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 ルナは差し出されたラトの腕から一旦視線を外して、目をつぶった。

 しかし、狂おしいほどの渇きがルナの意識のほとんどを占有し、それに抗うことなどできそうにない。


「遠慮することはない」


 ラトの声は優しかった。

 ルナは目を開けると、恐る恐るラトの左腕を手に取った。


 そして噛んだ。


 一瞬だけラトの腕が硬直し、それから力が抜けていくのをルナは感じた。

 ラトは一切声をあげなかった。

 ルナは自分の喉に血が流れる感触を覚えると、そこでようやく渇きが癒えて、意識が元に戻った。

 慌てて腕から口を離したが、そこにははっきりと歯の跡と血が残っている。


「気にするな、俺は血の気が多い」


 ラトがそう言ったものの、ルナは顔を手で覆った。


「何でこんな……」


 自分が化け物になったことを、ルナはようやく理解した。


──


 いくらルナが懊悩しようとも、血の渇きが訪れるとそれに逆らう術はなかった。

 何度も堪えようとしたが、耐え難い飢餓状態となり、血の誘惑に屈した。

 結局、ルナは毎日一度だけラトの血を吸った。

 キリアンが自分の血もルナに提供することを申し出たが、


「他の人間の血など吸わせたくない」


 とラトが拒否した。

 ラトの左腕はルナの歯形だらけになったが、ラトは包帯を巻くことで、それを隠した。

 他の臣下の者たちに包帯について問われると、


「これは俺の左腕に宿った荒ぶる力を封印するための……」


 とラトは言い始め、それでほとんどの者たちは「ああいつものですね」と納得した。

 このことを知ったルナはルシアナに尋ねた。ラトの部屋でルシアナとふたりきりになった時だ。


「ラトって、みんなにどう思われてるの?」


「ラト様は昔からそういう神話とか伝説が好きでね。子どものころから、伝説の英雄になったつもりで遊んでいたのよ。……まあ、その子どもの期間が結構長かったんだけどね。

 ただ、その影響で剣術には励んだし、学問にも熱心だったから、周囲の人間はあまり気にも留めなかったわ。わたしとキリアンは側仕えなんで、ずっと付き合わされていたけどね。

 その延長線上で第8騎士団なんていう、存在しない騎士団を作って、勝手にわたしたちを騎士団員にして、勝手に街の治安を守り始めたのよ」


 ルシアナは苦笑いしていた。ラーマ国には第7騎士団までしかない。


「何それ? ラトって本当に子どもっぽいのね」


 ルナが笑った。王宮に来てからまったく笑うことがなかったので、久しぶりの笑顔だった。


「でもね、ラト様は決して遊びでやってたわけじゃないの。いつも本気だったのよ。

 街の治安だって、ちゃんと情報を集めて、困っている人たちを何度も助けてきたわ。不正を働いていた役人たちに証拠を突きつけて処分したし、危険な魔物だって退治した。

 なんだかんだ言うけど、ラト様は凄い人なのよ。それは陛下を始め、みんなわかっている。だから、とても信頼されているの」


「そうなんだ」


 ルナは自分の知らないラトの一面を知って、不思議な気持ちになった。


「……カーンの件もその一環だったの」


「えっ?」


「カーンの屋敷の噂は、街では結構有名だったのよ。幽霊屋敷としてね。法的には所有者もはっきりしていたし、特に問題はなかったんだけど、不自然なくらい長い間、誰も近寄れなかったの。立地条件と相まって、ちょっと結界が強力過ぎたのね。

 それに興味を示した街の若者がいてね、不幸なことに彼はちょっと魔力に対する抵抗があったのよ。で、彼はこっそりカーン邸の庭に忍び込んだの」


「あの結界を抜けたの!?」


 ルナは驚いた。カーンの屋敷の周囲は決して人を寄せ付けない結界が張られており、普通の人間が近づくのには難しかった。


「色んな偶然が重なったのね。彼も屋敷の中にまで入るつもりはなかったみたいなんだけど……」


 それを聞いて、ルナは自分が庭に埋めたものについて思い出した。


「地面から這い出てきたグールに、いきなり足を掴まれてね。その若者は心臓が止まる思いで逃げたらしいわ。グールが半分地面に埋まっていたから、何とか振り切れたみたいね。

 で、逃げた若者が『あの屋敷にアンデッドが棲みついている!』って街で喧伝したのよ。

 元々、幽霊屋敷として有名だったから、よくある噂話といえばそれまでだったんだけど、アンデッドの話が本当だったら、王国としても放置できなかった。

 だから、ラト様が調査に乗り出したの。

 誤解しないで欲しいんだけど、本当は死霊魔術師の疑いがあるだけで異端扱いされて、カーンはもっと早い段階で処分されていたわ。ラト様が早めに主導権を握ったことで、慎重に情報を集めるところから始まったのよ。それがルナちゃんにとって、良かったどうかはわからないけどね」


「あのグールはわたしが埋めたものなのよ……わたしのせいで師匠は……」


 ルナが顔を強張らせた。


「あのね、ルナちゃん。死霊魔術に手を出した時点で、悪いのはカーンなのよ。それも永遠の命が欲しいっていう自分勝手な理由でね。だから、その話はこれでおしまいなの。あなたが気に病むことは何ひとつないわ。グールなんて臭いし、埋めたい気持ちもわかるしね」


 ルシアナはルナの頭を優しく撫でた。

 けれど、師匠の死の遠因を作ったのが自分であるということが、ルナにはショックだった。


──


 しばらくして、ラーマ国の王が崩御した。

 予想されていた事だったので、大きな混乱はなかったが、跡を継ぐラトは多忙を極めた。

 ラトの正式な名はラムナート。ラトはごく親しい者が呼ぶ愛称だった。

 今後はラーマ国のラムナート王となって、国の命運を握る立場となる。

 ラムナートは元々臣下からも民衆からも人気があったため、特に問題はなかったが、ひとつだけ懸念されていたことがあった。

 それは未婚であったことだった。


「王妃は決めてある」


 即位に際して、臣下から婚姻に関して聞かれたラムナートは、はっきり答えた。

 それが誰であるのかは明言せず、臣下の間では様々な憶測が生まれた。



「ルナ。王妃になってくれ」


 即位して間もなく、ラトはルナに告げた。


「は?」


 ルナは絶句した。

 いくらラトでも、不死の王となった自分を妻とするのは無理がある。

 しかも王妃。この国の女性の頂点に、だ。

 例え不死の王となっていなくても、身分が違い過ぎて受け入れられない話である。

 無理というより、誰も納得しないだろう。下手をすれば国を揺るがす事態となる。


「……何で?」


「決まっておろう、好きだからだ」


 ラトは笑っていたが、冗談を言っている様子ではない。


「無理よ」


「嫌ではないのだな?」


 ラトはルナの言葉尻を捉えた。


「無理なことくらい、ラトだってわかっているでしょう?」


 ルナは語気強く言った。


「俺は王だぞ? 無理なことなどない。無理を通してこその王よ」


「そんな王様、みんなの迷惑になるだけよ!」


「何故、迷惑になる? 俺はルナが王妃にふさわしいと思った。おまえは誰かの迷惑になる人間か?」


 ラトはルナを見つめた。


「そんなつもりはないけど……」


 この話はそこで終わった。ラトもルナを追い詰めるような形にはしたくなかった。

 だが、その後ルナはルシアナに相談を持ち掛けた。


「お願いがあるの」


──


 それから何日か経ったある夜、ルナはラトの血を吸っていた。

 いつもはすぐに終わるのだが、この日は長かった。

 豪胆なラトも血を吸われ過ぎて、少し眩暈を覚えた。


「……ルナ、少し長くはないか?」


 ラトの意識が朦朧としていた。しかし、ルナはそれでも血を吸い続けた。

 そして、ついにラトが力無くベッドに横たわった。


「ごめんね、ラト。これで最後だから」


 ルナは倒れたラトにそう告げると、部屋の窓から夜の街へと飛び出していった。

 不死の王となったルナの身体能力は人間をはるかに上回り、月と重なるような高い跳躍を見せた。

 隣室に控えていたルシアナとキリアンはそれを黙って見送った。

 ルシアナたちは、さすがにルナを王妃に迎えることには反対だったのだ。

 不死の王であることを黙っていても、万が一、事実が発覚した時は王国の致命傷ともなりかねない。

 そもそも身分の知れない娘を王妃にすれば、ありとあらゆる詮索をされることが目に見えている。

 それ故に、ルナの脱走を見逃したのだった。 

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