踏みつけたその地面は
サンドラは、自分が聖女になった暁には、豊かな生活ができると信奉者に示してきたと語っていた。
セレーネは、「大多数の人間が考えないでも生きていける幸福」を見せると言っている。そのときに横並びで扱われるのを良しとせず、自分自身の考えを捨てたくない者は、どんな手を使ってでも這い上がって来れば良いのだ、と。
(少人数が多数を支配する構造。それは、言うほど完璧にして頑丈なのだろうか?)
「セレーネ姉さまの理想を聞いていると、すごく『宗教』だなって思います。聖女を信じる者は救われる……、そういう意味ですよね」
ナディアが言うと、セレーネはショールを胸の前で指で握りしめて、「何を今さら」と息を吐き出した。
「『聖女』が一体何をすべき存在かを突き詰めていけば、そうなるのはある意味で当然よ。ひととは違う力を持って、ひとの上に立つの。踏みつけたその地面は人間で出来ている。なぜ多くの人々が踏みつけられることに甘んじるかといえば、『今よりも幸せになりたい』という欲望を聖女にはぶつけられるからだわ。せいぜい、怯まないこと。弱気を見せたら、すぐに引きずり降ろされる」
自分に言い聞かせているようでもあり、ナディアに言い聞かせているようでもある。覚悟の有り様を。
(このひとは、すごく遠くを見ている。戦う相手は「候補者」だけじゃない。そこで勝ち抜いた先に自分がやるべきことに、すでに向き合っている……。聖女候補者たちが、「姉妹」と互いを呼び合いながらも決して必要以上に馴れ合わなかったのは、この空気感だ。弱みを見せたり、励まし合ったり、慰め合ったり、そういうことをこのひとはしない。たぶん、意味を見出していないから)
強くあることを、自らに課している。その誇り、決意。まがいものではなく、本気。ナディアもその気迫に負けまいと顔を上げて、セレーネの目を見た。
「部分、部分ではわかるんです。サンドラ姉さまの考えも、セレーネ姉さまの言っていることも。私自身の考えは……全部、少しずつ弱い。突出した能力が無いのも影響しているかもしれません。『これで突破する』という明確な信念がない。自分が絶対に間違わない自信が無いし、足元をすくわれることへの緊張感もすごいです。そのときに周りが敵だらけだったら誰も助けてくれないって打算が働いてしまうから……ひとの顔色をうかがっている」
今まで、他の候補者である義姉たちから言われてきたことが、結びついていく。
心のどこかでは、反発していた。「八方美人で他人に嫌われないように生きるだけがお前の取り柄だ」と言われるたびに。そんなわけ無い、と。言うべきことは言うし、やるべきこともやってきた、つもりだった。
それなのに、比べてみれば火を見るよりも明らか。腐心するポイントが違いすぎる。視野が狭く、洞察力が低い。周りを気にしているくせに、自分自身のことはどれだけ見てきただろう。
「私は、困ったときに助けてもらえないのが怖いです。見捨てられるのも怖い。私自身はそのことを、今まで恥じたり、間違えているとは考えなかったんです。私は、ひとは間違える存在だと考えています。だからこそ周りを見て、意見を聞き、間違えたときは修正する。それが上に立つ人間の在り方だと信じていたので、他人と距離を作りすぎないようにしたくて……」
言っているうちに、声が小さくなってしまう。そんな場合ではないとわかっているのに、自信の無さが顔をのぞかせる。
意外にも、セレーネは整った美貌にやわらかな笑みを浮かべた。一瞬、見惚れるほどの清らかさで。
「賛成はしないけど、ナディアが嘘を言っていないのはわかる。現にあなたは、こうして私やサンドラの話を聞きに来ているのだから。それで、自分に不足しているものは見つかった?」
「見つかりすぎて……全体的に……全部不足していてどこから手を付けて良いのか」
優しいセレーネが久しぶりすぎて、懐かしさのあまりについ弱音を吐いてしまった。
途端、セレーネの表情は劇的に変化して、つり上がった目に睨みつけられてしまう。
「そんなの、自分でどうにかしなさい。そこまで姉さまに何かしてもらえるなんて、甘えるんじゃないわよ」
「はい」
背筋が凍るほどの冷ややかさに、返事をすることしかできない。セレーネはその怒りを迸らせた瞳のまま、不意に声を低めて素早く言った。
「アンゼルマには気をつけた方が良いわ。あのひとは他の候補者とは違う」
「……どう、違いますか」
「見ているものも考えているものも違う。三年間見てきたけど、あのひとは、『聖女』になる気はない。何か違うことを考えている」
すぐには返事ができない。
セレーネの言っていることを、頭から否定する気はなかった。自分の中でも、掴めそうで掴めなかった何かがここでも繋がりそうな予感がある。
頬を緊張で強張らせたナディアの瞳をのぞきこみ、セレーネはさらに小声で告げる。
「アンゼルマの能力は『浄化』特化、ということになっているけれど……。それは私やサンドラとの均衡を保つために敢えてしていること。本当は、全部の能力がもっと強い。それを巧妙に隠している。もし本人がその気なら、聖女選抜はもっと前に切り上げられて、アンゼルマに決まっていても不思議はないの。そうならなかったのは、あのひとの目的が『聖女』ではないから」
余計な相槌を打たず、ただ目だけでその真意を問うナディアに、セレーネはゆるく首を振った。
「私にもあのひとのことはわからない。だからあなたも、よくよく気をつけることね」
そのセレーネの表情や口ぶりに、嘘の気配はなかった。




