11(SIDE3)
真っ暗な階段を下りた先には、大きな地下室が広がっていた。
その空間は、魔法の光によって青白く照らされている。
中心には祭壇のようなものが設置されており、その上にはルナが横たわっていた。
ルナの首筋からは血が流れているのが見える。
その傍らに立っている灰色の髪の男が、カーンなのだろう。
カーンは不思議そうにラトたちのことを見ていた。
「何故ここに来れた? まさか、グリム・リーパーを倒したのか?」
その口調はさして驚いた様子もなく、平坦なものだった。
ただ、カーンの口の端からは血が滴っている。
「貴様! ルナに何をした!」
ラトが激昂し、カーンに向かって剣を構えた。
「おまえたちには関係ないことだ。ルナはわたしが金で買ったものだからな」
やはり、無感情にカーンが答えた。
「金で人の命を好きにして良い道理があるか!」
「道理など人が勝手に決めたものだ。真理ではない」
「このっ……」
話が通じるようで通じないもどかしさを、ラトは感じた。
「ラト様」
ルシアナが後ろから囁いた。
「カーンが不死の王となった以上、退くべきです。我々だけでは……」
不死の王が相手では勝算が薄いと、ルシアナは冷静に判断している。
「こいつはここで倒す。おまえらは帰っても構わんぞ?」
ラトはカーンから目線を切らさずに答えた。
「わたしもお手伝いします」
キリアンも剣を構えた。
「ルナ様はわたしの友人でもありました」
「はぁ、しょうがないですね」
ルシアナはため息をひとつついて、杖を握りなおした。
「主人が愚かでも、従うのが下の者の役目ですからね」
「……おまえたちが何を怒っているのかわからないが、ここはわたしの屋敷で、わたしは魔術の儀式をしていたに過ぎない。誰に迷惑をかけるわけでもない。帰ってくれないか?」
敵意を示すラトたちに対して、カーンは諭すように語りかけた。
「いちいち言う事がもっともで腹が立つが、残念ながら死霊魔術は禁忌とされている。それを知らないわけではあるまい。裁きを受けろ、俺の剣でな」
話しながら、ラトがカーンとの間合いを詰めていく。
「それも人が勝手に決めたことだ。魔術を極めるためには人の寿命では足りぬ。故に永遠を手に入れた。それだけのことだ」
カーンは近づいてくるラトを見て、静かに呪文の詠唱を始めた。
「させるか!」
ラトは一気に間合いを詰め、剣の切っ先でカーンの喉元を狙った。
カーンはそれをわずかな動作でかわすと、ラトの胴体に蹴りを入れた。
「ごっ!?」
鎧越しとはいえ強烈な打撃に、ラトの身体が浮き上がって後ろに飛んだ。
「……年の割にはやりおる」
蹴られたところを手で触りながら、ラトはあからさまな負け惜しみを言った。
「不死の王でも吸血鬼でも、身体能力と魔力は人間のときよりも大幅に向上します! 慎重に戦ってください!」
ルシアナが叫んだ。
そのルシアナに向けて、カーンが完成させた魔法を放った。
杖の代わりに指先に魔法の光を灯し、それが電撃となってルシアナを襲ったのだ。
対して、ルシアナは杖を振るって、魔法の障壁を展開させる。
だが、電撃はたやすく障壁を貫き、ルシアナに幾ばくかのダメージが入った。
「くっ……」
ルシアナの表情が苦痛に歪む。
「姉上!」
キリアンがカーンに聖水の入った瓶を投げつけた。
さすがに液体は避けきれず、カーンの身体が水で濡れる。
そして、濡れたカーンの肌は赤くただれた。
「ほう、やはりアンデッド化すると、信仰に依らず聖水に拒絶反応を示すか」
カーンは他人事のように自分のただれた肌を観察した。
そこにラトとキリアンが、タイミングを合わせて斬りかかった。
カーンはまるで何かの達人のように、ふたりの剣を紙一重でかわしていく。
「化け物め!」
ラトは自分の剣に絶対の自信があったにも関わらず、素手の相手に通用しないことに衝撃を受けていた。
しかも、手の甲などで剣を弾かれ、拳や蹴りで反撃を喰らった。
鎧のおかげで大したダメージはないが、カーンが疲労する様子もない。
キリアンが何度か聖水を投げたが、そこまで有効ではなかった。
ルシアナも呪文を唱えているが、吸血鬼化したカーンは魔法に対する高い抵抗力をもっているせいで、まったく通じていない。
しかも、こちらから仕掛けねば、カーンに魔法を唱える時間を与えてしまうため、戦い続けるしかない。このままでは先にこちらの体力が尽きて、敗れるのは目に見えていた。
「やっぱり帰った方が良かったかしら……」
ルシアナが思わず弱音を吐いた。
「別に今から帰ってもらってもかまわんよ? わたしは君たちに興味はない」
それに対してカーンは寛大な態度を示した。
「なめられたものだな……」
ラトはそう言ったものの、その表情は疲れの色が濃い。キリアンも肩で息をしている。
カーンは初めから表情ひとつ変えておらず、敗色は濃厚だった。
だが、地下室に一瞬の静寂が訪れたそのとき、祭壇の上のルナが「うっ」とわずかに身じろぎをした。
「まさか……生きている?」
ラトは目を見開いた。ルシアナもキリアンも驚いていた。
ただ、ルナはすぐに動かなくなった。
それを確認すると、ラトがカーンを睨んだ。
「貴様、不死の王ではないのか?」
「ああ、それなら止めた」
何でもないことのように、カーンはそれを認めた。
「……何故だ?」
「おまえたちには関係のないことだ」
「そうか……そうだな」
ラトはゆっくりと息を吐いた。
「ルシアナ、鏡を出せ」
「わかりました」
そう言ってルシアナが取り出したのは、人の頭程度の大きさの鏡だった。
「それは……」
カーンが初めて表情を変えた。
魔術に携わる者なら知っている『太陽の鏡』。それは昼間に太陽の光を蓄え、夜に太陽の輝きを模倣することができる魔道具である。古来より吸血鬼退治の道具として使用されてきた。
「なぜ、そんなものを持っている?」
『太陽の鏡』を造ったのはアスラの民であり、今では造る事のできない魔道具だった。しかも、夜に日の光を再現できるため、王家の権威づけに使われることも多い。一般に出回ることはまず無い魔道具だった。
「おまえには関係ないことだ。ルシアナやれ」
声をかけられたルシアナが『太陽の鏡』を発動させるべく、魔力を流し込んだ。
すると鏡に太陽が映し出され、地下室すべてを照らすような強烈な光を放ち始めた。
カーンはすぐに腕で顔を庇ったが、直接光を浴びた身体からは白い煙が立ち始めている。
「ぬうっ……」
顔を庇ったカーンの手が一瞬でひび割れ、パラパラと皮膚が崩れ始めた。
しかし、その体勢のままカーンは動きようがない。
ラトは低い姿勢でカーンに近づくと、その心臓に剣を突き立てた。
「ごっ……」
カーンの口から大量の血が溢れ、ゆっくりと地面に倒れた。
「もうよいぞ」
ラトがルシアナに鏡をしまうよう命じた。
「ラト様、まだカーンは生きているのでは?」
ルシアナは懸念を口にした。
「かまわん。もう動けんし、今しばらくの命だ」
そう言われて、ルシアナは鏡をローブの中にしまい込んだ。
ラトはゆっくりとルナのところへと向かった。
「起きろ、ルナ。目を覚ませ」
ラトは乱暴にルナの身体を揺すった。
「……んっ」
激しく身体を揺さぶられて、ルナは顔を歪めながら目を覚ました。痛むのか首元に手を当てている。
「……何で、ラトがいるの?」
ルナは朦朧としながらも、ラトのことを認識した。
「おまえ、自分が何をされたか覚えているか?」
「えっ? 確か師匠に……あれ?」
首元を抑えた手に付いた血を見て、意識を失う直前に何があったかをルナは思い出した。
「師匠に噛みつかれた!」
一瞬で意識が戻り、ルナは大声をあげた。
「……師匠は?」
「そこで倒れている」
ラトは倒れているカーンを指差した。
「何で?」
「吸血鬼と化していた。それを俺たちが討った」
ラトは淡々と答えた。
「何で師匠は吸血鬼なんかになったの?」
ルナは呆然としていた。
「本人に聞け。まだ間に合う」
ラトは祭壇の上のルナを抱えると、ゆっくりと倒れているカーンの近くに連れて行った。
ルナは腕から下りると、ラトの肩を借りて立った。
「師匠、何で吸血鬼なんかになったんですか?」