12(SIDE4)
瀕死のカーンは光を失っていた。その代わりに今までの記憶が、脳裏によぎっていた。
カーンの父親は魔導士であり、カーンは幼いころから魔法の教育を受けてきた。
魔法に対する資質があったために、普通の子どものようには扱われず、魔法のことのみを学ばされていた。
やがて、成長したカーンは魔導士として父親を超えると、さらなる高みを目指すために大魔導士ローガンを探し、その門下に入った。
カーンは自分以上の魔導士に会ったことがなかったため、己の魔法に絶対の自信を持っており、いつかローガンをも超えるつもりでいた。
しかし、ローガンの魔法はカーンの想像を遥かに超えていた。それは生まれ持った才能の差でもあったし、魔法に対する向き合い方の差でもあったかもしれない。
「このままでは一生ローガンを超えられない」
カーンにとって魔法は自らの存在意義である。そのために、他のものはすべて捨ててきた。
今更、後戻りはできない。
師を超えるために、カーンはさらなる時間を、寿命を求めた。
そして行き着いた先が、死霊魔術であった。
吸血鬼となれば永遠の寿命が手に入る。さらに不死の王ともなれば、人を超越した魔力をも手に入れることができるのだ。
それならば、ローガンを超えることは難しくないと思われた。
死霊魔術が禁忌であることは、魔導士にとって常識だったが、カーンにとってはどうでもいいことだった。
カーンはローガンの元を去ると、死霊魔術の研究に専念すべく、故国であるラーマ国に屋敷を構えた。
魔導士であり、貴族でもあった父親が亡くなり、その財産が入ったため、金銭的な不自由はなかった。
カーンは心置きなく死霊魔術の研究に取り組んだ。
研究を進めていくうちに、不死の王に至るにはアスラの民の命が必要であることが判明した。
目的は永遠の命であったため、吸血鬼となれれば十分であったが、不死の王となったときに得られる魔力には興味があった。
「アスラの民が必要だ」
カーンは素材のひとつとして、アスラの民を手元に置くことを考えた。
ただ、ラーマ国では人身売買は禁止されている。
そこで、アスラの民を扱っている他国の人買いの情報を求めた。
人付き合いがほとんどないカーンであったが、元は貴族であり、カーン自身魔法使いとしては高名であったため、ある程度の伝手は持っていたのだ。
そして、他国のある貴族の仲介で紹介されたのがルナだった。
カーンはすぐにその国へ赴き、人買いの屋敷へと行った。
メイソンと名乗った人買いはよく喋る男だったが、カーンはルナの状態だけに関心があった。
赤い眼、白い肌に金色の髪。
それはカーンの良く知るアスラの民と同じものであり、間違いなくアスラの血を引いていた。
カーンはメイソンの言い値で代金を支払うと、ルナを引き取った。
代金は高額であったが、カーンにとって金はあまり意味のないもので、父親の遺産を使えば払えない額ではなかった。
金に困るようなら、薬でも作ればいいとも考えていた。魔導士が作る薬は高価だったので、それで生活をしている在野の魔導士は少なくなかったのだ。
アスラの民を手に入れたカーンだったが、ルナはまだ贄となる条件を満たしていなかった。
まだ幼く、魔法使いとしての素養もなかったため、魔力が十分についておらず、ある程度、魔法使いとして育てる必要があったのだ。
それは熟した果実でなければ、食すことができないことと似ている。
ルナはよく喋る娘だった。
ルナからしきりに自分を買った理由を問われたカーンは「弟子にするためだ」と伝えた。
嘘ではない。弟子にして、魔法使いとして育った後に、贄とするためなのだから。
すると、ルナはカーンのことを師匠と呼び始めた。
「師匠?」
カーンは弟子になったことはあるものの、弟子を取ったことは初めてだった。
よく考えてみれば、誰かの面倒を見る自体が初めてだったのだ。
カーンの中でちょっとした変化が生まれた。ただ、それはほんのわずかなものだった。
屋敷に連れて行ったルナは、いきなりカーンに「お願いがあります!」と言った。
カーンはルナが帰りたくなったのかと考えた。もちろん、自分が買った素材なので、そんなことを許すつもりはなかった。
ところが、ルナのお願いとは屋敷の掃除だった。
確かに屋敷は大分荒れていたが、魔道を追求するには特に問題ないとカーンは思っていた。
ただ、カーンは自分の感性が普通ではないことを認識していたため、掃除をすることを許可した。
屋敷が汚いという理由で、ルナに逃げようと思われても困るからだ。
ルナはよく働いた。小さい体で屋敷中を掃除し、物を整理し、書物を綺麗に並べた。
それでいて自分が勝手にやってはいけないと思ったことには、カーンの判断を仰いだ。
また、最初はアンデッドに驚いていたが、自分を襲ってこなくなったとわかると、恐れることなく下僕として使い始め、カーンよりも上手く扱ってみせた。
これにはカーンも「よく扱えるものだ」と感心した。
ルナが来てから一月が経ち、屋敷は見事に綺麗になった。カーンとしては汚くとも問題はなかったのだが、それでも少女がひとりでここまでやり遂げたことに、感じ入るものがあった。
ただ、ひとつ気になったことがあった。
時折、ルナはカーンの様子を伺うように、じっと見ていた。
それが何なのかカーンにはよくわからなかった。
屋敷の掃除が終わり、ようやく魔法の教育に移れると思ったカーンにルナは告げた。
「髭を剃らせてください」
聞けば男の髭を剃る訓練も、人買いのところで受けているという。
まったく興味がなかった。なかったのだが、またルナはカーンのことをじっと見ていた。
それは恐れのような怯えのような視線だった。
ようやくカーンは理解した。
ああ、この子には何もないのだ、と。
自分で自分を肯定することができない。だからカーンの反応を待ち望んでいる。
他人の中に自分を見い出そうとしているのだと。
ただ、カーンにはどうすればいいのかわからなかった。
カーンは魔法の中に自分を見い出し、他人にまったく関心のない生き方をしてきたからだ。
ルナを見ると、剃刀を持った手が震えていた。
……非常に危ない。物理的に危険だった。
ただ、彼女は髭を剃ることに自信をもっているようだ。
それを受け入れてやる事が、唯一自分にできることだとカーンは悟った。
(死ぬかもしれない)
カーンは生まれて初めて死の恐怖を感じた。何故、永遠の命を求める自分が、この少女のために危険な目に遭わなければならないのかと疑問がわいた。しかし、最後にはルナに身を委ねた。
ルナはカーンを椅子に座らせると、自分は台の上に立って、それは嬉しそうにカーンの髭を剃った。上手いものだった。
カーン自身、悪い気はしなかった。そして、この子には信頼が必要なのだと理解した。
それからは師として魔法をルナに教えた。アスラの血を引くだけあって、魔力は高く、覚えも良かった。何より自分から魔法に興味を持ち、必死に学ぼうという姿勢があった。
それはカーンの関心を買うためだったかもしれないが、ルナの努力は決して偽りのものではなかった。
「筋が良い」と言ってやったら、殊更に喜んだ。
カーンはあまり人を褒めることができなかったが、その数少ない褒める言葉を、ルナはいつも笑顔で喜んでくれた。
そして魔法使いとして成長していくルナの姿を、いつしかカーンは楽しみにするようになっていた。
魔法以外のことに関心を持つ自分に、カーン自身が驚いていた。
しかし、ルナが来てから10年程が経ち、彼女が美しく成長した頃、ルナの様子に変化が見られた。
外に買い物に行った日は、何だか機嫌が良いのだ。
本人は気付いていないようだが、買い物に出た日とそうでない日とでは、明らかに様子が違った。
「恋人でもできたのだろうか?」とカーンは考えたが、ルナにそんなことは聞けなかった。
もし、街に恋人が出来ていて、ルナがその男の元へと行ってしまえば、自分はまたひとりになる。
それがカーンには恐ろしかった。ルナのいない生活というものが想像できなかった。
カーンはルナを贄として不死の王へと至る気は失っていた。
代わりにルナに対する執着が芽生えていたことに気付いたのだった。