「聖母」が言うには
「さすが『聖母』さま……!! ありがてぇありがてぇ……!!」
明るい日差しのものと、人々に取り巻かれ拝み倒されているのは、『聖母』こと聖女候補者のひとりサンドラ。能力は「恵み」特化型で、農業や畜産関係全般にものすごく強い。
今はちょうど、竜巻被害でなぎ倒された麦畑を「恵み」で見事に再生させて、喝采を浴びているところであった。まさに、大人気と呼ぶにふさわしい盛況ぶり。
ナディアは視力の良さに任せ、離れた小屋の陰に身を潜めてその賑わいをうかがっていた。
人々がひれ伏しているおかげで、中心に立つサンドラの姿はよく見えた。
サンドラは、癖のある赤毛に、輝きの強い宝石のような翠眼をしている。ナディアより年上で年齢は十八歳だが、身長は女性の平均に及ばず、顔立ちのあどけなさもあってかなり幼い外見をしていた。それでいて、胸をそらせば豊かな胸が重そうに揺れるのだ。
(「聖母」……。セレーネ姉さまが「女神」で、アンゼルマ姉さまが「女帝」だから、「聖母」っていわれていてもそうか聖母さま、くらいの認識だったけど……。もしかして呼称だけで言えば一番「聖女」に近いかも?)
顎に手を当てて、ナディアは真剣に検討してみた。
その二つ名で呼ばれる理由といえば、何よりも「豊かさ」を約束する能力が飛び抜けていること。なおかつ、包容力のある言動で、親しみやすく大らかな性格を印象づけていることが考えられる。
大の大人でも頼りたくなる、安心感。
何しろ、サンドラは見た目は幼いが体つきは豊満であり、老若男女を前にして堂々と「子どもたちよ」と語りかけているのである。
「母」。まごうことなき「母」の貫禄。
(そうはいっても、子どもを産んだわけでもない十代で大人たちに「母」って言われちゃうの、なかなか重い……。って考えるから私は出遅れるのかな。そうだよね、だいたいセレーネ姉さまは「神」だしアンゼルマ姉さまは「帝」だけど、その二つ名を二人とも当然のように受け入れてるもんなぁ。聖女候補って、そのくらい気持ちが強く無いと成り立たない、か……)
もし自分がきちんと聖女戦線に立っていたら、今頃どんな二つ名で呼ばれていただろうか、とナディアは一応考えてみた。さっぱり思い浮かばなかった。
そもそも、奉仕活動に出ても手柄をアピールするのが苦手で、サンドラ同様の奇跡を起こしたときでさえ、ひとに囲まれる前に「あの、やっておきましたので」と報告だけして立ち去ってきたのだ。存在感なし。「聖女候補者さまがきて何かやっていったみたいだけど、何を? 誰が?」という。
考えれば考えるほど、自分の行動の浅はかさに気が遠くなる。もっとアピールして生きてくるべきだったのに。いつも、どうにも腰が引けてしまう。
前夜、ナディア自ら押しかけたアンゼルマの部屋でひとしきり話し込んだ後、別れ際に「私を倒してもあと二人いるけど、頑張れるのか?」と挑発されたときでさえ、きちんと挑発にのるつもりだったのに、気がついたら真っ正直に「そもそも誰一人倒せる気はしていません」と答えてしまっていたくらいである。
即座に、アンゼルマにソファの上で押し倒された。
――お前、ふざけるのもいい加減にしろよ?
手首を押さえつけられながら、胃痛を引き起こしそうな低音で叱り飛ばされた次第。
(あれは命とられるかと思った……。アンゼルマ姉さま、さすが武闘派だけあって動作は俊敏で力も強いし、かなり鍛えてそう。自分の護衛を私にあっさり譲って平気なわけだし)
ろくに味方もいないナディアが、再び襲撃に遭うことがないようにと、手練れの神殿兵であるギルベルトをつけてくれた気の回しぶり。姿は見えないが、「近くで見守っています」と出がけに一度現れて、挨拶をされていた。
そのおかげで、セレーネの手の者に襲撃された昨日の今日でも、安心して動き回ることができている。
もっとも、素直な心のありかたとして「セレーネ姉さまに直接行くのは怖いので、ひとまず後回しにしよう」と考えて正面衝突を避けた結果、本日の予定はサンドラの行動観察となった。
そして、幼女の見た目ながら威風堂々と奉仕活動をする姿を目の当たりにし、悩み抜くこととなった。
「あれはちょっと勝ち目無いな……」
染み付いた負け根性のせいで、思わず独り言。慌てて飲み込む。
そのとき「ね、さっきから姿見えてるんだけど、何しに来たの?」という聞き覚えのある声が響いた。
* * *
幼女にしか見えない「聖母」の少女サンドラは、「そうねえ」と頬に指をあてて言った。
「ナディアって、とにかくつまらないのよねえ。人から嫌われないために良い子でいることに腐心している小物じゃない。せいぜい気にしているのは、自分の清廉性だけ。裏表が無く下心もないように振る舞っていれば、『自分は悪くない』って顔ができるし、いざとなったら他人を責める側にも回れる。『保身』『打算』『自己満足』そういう感じ? 今さら聖女候補として頑張りますって言われても、えぇ~ってなっちゃう。神官長も余計な本音を漏らしてくれたわよねえ」
暗がりに潜んでいたナディアを引きずり出したサンドラは、牧場を囲む木の柵のまわりを歩きながら、のんびりとした口調で仮借ない発言をしてくれた。
返す言葉もなく沈黙してしまったナディアにちらりと視線を流し、さらに続ける。
「それでいて計算高くも無いから、八方美人に立ち回って誰彼かまわず愛想を振りまいたりしない。積極的に支持者を増やそうともしていない。そういう根回しは『悪知恵』の類だと敬遠している感じ。ナディア、あなた今まで他人に好かれようと一生懸命になる姉さまたちのこと、馬鹿にしていたでしょ?」
少し先を歩いていたサンドラが、足を止め、振り返る。
ナディアもまた足を止め、自分より頭半分程度背の低い義姉を見つめて、答えた。
「馬鹿にしていたつもりはないんですけど、自分には無理だなと……母には、なれないですし。もちろん神にも帝にも。神って」
「なれないでどうするの。それが聖女に求められているものなら、なってみなさいよ。私、あなたのそういうところが嫌。だから姉さまたちのこと馬鹿にしてるんじゃないのって言われているのよ、自覚して」
「すみません。すみませんついでにお聞きしますけど、姉さまだったら私の二つ名はなんだと思いますか?」
気まずい会話をどうにかしようとしたせいで、ナディアはしょうもないことを口走ってしまった。
一瞬だけ鼻白んだ表情になったサンドラは、ふっと吐息をつくように笑いをもらして告げた。
「下僕。他になにかあるかしら?」
その翠の瞳は見とれるほどに美しく煌めいていて、(あ、このひと本気で言ってる)とナディアは深く納得した。
納得しながら(聖女候補、みんなキレッキレのドSなんだけど……、私も今からこんな風になれるかな)と、悩みを深くした。