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 ルナは人を襲うかもしれないという恐怖から、道なき道を進んでいった。

 どんなに険しい場所でも、木の間などを跳躍して移動することも容易になっていたので、それほど苦ではなかった。 

 ただ、何日か血の渇きをやり過ごした後、身体の不調を感じるようになった。

 それは血を摂取していないためだと推測できた。水や食べ物は取っていたが虚脱感が抜けない。また、強烈なものではないが、常時、血を求めるような欲求を自覚するようになった。


(長くはもたないかもしれない)


 ルナは身体か精神のどちらかがおかしくなるのではないかと感じている。

 そして、森の中で、山の中で、人の灯がない世界でルナは懊悩した。


(いっそ、血を飲んでしまった方がいいのかも)


 頭の中にそんな考えがよぎった。そうすれば簡単に楽になれる。血を飲んだからといって何だというのだろうか? 別に眷属を増やそうというわけでもない。

 少し血を分けてもらうだけ。ラトだって平気だった。何も問題がない。

 ただ、ラトのように優しく腕を差し出す人などいないだろう。

 血のために襲った人は、きっと恐怖でひきつった顔を浮かべるに違いない。

 それに……もし人を襲ったら、歯止めが効かなくなる気がした。もう人には戻れない気がした。

 

(でも、わたしは売られた商品だ。初めから人じゃない)


 今更、吸血鬼になったところで、どうということはないはずだ。

 そもそも、なりたくてなったわけじゃない。自分が悪いわけじゃない。悪いのは自分を吸血鬼にした師匠だ。


 血の渇きに襲われ、次第に人の心を失っていく自分がいる。

 もう、楽になりたい。大体、ローガンに会ったところで何も知らないかもしれない。こんな苦しい思いをしてバヌクートに着いても無駄になるかもしれない。

 何で自分だけこんなに苦しまなければならないのか?

 他にも仲間がいればいいのに。眷属をたくさん作って、吸血鬼の王国を築いてしまえば、ひとりで思い悩むことなくなるはずだ。

 そうしよう。街か村を襲って仲間を増やす。今の自分の力があるなら人間なんかに負けるはずがない。いっそ人間をひとり残さず吸血鬼に変えてしまえばいい。

 こんな山奥で一人膝を抱えてうずくまっているなんて馬鹿らしい。自分ひとりがこんな目に遭うのはおかしい。わたしには親もいなかった。吸血鬼になったところで誰が悲しむわけでもない。誰に怒られるわけでもない。


 ルナは歩き出した。走ることなく、血の渇きに苦しみながら、ゆっくりと西に向かって歩いた。

 何故か思い出したのは、モリーのことだった。ルナたちを厳しく教育した、鬼みたいに怖い人だった。

 でも、ルナが売られていく前日、モリーは言った。


「頑張りなさい。あなたは売られていく子どもかもしれないけど、わたしがきちんと育てたんだから、あなたは可哀そうな子どもなんかじゃない。頑張って人間として生きなさい」


 ルナの両手をつかんで語り掛けるその目は、いつになく優しかった。


「でもね、どうしても辛かったら、いつでも帰ってきなさい」


 それを聞いてルナは不思議に思った。「わたしは高く売れたのだから喜ぶべきだ」と。「こんなところに戻るはずがない」と。

 でも、今はそのモリーの言葉が何度も頭の中をよぎった。

 自分が吸血鬼になったら、きっとモリーは悲しむだろう。そして怒って、拳骨で頭を殴るに違いない。

 あの拳骨は痛かった、とルナは思い出し、かすかに笑みがこぼれた。

 モリーは厳しいけれど愛してくれた。カーンも不器用だけれどわたしを必要としていた。ラトはわたしのことを好きと言ってくれた。

 人をやめるには、ルナの回りの人たちは優しかったし、今までの自分の頑張りが無駄になってしまうような気がした。


(それは少しもったいないかな) 


 繰り返される血の渇きにはまったく慣れることがなく、のたうち回るような飢えと人を襲いたくなる欲求はどうしようもない。

 けれどルナは最後の部分で踏みとどまり続けた。


──


 そうして、身も心も疲弊しきった頃、ようやくルナはバヌクートにたどり着いた。

 それは見たこともないような規模の巨大な廃墟であった。今まで見たどんな都市よりも広く、朽ち果てた建築物は自分の知るどんな建物よりも大きい。

 バヌクートの周囲には広範囲にわたって草木が生えておらず、無機質であまりに険しい場所にあった。アスラの民を滅ぼした奴隷たちが、この都市を放棄した理由がわかる。


 ローガンを探すにあたって、カーンは人除けの結界があるといっていたが、それがどんな類の物かはルナにはわからない。

 一言で結界といっても、その種類は豊富だ。例えば、カーンの屋敷は恐怖や忌避感を感じさせることによって人を拒んでいた。他にも、そこにあるにも関わらず、存在感を消すことで人の目線を逸らすという結界、方向感覚を狂わせて、その場所にたどり着かせないという結界もある。

 しかも、相手は大魔導士だ。とても簡単に見つかるとは思えない。


(面倒くさい)


 疲労し切ったルナは考えるのが嫌になった。

 そこで、アンデッドを召喚して代わりに探させることを考えた。

 人気がないとはいえ、元は都市だったのだから骨ぐらいは埋まっているだろう。不死の王となった今では、死霊魔術との相性は格段に良くなり、何十体でもグールやスケルトンを使役することができると思っていた。


(それでいこう)


 ルナは手を掲げると、地に眠る亡者たちに呼びかけるように呪文を詠唱を始めた。

 が、


「待て待て! ここで死霊魔術を使うでないわ!」 


 突然声がかかった。

 見れば、少し先の岩に、さっきまでいなかった小柄な老人が腰かけていた。右手に杖を担いでいる。

 白髪の中にわずかに混ざる金髪、しなびた白い肌、そして目は赤かった。


「え? アスラの民の亡霊?」


 ルナは驚いた。自分以外のアスラの民は初めてだったので、死霊の類かと思ったのだ。


「違うわ、馬鹿者! 人を亡霊扱いするな! わしは大魔導士だぞ?」


 老人は目を吊り上げて怒り、ルナのところへひょこひょこと歩いてきた。


「え? 大魔導士? ローガンさん?」


 ルナの想像上のローガンとはまったく異なっていた。

 カーンの師なので、面白みが無く、魔法のこと以外は何も考えていないような人間だと思っていた。

 目の前の老人は、自分のことを大魔導士と呼称する、少し調子の良い人物に見えた。


「そう、そのローガンだ。おまえ、今死霊魔術を使おうとしただろう! やめろ、悪戯に死者を起こすものではない。見たところ、おまえもアスラの民だろう? 先祖に対する敬いというものはないのか?」


「特にないですけど……」


「あー嫌だ嫌だ。最近の若い者は。親に何を教えてもらったんだ?」


 ローガンは杖をルナに突きつけた。


「え? 親はいません。物心ついたときは人買いのところにいました」


「……そっか、それなら仕方ないな」


 ローガンは杖を引っ込めると、気まずさを誤魔化すようにくるりと背を向けた。


「おっほん、それでおまえは何しにきた?」


 背を向けたままローガンは聞いた。


「不死の王になってしまって、それで血の渇きを克服する方法はないかと思って、ローガンさんを訪ねてきました」


「不死の王? マジで? ちょっと歯を剥いてみ?」


 またくるりとルナのほうを向いたローガンは、興味深そうに距離を詰めてきた。


(他に確認する方法はないのかなぁ?)


 とルナは思ったが、言われた通りに歯を剥いた。


「うわっ、牙がある! こわっ! そばによらんといて!」

 

 ローガンは跳ねるように後ずさり、ルナとの距離を取った。

 ルナは呆然とした。カーンとは違った意味で変わった人物だった。


「あの、すいません、それで克服する方法はありませんか?」


 ルナは離れていったローガンに呼びかけた。


「何で? 飲めばいいじゃん、血を。駄目なの? あ、わしの血は駄目だぞ。えーっと、そう、わしの血は毒だから飲めば死ぬからな」


 ローガンの口調は本気なのかそうでないのか、よくわからなかった。


「いや、人として駄目だと思いますけど……」


「だって、おまえさんは不死の王だろ? もう人間じゃないじゃん?」


 何て酷いことを真正面から言う人なんだろう、とルナは呆れた。


「とにかく、飲みたくないんです。何とかなりませんか?」


「飲みたくない? ということは、今までまったく飲んでないのか?」


「ひとりだけ噛みました。その人からしばらくは血をもらっていたんですけど、それ以降はまったく」


「ほう、どれくらい飲んでない?」


「10日以上は……」


「それならそろそろ身体にガタがきている頃だな? これをやろう」


 ローガンは懐から小瓶を取り出すと放り投げた。それはちょうどルナの手元に来たので、簡単に受け取ることが出来た。瓶の中には緑色の液体が入っている。


「何です? これは?」


「魔力を回復させる瓶だ。血を飲んでいないなら、魔力切れを起こしているだろ? 飲め。それが毒でも不死の王なら死にゃせんだろ?」


 一言多いなぁ、と思ったが、ルナは瓶の栓を抜き、少し匂いを嗅いだ。特に変な臭いはしなかったので、そのまま飲む。

 すると身体の倦怠感が抜けていき、血に対する欲求も薄れていった。


「すごい! これがあれば血の渇きが癒える! これを毎日飲めば……」


「そんなにいっぱいあるかい! それは貴重な魔力の回復薬だぞ? 人間の命より価値があるわ。毎日消費するぐらいなら人を噛んだ方が手っ取り早い」


 どうも、この小柄な老人は人命を軽視する傾向があるようだった。それは弟子のカーンとも通じるものがある。


「……じゃあ、どうすればいいんですか?」


 有効と思われたアイテムが貴重なものと知って、ルナは少し気落ちした。


「吸血鬼は何故人の血を欲するかわかるか?」


「人の血が魔力の供給源になっているからです」


 これはカーンの資料に載っていたことだった。人の血は魔力の触媒となっており、吸血鬼はそれを体内で膨大な魔力へと変換することができる。


「答えの半分だな。それほどの魔力を必要とするのは、吸血鬼は常時魔力消費が激しいことに起因しておる。つまり、魔力消費を抑え込めば良い。加えて、あらゆるものから魔力を取り込めるようになれば、わざわざ人の血から魔力を取り込む必要はなくなる」


 ローガンの言っていることは、ルナにはわかるようでわからなかった。

 魔力消費が激しいことはわかる。今の身体は物理的にも魔力的にも、常に過剰なまでの力は発揮するからだ。しかし、それを抑え込むといわれても、さっぱりわからない。

「あらゆるものから魔力を取り込む」という話に至っては、「何言ってんだ、このじじい」くらいに理解できなかった。


「あの、どうやって魔力の消費を抑えるんですか?」


「わからない、ってことは修行が足りてないってことだ、未熟者」


 ローガンはルナを煽るように、ペッと地面に唾を吐いた。

 ルナはイラっとしたが質問を続けた。


「じゃあ、魔力を取り込む方法は……」


「魔力は何にでもある。人間だけでなく、太陽、草木、地面、大気、何でもだ。それを感じて己のものとすれば魔力に困ることはない。ちなみにわしはできる。無敵だ」


 ローガンは胸を張って威張った。


「そんな話聞いたことがないわ」


「ふぅっ……五感に頼り過ぎるからわからんのだ。心の目で見ろ」


「何ですか、心の目って?」


「知らん、適当に言った」


 話せば話すほどルナはいら立ちを感じた。しかし、この老人に頼る他ない。


「あの、わたしを弟子にしてもらえませんか?」


 色々不安を感じるが、カーンの師であったのだから弟子を取るつもりはあるはずだ。


「別に良いよ」


 ローガンはあっさり受け入れた。


「ただし、ひとつ条件があるがね」

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