私のことが気に入らないからって
「サンドラ様、こちらにいらっしゃいましたか! このたびは本当にありがとうございます!!」
農夫らしい身なりの男性が、ぱっと顔を輝かせて走り寄ってきた。その背後に、サンドラの支持者と思しき面々がずらりと連なっている。
サンドラは、直前までナディアをなじっていたのが嘘のような可憐さで、「当然のことをしたまでですわ」と微笑んでいた。
ナディアは、うわ、という形に口を開けてしまい、すぐに閉ざした。
(切り替え、早ッ。そうだよね、私も今まで姉さまのこと、こういうひとだと思っていたもの。おおらかな「聖母」。まさかここまで容赦ないダメ出しをされるとは。アンゼルマ姉さまもだけど、私の言動、姉さまたちからすごく見られていたんだなぁ)
落ちこぼれのナディアからすれば、姉たちは見上げるような存在。三人とも、候補者にふさわしい、素晴らしい人格者である。粗探しなどすべきではない、そう信じてきた。
そのため、ことさらに欠点をあげつらうことを避けてきた。もちろん、時折(あれ……? そこまで完璧じゃない?)と思うこともあったが、目を瞑ってきた。たとえ現時点で至らぬ点があろうとも、自分よりは優れた人間なのだから、と。何をもって、人間の優劣を決めるのか、深く追求もせぬまま。
「でも、私ももう少しで聖女の本選抜がありますので、今までのように気軽に神殿を出てくることはできないでしょう。もちろん私に及ばずとも、同種の力を持つ者はいますから、ご心配なく。たとえば今日ここに来ているナディアが、何かの際には皆様の助けになることをお約束しますわ」
支持者たちに笑顔で語りかけていたサンドラから、突如としてナディアは水を向けられた。「おや、こちらの方は……?」という薄い反応を前に、ナディアはナディアで「んん?」と首を傾げざるを得ない。
(なんだろう、いまの。モヤる。私を推してくれた感じだけど、その理由が聖女の本選抜で忙しくなるからって……。私も候補者なんですが?)
これまでのナディアであれば、自分は候補者としては問題外という意識が強かったので「姉さまたちの助けになるのであれば」と疑問を抱かずに受け入れたように思う。それどころか「他にも何か私にできることがあれば……」などと口走っていたかもしれない。
だがしかし。
ことここに至って、聖女候補者としての戦線に復帰したナディアとしては、果たしてそれで良いのであろうか、という疑問も湧く。都合よく使われ、雑用をまわされ……、そこまで考えて、その考え自体を綺麗に捨て去ることにした。
明るい表情を心がけ、自分に向けられたいくつものまなざしと視線を合わせながら微笑みかける。
「サンドラ姉さまには及びませんが、おまかせください。お困りのことがあれば必ず力になりますので」
(実際、今までもいろんな場面に出ているから、やろうと思えばそれなりのことは。「よく見られたいという下心があると思われたくない」とか、「根回しをして姉さまたちと支持者を取り合うのがなんとなく悪どく思える」とか、ぜんぶ姉さまの言う通り。自分の手柄を触れ回ることに気後れや苦手意識があって、影に徹しようとしてきたせいで、何をしても誰にも気づかれていないのは、自分のせいだ。これからはきちんと聖女候補者らしい振る舞いで、皆さんに存在を認識してもらおう。それこそ、他の姉さまたちではなく、私が選ばれても皆さんが納得できるように)
サンドラの意図はわからないが、皆の前で紹介してもらえるならばありがたく受け止めよう、とナディアは自分に言い聞かせる。「雑用を回される」などと構えることなく、どんな仕事でも真剣に取り組む。ナディアは義姉たちから大きく水をあけられているからこそ、選り好みせずに候補者の責務に向き合わねば、と強く思った。
そのとき、詰めかけた人々の間から、足を引きずった老婆が姿を見せた。
「ナディア様……。そのお声はナディア様でいらっしゃいますね。去年、大嵐の夜に駆けつけてくださって、川の氾濫を食い止めてくださった候補者様の……」
しわがれた声で呼びかけられ、ナディアは目をみはった。すぐに頷いてみせる。
「あのときのおばあさま。覚えています、ひどい雨でしたよね。私にできたのは水の流れを食い止める応急処置だけでしたが。その後王宮に掛け合って人手を回してもらい、堤防を築いてくれるように進言したくらいかな。各地で被害があったので、すぐにとはいかなかったですけど、先日見回ってきたときにはかなりきちんと対応されていました。これからはちょっとの雨なら平気だと思います。もっとも、過信はできませんので、危険を感じたらすぐに避難です」
そんなこともあったなー、と思い出しながら言うと、人々の間で「あ、あのときの」「神殿から派遣されてきましたって、雨合羽着たまま暴風雨の中につっこんでいったあのひと?」「神殿兵じゃなくて?」とさざ波立つように話し声が広まっていく。
その様子を見ていたサンドラは、さっと表情を消し去った。
詰めかけた幾人かはナディアに興味津々で、前のめりになって話しかけてくる。
「候補者様だったんですか?」
「ええと、はい。そんなに魔力が強くないので、普段あまり表には出ないんですが。とはいっても、修行していますし、一般の兵や職員より強いのは間違いないので、何かの際には思い出してください。ナディアといいます」
相手はあくまでサンドラの支持者であるはずなので、あまり邪魔になりたくないと思いつつ、控えめに名乗る。
そのとき、不意にサンドラが「あら」と横で声を上げた。
注目を集めた上で、遠くを指さし「あれは何かしら?」と声を張り上げる。
ばらばらと皆、背後を振り返り、全員の注意が逸れた。その一瞬を狙い澄ましたかのように、サンドラはナディアに歩み寄ってくる。
(なんだろう?)
目を瞬いて見つめたナディアの目の前で、サンドラはナディアの手を片手で掴んだ。
もう一方の手を自分の頬にあてると、ナディアの目をまっすぐに見つめたまま、爪をたてて思い切りよくひっかく。
「っ」
痛みがあったのだろう、サンドラは息をのむ。
鋭くとがっていた爪は、容赦なくサンドラ自身の頬を引き裂き、赤い線から血がぴしゅ、と跳ねた。
「サンドラ姉さまっ!?」
(何をしているんですかっ!?)
慌てて叫んだナディアの声に、人々が振り返る中、サンドラは「きゃあっ」と声を上げながら、まるでナディアに突き飛ばされたかのような動線で後ろに転がり込んだ。
なんだなんだと周囲がどよめくなか、頬を片手で押さえ、倒れ込んだままの姿で、ナディアが声を上げる。
「ひどい……。私のことが気に入らないからって、そんなことしなくてもいいじゃない、ナディア」
一瞬で瞳が潤みを帯びていき、くすん、とすすり泣くように鼻を鳴らした。
ナディアはその姿を、あっけにとられたままただただ見守っていた。
(えっと……これって)
何があったのか把握できていないナディアの周りで「候補者さま同士の喧嘩?」「サンドラさま、あんなにお小さい体なのに、まさか突き飛ばしたのか?」という非難がましいささやきが巻き起こりつつあった。