迫る終末 ラストクロック
迫る終末 ラストクロック
2024年10月31日6:00 東京 首相官邸
京都でも厳戒態勢が敷かれていたが東京もそれは同様であった。特に首相官邸は騒がしかった。
政治家や一般官僚には伝えられていなかったが、内閣府高官や防衛省の高官の全員が知っていた。国家公務員は服務の宣誓を行っており、2010年代に制定された特定秘密保護法をしっかりと守っていた。
先日、追加で習志野第一空挺団の半数が京都に向かい、残り半分は霞ヶ関官庁街にひっそりと展開し、中央即応連隊が皇居内に待機していた。
彼らには訓練と伝えていたが、多くの兵士がただならぬ事態が迫っていることを予感していた。
防衛省は全国の自衛隊員に訓練名目で午前6時に出動待機を命じており、3日間はそれを続ける見込みであった。近衛首相は深夜まで全国の防衛計画を練るのに協力していた。
政府の計画では有事がどのようなものかは分からないが、皇室に残された古文書にあるようないわゆるファンタジー的な事態が現実に起こりうるならば、市民を基地や駐屯地、全国の城やその跡地に保護し、具体的な解決を行うことを決めていた。
烏間は米軍やイギリス政府の動きを掴み、確信を深めていた。彼らほど大規模ではないがロシア軍やインド軍の移動も捉えていた。
「総理、良く眠れましたかな?」
烏間は寝室から出てきた近衛にそう問いかけた。
「眠れはしたが、一眠りしたことで不安な気持ちが増えてきてしまったよ。」
近衛はそう冗談のような本音のような言葉を漏らした。
「ここ数日、いや今日が勝負です。世界の異変はその数時間で倍増しています。数日は眠れないかもしれないが、頑張って生き残りましょう。」
烏間はそう言った。
近衛は気持ちを切り替えた。彼の直感では今日がキーポイントであった。
さらに、今日はハロウィーンの日であった。残念ながら街はお祭りムードであり、政府の雰囲気とはまったく異なるものであった。
2024年10月30日22:30 イギリス ロンドン
(日本時間10月31日7:30)
まもなくハロウィーンの日に差し掛かろうとするイギリスのロンドン。こちらも若い人たちがロンドン中心部でバカ騒ぎしているなかで時計塔ではラストクロックの針が急速に進んでいるのを魔術師達が見守っていた。
ラストクロックはイギリスがインドを支配下、植民地にした際に北部の仏教の聖地からイギリス東インド会社に協力していた魔術師が発見し、英国政府に譲渡された世界の終焉、いや危機を伝えるとされている時計である。
ラストクロックはありとあらゆる危機に有効で、第二次世界大戦のロンドン大空襲の時にも大きく針を進めた。その後は東西冷戦の中で大きくは動いていなかったが、冷戦の緩和とともに元に戻りつつあった。ただ、その流れがピタッと止まったのが一昨日。今日の朝頃から時計の針が進み始めた。
既に時計の針は1時間を切っており、このままのスピードで進めば約1時間半で0を向かえるというのがコンピューターの予測であった。
既にこの事はイギリス政府及び王室に伝わっており、特に王室は正常であったが、政府の緊張は大いに高まっていた。
まもなく10月31日。古代ケルト神話では11月1日が新年であり、10月31日は死後や異界の扉が開かれ、異形の怪物やゴーストがこの世をさ迷うとされていた。
英国首相トーマス.クリステンはエリザベス2世に呼び出されウィンザー城に向かった。
イギリスも動き出した。
23時前にはイギリス軍に出動待機が発令され、イギリス全土の陸空軍が展開を始め、海軍艦隊が洋上に集結し始めた。
多くの国が知ったら何に備えているのかと疑問に思うだろうがイギリス政府は直感で、そして経験則で最善の選択肢を掴みとった。多くの国は何かが起こる可能性があることは知っていても「いつ」起こるかまでは知り得ないからだ。
実際にロシア政府はアメリカやイギリスの動きを確認し、諜報機関が動き始めており、イギリスや米国の動きから首都近辺の軍隊が準備を始めていたが、中国やブラジルといった大国でも情報がなければ動きようがなかった。
世界の終末において準備をしておくことは国家の存続に関わり、初期における国民の生存率に大きく関与するということを多くの国は身をもって知ることになる。
ただ、そもそもの話として政治のトップが決断しうる情報を各国の諜報機関が手に入れられたかどうかも重要だが、長い歴史において研究を進めてきたのかどうか、国内情勢すらもその判断基準になりうるということは為政者にとっては非常に難しく、気づくことも容易ではない状態であったことは言うまでもないだろう。