第3話 非日常が、やってくる
ツムギの父親は既に亡くなっており、小学生から母親の介護をしながら学校に通っていた。
父親の顔は覚えていない。彼女が物心つく頃には既に土の下にいたからだ。
頼れる親戚もおらず、どうすればいいかを教えてくれる人はいなかった。
幸いにして父親がそれなりのお金を残していてくれたおかげで、路頭に迷わずに済んでいのだ。
だが最近はその貯金も底を着いてきている。
近頃は大食いの竜姫が何故か無理矢理美味しいご飯に誘ってくれていた。
羨ましいという感情と美味しいという感情が彼女の中で溶け合い弾けそうになっていた。
嫉妬と喜びで心がぐちゃぐちゃになりそうだった。
それでも決してそれを表に出しはしなかった。
我慢するのは慣れていたのだ。
ただ限界というのは唐突にやって来るものだ。
今まで頑張り過ぎたのだろう。
彼女は中学校から時々足が重くて動かない事があった。
最初は体力が無いのが原因だと、早く寝ないといけないと思って介護を終えたら直ぐに寝た。
しかしそれでも足は言うことを聞いてくれなかった。
まるで足に重い鉛の枷を付けられたように。
朝から登校しないといけないのに、足が地面に縫い付けられたように動かない。
ここで彼女は自分の足が動かないのは身体のせいではなく心のせいではないかと気付いた。
だから奇跡を使った。
こういう身体が竦んで動かない時に唱えるんだよと昔母親が教えてくれたのだ。
自分でも使えるような勇気のおまじないを。
勇心
彼女ははっきりいって天人の奇跡の使い手としては落ちこぼれだった。
父のような才能は無かったおかげで見逃されたとも言える。
聖国は無慈悲だが流石に無能なことが分かっている子供を、他国まで追いかけて殺す程暇ではない。
だから彼女の存在は聖国の歴史から抹消された。
環境とは反対にツムギは非常に明るく社交的な子供だった。
友達も多く孤独とは無縁に育った。
結局友達と遊ぶ時間が無いので、学校以外ではいい思い出というのは無かったが。
だがそれが逆に良くなかったのかもしれない。
周りに合わせて自分の家の話題を出せず、他の子の話ばかり聞いていた。
そのせいで社交的になっただけなのだろう。
彼女は生きていた。
笹暮だった精神を、無理矢理奇跡で継ぎ足して。
母親も人柄が良く、身体の不自由な自分の世話を焼く娘に対して毒を吐く事はなかった。
その命はもう尽きかけておりそんな元気も無かったろうが。
それ故に奇跡的に彼女は捻くれなかった。
1人ぼっちは嫌だと、そのために学校でも努めて明るく振る舞った。
そのために奇跡を唱え、足が重くなっては奇跡を唱え続けた。
奇跡を唱え、願い続けた彼女は遂に心ではなく身体に限界が来ているのを悟った。
だから、今度は身体に対して奇跡を使った。
どうすればいいかは何故か家にあった聖書に書かれていた。
1人ぼっちは嫌だと、来る日も来る日も母親に対しても奇跡を唱え続けた。
母は奇跡的に持ち直し、まだ薄幸な娘を1人にさせる訳にはいかない彼女は辛抱強く生き延びた。
母の心が折れそうになったら今度は母におまじないをした。
高校に上がる頃彼女はそれに慣れてしまい、日常と化した。
およそ中学から今に至るまで彼女は休むこと無く奇跡を祈り続けた。
なまじ日本では奇跡が一般的ではなく、他に詳しい者がいなかったためかその暴挙は続けられた。
魔術と奇跡は似て非なるものであり、聖国が詳細を秘匿しているせいで他国は解析が進んでいない。
アリアは大切な友人が奇跡を使ってばかりいるのは分かっていた。
しかしそれがどれ程凄惨な事であったかは見抜けなかった。
そして遂にその日がやって来る。
ピクリとも動かなくなった母だったものを前に、彼女が生前残した言葉に従う。
生きてと。
運ばれていく遺体を前に、彼女は何の感情も帯びていないように見えた。
むしろここまで生き長らえたのは奇跡だと言われた。
それはそうだろうと思った。正真正銘、奇跡のおかげなのだから。
翌朝、無理矢理奇跡を心と身体に貼り付けて、いつものように登校し、いつものように授業を受けた。
部活が終わり少し様子がおかしいことに気付いた友人が、今日は一緒に帰ろうとついてきた。
別に良かった。もう早く帰らないといけない理由は無くなったから。
既に日は落ち、部活も無いのに放課後からぼーっとしていた彼女は、
いきなり銀髪の純人に、頭に拳銃を突きつけられて、
自分にもお迎えが来たのだと、そう思った。
「ツムギちゃん、大丈夫?朝からホントに元気ないよ?」
「••••••大丈夫だよ。少し身体が重いだけだから。生きないと、ね。」
アリアは朝から元気がない天人に付き添いながらも校門に向かっていた。
すると記憶にない銀髪の純人を視界に捉えた。
端正な顔立ちで切れ長の黒目に銀糸のような髪を持っている。
エルフにも匹敵するその美貌からは、死の匂いがした。
死神が前からこちらに歩いてくる。
彼女は即座に戦闘態勢を取った。
しかし狙いは自分では無かった。
いきなりツムギを左手で引っ張り人質とし、右の大振りな拳銃をこめかみに刺している。
だが状況はもっと深刻だった。
魔術が使えない。
友人に対して何かされるのを黙ってみているような愚鈍ではなかった彼女は、
唱えられない魔術を前に、驚愕の結論に至る。
魔術妨害装置が起動している。
日本どころかジパング以外では輸入が完全に制限され、厳重に管理されている筈のそれは、
ジパングが未だ国として存在できた理由であり、
かつての第3次世界大戦の引き金であった。
「しっかし今年はマジで優勝狙えそうだなー。レイズさんも喜んでたし。」
今日も身体をさんざん動かしたグレイスはエリアと部室で1年の質の高さを褒めていた。
「確かにこれなら重竜の跡取り相手でもそれなりの勝機はあるでしょうね。」
来週からの春大会に手応えを感じていた彼女は窓から外を気紛れに見ると、
黒い軍用トラックが校舎の塀を超えて飛んでくるのを見た。
轟音と共に窓と壁を突き破り、大きな黒い塊が突っ込んできた。
とっさに魔術が使えないことに狼狽えているエリアを突き飛ばして、トラックの車線上から退避させた。
ぎりぎり身体強化が間に合ったグレイスは避けきれない黒い鉄塊を前に、
(やべえな、春大会行けねえかも。)
エリアと皆に心の中で謝った。
ウェインは窓を背にコーチと一緒に次のレギュラーを考えていた。
何故そんなものが突っ込んで来るかは分からなかったが、背後から迫る質量を感じて振り向いた。
その先にいた赤角の後輩を何かから守るために、彼は
右手でその親友ごとそのまま右に押しやった。
魔術では間に合わないと感じたが故の行動だった。
全身に魔力を漲らせ衝撃に備える。
凄まじい質量が右半身を食い破り他の部員まで巻き込んでいく。
吹き飛ばされた身体は力に逆らわず、浅く宙を舞い机に叩きつけられた。
朦朧とする頭で視界を確保する頃には、吹き飛んだ後輩たちが黒服の純人に銃を突きつけられていた。
レイズは生徒の背後に黒いものが映った時には既に魔術を発動しようとしてできないでいた。
覚えのある感覚を前に何もできない自分を呪う。
目の前の岩竜が緑角を突き飛ばした赤角を庇い、2人が弾き跳んでいく。
トラックから出てきた武装集団が小銃を手にしているのを見た彼女は、
一切臆せず身体強化を最大にして殴りかかった。
身体強化ならば身体能力の延長線上にある力であるため使用に支障はない。
彼女のこの行動が敵の出鼻を挫かなければ、もっと被害は深刻だったろう。
過去に似た経験をしていた元軍人はこういう時にどうすればいいかを知っていた。
いきなり外に出て飛びかかってきた竜人を前に、黒ずくめの男達はナイフで応戦する。
だが慣れていた彼女は彼らをものともせず蹴散らした。
常に至近距離を維持することで小銃の脅威を抑えて立ち回る。
こうも乱戦では拳銃でも相討ちの可能性があり、迂闊に発砲はできない。
「おいおーい。魔術使えない亜竜様相手になーにやってんだ?」
その声を発した男は純人でありながら全く竜人を恐れておらず、千切られる味方を意に介してもいない。
黒髪黒目の大柄でその趣は純人どころか人間の様にも見えない。
体格だけでも成人した竜人にも匹敵する。
スカーフェイスであり両頬に走る縦傷が人の枠に収まらぬ存在であることを告げていた。
男はもう面倒臭えから雑魚ごと撃つかと考えたが流石に士気に関わる。
自らが直接相手をする必要があると見たが、周りを信用していない彼はそれを選択しなかった。
懐からスタングレネードを取り出し、ピンを抜いて少し待ってから何も言わずに味方の方に放る。
投げられたものを見てレイズは即座に殴り倒した敵を引っ張り上げて盾とする。
閃光と爆轟が耳と目を穿つが、盾を壁に目を庇い人の形をしたものを引きずりながら立ち上がる。
しかし敵との距離は空き、人質以外に自らを鉛の雨から妨げるものはない。
光と爆音から立て直した敵を前に、
一手で形勢を変えられた彼女は苦汁を舐めていた。
(くそ!最悪だ。ジャマーはトラックの中か。)
あれは規模にもよるが射程範囲はそこまで広くない。
問題はトラックごと破壊できるような火力はこちらには無いことだ。
車両側にはあの傷の男が抜け目無く潜んでいる。
敵の様子から人質の価値は高そうにも見えない。
蜂の巣にされる未来がちらつくが、諦める訳にはいかない彼女は足掻く。
「なーにボサッとしてる。こっちも肉壁用意すりゃいいじゃえねえか。丁度いい木偶が転がってんだろ?」
足を砕かれてぐったりとしている赤い角の竜人に小銃を突きつけて、凄絶な笑みで悪魔が笑った。
淡島正道はテロリストだった。
自ら望んで屑の飼い犬になったのだ。
復讐のために。
彼は目標を直接調べることはせず、周りの友人関係から調査した。
ディルク少佐の娘を直に探るのはあまりにもリスクが高過ぎた。
だが彼女の周りはそこまでガードの固い人物はおらず、一番距離が近くて身寄りのない天人に目を付けた。
自分の美貌を利用して、同じアルバイト先にいる羊人に怪しまれない程度に情報を聞き出す。
家庭環境の悲惨さからある程度羊人に似たものを感じた天人は、彼女にだけは胸の内を少しだけ吐露していたのだ。
自分も環境の酷さでは負けない彼は、彼女の母が危篤でもう命が幾ばくもないこと、精神的に追い詰められている事を尾行の末突き止めた。
世の不幸など見飽きている彼は、彼女を利用するのに何の感慨も無かった筈だった。
或いは彼も既に壊れていたのかもしれない。
やる事をやり、下種から許可が出た彼は彼女の親の命が尽きた翌日を決行日として今ここにいた。
その日ならば楽に仕事が終わると踏んで。
目標が天人と二人きりになるのを待っていたらすっかり暗くなってしまったが、これはこちらに都合が良かった。
部屋から爆音が響き渡り予定通りになっている事を確かめる。
「動くな。お前が神龍の魔力持ちだな。要求は一つだ。こいつの命かお前の命。惜しけりゃ黙って付いてこい。」
まるで人形のように生気のない女を引っ張り、竜人の方に脅しかける。
人形のこめかみに置いている大型拳銃を竜人の方に向けるべきか悩んだが、相手も暴発するタイプには見えない。
あまり悩んでいる時間はないためこちらが本気であることを伝えようとする。
銃口を少しだけずらし適当な方向に向けて引き金を引く。
乾いた発砲音がそばにあったゴミ箱を貫いて中身をぶち撒け、壁までめり込んだ。
目の前の竜人は逆鱗を着いたような形相だったが彼は戦闘種族の威圧など慣れていた。
「早くしろ。」
糸の切れた肉人形を運びながら部屋に入る。
竜人が大人しく付いて来ているのを確認し、トラックに積み込もうとする。
人質を取られているようだがどうせ雑魚だし殺す予定だ。
死ぬのが早いか遅いかの違いでしかない。
2人を詰め込めば後は最悪そのまま逃げれいい。
なんならもう天人は殺しても問題ない。
如何に魔術が強力であろうと封じてしまえばこんなも
のだといつものように淡白な感想を抱いた。
アリアは自身の無力さに打ちひしがれていた。
暴才を持ちながらもそれを活かせず魔術を使えない事を感知できなかった。
身に余る才は自らにとって不幸を呼ぶだけでなく、周りを巻き込み災禍を招く。
神龍の魔力なぞ使わなければ良かったのだ。
自分の迂闊さに呆れる。
実はディルク少佐も忠告はしたがこれが原因ではない。
そもそも神龍の称号など世間一般では眉唾ものなのだ。
神龍がびっくりしてしまうから止めただけだ。
敵の首魁も自分が扱えないものに興味は無かった。
それでも彼女の価値は全く薄れなかったが。
自分のせいで狙われることとなった精も根も尽き果てている友人を見ると、
申し訳なさと遣る瀬無さが綯い交ぜになる。
天人の家庭環境をある程度知っていた彼女は尚更こん
な事に友人を巻き込みたくはなかった。
これから待っている阿鼻叫喚の地獄を想像して恐怖に震え、父親に謝る。
私は不出来な思慮の浅い娘であったと。
人体実験される可能性も捨てきれない。
また自分は地獄の様な思いをしなくてはならないのか。
一度経験した筈の地獄が、今度は形を変えてやってきた。
銀髪のテロリストがトラックに手をかけようとした時、
遠方に見知った魔力を感じた。
闇の中から発光現象を起こす程の魔力が蠢く。
ジャマーの範囲外から飛んできた鉄塊が、
トラックの荷台を粉微塵に粉砕した。
奇跡は起きる、起こす誰かがいる限り。




