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恋敵と婚約することになりました

作者: 葉月くらら

 幼い頃に見たまっすぐで澄んだ青い瞳の王子様。

 貴族としての作法も、ダンスも、国際情勢のお勉強も彼のために私は努力してきたの。

 それなのにあんまりじゃない。

 王子様の婚約者になるためにがんばってきたというのに、私の相手が婚約者の側近。それも王子とやたら親密でいけ好かない幼馴染のフランツ様だなんて。



「どういうことですの、お父様!」

「どうもこうも、エレナ、お前にとって素晴らしい話じゃないか。フランツ君は幼馴染だし、ハインミュラー家は我がハーニッシュ家と同じ侯爵。家柄的にも申し分なく彼自身も王子の側近を勤めるほど優秀だ。何が不満なんだ」

 16歳の誕生日を前にしたある日、仕事から帰って来たお父様が上機嫌に私の婚約が決まったと言ってきた。

 相手はフランツ・ゲオル

グ・ハインミュラー様。私、エレナ・ハーニッシュとは同じ侯爵家同士で幼い頃からよく知っている間柄だ。

 知っているからこそ、嫌なのよ!

 不満? 大アリよ。

 なぜなら、彼は私にとって最大のライバルなのだから。



 思い返せば初めて王子殿下にお会いした時も、彼は王子の傍にいた。

 お城で開かれたパーティーに初めて参加したときのこと。両親に連れられ兄たちと一緒にいた私は王族がやってきたときもぎこちなくおぼえたてのカーテシーをしたわ。そしてちらりと顔を上げた時に目が合ったのがこのローヴァイン王国の第二王子、テオドール様だった。黒に近い茶色の髪に澄んだ海のような深いブルーの瞳のそれは可愛らしい少年は一瞬目を丸くしてそれからわずかにはにかんだように微笑んでくれたの。

 きっとそれが私の初恋だった。

 その後王子の隣にはすでにご学友になっていたフランツ様がいて仲良さそうに笑っていたっけ。もちろん私なんて近づくことすらできなかった。

 でもその日から私には目標ができたの。

 私は王子様の花嫁になりたかった。



「やあエレナ、ひさしぶり。会えて嬉しいよ」

「フランツ様、こちらこそお会いできて光栄です」

 婚約を父から告げられてから数日後、さっそくフランツ様がハーニッシュの屋敷にやって来た。

 やわらかそうな金髪に紫の神秘的な瞳。年齢のわりに大人びて整った顔立ちのフランツ様は王都の貴族の子女たちの間でも人気があるのだという。わたしはテオドール様一筋だから気にしたことなかったけれど、確かに顔はとても良い。そしていつもニコニコ胡散臭く微笑んでいる。

 今日は両家の親からの勧めでフランツ様とデートに行くの。婚約したんだからお互い仲良くなれるようにお茶でもしてきなさいって……気が進まないわ。相手がテオドール様だったら喜んで行くのに。

「……今日はよろしくお願いいたします」

 差し出された手に右手を乗せて私は控えめに微笑んだ。

 母や侍女たちがはりきって用意してくれた白いフリルのついた若草色のドレスに、金の髪は可愛らしくコンパクトにまとめて紅色の花飾りがつけてある。令嬢歴も長いからドレスには慣れたものだけれど、お出かけ用のドレスはやっぱり動きづらいわ。

「ドレスも髪型もよく似合ってるね」

「……ありがとうございます」

 本当にそう思ってるのか?

 どうもこのフランツ様はいつも貼り付けたような笑顔で本心が読めない。なんだか胡散臭く感じてしまうのは、たぶん私が彼を疎ましく思っているからなのもあるだろう。



 その後フランツ様に連れられて私は貴族街のカフェに来ていた。もちろん二人きりではなく、私は侍女を連れているけれど彼女たちには別の席が用意されていて同じテーブルについていない。

 出された紅茶にミルクを入れていると、フランツ様が口を開いた。

「それにしても急なことで驚いたんじゃないかい? どうも父同士が意気投合してしまったみたいで」

「ええ、本当に。その、フランツ様は私でよろしいのですか?」

 両家の親に言われて断りづらくなってるだけで実は他に好きな女性がいたりしないかしら? というかそうであってと思いながら私は聞いた。だけどフランツ様は表情一つ変えずにあっさり言った。

「もちろんだよ。いくら両親に言われたからといっても、なんとも思っていない相手と婚約などしないさ」

 え!? そうだったの?

 聞いておいてあれだけれど思わず私は驚いてティーカップを持ったまま固まってしまった。貴族同士の結婚は家同士の契約みたいなものだから、そこに恋愛感情がないことだってよくあることよ。というか、フランツ様って私のことをどう思っているの。

 だって……。

「ところでもう剣術の稽古はしてないのかい?」

「してませんわ!」

 涼しい顔でコーヒーを飲んでいたフランツ様に聞かれて慌てて私は否定した。



 実は私は幼い頃とんでもないじゃじゃ馬だった。二人の兄と一緒に剣術の稽古を受けたり外で駆け回って遊ぶのが好きだったの。意外と放任の両親は令嬢らしくしろとは言わなかったのよ。

 だから幼い私は毎日泥んこになって遊んだわ。木に登ったり野山を駆けまわったり、剣術の稽古をしたり兄たちや兄の友人の男の子たちに交じってね。

『一本! エレナの勝ちー!』

『いったあ!?』

『やったー!』

 そして貴族の世界なんて狭いから、もちろんその中にはフランツ様もいた。剣術の稽古ではよく彼をボコボコにして負かしていたのよ。

 幼い頃のフランツは細くて私より背も小さくてか弱くて可愛らしかったなあ。フワフワの金髪に宝石みたいな紫の瞳の天使みたいな少年だった。

 実は貴族の世界じゃハーニッシュ家のエレナ嬢といえば素敵な淑女だと褒めそやされているの。王子殿下に出会って心を入れ替えたからね。でもそれ以前の私をフランツは知っているのだ。

 そもそも考えてみればどうしてフランツ様は昔の私を知っているにも関わらず婚約なんてしようと思ったのだろう? 彼が士官学校に入ってからはほとんど交流がなかったけれど幼い頃のことを恨まれていたらどうしよう……。私がテオドール様を好きだと知っていての嫌がらせ?



「昔とは違いますわ。私も大人になりましたの」

「そうなのか。残念だなあ。また稽古をつけてもらいたかったのに」

「フランツ様、本気で言ってます?」

「ごめん、冗談だよ。でもそれも楽しそうかなあ」

 どういう意味よ。

 そこで給仕がチーズケーキを出してきたので一旦会話が途切れた。フランツが片手を上げる。

「そうだ、こちらのチョコとナッツのクッキーを持ち帰り用に包んでもらえるかな」

「かしこまりました」

 誰かにお土産かしら。

 メニュー表を指さして給仕に指示したフランツと視線が合った。

「ああ、王子殿下がこちらのクッキーが好物でさ。持っていってあげようかと」

「え、テオドール様が?」

 テオドール様の好物!?

 クッキーが好きなんてお可愛らしいわ。心のメモにしっかり書き留めて私はテオドール様を思い浮かべた。私と同い年のテオドール様は幼い頃の面影を残してそれは真面目な青年に成長されたの。

「本人は隠しているみたいなんだけど、甘いものが好きでね」

「そ、そうですの」

 ちょっと嬉しそうに微笑むフランツ様。なんなの、テオドール様に自分の方が近しいからって自慢かしら?

 フランツ様は私やテオドール様と同い年。国でもかなりの権力を持つハインミュラー侯爵家の嫡男だ。幼い頃からテオドール様のご学友として一緒に過ごしているのだけれど、この二人本当に馬が合うみたいでいつも一緒なの。

 二人が一緒に歩いていれば貴族の子女たちはそわそわちらちら視線を向けるけれど、真面目なテオドール様はそんなことには気づかずいつもフランツ様とばかりお話している。まあ、逆にフランツ様に近づきたい子女たちもテオドール様がいたからフランツ様に近づけなかったのだけれど。

 正直、すっごく羨ましい。フランツ様その位置替わってください!

「他に、テオドール様のお好きなものってあるのですか?」

「え、テオが?」

 今テオって呼び捨てにしたわね。しかも愛称で。なんなの!?

 ぱちりと紫の瞳を瞬いて予想外の質問だったのかフランツ様が不思議そうな顔をした。まあ確かに欲に負けて聞いてしまったけれど意味が分からないわよね。普通に親しそうな様子を見せつけられてハンカチでも噛みたい気分だけれど、好きな人の好みも知りたい複雑な乙女心よ。

「そうだなあ。甘いものも好きだけどビーフシチューとか……」

 ビーフシチューね。たくさん練習しなくては。

「あと香草のパイ」

 ふむふむ。心のメモに忘れないように書いておく。

「あとカレーライス」

「まあ、意外と子供舌なのですね」

「は、僕の好物ね。覚えておいて欲しいな」

「え」

 可愛いーとか思っていたらにっこり笑顔のままのフランツ様がさらりと言った。こいつめ。おっといけないわ。令嬢らしからぬ言葉遣いをしてしまったわ。

「王子殿下のことばかりじゃなくて僕のことを知ってほしいなあ」

「す、すみません……」

「というか、エレナ。君はこの婚約についてどう思ってるのかな」

 笑ったままのお顔が怖いんですが。

 どう思っているのかって。そりゃあ現状なるべく早めに破棄していただきたいわ。

 そうだった。私の今日の目的はフランツ様に婚約を解消してもらうことだったのよ。そのために気の進まないデートにだって来たのよ。

 これは二人だけの問題ではなく家同士のこともあるから、できるだけ穏便に。

 私は居住まいを正してフランツ様を見た。

「そのことなのですが、私は……」

「フランツ様! あ、いた!」

 失礼します、と小麦色の短い髪の兵士が一人カフェの中に入ってきた。ずいぶん慌てた様子だったけれど我に返ってさっと私たちが座っている席の横に跪いた。

「カール、何かあったのか」

「はい、ええと……」

 すっかり周囲から注目を集めてしまっているカールと呼ばれた兵士はひそひそとフランツ様に何やら耳打ちした。するとすぐにフランツ様は席を立った。

「エレナ、すまないがすぐに城に行かなければいけなくなってしまった。せっかくのデートなのにごめんね」

「いえ、お仕事なのですから気にしないでくださいませ」

 よく見たらあのカールと呼ばれた人はテオドール様の側仕えの兵士じゃない。テオドール様に何かあったのかしら。少しだけ心配になった。我が国も一見平和そうに見えて王室内では色々とごたごたしていると噂は流れてくるから。

 フランツ様は表情一つ変えずに優雅に去っていった。お土産用に包んだクッキーは私の分まで用意してあるそつのなさになんとも言えない気持ちになる。私の本心なんて見透かされていそうだわ。



 というか、本当のこと言えなかったじゃない!

 向こうから解消してくれないならこっちから断るしかないのに。でもハインミュラー家は同じ侯爵家でも城内での権力は我がハーニッシュ家より上だった。私の方から断るのは少々角が立つのよ。それに一度婚約してしまったのだから婚約を解消すれば私にもフランツ様にも根も葉もないうわさが流れるかもしれない。そうしたらテオドール様の婚約者候補になれないかもしれない。

「では皆さんごきげんよう」

「はい、エレナ様ごきげんよう」

「ごきげんよう」

 次々とご令嬢たちと完璧な笑顔であいさつを交わした後、背中を向けてから私はようやく笑みを消して溜息をついた。

「困ったわ……」

「エレナ様、お顔の色がすぐれませんわ」

 侍女のアメリアに心配されてしまった。

 今日は首都のタウンハウスから城内にある大聖堂に来ていた。ここで我が国の歴史や宗教などを学ぶのも貴族の子女たちの務めだった。

 大聖堂の正面に掲げられた大きな十字架には真っ白な竜が絡みついている。ローヴァイン王国は白竜という神獣の加護を受けた国という言い伝えだった。その神獣も以前は実在したらしいのだけれど、現在は姿が見えないという。

 実は先日フランツ様が駆り出されたのもその件だったらしい。

 正当な王位継承者には神獣の加護がもたらされるとかで、だけど現在その神獣は姿が見えない。病気がちの国王陛下には王子が二人。どちらが国を継ぐのか、第一王子であるヴィルヘルム様と第二王子であるテオドール様の側近たちが揉めたらしいのだ。

 テオドール様は大丈夫かしら。とても真面目そうな方だから心配だわ。まあフランツ様がお側にいれば大丈夫だと思うけど……ってライバルに塩を送ってる場合じゃないわ。

「エレナ様、あちらに王子殿下とフランツ様がいらっしゃいます!」

「え?」

 聖堂から馬車を待たせてある広場まで歩いていたら、なんとその広場でテオドール様とフランツ様が並んで歩きながら何か話をしていた。

 うわ、久しぶりにテオドール様に会えたわ。少し背が伸びたかしら。相変わらず可愛らしい顔立ちをしてらっしゃるわ。ドキドキしながら私はそっと近づいていった。先に気がついたのはフランツ様だった。にこりと笑って手を振ってくるのでスカートを摘まんでお辞儀する。

 するとテオドール様もこちらを見たから私の心臓はもう緊張で口から出てしまいそうだった。お、おちついてエレナ。令嬢として恥ずかしくない姿を見せるのよ。

 すうっと息を吸って私はふわふわした心地のまま一歩踏み出した。

「エレナ様!!」

 え?

 一歩踏み出した足は着くはずの地面が無くてぐらりと私の視界は一転した。そうだここ短いけど階段になってたんだわ。なんて思い出したのはアメリアの悲鳴を聞いたあとだった。

「わぁ!?」

「危ない!」

 情けない悲鳴を上げて私は石畳の階段に叩きつけられる覚悟をしたのだけれど、痛みはいつまでたってもやってこなかった。

「エレナ、大丈夫?」

「へ、え? フランツ様!?」

 気がついたら私はフランツ様の胸に抱きしめられていた。がばりと勢いよく起き上ると石畳に背中を打ちつけたらしいフランツ様がいたた……と呟きながらゆっくりと起き上った。彼が階段から落ちた私を庇って助けてくれたんだ。

「フランツ! 大丈夫か?」

「エレナ様!」

「フランツ様、怪我は……!」

「大丈夫大丈夫。大したことないよ。それよりエレナは?」

「私はなんともありません」

 テオドール様やアメリア、周囲に控えていたらしい兵士も慌てて駆け寄ってくる。それを手で制してフランツ様はけろりとした顔だ。どうやら本当に酷い怪我はしてないみたい。

「それなら良かった」

「本当に申し訳ありませ……」

「エレナ嬢だったか。君も怪我が無いようでよかった」

「は、はい」

 ふと近くで声が聞こえて顔を上げたらテオドール様がすぐそばにいた。こんな近くで彼と話すのは初めてだ。

 ああもうなんという失態なの。テオドール様をお側で見られたからって浮かれてフランツ様にまで迷惑をかけてしまった。今まで侯爵家令嬢として努力してきたのに、結局どこか抜けている性格は治らないまま。

 激しく落ち込んで項垂れていたらすっと目の前に手が差し出された。フランツ様だ。

「ドレスが汚れてしまったね」

「これくらい大丈夫です。自業自得ですし。その……助けていただきありがとうございます」

「君が無事で良かったよ。それにしても……ふふ」

 フランツ様に手を貸してもらって立ち上がり、頭を下げた。するとなぜかフランツ様は吹き出して顔をそむけてしまった。

「フランツ?」

 テオドール様も不思議そうにフランツ様を見た。一体どうしたのかしら。

「だ、だってあまりに見事な転びっぷりで、しかも『わあ!』って……」

「仕方ないじゃありませんか! そんな咄嗟に可愛らしい悲鳴なんてあげられませんし」

 私の転びっぷりがツボに入ったらしい。恥ずかしくて頬が赤くなるのがわかる。

「あはは、ごめんごめん」

「フランツ様!」

「お前がこんなに笑ってるなんて珍しいな」

 ちょっとテオドール様まで笑ってるじゃない。なんてこと。

 ああもう私ったらせめてもうちょっとお行儀のよい悲鳴があげられなかったのかしら。



「エレナ、今日フランツ様に助けていただいたんだって?」

「まあ、それじゃあお礼をしなくてはね」

 その日の夜夕食の席で昼間の失態がお父様とお母様にばれてしまった。アメリアったら余計な報告を……。彼女はフランツ様のファンだから彼の活躍を伝えたかっただけなのだろうけど。

「そういえば私たちも結婚前はそんなことがあったわね、あなた」

「ああ、君が川に落ちそうになった時のことかな」

「そうよ、お父様ったらとてもかっこよくてねえ」

 あらあら結局二人の惚気話に移行してしまったわ。私の両親は貴族にしては珍しく恋愛結婚だし仲が良いの。それが珍しいと知ったのは最近で、前は当たり前だと思ってたのだけれど。良くも悪くも私の両親は変わり者だわ。ああ、それと上の兄二人も恋愛結婚だったっけ……。私の家族はみんなちょっと変わっているのかしら?

 普通、貴族同士の結婚というのは家と家との契約と言う側面が大きいから個人の感情は無視されがちだった。だから愛の無い結婚なんて当たり前だし、お互い公認の愛人がいたりなんてこともあるのだとか。

 でも私はやっぱりできたら好きになった人と結婚したいわ。

「ねえ、お父様」

「なんだいエレナ」

「……どうしてフランツ様と私を婚約させようと思ったの?」

 もちろん昔からよく知っている幼馴染というのもあるだろうけど。でもお父様は私の気持ちを無視するような人ではないわ。テオドール様が好きなことだって多分ばれてた。それでもフランツ様と婚約させたのはなぜ? ハインミュラー家の意向なの?

「なんだ、知らないのか? フランツ君から申し込まれたんだよ」

「……え?」

「幼い頃から知っているというのもあるけれど、彼は立派に成長した。彼ならエレナを幸せにできると思ったから了承したんだ」

 そういえばフランツ様の身体、ずいぶんと大きかったな。

 私が思い出す幼い頃の彼は、私より少し小さくて全体的にひょろっとしていて頼りなかった。それも士官学校に入ってからはほとんど会うことがなくなって、次に何かのパーティーで会ったときには身長が抜かれていたっけ。

 お父様は仕事で城に行くことも多いから、王子の側近をしているフランツ様を私よりもよく知っているのかもしれない。

 だからって娘の了承も得ずに婚約をするなんてどうかと思うわ。

 それにフランツ様が婚約を申し込んできたってどういうこと? 正直彼ならば相手はよりどりみどりのはずよ。別に私じゃなくても……ああでも家の格を考えると私がちょうどよかったということかしら。

 本当に私が好き、……なんてことあるはずないわよね。だって本当の私をしっているのだから。



「あら、このマドレーヌとても美味しいわ。どちらの?」

「ええそれは貴族街の……」

「ごきげんよう、おひさしぶりね。お元気そうでなによりだわ」

「まあよく来てくださいましたわ。お待ちしておりましたのよ」

 きゃっきゃと飛び交う女性の声と甘いお菓子と花の香り。

 本日はハーニッシュ家のタウンハウスで貴婦人たちによる定例のお茶会が開かれていた。仲の良い貴族の奥様達で持ち回りでやっているお茶会は本日お母様がホストだった。けれど面倒なことに話題の中心はフランツ様と婚約した私になってしまった。

「まああんな綺麗な殿方と結婚なんて羨ましいわ」

「フランツ様は王子様と仲がよろしいのよね。お家も安泰よ」

「普段どのような場所でデートをしてるの?」

 なんて私は奥様達に囲まれて質問攻めされていた。お母様は後ろの方で嬉しそうにこちらを見ている。黙ってないで助けてほしい。

「それがまだデートはほとんど……。ええ、とても魅力的な方で、王子殿下とも親友ですの」

 嘘は言ってないわ、嘘は。

 というか私が好きなのはテオドール様なのよ。と、叫びたい気持ちを抑えてごく自然に見える笑顔でホスト側として招待客をもてなした今日の私はよくやったと思うわ、本当に。

 お茶会が終わった後、中庭で一人ぼんやりとベンチに座って深く息を吐いた。

 ああ、もう疲れたあ。

 はしたないとわかっているけど誰もいないし、背もたれに背中を預けてそのまま足も伸ばして空を見上げた。ぐーっと身体を伸ばしたらとても気持ちいい。みんな本当噂好きよね。

 体を伸ばした体勢のままぼんやりしていたら急に視界に影が差した。

 上を見上げていた私の視界に後ろからフランツ様が覗き込んできたのだ。

「やあ、お疲れ様」

「ふ、フランツ様!?」

 また恥ずかしいところを見られてしまった!

 慌てて居住まいを正すとフランツ様が隣に座ってきた。

「別にそのままでいいのに」

「そういうわけにはまいりませんわ……。今日はどうされたのですか?」

「ああ、今日は仕事で近くまで来ていたから。突然伺っては失礼かとも思ったけど、君の顔が見たくてね」

「へ?」

「うーん、僕も仕事で最近少し疲れ気味でさ」

 ううーん、と先ほど私がやったのと同じようにフランツ様が長い手足をいっぱいに伸ばした。王子の側近という仕事は色々と大変なのね。それにしても私の顔が見たいって……変わった人だわ。私がちょっと普通の貴族のご令嬢と違うことはわかってるでしょうに。

「……あの、先日は助けて頂いてありがとうございました。背中は大丈夫でしたか?」

「ん? ああ、まったく平気だよ。僕の方こそ笑ってしまってごめんね」

「そうでしたわ。あまりにも笑われるから少々恥ずかしかったです」

 テオドール様にも笑われてしまったし。あの時のことを思い出して羞恥で頬が熱くなった。

「王子殿下にも後からちょっと叱られたよ。女性に対して笑いすぎだってさ」

 テオドール様がそんな風に気にしてくださったなんて。嬉しくて少しだけそわそわしてしまう。

 ……それにしても今日のフランツ様は本当にお疲れの様子だ。普段は一部の隙も無い紳士なのに今日は少しくたびれたご様子だもの。

「……何かあったのですか?」

 きっと仕事の内容は話せないことばかりなのだろうけど。お茶を入れて差し出せば少し気の抜けた顔でありがとう、とお礼を言われた。完璧超人に見えるこの人も人間なのね、なんて妙なところで安心してしまう。

「まあ、色々とね。……王子は、テオは本当にいい奴なんだ。だからこそ彼のために僕がやらなきゃいけないことはたくさんある。なかなか国の中枢というのは面倒だよ」

「テオドール様を守るために、ですね」

 貴族たちにも思惑や力関係はある。

 特に今は王位継承権がはっきりしない王子が二人いる状態だからなおさらよ。フランツ様はテオドール様の立場を守ろうとしていらっしゃるのね。でもまだフランツ様だって16歳よ。成人もしてないのに大人と渡り合うのはきっと神経をすり減らすわ。

 自分の家や立場だって守らなくちゃならない。

 ああ、私も男だったらフランツ様と一緒にテオドール様をお支えできたのに。でもそれじゃあテオドール様と結婚できないじゃない。それも嫌だわ。

「でもまあ、そうやって動くのが嫌なわけじゃないんだよ。やりがいはあるしね」

 そう話すフランツ様はなんだかとても大人びて見えた。



 それからしばらくフランツ様は仕事が忙しいようで会いに来なくなった。

 まあ、私もどうやって婚約を解消してもらおうか考えても答えが出ずに困っていたのだけれど。

 1ヶ月ぶりにフランツ様と再会したのはヴィルヘルム王子の18歳の誕生パーティーでのことだった。この国では18歳で成人と認められるの。だから今日は例年より盛大にお祝いがされていた。国王陛下が病に臥せっておいでなので、今まではごく近しい貴族たちだけが呼ばれていたけれど今日は招待客も多いみたい。

 今までは両親と成人した兄二人だけが出席していたけれど私も今日は初めて参加することになったの。

 パーティー会場となるホールに入るとすでに多くの招待客で賑わっていた。

 私はスカイブルーのドレスを着て髪は丁寧に編み込んで結い上げて白いバラが飾ってあった。王子殿下の誕生日、それも初参加だからお母様や侍女たちがそれは張り切って仕上げてくれたわ。

 顔見知りの貴族たちに挨拶をしてホールを回っていたら正面の大きな扉が開いて、テオドール様たちが入場されてきた。皆それを見るとさっと身を引いて道を作り頭を下げる。私もそれにならって丁寧にカーテシーをする。

「本日は兄のためによく来てくれたな。ありがとうハーニッシュ卿」

「本日はおめでとうございます」

 テオドール様が立ち止まってお父様に声をかけている。こっそりと見たテオドール様は今日は白の軍服の正装を着てネイビーのマントを羽織られていた。本当に物語の王子様のようで素敵。その後ろにはこちらも色違いの赤い正装のフランツ様が控えていた。

「お久しぶりですハーニッシュ卿」

「いや最近は大分忙しかったようですな。少し瘦せられたかな」

「お気遣い痛み入ります」

「エレナ、こちらへ。ご挨拶なさい」

 テオドール様が他の貴族たちへ挨拶するために行ってしまい、フランツ様がお父様と会話を始めた。と思ったら背後で大人しくしていた私が呼ばれてしまった。

 う、と私は一瞬たじろいだけれどそ仕方なくしずしずと前へ出た。ほら見なさい、周辺の貴族たちの好奇の視線がびしばし刺さってくるわ。

 ハーニッシュ家は侯爵家として国でもそれなりの地位にあるし、それはフランツ様のハインミュラー家も同じ。それも王子の側近をしている優秀な若者なのだからこうなってしまうのはわかっていた。

 赤い正装の軍服がよく似合っているフランツ様が柔らかくほほ笑んだ。

「エレナ、久しぶり。なかなか会いに行けなくてすまないね」

「いえ、お仕事ですからしかたありませんわ。それにお手紙や贈り物をありがとうございます」

 仕事でお忙しいというのにフランツ様は私によく手紙や贈り物をくれた。地方に出張に行った際に見つけた染物のハンカチだとか、小さな花の栞。美味しかったからとカフェでおすすめの菓子なども。手紙自体は意外とあっさりしたもので近況が少し書いてあるだけだったけれど。

 それは貴族のたしなみではあるのかもしれないけれど、なんだか少し意外だった。だってフランツ様は淡泊そうだからそういうことをしそうにないと思ったのよ。それも私相手になんてね。

「……フランツ様?」

「なんだい?」

「いえ……」

 フランツ様が首を傾げる。

 私は慌てて首を横に振った。なんでもありません、と曖昧に微笑んでその場は話が終わってしまった。フランツ様だって他にも挨拶しなければならない人たちはたくさんいるから。

 だけど私はフランツ様に少しの違和感を感じていた。



 パーティーは最後に入場してきたヴィルヘルム様が雛段の中心に立ち、弟のテオドール様からお祝いの挨拶を受けるところから始まった。そのあとは司祭様から祝福を受け、貴族たちがご挨拶に伺っていた。

 それが終わると後は立食パーティーのような形になった。それぞれ話に花を咲かせる人、ダンスを楽しむ人、食事をしている人など皆が自由に動き始めた。私も知り合いの貴族の令嬢たちに挨拶をしていたのだけれど、どうしても気になってフランツ様をそれとなく捜していた。

 人は多いけれど王子二人の周囲は目立つからよくわかる。

 フランツ様はテオドール様が他の貴族たちとお話しているのを少し後ろで控えて聞いているようだった。いつもと同じ仮面みたいな笑顔を貼り付けて。

 私はそっとフランツ様に近づいた。

 テオドール様ももちろんそばにいる。パーティーの間は皆お酒も飲むし気も緩む。無礼講みたいなものだからここでテオドール様とお話することもできるのかもしれない。だけどそれより私には気になることがあった。

「フランツ様」

「え? エレナ……」

 宝石のような紫水晶の瞳を見開いてたフランツ様は背後にまで近づいた私にまったく気づかなかったのか驚いているようだった。

「少しよろしいですか?」

 そう言って私は返事も聞かずにフランツ様の手を掴んでパーティー会場から抜け出した。



「エレナ、一体どうしたんだ……いた!?」

 ぺチン! と音をたてて額に手を当てるとフランツ様の情けない声が聞こえた。

 パーティー会場から抜け出した私たちは近くの休憩用の部屋へ来ていた。誰も使っていないようだからちょうどよかったわ。

 戸惑うフランツ様の額はとても熱い。

「やっぱり! フランツ様、熱があるじゃないですか」

 パーティー会場で挨拶したときから、何か可笑しいと思っていたの。上手く言葉では説明できないのだけれどフランツ様の様子がいつもと違って見えた。

 フランツ様は瞳を見開いていつもの微笑みも忘れてぽかんとした間抜けな顔をしている。突っ立っている彼の手を引いて窓辺に置いてあるソファに座らせた。

「……僕、熱があるのか」

「自分で気がつかなかったのですか?」

「ううーん、たしかにいつもより調子が悪いなとは思っていたんだけど……」

 今日はヴィルヘルム様の誕生日だもの。テオドール様の側近のフランツ様が休むわけにもいかないし、忙しさで自分の体調にも気がつかなかったのね。まったく変なところで抜けている人だわ。

 手も握ってみたらすごく熱い。これはかなり高熱ね。

「エレナ……?」

「すぐにお医者様を呼んでこさせます」

「いや、でも会場に戻らないと」

「こんな状態じゃテオドール様も心配されますよ。大丈夫です。ハインミュラー卿に私がお話してきますから」

 一瞬だけぼんやりしていたフランツ様が表情を曇らせた。だけどすぐにフランツ様は大人しく頷いてくれた。……少し出過ぎた真似だったかしら。

 私はすぐに部屋の前で待機していたアメリアに頼んで医師を呼びに行かせた。振り返ったら大分体調が悪化したのかフランツ様はソファに埋もれるように座っていた。

「大丈夫ですかフランツ様」

「……どうしてわかったの?」

「どうしてですかね。でもいつものフランツ様とは違って見えたんです」

 隣に並んで座ったらフランツ様が何かを探すように手を伸ばしてきたからつい両手で握ってしまった。そうしたらきゅっと弱々しい力で握り返される。フランツ様は片手だけ私に預けて背もたれに背を預けて今にもずり落ちてしまいそう。

 人に言われてようやく自分の体調を自覚することってあるわよね。

 フランツ様って器用に見えるけれどワーカーホリックなのかも。

「いつもの、ふてぶてしい胡散臭い笑顔が完璧じゃなかったので」

「え、なにそれ……僕そんな風に見えてたの?」

「私だけですよ。たぶん他の人にはばれてません」

 あからさまにショックを受けた様子にちょっと意地悪し過ぎたかもと思ったけれど、その顔は幼い頃の彼の面影があって少し懐かしい気持ちになった。すっかり変わってしまったと思ったけれどそうじゃないのかもしれない。

 フランツ様は私の言葉に気の抜けたような顔をしてまたソファに沈んでしまった。

「そっか。やっぱり君には敵わないな」



 それからアメリアが連れてきてくれた医師に診察されたフランツ様は風邪と診断された。フランツ様の側近が知らせたのかテオドール様やハインミュラー夫妻も慌ててフランツ様の様子を見に来てくれた。

「最近ずっと働き詰めだったからな。……エレナ嬢、どうもありがとう。私も少しおかしいとは思っていたんだがこいつは私にはそういうこと言ってくれないからな」

「い、いえ! そんな、大したことではないので……」

 私は高速で首を横に振った。

 ああ正装のテオドール様はいつも以上にきらきらとした王子様オーラが出ているわ。それにとても友人想いでいらっしゃる。やっぱり素敵な人だわ。

 フランツ様は母親であるハインミュラー夫人や側近たちに付き添われ、今日は早めに屋敷へと帰ることとなった。それを見送ってテオドール様もパーティー会場に戻った後、残っていたハインミュラー卿に話しかけられた。

「エレナ嬢、今日は本当に助かった。うちの愚息はどうも何を考えているのかわからなくて困っていたんだが、あなたがいれば大丈夫のようだ」

「いいえ、こちらこそ王子殿下の側近という大切なお役目がありますのに出過ぎた真似をしてしまったかと……」

「あの様子では何かあっても逆に王子に守られてしまうでしょう」

 それはそうかもしれない。もう帰る時なんてフラフラだったもの。

「あれは昔から人に心を許すのが苦手なようで……それも私たち両親のせいかもしれないが」

 ハインミュラー卿はフランツ様によく似た端正な横顔で庭園を眺めていたけれど視線をこちらに映してきた。瞳の色もフランツ様と一緒だわ。きっと年をとったらフランツ様もこんな感じになるのかもしれない。

 フランツ様はハインミュラー卿の名前を出したら一瞬だけ表情を曇らせた。それはきっとフランツ様の家庭内の問題だから私が立ち入って聞けることではない。いつも笑顔のフランツ様が時おり無理しているように見えるのはきっと何か理由があるのね。

「あの、お聞きしてもよろしいでしょうか」

「何かね」

「どうして私はフランツ様の婚約者に選ばれたのですか?」

 ぱちりと瞳を瞬く様子はフランツ様によく似ている。ハインミュラー卿は苦笑してソファに座った。

「以前からそろそろ婚約者選びを、と思っていたんだ。フランツに聞いたところ君が良いと即答だったよ」

「え」

 どういうこと?

 お父様もフランツ様から申し込まれたとは言っていたけれど、ハインミュラー家の意向が絡んでると思っていたのに。

「きっと以前から君に好意を持っていたのだろうね」

 えええ!?

 苦笑するハインミュラー卿の前で私は真っ赤になってしまった。

 だって、それって本当にフランツ様が私に好意を持っていらっしゃるってこと? にわかには信じられないわ。だけど……、と私は自分の手を見た。先ほどまでフランツ様の手を握っていた。思い出したらなんだか心臓の鼓動がうるさくなる。

「それで城でお会いしたハーニッシュ卿に話したところ意気投合して……」

 お父様たちが意気投合したのは嘘ではないのね……。

 確かに嘘はついていないけど!

 でもフランツ様は初めてのデートの時、自分から私を選んだとは言わなかった。一体どうしてなのかしら。



 それからフランツ様はしばらく療養された。

 その間にお忍びでテオドール様がハインミュラー邸にいらしたと手紙に書いてあって、私はまたハンカチを噛んで悔しがった。私だってテオドール様とお話したかった!

 もうあの二人本当に仲が良すぎて怪しいわ。二人とも美男だからそれでなくても並ぶと華やかでまるで一部のご婦人方が好む耽美な物語の一場面のように見えてしまうのよ。

 それに問題がまたひとつ。

「エレナ様! フランツ様のお加減はいかがですか?」

「最近お会いになりまして?」

「いいえ、手紙でやりとりはしていますがまだ療養中でいらっしゃるから……。大分良くなられたとは聞いてますわ」

 大聖堂で行われる貴族の子女たちのための授業が終わると、口々に私に皆が話しかけてきた。この前のパーティーの一件で私がフランツ様の婚約者だと一気に広まってしまったみたいなの。

 これはいよいよ婚約解消し辛いわ。

 別にフランツ様が悪いわけじゃないし、自分で蒔いた種だから仕方ないのだけど。ああでもテオドール様にまでフランツをよろしく頼む、なんてあの日言われたのよ。さすがに違うんですとその場では言えなかった。

 ああでもあのときのテオドール様も純真無垢な天使のようで素敵だったな……。

「エレナ様、あちらに……」

 後ろをついてきていたアメリアの声に顔を上げると馬車を停めてある広場の方にフランツ様の姿が見えた。

「エレナ!」

「フランツ様」

 久しぶりに見たフランツ様はすっかり元気になったようで今日も完璧な笑顔……ではなく本当に笑っているみたい。輝かく笑顔にちょっとだけ心臓が跳ねた気がした。

 今日は転ばないように慎重に階段を下りていくとフランツ様が手を貸してくれた。

「もうお加減はよろしいのですか?」

「ああ、おかげですっかり回復したよ。今日は挨拶に少しだけ顔を出しにきたんだ」

 ごく自然にそのまま手を繋いで歩き出す形になって、周囲からの視線がちょっと痛いわ。後ろのアメリアは久しぶりに見たフランツ様にニッコニコだし。

「エレナはこれから予定はあるかい?」

「いいえ、あとは屋敷に帰るだけです」

「それなら久しぶりにデートしないかい?」

 眩しい笑顔のフランツ様に私はぎこちなく頷いた。



 貴族街にある城近く公園は天気が良いせいか人が多くにぎわっていた。皆思い思いに花を見たり草むらでピクニックをしたりお茶を飲んだりしている。

 私たちも花壇が見えるベンチに座ってお茶をすることになった。アメリアに頼んでテイクアウトのコーヒーと紅茶を買ってきてもらう。

「今日は貴族学校がある日だったろう? だから君に会えるかなと思ってたんだ。あれからずっと家にこもりきりだったし」

「もう無茶はなさらないでくださいね。ハインミュラー卿もご心配でしたよ」

「……そう、だねえ」

 珍しくフランツ様が歯切れ悪く答える。

 アメリアたち従者は私たちから少し離れた場所にいる。だからきっとここまで声は聞こえないだろう。私は思いきって聞いてみることにした。

「フランツ様はどうして私を選ばれたのですか?」

「え?」

「父や、ハインミュラー卿に聞きました。二人が意気投合したのは事実だけど私を選んだのはフランツ様だと……」

 フランツ様は一瞬目を見開いてそれから笑顔を消した。少し答えに困ったような表情で頬をかく。

 やっぱり家柄や諸々の問題をクリアするのに私がちょうどよかっただけなのかしら。私たちは貴族だもの。そういう選び方をしたっておかしくないわ。

 だけど、婚約を解消したがってる分際だけどやっぱりおもしろくない。

 だってそれが真実だとしたらフランツ様は私を一人の人間として見ていないってことじゃない。

「……ごめん、君を騙してたつもりはないんだけどずるいことをしたよ」

「それじゃあ」

「本当の理由を言ったら君に断られてしまうかなと思ったんだ」

「そう……だったんですね」

 やっぱりフランツ様は私自身が好きというわけではなかったのよ。それはそうだわ。私の本性をこの人は知ってるんだから。

 だけど、どうしてだろう?

 はっきりと言われた瞬間胸がぎゅっと潰されたように痛くなった。

 まったくどうしたっていうの。ちょうどよかったじゃない。私はテオドール様が好き……なんだから。

「……エレナ? え、ど、どうしたんだい?」

「へ?」

 フランツ様が珍しく慌てた声を出したから顔を上げたらぽたりと頬から雫が落ちた。

 え、私泣いて……!?

「す、すみません。どうしてかしら……」

「エレナ、どこか痛い?」

「大丈夫です、すみません!」

 もう恥ずかしくてこの場にはいられない。そう思って立ち上がるとそのまま私は走り出した。貴族令嬢が外で走るなんてありえないわ。だけど逃げるにはこうするしかないじゃない。

「エレナ!?」

 とにかく今はフランツ様から離れたかった。涙のせいで視界がぼやけてしかたない。もう私の涙腺はどうなっているのよ。

 ちゃんと前を見ていなかったのがいけなかったのかもしれない。

 公演を飛び出しって歩道を歩いていたら前から歩いてきた男性にぶつかってしまった。

「ひゃっ!?」

「おっと!」

 数歩よろけて後ずさる。顔面からもろにいってしまって鼻が痛いわ。

「も、もうしわけありませ」

「おいおい急にぶつかってきてなんだてめえ」

 え。

 私がぶつかったのは私より二回りは大きそうないかつい男だった。見たところ中流階級の兵士のように見えるけど、どうして貴族街にこんなガラの悪そうな男がいるのよ。

「ふん、貴族の女が一人で出歩いてるとはめずらしいなあ」

 ちょうどアメリアも振り切って来てしまったから私は正真正銘一人だった。目つきの悪い男が私を値踏みするように上から下まで眺めていて、気持ちが悪いったらないわ。

「た、大変失礼しました。急いでましたもので。……それでは」

 なんとかこれで逃げ切れないかしら、なんて考えは甘かったみたい。そそくさと男を横切って行こうとしたら思い切り腕を掴まれてしまった。思わず出かかった悲鳴をなんとか飲み込む。

「離してください」

「そう言うなよ。ちょっと付き合ってくれ」

 ひひひ、と下卑た笑いを浮かべる男に二の腕に鳥肌が立った。そのまま引っ張って行かれそうになって私は思い切り相手の背中に蹴りを入れた。

「離して、くださいと言ってるでしょう!?」

「ぐっ!? この女!?」

 私はこれでも幼い頃は兄たちと一緒に護身術も学んでいたのよ。取っ組み合いの喧嘩だってしたんだから。幼い頃の話だけれど。

 男がバランスを崩して腕の拘束が緩んだ隙に逃げ出そうとした。だけどすぐに男の腕が伸びて来て私の髪の毛を掴んできた。

「いっ!?」

「逃げるんじゃ……!?」

 だけど男の声は途中で不自然に途切れた。

 私は髪を掴まれたまま振り返ったら男の首に剣の切っ先があてられていた。

「彼女から手を放せ」

 そこにいたのはフランツ様だった。いつもの笑みは消えて氷のような視線で男をじっと見据えている。男がぱらりと私の髪を離したのと同時に腕を振り上げたフランツ様によって、男は地面に一瞬で転がってしまった。またっく見えなかったけれど、剣の柄で殴打したのね。

「その男を捕らえろ!」

「エレナ様ぁ!」

「アメリア……」

 誰かが呼んでくれたのか警備の兵士たちが駆けつけて来て気絶した男を捕らえてくれた。フランツの後ろから飛び出したアメリアが私に抱き着く。

「お怪我は、お怪我はございませんか? もうしわけありません。一人にしてしまって……!」

「いいのよ、私がしたことだもの」

「エレナ」

 掴まれた腕と引っ張られた頭皮がちょっと痛いけれど他はなんともなかった。全部私の自業自得よ。髪型もくずれてしまってぼさぼさだわ。

 泣くアメリアをなだめていたら傍らにフランツ様が膝をついて私の両肩を掴んだ。

 笑みを消したフランツ様に間近で見つめられると、なんだか緊張してしまう。私の頬を触って、それから腕や全身を見て怪我が無いことを確認してようやくほっとしたようにため息をついた。

「良かった……」

「ふ、フランツ様!?」

 そうして人目もはばからず抱きしめられて私は慌てふためいたのだけど、どうしてもその腕を解く気にはなれなかった。



「僕が君を家の格でちょうどいいから選んだ? 何それ!?」

 あからさまにショックを受けた様子のフランツ様にそう言われたのは、屋敷に帰宅してからのことだった。あの後警備の兵士たちに事情を聞かれ、泣くアメリアをなだめ、お医者様にも行って見てもらい屋敷に着いた頃には日が暮れていた。

「エレナ嬢を危険に晒してしまった責任は私にあります。もうしわけございませんでした」

「いえ、フランツ様は悪くありません。私がお側にいなければならなかったのに……!」

「違うんです、お父様。フランツ様もアメリアも悪くありません!」

 お互いを庇いあう三人にお父様とお母様は最初私が暴漢に襲われかけたと聞いて青ざめていたけれど最後は苦笑していた。

 あの男は酔っぱらって貴族街に偶然迷い込んでいたらしい。今後はもっと警備を厳しくしないとな、とお父様とフランツ様が話していた。

 それから私はフランツ様と二人で中庭に出た。

 以前会った時と同じように二人でベンチに座る。

 正直すごく言い辛いけれどフランツ様にも迷惑をかけてしまったし、私は自分が泣いた理由を話すことにした。

 そうしたらフランツ様が心外という顔をしたのだ。

「でも……本当のことを言ったら私に断られる理由って、そういうことではないんですか?」

「違うよ、エレナ。僕は君が好きだ。だから君を選んだ」

 フランツ様が少し疲れたように首を横に振って私の両手を取った。思わずどきりとして赤くなってしまう。

「だけど君は王子殿下が好きだろう?」

「え……!?」

 知っていたの!?

 少しバツが悪そうにフランツ様は視線を逸らした。

「ただ僕からの好意だけで君に婚約を申し込んでも、他に好きな人がいるからで断られてしまうかと思ったんだ。だから断られないように父同士が意気投合したってことにした」

「……あっきれた」

 ぽつりと呟いたら少しだけフランツ様が体を丸めて小さくなった。

 でも確かに婚約したばかりの頃の私だったらフランツ様から告白されてもそう言って断ったかもしれない。それにしても私のテオドール様への恋心を知っていながら邪魔するとは。

「フランツ様は私の気持ちはどうお考えだったんですか?」

「これから好きになってもらえたらと思って……」

 がんばるつもりだったらしい。

 つまり手紙も贈り物も本当にフランツ様の本心からだということ。

 なんだか私は色々考えすぎて気が抜けてしまったわ。

 まったく単純なのかずるいのかよくわからない人。

「変わってますね、私がいいなんて」

「僕は昔から君が好きだったよ。それこそ木刀でボコボコにされてたときからね」

 え、片思い歴長いな。

 思わずそんなことを思ったらフランツ様が苦笑した。

「うちは両親が政略結婚でずっと仲が悪くてね。そういう親を見てきたから僕もきっと結婚したらそうなるのかと思ってた。だったらずっと独身も悪くないかなって。女の子も苦手だった。男友達と騒いでる方が楽しかったし……だけど君は違った」

「昔はむしろ私が男の子たちに混ざっていましたからね」

「そこらへんの貴族の息子たちよりよっぽど君は活発で強かったしね」

 私の両親は程よく放任主義で私が男の子たちと混ざって遊んでも何も言わなかったからね。よくケンカをしては相手を泣かせてお母様と謝りに行ったわ。黒歴史よ。

「士官学校に入って君と遊ぶこともなくなって、君は素敵な淑女に成長したって評判で遠くから見たらあんまり綺麗になっていてびっくりしたよ」

 さらりと褒められてどう反応したらいいかわからずにいたら、フランツ様は楽しそうに私覗き込んできた。

「だけどやっぱり君は君だった。本当はお転婆で世話焼きで元気な女の子だ。さっきの蹴りも見事なものだったしね」

「見てたんですか!?」

 もういい加減慣れてきたけどフランツ様には淑女らしからぬところばかり見られている気がする。だけどフランツ様は呆れた様子もなく楽しそうに笑った。

「そういうところも含めて僕は最初から君だけが好きだよ」



 それから私は相変わらず貴族学校に通いながら淑女として暮らしている。

 結局フランツ様との婚約は解消していない。



 フランツ様が全てを打ち明けてくれたあの夜、私も考えていたことをすべて素直に話すことにした。

「……私は、フランツ様はもしかして恋敵なのかと思ってました」

「ええ?」

 実際妨害はされてたので似たようなものだけれど、フランツ様はよくわからないようで首を傾げた。

「だって私だってテオドール様とお話したいのに、いつもそばにはフランツ様がいらっしゃるじゃないですか! すごく仲良さそうだし。だからもしかして、まさかとは思ったんですが…」

「あの、変な妄想しないでね?」

「すみません。だけど私にとっては恋敵だったのですよ。私だってテオドール様をお支えしたいの」

「はあ……」

 フランツ様はよくわからないって顔をしていらした。それは仕方のないことだわ。

 それにしても作り笑顔をやめたフランツ様の気の抜けた表情は妙に可愛い。私はフランツ様にピッと人差し指を立てた。

「そして、テオドール様をお支えするあなたのことも私は支えたいの」

 ぽかんと間抜けな顔をするフランツ様にふふんと私は笑って見せた。

 ああ私の恋はテオドール様へのものだったはずなのに。だけど気づいてしまったんだから仕方ないじゃない。

 私はフランツ様と対等でいたい。家柄だけじゃなく、ちゃんと私を見てほしい。フランツ様の気持ちを誤解した時本当にそう思ったの。胸が痛くて泣いてしまうくらいに。

「フランツ様、私はあなたの恋敵で、そして婚約者です」



「カレーはやっぱりスパイスたっぷりの激辛じゃないと」

「そんなの認められませんわ! お腹を壊すでしょう!」

 わいわいと二人で話すのはハーニッシュ邸の厨房。カレーが好きだっていうからどんなのがいいかリクエストを聞いたらよりにもよって激辛をリクエストしてきたの。働き方といい食の好みといい、この人案外危なっかしいなあとあらためて思う。今後は健康のことも考えて食事してもらわなくちゃ。

「甘口のお子様カレーはテオの方が好きだよ」

「なんですって? お可愛らしいわ」

 心のメモ帳にしっかり書き留めて私はアメリアの指導のもとおっかなびっくり玉ねぎを切る。

「僕の方が得意そう」

「フランツ様、大人しくしてて」

「はいはい」

 そう言って少し離れた厨房の椅子に陣取って私を眺めるフランツ様のだらしない笑顔! まったく幸せそうでなによりだわ。

 あれから私たちはすっかりお互い本心を隠さなくなった。

 私はテオドール様が大好きだし、フランツ様の婚約者だし、フランツ様は私にべた惚れでテオドール様の大親友。

 もうそれでいいじゃないかということになったの。

 そうね、テオドール様への感情は元々燃えるような恋情ではなかったし、今は憧れのような可愛いものへの慈しみのようなそんな感情に最近はなっている。

 フランツ様は……。

 私を見る優しいまなざしや、階段から落ちた時に助けてくれた胸の温かさ、それから風邪をひいたときの間抜け顔。そして私を暴漢から助けてくれた時の氷のような表情。一気に色々と思い出すと心臓の鼓動が急に早くなったような気がした。

 むかつくけれどかっこいいわ。

「僕は君のこともテオドールの親友の立場も誰にも譲るつもりはないよ」

 そんなことを言いながら私の作ったカレーをけろっとした顔で食べているフランツ様に私は座った目で睨んで見せた。

「フランツ様の欲張り!」

 わかっているわよ。そういうフランツ様を好きになってしまったんだからしょうがないじゃない!

 楽しそうに笑うフランツ様を見ていたら、なんだか私も力が抜けて笑ってしまった。



 私の好きな人は、婚約者で恋敵。

 複雑なのかシンプルなのかわからない関係性だけれど、私も結構幸せなのかもしれない。


読んでいただきありがとうございました。

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