デモンストレーション
ひどいわ、と倒れ込んだまま打ちひしがれた様子で頬に手をあてたサンドラ。
微妙に傷を外した位置をおさえているせいで、赤い線となった傷はよく見える。
ざわざわと周囲がざめく中、ナディアは無言でサンドラに歩み寄った。
その目の前で片膝をつき、頬に手をかざす。
《癒やしの力よ》
手のひらから魔力が流れるように意識を集中して囁くと、青白い光が溢れて、サンドラの傷を跡形もなく消し去った。
「……?」
何が行われたのか、即座に把握できたのはナディアとサンドラのみ。
人々はひそひそと不思議そうに囁き合うことはあったが、大きな声で発言する者はおらず、絶妙な空気となる。
その沈黙を破って、ナディアはサンドラに微笑みかけた。
「こう見えて、私、『癒やし』に関しては候補者中二番手です。戦場では臓腑がはみ出したひとの治療も何人もしていますし、このくらいの傷を癒やすなんて、わけないです。姉さま、他に痛いところはないですか?」
「……無いわ」
「良かった。派手に転んでいましたけど、どうぞ私の手につかまってください。歩けないくらい腰痛があるなら、そちらにも癒やしの魔法を使いますからご遠慮なくおっしゃってくださいね」
サンドラは無言のままナディアの手を取り、体を起こした。衣服についた砂埃をぽん、ぽんと手で叩いて払う。
笑顔のナディア、無表情のサンドラ。
重苦しい空気に耐えかねたように、ひとりの男性が声を上げる。
「サンドラ様……? お怪我は? 今のは……」
ぎろり、と視線を向けたサンドラ。
頬を引きつらせたまま何かを言いかけたが、寸前になって、不自然なまでに満面の笑みを浮かべて答えた。
「怪我は無いわ。なんでもないの。今のはなんでもないの。なんでもないったら、なんでもないわ」
「ですが」
「なんでもない!!」
サンドラが息継ぎするタイミングで、ナディアは態度を決めかねている周囲の人々へとにこやかに笑いかけながら言った。
「今のは、デモンストレーションです。サンドラ姉さまは、普段『恵み』の領域で皆様のお力になっているかと思います。私はその点では全然及ばないんですが、『癒やし』に関しては多少腕に覚えがあります。せっかくですから、どなたか身体的な不安を抱えている方がいましたら、お声がけください。魔法でどうにかできる範囲のことであれば、お力になりますので」
どよめき。
ナディアは、最初に先程声をかけてきた老婆に颯爽と歩み寄り、「足、どうなさいました?」と話しかけた。具合を確認してから、魔法を施していく。
それを見ていた人々の間から、ぱらぱらと遠慮がちに声が上がった。それはすぐに絶え間ないものとなる。次から次へと「こっちも診てくれ」が殺到し、ナディアは「わかりました」と返事をして騒ぎの渦中へと身を投じた。
その様子を、サンドラは無表情に見ていた。
* * *
「サンドラは戦闘向きの能力がほとんど無いからね。適所適材の観点から見て、前線に出すことがない。これまで配置したとしても輜重隊だったかな。ナディアの癒やし手としての能力を正確に把握していなかったに違いない」
その夜。
護衛を借りて行動できたことの礼も兼ねて、ナディアはアンゼルマの私室を訪れた。
ソファに並んで腰掛け、日中の出来事を請われるままに話せば、アンゼルマは愉快そうに口の端を吊り上げて笑う。
「突然『ナディア、ひどい』って倒れ込まれたときはびっくりしてしまったんですけど。ええー、サンドラ姉さまそんな見え見えの策で大丈夫ですか? って」
「周りが自分の支持者ばかりだったから、多少強引でも同情をひけると思った……か? 嫉妬もあったのかもな。今まで自分が可愛がって信頼築いてきたはずの相手が、ナディアに興味を示して面白くなかったのかも。カッとなって理性的な判断ができずに、その場で仕掛けてしまった」
「そんな思慮の浅い……。サンドラ姉さまは聖女候補者じゃないですか」
思わず非難がましい口調で言ったナディアに対し、その顔をのぞきこんだアンゼルマは「こら」と声を低めて言った。
「よく言うよ。だいたいナディアは理想が高いんだ。『聖女候補であれば、人間的にも優れ欠陥などあるはずもない。ひとつひとつの言動に深淵なる意味があるに違いない』くらい思い込んでいるだろう」
「はい」
余計なことを言わぬように言葉を飲み込み、首肯する。アンゼルマはすうっと目を細めて、ナディアを軽く睨みつけた。
「そんなわけあるか。みんな人間だよ。不完全で、いまだ道の途上。嫉妬するし、迷うし、間違える。お前と同じ。だからこそ、ナディアにもまだ、私たちに勝つ可能性が残されている」
「アンゼルマ姉さま……」
(危機を助けてくれて、相談にものってくれる。私を導くように……。一つの座を争う敵同士なのに。聖女に一番近いのは、アンゼルマ姉さまを置いて他にいないように思えるのですが)
言葉を詰まらせたナディアを見つめたまま、アンゼルマはふっと笑みをもらした。冗談めかした口調で告げる。
「私の偉大さで、ナディアを圧倒してしまったらしい」
「はい。もう、ほんと、その通りです。姉さまが聖女になってくれたら」
途端、肩をぶつけられる。
顔を向ければ、目が合った。アンゼルマの輝きの強い黒瞳に、炎が走った。
「そこまでだ。お前また勝手に勝負を放棄しようとしたな。それは私の望みじゃない。ナディアに対して私が願うのはひとつ。聖女候補者として、真っ正面から戦うことだ。今までみたいに、謙虚なふりをして身を引くのは許さない。それで守れるのは自分の安全だけ。そんなぬるい根性の人間と戦って勝っても、意味がない。お前は今よりも血を流し、骨を折れ。傷だらけになってでもこの戦いから逃げるな」
白皙の美貌に苛烈さが宿る。息を止めて見守っていたナディアは、かすれた声ではい、と返事をした。
すぐに、アンゼルマは何事もなかったように相好を崩す。そして、深刻になりかけた空気を払拭するような明るい声で言った。
「素直でよろしい。さてそこでナディア、次は私から課題を出しても良いか?」




