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もう少しの日々

後日談追加しました(๑•̀ㅂ•́)و✧

「決済する書類が溜まっている。俺がこっちの山を処理している間に、そっちに目を通して」


 外回りの仕事を終え、昼下がり。

 執務室に戻って、机の上に積み上がった書類を確認。

 聖女の補佐を務めている黒髪の青年に声をかけられ、ナディアは無駄口を叩くこともなく「はい」と椅子に座って書類の山に手を伸ばす。そこから、文字を目で追うことに没頭した。


 ナディアが聖女候補から、「聖女」となって三ヶ月。

 式典関係や各地への顔見せをこなしてからいざ神殿内の執務室で通常業務と向き合ってみれば、今度は書類仕事に忙殺されることとなった。

 候補者時代に教育を施され、神殿内での事業に携わる機会もあったので基礎はあるにせよ、仕事量は桁違いに多い。少しでも時間があれば書類に挑み続けているものの、積み上がった山を一向に減らすことができない。

 幸いなことに、ナディアの傍らには、同等の教養を身に着けていて、さらに実務能力は現時点でナディアよりもはっきりと上の青年、アンセルムスがついている。黙々と書類を読み、聖女の判断が必要な書類に関しては、要点を説明しながら一緒に方策を考えてくれていた。


 アンセルムスは、艷やかな黒髪に、精巧に整った美貌。すらりとした長身で、人当たりもよく弁舌爽やか。周囲の評判も上々。それでいて、決して聖女よりでしゃばること無く、ナディアをよく支えてくれている。非の打ち所のない人格者と言って良い。

 ナディア一人では到底務まらなかったであろう聖女の大任は、いまや彼の存在なくしてこの先続けていくことなど考えられない。


 ナディアが書類を読み進めていると、ふ、と手元に影が落ちた。


「今日はここまで。これ以上続けても効率は下がるだけだ。食事をとって、休みましょう」


 耳になじむ低音。「もう少し……」とナディアが言いながら横に立つ青年を見上げると「その一枚を最後に」との返事。早く読み終わろう、と集中しようとしたところで、執務机に手が置かれ、体を傾けたアンセルムスが書類を覗き込んできた。


「この地方の干ばつに関しては、別件でも書類が上がってきている。この一枚だけではなく、全部まとめて読んでから検討した方が良い。今からだとまた時間がかかる」


(近い)


 書類を読むためであって、決して他意は無いのを知っていてさえ、緊張が走った。

 義理の姉妹として過ごしていたアンゼルマは姿を消し、今は青年として振る舞うアンセルムスに、女性として振る舞っていた頃の面影を探すのは難しい。

 実際に、同一人物だと知っているひとは神殿内にも数人いるが、以前の姿を目にしたことあるひとでさえ、せいぜい「似ているな」と思う程度のようである。目立って話題にのぼっている様子はない。


(髪を切って、服装を変えて、話し言葉や動作を変えただけなのに……、男の人に見える)


 つい、不自然なくらいに見つめてしまった。

 視線を感じたらしいアンセルムスが、ナディアに顔を向ける。


「どうした」

「い、いいえ。なんでも」

「見られていた。何か気になることでも?」


 口元が、かすかに笑っている。瞼を伏せたとき、一瞬だけアンゼルマが見えた気がして、ナディアはつい正直に言ってしまった。


「アンセルムス、顔は姉さまと同じはずなのに、どうして男の人に見えるか考えていました」

「ナディアが、俺を男として意識しているからじゃないのか」

「それはまあ、女性には見えませんし、男性として振る舞っているわけですから、男性として意識するわけですけど……」


 生真面目に答えている間、アンセルムスはまったく目をそらさずに、ナディアの顔を見つめてきていた。

 よくよく見なくても、気後れするほどの美貌。近い、という事実を思い出してナディアは急に落ち着かなくなる。

 不自然なくらいに瞬きをしながら顔を逸らし、話題を変えようとした。


「アンセルムスは、ここに留まって良かったんですか。選ばれなかった聖女候補者の存在を有耶無耶にした時点で、自由の身としてどこへでも行けたと思うんですが」

「自分の意志でここに留まったよ。俺としては、『封印の儀』の時点で落としているはずの命だ。その後の人生の使いみちを思えば、これが一番良い」

「これ?」


 馬鹿なことを聞いた。

 濃密な花の香りや蜂蜜菓子の如き甘さを漂わせたアンセルムスが、にこりと微笑んでナディアの額に額を寄せる。


「俺の代わりに命を落とす危険を冒したお人好しが、またあんな無茶をしないように横で見ていること、かな。これ、結構退屈しないんだ。毎日楽しいよ」


 ふふ、と笑う気配が肌を通じて伝わってきて、ナディアは思いっきり身をひいた。

 顔が熱い。心臓がばくばく鳴っている。


「もう、姉さまでは無いので、そういう、ちょっと近すぎませんかね!?」


 慌てすぎて震える唇で闇雲にわめくと、アンセルムスはあはは、と快活に笑って姿勢を正した。

 その立ち姿は、たしかに見慣れたアンゼルマに似ているはずなのに、何かが違う。

 妙に裏切られた気分となって、ナディアはぼやいた。


「アンゼルマ姉さまを、返してください」

「どうしようかな。その代わりにナディアは何を俺にくれる?」

「何を……っ!? 交換条件なんですか!?」

「もちろん。フェアにいこう」


 楽しげに言い終えてから、アンセルムスが手を差し出してくる。戸惑ったナディアが見上げると、微笑んで言った。


「仕事はもう終わりなんだ。その辺の条件等は、このあと夜の私的な時間に話し合おう。どちらかの部屋で」

「……あの、考えさせてください。いろいろと」


 答えに困りながら、ナディアはアンセルムスの手をとる。

 ぐっと強くひかれて立ち上がった拍子にバランスを崩し、ナディアはその胸に抱きとめられてしまった。息が止まりかけた。



 恋愛や結婚に関しては特に制約の無い「聖女」が、側仕えの青年に落とされるまで。

 あともう少し。




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