の戦闘種族という連中である。
これに対して純人は、これらを厳しい訓練の末に心を殺してようやく手に入れられるのだ。
種族として滅ぼされるのも道理と言える。
だが、これらの枠に囚われない例外が存在する。
彼らは当初戦闘種族としての情動を有していないにも関わらず、その圧倒的な強さだけで例外と認められた。
その強さに心が引っ張られた今では、戦いを生業とするものと遜色の無い心理性を有しているが。
特級戦闘種族と呼ばれたうちの1人が遂に真の戦闘形態へと変貌する。
戦闘捕脚と呼ばれる眼前の敵性勢力を屠るためだけに最適化された、積層装甲のキチン質からなる外骨格が創造される。
「久し振りだなあ。本気で戦んのは。」
特級戦闘種族 青龍蝦の海人が遂に目を覚ます。
その昔外洋で無敗を誇った喧嘩屋がいた。
水竜にすら啖呵を切り、龍ですらその武を認め、その名は大洋に轟いた。
しかして彼は拳闘以外に何も求めず、その暴を持って何かを為すことは無かった。
彼自身は眼の前の気に入らない有象無象を殴れればそれだけで良かったのだ。
それ故に実力程武名は響くことは無かった。
その名は 拳客任侠 外洋の拳鬼 エルゲンフィスト
「ザルツ・エルゲンフィスト・ウェイフォールだ。ワンチャン知ってるかもと思ったが、そこまで有名でもねえか。」
「••••••前言を撤回いたしましょう。貴方は私の明確なる敵であり、最優先排除対象の一人です。」
流石に陸にまでその名が届いていたかはかなり怪しかったが、拳竜は自らの得意分野であれば当然ながら詳しかった。
だから彼は接近戦に限れば、眼の前の甲殻人に敵う身内は殆どいない事が理解できていた。
己の欲望以上に敵を見逃す理由が消えた彼は、先程とは違い幾分低い声色となる。
「いいねえ。そういうのが聞きたかったんだ。陸に上がってからは俺にビビるやつなんざいなかったからな。」
久々に自分を突き刺す視線が心地よい。
内洋でもそこまで名が通っている訳では無かったが、地元で自分に喧嘩を売る様な馬鹿はいなかった。
互いの両腕に魔素が集う。
本能で理解できていた。
もう口を動かす必要はないと。
第3次世界大戦でジパングが竜人相手にジャマーだけに頼るのは無謀であると理解させた英雄と、
外洋を暴れ回り龍にすら届きうる拳を持っていたとされる特級戦闘種族が拳を切り結ぶ。
今回の闘いの中でも5指に入るであろう殴り合いが幕を開けた。
ゼリアとアリアは本陣で負傷者回収のために待機していた。
彼女達も直接殴り込みに行きたいのは山々だったが、能力を考えればこれが最適であり、実戦で我儘を言う様な事は無かった。
最初にエレアが傭兵団と接触し、各々戦闘を開始してから数刻が経っている。
ルーン魔術の使用許可が降りているゼリアは早速実戦で試したくてウズウズしていた。
だが自らも世話になる可能性がある氷竜姫を一人にする訳にも行かない。
それにこのディルク少佐の娘は経歴からして詐称している可能性が非常に高い。
もし可能なら聞ける範囲で問いただしてみたかったのだ。
公開されている情報だと、彼女は免疫疾患により幼少から入院生活を余儀なくされ、中学生の半ばで奇跡的に完治し、社会復帰したことになっている。
だが竜人は免疫力が高過ぎて有効な薬剤がほぼ存在しない種族である。
彼らにとって重症自己免疫疾患とは死刑宣告と同義だった。
歴史上だけでなく、実質只の一人として天寿を全うできたものはおらず、余命は発症よりもって数年だった。
だから最近ではこの経歴はカモフラージュであると考えられている。
その圧倒的才覚から彼女は学校に行かずに、ディルク少佐の跡継ぎとして諜報部の特殊カリキュラムを受けた天才と見なされていた。
この噂に対し少佐本人は沈黙を貫いているが否定もしていないからだ。
魔術とジパング由来の外科手術を統合した現代の最新医療でも、竜人の免疫疾患に関しては世界的な名医達が揃って匙を投げている。
聖国の最高級神官でも傷を治すことはできるが、身体を作り変えでもしない限り同じ事の繰り返しになる。
法外なお布施を要求されるのも目に見えている。
一応エリストール家の財力を考えれば、彼女がそのような目にあっても生き延びることは不可能ではないかもしれないが。
ただディルク少佐の財力は、VR事業の成功が発端である。
彼女が幼い時分にはそこまでの金銭的な余裕は無かった筈なのだ。
何よりいくら竜人でも、病院で何年も引き籠もっていれば身体は萎縮してしまう。
如何な天賦の才を持っているとて無理があると言える。
現在も健康的な生活を送れるとは思えないのだが。
その割には実戦経験こそ無いが十分な竜闘術を身につけているように見える。
それにどう見ても彼女の情緒は病院という閉鎖的環境で育ったにしては潤い過ぎている。
とてもではないが真実とは異なっているだろう。
「言いたくなければいいんだけど、そのーアリアちゃんてさ、ほんとに昔病院にいたの?」
彼女は赤竜宗家に反旗を翻すつもりはない。
だがここまで協力しているならばある程度は踏み込んでも許されると思っていた。
「••••••本当のことですよ。あまり、思い出したい記憶では無いだけですから。」
その顔が憂いを帯びるぐらいには呼び覚ましたくない悪夢であったのだろう。
こんな時に聞く事ではなかったかもしれない。
だがそれだと真相はどうなるのか。
これ以上は今聞くべきではないと感じ、話題を変える。
「私の刻んだルーンで魔力から場所を特定できるのを利用して回収するのはいいけど、そんなに上手くいくかしら?」
彼女は頭が筋肉でできている赤竜家の中では珍しく、ルーン魔術に傾倒している異才である。
その真価は事前に仕込むのが前提だが、対象者の位置を完全に把握することが可能となる。
「何かあった時のための備えです。致命傷を負う可能性は低いと見ていますが。」
ゼリアはずっと不思議だった。
何かあった時の備えは確かにある。
だがわざわざ軍籍学生だけで報復をするのはリスクが高過ぎるように思える。
「••••••正直私はアリアちゃんがこんなに早く動くとは思わなかったわ。普通に援軍を待ってからでも良かったと思うのだけど。ってことはまさか。」
戦場では常に万が一があるのだ。
今回の戦闘はただの私闘でしかない。
いくら相手が逃げる可能性が高いとはいえ、敵より戦力がたいして上回っていない状況で動く理由としては弱い。
となると、今回の戦闘はただの私闘ではないということだ。
合点がいったゼリアは今回味方の命は保証されている可能性が高いことを悟る。
軍籍学生は最終的な採用試験として必ず抜き打ちの実戦を行う。
基本的にこの試験は抜き打ちで行われる関係上、防衛戦になるのが常だ。
だが変則的な試験としてこちらから攻める状況ができたならば、それを採用することができる。
この場合敵対組織に通達がなされることは無い。
これは所属する部隊の長が竜国国防総省に申請する事で受理される。
ディルク少佐の申請は受理されたということだろう。
このケースの場合試験官は現職の凄腕が派遣されており、今も自分達を何処かから観察している筈だ。
過去にこの試験で命を落とす者は確かにいたが、それは政府に根回しができない程小さい勢力だったのが原因と噂されている。
「••••••気付きました?私、心配性なので保険ばかり掛けてるだけですよ。」
学生に事前に暴露するのは当然禁止されているが、実家の力が強い者達は親からそれとなく漏らされている。
本人達は知らないが、今回保険として全員に緊急防御用の空間魔術が施されたインカムまで持たされており、過保護振りが伺える。
「じゃあ部長さんは気付いてるかもね。まあだからどうしたって言いそうだけどね〜。」
まあこの戦いが終われば、どうせ法的にも自分の命を賭けることになるが。
今回ゼリアとライアは完全に巻き込まれた形になる。
まあ了承している時点で同じ穴の狢である。
本人達もたいして気にしてはいない。
報復を躊躇う気など微塵も無かったのだから。
もちろんレイアード傭兵団はこの事を知る由もない。
こうなると派遣された凄腕が余程信頼できるということか。
少佐が愛娘のためにいくら金を積んだかは知れない。
だがこれでリスクなど考える必要はないだろう。
完全に後顧の憂いが無くなった彼女は、それなら自分も前線で暴れたいと懇願した。
氷竜姫ににべもなく一蹴されたが。
普段実家のバカどもを脳筋などと揶揄っているが、彼女もしっかりと赤竜宗家の血を引いていたのだった。




