側妃、迎えるべからず
今回は短めです〜。
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皇后イリスはまだ幼い末娘のアデライドと一緒に、日課のティータイムを温室で楽しんでいた。とは言っても末娘はつい最近歩けるようになったばかりで、お茶を飲んでいるのは自分だけ。
アデライドは温室で楽しそうに花を眺めたり蝶々を追いかけたりしている。
侍女たちと一緒にそれを微笑ましく眺める。最近の楽しみだ。
「やあイリス、お邪魔してもいいかな?」
温室の入り口が少し騒がしくなり侍女たちが慌てだしたかと思えば、目の前に現れたのは夫でありこの国を治めるアーノルドだった。
側には見かけない男が一人控えている。
首をかしげて見せればアーノルドがああ、と答える。
「イリスには挨拶がまだだったよね。こちらは新しく大臣になったロドリーだ」
「初めましてロドリー」
「ご挨拶が遅れまして申し訳ありません。つい先日父に代わりまして財務大臣に就任しましたロドリーでございます」
ロドリーは丁寧に腰を折り、イリスに挨拶を返す。
アーノルドに勢いで連れてこられたのだろう、少し気まずそうにしているところを見ると悪い人ではなさそうだ。
「ロドリーとの顔合わせついでに一緒にお茶をしてもいいかな?うちの可愛いお姫様には悪いんだけど」
「ええ、構わないわよ」
イリスが目配せすると、侍女たちは末娘のアデライドを抱えて退出の準備をする。
娘はキョトンとしたまま運ばれていった。あとで部屋にイリスが来ないことに気づけば大泣きするだろうな、と苦笑する。
アーノルドもそれをわかっているのか「すまないが、頼むよ」と侍女にお願いする。
別の侍女たちが新しいお菓子とお茶の準備を進めていく。
「最近忙しかったからね、アディには悪いけど、イリスとこうして昼間にお茶ができて嬉しいよ」
「私もよ、アーノルド」
「実に夫婦仲がよろしいのですね」
皇帝夫妻はおしどり夫婦ともっぱらの評判である。
最初は政略結婚だったし、結婚するまでは冷えた関係だとも噂されていた。
が、結婚するや否やすぐに皇后を孕ませ、皇帝は妊娠と子育てを理由に皇后を閉じ込めた。一人目を産んで、さてそろそろ社交界に復帰するかと思った頃に二人目、三人目と子供を産んでいく。
最初は後継が無事産まれたことに喜んでいたが、四人目、五人目くらいから段々と見る目が変わってきていた。皇帝は意図的に皇后に子供を産ませて閉じ込めているのでは、と。
実際その通りであるので皇帝はあえて噂を否定はしなかった。
皇后には常に過剰なほどに護衛をつけ(もちろん全員女性だ)、閉じ込めた状態で退屈しないよう、皇后のために大きな図書館を整えたり、異国の植物を植えた庭を整えたりした。
たまに皇后が外せない公務で姿を現すことがあれば、皇帝はピッタリと皇后のそばに寄り添って離れることはなかった。
そんな姿を見せられるうちに冷えた関係という噂はなくなり、すっかり仲の良い夫婦の認識になった。やや執着めいたものが見え隠れしてはいるが、国を治めるのには問題はないので目を瞑った。というか怖いので貴族たちは見なかったことにした。
「そう、僕たちはとても仲がいいんだ。ねえ、イリス」
「そうね、仲良くなきゃ六人も子供を産まないわ」
「僕たちの愛の結晶だ。いくら増えたっていい」
「やだわ、困った人」
クスクスと笑う夫婦の前に新しい紅茶が注がれる。最近のイリスのお気に入りの隣国の紅茶だ。
イリスは静かに紅茶を飲む。
アーノルドはうっとりとした表情でその姿を見つめるのだ。
「ねえ、イリス、例えばなんだけど、もしも僕が側妃を迎えたいって言ったらどうする?」
ピシ、とカップにヒビが入る音がする。
侍女は察して、すぐに新しいカップにお茶を注ぎ直した。
「なあに、藪から棒に」
急にピリピリとした空気が温室を包む。
この夫婦は魔力量が多い。イリスは少し怒っているようだ。感情が昂り、魔力が漏れ出してカタカタと温室のガラスが揺れている。
「もしもの話だよ。君の答えを聞いて僕が安心したいだけ」
アーノルドはそう言ってイリスの手を握り、口付け、それから頬ずりして見せる。
ガタガタと揺れていたガラスはゆっくりと静かになる。
しばらく表情を伺うようにアーノルドを見つめていたイリスがふう、と息を吐いた。
「一万歩譲った回答と、一歩も譲らない回答と、本音、どれが聞きたいかしら?」
「全部。順番に聞かせて?」
アーノルドはドロっとした瞳でイリスを見つめながら答えた。
イリスは軽く手を上げて侍女たちを下がらせる。
残されたのはイリスとアーノルド、それからロドリーの三人だ。
「じゃあまず、一万歩譲った回答ね。あなたが側妃を迎えるという話を聞いたその瞬間から子供達と離宮に引きこもってあなたとは会わないわ。そしたらあなたはどうする?」
「毎日君の離宮の前で頭を下げるよ。君が許してくれるまで公務も全部放棄する」
「でも側妃を迎えるんでしょう?私は許さないわ」
「側妃なんて建前で、それこそ側妃は離宮に閉じ込めて僕は相手なんて一切しないといって君を説得し続ける」
「でも私はこの目でそれをみて、時間をかけて裏どりをして、納得するまでそれを信じないわ」
「それまで僕は君に会えないわけ?」
「当たり前でしょう」
「じゃあ僕はすぐに側妃を迎えて、僕たちの暮らす本宮から最も遠い粗末な離宮に側妃を閉じ込めるだろうね。そして毎日君のいる離宮に通って許し乞うんだ」
「半年くらいしたら最低限の会話くらいはしてあげるわ」
「僕はどんどんやつれていくだろうね」
「かわいそうだから一年くらいで本宮に戻ってあげる。でも側妃と少しでも会話したらまた離宮に戻るわ」
「それは大変だ。側妃は離宮から一歩も出さないようにしないと」
「三年くらいして信用できると思ったら、寝室を一緒にしてもいいわ。でもただ一緒に眠るだけよ。もうあなたとは一生しない」
「ふうん、そしたら僕は狂ってせっかく迎えた側妃を殺してしまうかもしれないな」
「そう。そしたらアデライドに兄弟を新しく作ってあげてもいいかもね」
「そういうことならすぐに側妃は殺そう」
イリスはそれを聞いて満足そうに微笑んだ。
「最初から側妃なんて迎えなければいいのよ。無駄でしょう」
「それはそうだ」
ふふふ、と二人は笑い合う。
側で聞いているロドリーは静かに汗をかく。
「じゃあ一歩も譲らない案は?」
「そうね、側妃を迎えると聞いたら子供たちを連れてすぐに出ていくわ。二度とあなたの前には現れない。私は裏切ったあなたに失望してこの国の外へ逃げる。子供たちを一人で育て上げるわ」
それを聞いた瞬間、アーノルドの表情がストンと抜け落ちる。
感情の揺らぎに反応してアーノルドのそばのカップと温室のガラスが弾けて割れる。
ロドリーの肩がびくりと揺れた。
イリスは割れたガラスも、驚くロドリーも気にしないといった様子で紅茶の入ったカップに口をつける。
「それは困ったな。僕は君をすぐに探し始めるだろうね」
「本気で逃げるわ」
「君が本気になれば時間がかかりそうだ」
「国境をいくつも超えて、逃げ続けるわよ」
「僕は君を探して、幾つもの国を侵略するだろうね。国土を隅から隅まで侵略して君を探すんだ」
「ふふふ、最後の土地まで逃げるわよ」
「おめでとう、君が逃げるから世界は僕の手中におさまるね。まあ、ほとんど更地になってしまうけど」
「最後は見つかっちゃうかしら」
「見つけるよ」
「じゃああなたの目の前で自害する。蘇生ができない様に、頭を吹き飛ばして死ぬわ。捕まるとあなたは私を連れて帰って閉じ込めるでしょう?でも私を裏切った人と暮らすなんて、私は嫌だもの」
「困ったなあ、じゃあ僕は後を追ってすぐに死ぬよ。君のすぐそばで」
「あら、困った人」
クスクスと二人は笑い合う。だけどその目は濁っている。お互いの愛で。
温室の割れた窓から冷たい風が入り込んでくる。ロドリーはぶるり、と肩を震わせた。
「じゃあ最後、本音は?」
「うふふ、言っていいのかしら」
「もちろん、この場には、僕とイリスとロドリーしかいないんだから」
「ふふふ、そうね」
イリスは笑い、そして一呼吸おいて答える。
「全て殺すわ」
その答えを聞いてアーノルドは心底幸せそうな表情で笑った。
「まず側妃を殺す。私のアーノルドを盗るんでしょう?それくらいの覚悟がないとだめよ」
「そうだね」
「次にあなたを殺すわ。私を裏切るんだもの。当然よね?」
「そうだね。僕は抵抗しないよ」
「次に側妃を受け入れることを止められなかった側近、宰相、大臣、全て殺す」
「そうだね、僕の愚行を止めない家臣は愚かだ」
「それから、そうね、あなたがいないことに絶望して、それからあなたが私を一生愛してくれなかったことに絶望して、全部消しちゃうんじゃないかしら」
「そうだね、僕だってそうするよ」
「そうよね?」
「そうだよ」
クスクス、と二人の笑い声だけが温室に響いている。
ロドリーは汗でシャツが肌に張り付くのを感じる。だらだらと汗が止まらない。
先ほどから体が小さく震えるのは、吹き込んでくる風のせいだけではない。
賢帝、賢妃と名高い二人。
おしどり夫婦と名高い二人。
その実情を知って、それから愚かなことを考えた自分に冷や汗が止まらない。カラカラと喉が乾く。
二人はお互いの世界に浸って、ロドリーの目の前で口づけを交わし合う。
お互いを見つめ合った後、アーノルドはロドリーをチラリと見た。
「まあ、そう言うわけだ。君はこのあと宰相のところに行って、今日はイリスと愛し合うからよろしくと伝えておいてくれるかな?」
ロドリーは首がちぎれそうになる程ぶんぶんと縦に振り、それから慌ただしく温室から出ていった。
イリスとアーノルドはそのまま温室で抱き合い、お互いの存在を確かめ合った。
「んもう、こんなんじゃ七人目ができてしまうわ」
「いいんじゃないか?五人も男の子だったんだ、もう少し君に似た女の子がいてもいいと思うだけど」
「まったくもう。それで?あなたはどうしてロドリーの前であんな馬鹿げた質問をしたわけ?」
温室のソファで、アーノルドの膝上に乗せられイリスは尋ねる。
お互いがお互いのことしか眼中にないのはよく知っている。
他の人間なんてありえないということも。
そしてもしも、ありえないけど、もしも他の人間が入り込んできた時に相手がどうなってしまうかもよく知っているのに。
何故あえて尋ねたのか。
「君は察しがいいな。ロドリーの娘が最近社交界デビューをしたらしいんだが、どうやら側妃の座を狙ってるらしいと聞いたんだよ。ロドリーも口では止めているようだが、あわよくばと思っている節があるようでね」
「若い頃は叶わない夢を追うものだものね」
「君に少しでも不安になってほしくないし、不快な思いもしてほしくないからさ。先にその志を折ってしまおうと思ったわけさ」
「ロドリーは顔が真っ青だったわよ。悪い人」
「そう、僕は悪い人だから君が管理してくれないと」
そう言って口付けてくるアーノルドを、イリスは「もう」といって受け入れるのだった。
その後、ロドリーの娘は首都から離れた辺境伯の元へ速やかに嫁いだと聞いた。
アーノルドはその対応に満足し、ロドリーを引き続き登用することに決めた。
あの日冷や汗をかいて真っ青になって帰ってきたロドリーに宰相が何事かと駆け寄り、それから深夜まで説教したのは側近の間では有名な話だ。
皇帝は皇后さえいれば正しく国を治めてくれる。皇后も皇帝さえいれば大人しくしていてくれる。魔力量の多い二人の逆鱗に触れれば、一瞬でこの国は消し炭になってしまう。
だから彼らの関係には触れてはいけないのだ、ということをロドリーはこれでもかと叩き込まれた。
その後イリスは結局さらに三人の子供を産んだ。
アーノルドは第一王子が成人するや否やすぐさま王位を譲り、豊かな南部にイリスと引っ越して二人で死ぬまで過ごしたのだった。