後のことは、頼んだよ
――アンゼルマには気をつけた方が良いわ。あのひとは他の候補者とは違う
――本当は、全部の能力がもっと強い。それを巧妙に隠している。もし本人がその気なら、聖女選抜はもっと前に切り上げられて、アンゼルマに決まっていても不思議はないの。そうならなかったのは、あのひとの目的が『聖女』ではないから
* * *
施療院を出て、壮麗な石造りの大聖堂の横の小径を通り過ぎる。関係者用の通用門へと向かう最中、すれ違う人々に何度も声をかけられた。
「止めないでください! 皆さんは避難してください!」
「ナディア様、お一人で行かせるわけには」
「私についてくるのは、戦闘に回るひとだけにしてください!」
言い争いながら走っているうちに、数名の神殿兵に前後を固められる。そのまま門を抜け、敷地内を走り、入り組んだ小径を何度も折れて「聖域」とされている奥庭へと進んだ。
数日前に、候補者である四人姉妹でお茶会を開いた場所。
そのときとはまったく異質の禍々しい瘴気が立ち込める中、艷やかな黒髪を背に流した背の高い人影が見えた。
(アンゼルマ姉さま……!)
白の詰め襟の戦装束に身を包み、腰に剣を帯びている。髪の一筋まで美しく、凛々しい騎士そのもの。
ナディアの到着に気づいたように、すうっと視線を流してきた。
目が合うと、涼しげな目元に笑みをにじませた。
「来たか。言っておくけど、危ないよ」
いつも通りの、低く澄んだ声音。どことなく楽しげで、余裕がある。緊張しきりのナディアとは大違いであった。
ナディアは慎重に言葉を選んで告げた。
「ものすごく良くない気配を感じます。これはもしかして、本来なら『聖女』でなければ対応できないような何かではないかと」
「たしかに、これが良くないものであるのは間違いないよ。だけど、聖女でなければ云々というのは、ナディアの思い込みだ。候補者が聖女になったからって、いきなり何かが変わるわけではない。つまり、『力のある、聖女相当の候補者』がいれば対応できる可能性のある相手だ。希望、見えた?」
「アンゼルマ姉さまは、余裕ですね」
「ナディアにはそう見える?」
立ち上る瘴気が、紫煙となって流れてアンゼルマの体にまとわりつく。普通の人間であればまともに呼吸もできないであろう空気の中で、アンゼルマは微笑んでいた。
その光景を見て、ナディアはふっと息を吐き出し、すたすたと歩み寄った。
間近に立つと見上げる長身のアンゼルマの顔を下から覗き込み、手のひらを軽く突き出して腕に触れる。
「『浄化』」
力を集中させ、アンゼルマを取り巻く瘴気を消し去った。
不思議そうに見下ろしてきていたアンゼルマは、少し間をおいてから蕩けるような甘い笑みを浮かべた。
「私を心配してくれたんだ、ナディア」
アンゼルマや自分の周囲一帯の重苦しい空気が消えたのを確認しつつ、ナディアは正直に告げた。
「心配もしましたが、疑いもしました。もし姉さまから禍々しい気配とか、変な魔法の痕跡があれば、浄化を受けた魔物のようにのたうち苦しむ様を思い描きながら、魔力を行使しました。……何かあるのを察知していたかのような戦装束といい、余裕過ぎる態度といい、姉さまは私にとっては不可解なので」
準備が良すぎる。
先にこの場に到着していたことも含めて。
セレーネから、アンゼルマに気を許すなと警告を受けていた件もあり、ナディアの心には疑念が芽生えていた。だから、瘴気を払うふりをして、魔力をぶつけた。
アンゼルマはくすっと笑みをもらして、明るい表情でナディアを見つめる。
「どう? まだ疑ってる?」
「いえ。おそらく、シロです。姉さまは、禍々しい存在に寝返ったりはしていないと思います。『浄化』の能力者、聖女候補のひとりとして、戦うためにこの場にいる」
少しだけ、アンゼルマは目を細めた。弧を描く唇が、苦笑めいた印象となる。
「もちろん、私はこれから起こることを知っている。瘴気が濃くなり、魔物の動きが活発になったとき、聖女は選ばれる。候補者が集められてから、三年。神官長が本選抜について言及した。もう残り時間が少ないという意味だと理解した。これは一般には知られていない聖女のなすべき大切な仕事」
大地が鳴動する。瘴気が地面から立ち上り、厚く辺りを覆っていく。今にもそこかしこから、魔物が飛び出してきそうな気配。
「なぜ姉さまは、そのことを知っているんですか?」
「初代聖女の偉業のひとつとして、王家に伝わっているから。聖女は魔物をこの地に封じ、ここに神殿を建てた。封印の力が弱まれば、まずは神殿から離れた場所で瘴気が発生する。この封印の地で発生するようになればほとんど末期。聖女か、聖女並に強い魔力を持つ人間がもう一度封印をしなければならない」
(魔物の封印……。この役割に関しては、やはり『浄化』の強さが物を言う。とすれば、この場はアンゼルマ姉さまにおまかせして、私は補助するような役回りが適任。もちろん、ここで聖女としての能力や真価が問われるとすれば、功績を上げた姉さまが聖女になるのは決定的。だけど、間違いなく『浄化』は私よりアンゼルマ姉さまの方が強い。聖女の地位欲しさに、私がでしゃばる場面ではない)
口で説明されても、ナディアには未知の部分も多い。その点、あらかじめ何が起きるか知っていたアンゼルマなら、封印の手順もわかっているはず。
ナディアはアンゼルマの純黒の瞳を見上げて、確認の意味で問いかけた。
「一般に知られていない、ということは……。歴代の聖女は、聖女就任後すぐか、もしくは候補者の段階でこの試練を乗り越えて、封印を守りきっているということですよね。重要な仕事でありながら、その内容が『未然に防ぐ』であるだけに、完遂してしまえば『何も起きなかった』ことにしてしまえる。安心安全確実に完遂するためには、一番『浄化』の強い候補者が担う役割、ということですよね」
否定することなく、アンゼルマは頷く。
その後で、小さく吐息をして続けた。
「初代やその後はともかく、現代の聖女候補者はいくら厳しい修行を積んでも、かつてほどの力はない。ここ数代にわたって、封印と引き換えに命を落としている。正式に聖女を決める前の候補者であれば、その死は有耶無耶に出来る。聖女は残った候補者の中から選べば事足りるから」
頷くことはできなかった。
言っている内容が、咄嗟にうまく理解できなかった。
(ここ数代にわたって、封印と引き換えに、命を落としている? つまりこの役目を担った候補者は)
背後にひとの気配が、と気づいたときには、神官長がナディアの横に立ち、長身のアンゼルマを見上げていた。
その手には、三叉に分かれた燭台が握られている。
止める間もなく、アンゼルマはその燭台に手を伸ばして受け取った。
ちらりとナディアを見下ろして、不敵なまでに鮮やかな笑みを浮かべて言った。
「ここのところ、ナディアの成長が著しくて安心した。ここは私が引き受ける。後のことは、頼んだよ」




