15(SIDE5)
俺は王家の長子として生まれた。
生まれながらに王となることが約束されていたわけだ。
けれど、我が国はそれほど大きな国ではなかったし、王子だからといって贅沢が許されるような環境でもなかった。
「であれば、俺がこの国を大きくしよう!」
ただの王になるのではない、神話や伝説に登場するような英雄になるのだと俺は決心した。
歴史に名を刻み、後世にまで語り継がれる存在となる。それが俺の夢だった。
「神話や伝説は作り話だから、そんなものにはなれませんよ?」
側仕えのルシアナは現実的なヤツで、いつも俺をそんな風にからかった。
夢がないヤツだと思った。俺が王になることは決まっているのだから、それを超えて行かねば何のための人生かわからぬ。
ただ、多くの人間はルシアナと同じような態度で、誰も俺の言う事だと本気にしなかった。
「きっとラト様ならなれますよ!」
もうひとりの側仕えであるキリアンは俺を褒め称えた。
こいつは理解者というよりは盲目的に俺を崇拝しており、それはそれでその言葉は俺の胸を虚しく通り過ぎていった。
無論、言葉だけなら誰でも言える。俺は剣術や学問に励んだ。すべてにおいて頂点を極めねば、伝説になどなりようがなかった。
──
成長して、剣の腕でも学問でも王国一となった俺は『第8騎士団』を立ち上げた。
まあ、王子であった俺には何の権限も無かったから、勝手に活動を始めただけだが。
ルシアナとキリアンを団員にした俺は、王国内の不正や民衆の困りごとを次々と解決した。ときには魔物退治も行った。
俺とてまわりが見えないわけではない。初めは小さなことから始めて実績を積み重ねて、周囲に俺のことを認めさせたのだ。
だが、そこにあったのは現実だった。多くの人間が俺のことを称賛するようになったが、根本的には何も解決していないことが俺にはわかった。それはこの国だけの問題ではなく、世界の問題だったからだ。ひとつひとつの事柄を解決しても、世界は変わらない。俺は無力だった。
世の中は綺麗ごとだけで出来ているわけではない。俺は王の後継者として、それを認識してしまったのだ。
そんなときに出会ったのがルナだった。ある事件の関係者として接点を持った同じ年頃の娘だったが、数奇な人生を歩んで、魔法使いを目指していた。
街の店で一緒に茶を飲んでいるとき、ルナは俺に言った。
「世界がひとつになればいいのにね」
そんなことは不可能だった。どうやって世界を統一するというのか? 軍事的にも政治的にも難しい話だ。そもそも軍事的に無理矢理統合したところで、どれだけ民衆に犠牲を強いることになるかわかったものではない。戦争など最悪の手段だ。
「犠牲? 犠牲は毎日出ているわよ。例えば、人身売買を認められる国がひとつでもあれば、毎日のようにさらわれる子どもはいるわよ? その国に行けば商売になるからね。そして売られた子は理不尽な目にあうわ。わたしだってそうなっていたかもしれない。それは犠牲じゃないの?
別にね、人身売買だけの話じゃないのよ。国がたくさんあって、みんながバラバラのことをしていたら、世界は悪くなっていく一方よ? ズルいことをやっている国だけが得をするのだもの。そうなると、みんな得がしたいのだから、正しいことなんかしなくなるわ。ラトの言う理想なんて誰も目指さなくなるの。
綺麗なことをしたければ、みんなが一斉にやらなければならないわ。そうでないと意味が無いからね。だからね、わたしは世界がひとつになって欲しいの。犠牲はたくさん出るかもしれない。でもね、毎日出ている犠牲は減るのよ。今も積み重なっている犠牲がね。
それにね、世界がひとつになったら、お茶やお菓子も安くなるでしょう? みんな幸せになれるわ」
ルナはそう言って笑った。
これを聞いたときに、俺は為すべきことが見えた気がした。
俺は英雄を目指していたのに、いつのまにか視野が狭くなっていたのだ。
小さいことから正していくのではない。大きなところから正さなければならない。
ラーマ国だけでなく世界を正す。それこそが英雄の為すべきことなのだと。
「おまえの言う通りだな、ルナ! 俺は間違っていた! 俺はもっと大きな野望を持たなければならなかったのだ!」
俺はルナの手を握って、熱を込めて語った。
しかし、ルナの目は冷ややかだった。
「何を言ってるの、ラト? そんなこと言う前にちゃんとしなさいよ」
「ちゃんと? いや、俺は偉いから……」
どうもルナの目からは、俺はちゃんとしていないように見えたらしい。
「偉いって何で偉いの? ラトって働いてる? ちゃんと自分でお金を稼いでいるの? ラトが偉いって誰が決めたの?」
当然、金など稼いだことはない。そんなことは考えたこともなかった。俺が偉いのは生まれたときから決まっていたことだったから、そうとしか言いようがない。
でもルナは違った。物心ついたときには人買いの商品だった。
けれど、それでも下を向かずに生きている。決して後ろ向きなことは言わない。
大きな屋敷を綺麗に整え、家事をし、薬草を取り、薬を作り、買い物に出て、魔法を学んで、それらをすべて完璧にこなしていた。息をつく暇もないはずだ。俺の知る限り一番の働き者だ。
俺とルナを比べて、どちらが偉いかといえば、ルナのほうが偉いだろう。
「なるほど、確かに俺は偉くないな」
俺は笑った。自分が偉くないなどと思ったのは生まれて初めてだった。
「だが見ておれ。俺は世界で一番偉くなるぞ」
世界を統一し、平和にする。それはきっと英雄にしかできない、俺にしかできないことだ。
ルナは俺を疑わしそうな目で見ている。
「ラトって本当に口だけは世界一よね」
「当たり前だ。まずは言わなければ始まらぬ。みなに宣言すれば、やらざるを得なくなる。黙っていては誰も理解せぬ。人に言わぬのは失敗が怖いからだ。黙ってやろうとするのは恥を恐れているからだ。俺は失敗も恥も恐れぬ。だから、俺は口から始めるのだ」
「本当にあなたって口だけよね」
そう言いながらも、ルナは笑っていた。
「信じぬのか?」
「いいえ、信じるわ。信じないって言葉は何も生まないもの。ラトは何かをやろうとしている。それができることなのか、できないことなのかはわたしは知らない。でもね、わたしが信じることで、ラトの力になれるのなら、わたしは信じるわ。だって、魔法ってそういうものでしょう? 信じるから魔法は実現するのよ。奇跡を生むの。
今はわたしは魔法使いの弟子だけど、いつか大魔導士になるわ。だから、わたしが信じればラトのやりたいことはきっと実現するはずよ」
俺はいつも大きなことばかり言っていた。自分の言葉には力があると思っていたからだ。
けれど、人の言葉に力を感じたことなどなかった。俺のまわりの連中はいつも「何ができるか」でしか話をしないからだ。「何をしたいか」で話をしないし、できないと思うことには否定的だった。そんな言葉に何の力も感じるわけがなかった。
しかし、ルナの言葉には力がある。俺はそれを感じていた。
身分の上下ではない。こいつは本当に偉いのだ。
だからずっと一緒にいて欲しいと思った。隣にいて欲しいと思った。
吸血鬼だろうが、不死の王だろうが、そんなことはどうでもいいことだった。
血ならいくらでもくれてやる。その代わり、他のヤツの血など一滴も飲ませる気はない。
ルナの中には俺の血だけが流れていればいい。
「ごめんね、ラト。これで最後だから」
微かにルナの声が聞こえた。