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第8話 自由と怠惰の探求者

 



「なんの用?」


 眠たそうに目をこすりながら、上級生だと思われる男子生徒が問う。

 彼がソファの上で身動ぐと、ガシャンとソファに乗っていた物が床に落ちた。しかし、気にした素振りも無く、彼は大きなあくびを噛み締める。

 ゆるい雰囲気ではあったが、わたしは後ろめたさから視線を泳がせていた。


「本があったので、ちょっと窓から……」

「本……?あ、それ俺の。返して」

「すいません、どうぞ」


 わたしは慌てて先輩に駆け寄り、手に持っていた本を手渡した。怒っているのではないかと顔を覗き見るが、表情は至って穏やかで眠そうだ。

 すると、思い出したかのように先輩が唐突に顔を上げる。やっぱり怒られるのかと身構えたが、彼の口から出てくる言葉は迫力に欠けた。


「どろぼう?」

「どろ……違います違います!断じて、違います!ただの不法侵入です!」

「ああ、不法侵入か……ん?いいのかな、これ」

「良くないですね!」


 こちらが心配になるくらい抜けている。寝起きだからという理由だけでは片付けられない気がする。

 この先輩は何者なのだろう。学園の生徒なのは制服を見る限り明らかだが、休止期間中にこんな場所で何をしているのかが分からない。

 帰省していないのは家の事情だとしても、閉鎖された校舎内で呑気に昼寝をしていた事が奇妙だった。


「あの、先輩はここで何を?」

「ん……?自分の部屋で寝てただけ」

「自分の部屋?」


 わたしは改めて周囲を見回す。物で溢れ返ったこの小さな部屋は、到底人が生活する場所とは思えない。

 ていうか、校舎内に自分の部屋があるの?寮は?

 混乱しているわたしを余所に、彼は先程の本を開いて魔法陣を発動させた。本の中から淡い緑色の光が洩れて、そこから飛び出して来た小さな人型の物体が宙を飛び、物で溢れた机に向かう。

 人型の妖精のようにも見える物体は、机の横に隠れていた棚を開き、自身の背丈よりも大きいカップやポットを机に並べる。


「あれは……?」

「くりあもコーヒーのむ?」

「えーと、コーヒーは飲めないので大丈夫です。あと、わたしはクレアです」

「ああ、クレアか。ごめん、ぼうっとしてた」


 ようやく訂正できた事に安堵して、再び机の方に目を向ける。妖精っぽい何かはサーバーの上にカップのような物を乗せ、ペーパーフィルターをセットしてから、予め挽いてあった豆を中に入れる。すぐ側では、ぐつぐつとお湯を沸かす音がした。

 今まで見てきた魔法とは種類が違う。こんな風に、お手伝いさんのように動く魔法もあるなんて知らなかった。

 しかし、仕組みが分からない。先輩が操り人形のように動かしている様子は無いし、妖精が自分の意思で勝手に動いているように見える。


「あれってどうやってるんですか?自動式……?」

「精霊におねがいしてるんだ」

「精霊って、魔法を使う時に集まって来る?」


 魔法式は精霊文字でできている。精霊文字は、文字通り精霊の言葉だ。

 精霊は普段目に見えないし、意思があるのかも諸説ある謎多き存在である。しかし、魔法は精霊がいなければ成り立たない。魔法使いは魔力を対価にして、精霊に望んだ現象を起こして貰っているからだ。

 複合魔法は精霊文字によって精霊に細かい指示が出せるからこそ、複雑な現象を起こせる。

 自然系統魔法は言葉を介さない代わりに、直接魔力を明け渡して瞬時に魔法が発動する。ただ、魔力の属性によって集まる精霊は限られていたりする。

 つまり、コーヒーを淹れる事を複合魔法で精霊にお願いしたという事は……


「あれって、精霊なんですか?」

「見た目は本来の姿と違うけどね」

「初めて見ました。コーヒー淹れてる精霊」

「精霊にこういう事をおねがいするのって、言葉で伝えるのがむずかしいから」

「確かに、精霊文字に『コーヒー』って単語は無いですしね。概念が無いのにどう伝えてるんだろう」

「ほんとすごいよ」


 コーヒーの良い香りがしてきた辺りで、わたしは精霊から目を離して先輩を見た。自分で発動した魔法を他人事のように褒めていたからだ。

 彼はコーヒーを淹れている精霊をぼうっと眺めながら、視線はそのままに「どうしたの」とわたしに聞いた。鈍感そうなのに、気づかれていた事実にちょっと驚く。


「これ、先輩が作った魔法じゃないんですか?」

「違う。この本に書いてあったやつ」

「その本って、普通の本じゃないですよね」

「うん。魔導書だから」

「魔導書……」

「しらない?」

「いえ、本で読んだ事があります。魔法使いが普段使う魔法陣を詰め込んだ本だって。魔法陣の構成と暗記の省略を目的とした道具ですよね」


 魔法を使う時、その都度魔法式を並べて魔法陣を作っていては大変だ。魔法陣を描くのに暗記だってしなくちゃいけない。

 そこで、よく使う魔法を本にして、魔法陣を写し取るだけで良いようにしたのが魔導書。知識としては知っていた。


「でも、最初の頁の魔法陣って何なんですか?契約の魔法ですよね?」

「所有者を覚えさせてるんだ。頁数がおおいと探すのが手間だから、思考を読み取って、すぐ目的の頁が引けるように。あと、他人に使われないように認識阻害したりとか」

「へえ」


 魔導書の仕組みに感心していると、どうやらコーヒーが完成したようで、人型の精霊がカップを運んで来た。

 彼は運ばれて来たコーヒーを受け取り、役目を終えた精霊は弾けるようにして消えた。居なくなってしまった事を少し残念に思う。

 のんびりとコーヒーを飲み始めた先輩に、わたしは会話をしながらずっと気になっていた疑問を投げかけてみる。


「あの、ところで普通に話してますけど、わたしのこと追い出したりしなくて良いんですか」

「好きにしたらいいよ」

「そうですか」


 うーん、どうでも良いんだろうな。知り合って間も無いけれど、この人って他人に興味が無さそうだ。

 選択の自由を与えられ、わたしは視線を彷徨わせる。部屋いっぱいの本棚を見て、次に精霊の淹れたコーヒーを見て、そして謎めいた魔導書を見て、少しだけ考えた。

 それなら図々しく居座ってやろうかな。暇だし、先輩も暇そうだし。

 わたしは先輩の横に並び、断りも無くソファに座った。しかし、彼からは何の反応も返って来ない。良いって事だな。


「先輩のお名前は?」

「フィル」

「フィル先輩。その魔導書、読んでみたいです」


 その言葉を聞いて、フィル先輩がコーヒーのカップから口を離し、わたしの方をチラリと見る。真剣な目で先輩を見返すと、わたしの手の上にポンと魔導書が置かれた。

 呆気ないほど簡単に貸してもらえた事に驚き、「いいんすか」と聞けば、「いいよ」と抑揚の無い声で許可される。


「ありがとうございますっ!」


 元気良くお礼を言って、早速貸してもらった魔導書を開く。そして、緑色に淡く光る魔法陣と再び対面した。

 おお、やっぱり分かんない。どうなってるんだ、この魔法陣。

 わたしは懐から先程潜入に使った紙とペンを取り出し、魔法式を書いた紙の裏にペンを走らせる。魔導書に書かれた魔法式を書き出して、後で図書館で調べる為だった。

 フィル先輩はそんなわたしを一瞥したが、以降は興味も無さそうに、わたしの存在など気にしていなかった。そして、わたしもわたしで自分の世界に入り込んでいた。

 ひゃっほう!魔導書が読めるなんて今日はツイてるぅ!


 結局、その日は夜中までフィル先輩の部屋に居座った。

 魔導書がまだ途中だったので、ソファで眠る先輩を無理矢理起こし、寝ぼけて微妙な反応しか返さない相手と次の約束を取り付けた。「あー」と「うー」しか言っていなかったけれど、これは「イエス」って意味だと思う。

 図書館で調べ物をしてからまた来よう。



***



『我が親愛なる家族へ

 夏の暑さが厳しくなる時期になりますが元気にしていますか?

 わたしは自由を奪われた身ですが、希少な魔力の保有者として納得しています。

 会えないのは寂しいですが、こちらは毎日元気いっぱいです。

 魔法を学ぶのは楽しく、飽きがありません。

 幸い才能を発揮する事が出来、同年代の中では一二を争う実力です。

 いつかわたしが自由を手にするその時まで、待っていてください。

 クレアより』


『愚娘へ

 学園での貴方の評判は伝え聞いております。

 先生方の言う事はしっかりと聞きましょう。

 授業も欠かさず出ましょう。

 危険な事は絶対にしないでください。

 周囲を巻き込むなんて以ての外です。

 だいたい貴方は只でさえ運が悪いというのに自から危険に飛び込もうとするのは馬鹿───以下略。

 母より』


『我が愛しのおてんば娘へ

 元気そうで何よりですが、お父さんはクレアの体が心配です。

 よく行き倒れているという話は本当ですか?

 ひもじい思いはしていませんか?

 よく眠れていますか?

 大きな怪我などしていませんか?

 こちらは学園から戴いたお金で毎日楽しく暮らしています。

 父より』


『だいすきなおねえちゃんへ

 もうすぐいもうとかおとうとができるんだって!

 たのしみだね!

 おとうとより』


 わたしは微妙な顔をして、手紙をそっと引き出しにしまった。



***



 もうすぐ夏休みが終わる。来週には生徒達が続々と学園に戻り、授業も再開されているだろう。

 わたしは魔導書の最後の頁をめくり、達成感に満たされていた。分からない事があればその都度調べ、二歩進んで一歩下がるように読み進めていた本をようやく読破したのだ。

 名残惜しく思いながらパラパラと見返していると、裏表紙の内側に何か書いてある事に気づく。


「ブラッドリー?」


 隅の方にたったそれだけ、走り書きされている。サイン……名前だろうか。

 わたしは魔導書を持って、いつものソファで寝落ちている先輩に近づく。床に取り落とした本があったので、ついでに拾って隅に避けた。


「フィルせんぱーい」

「……」

「フィル先輩フィル先輩フィル先輩」


 耳元で暫く声をかけ続けると、億劫そうに目が開かれる。意識があるのかはハッキリしない。まだ寝ぼけているのだろうか。


「せるあ……」

「クレアです、フィル先輩」

「ふれあ……」

「ここに書いてあるブラッドリーって誰ですか?」

「ふらっとりー……」

「ブラッドリーです」

「ぶるっとりー……」


 何度か同じようなやり取りをして、精霊の淹れたコーヒーを飲み始めた先輩に改めて話しかける。


「ブラッドリーって誰ですか?」

「この魔導書を書いた、100年くらい前の人」

「100年前って事はもう居ないですよね。生きてたら弟子入りしたかったです」


 ブラッドリーって人は本当に凄い。とにかく楽をする為に掛ける労力がえげつない。しかも、くだらない事を何でも魔法でやろうとする。

 まるで快適に眠れる枕を手に入れる為、枕を自ら作ろうと完璧な素材を探しに世界中を飛び回り、枕職人になるくらいの手間を掛けている。尊敬するしかない。

 それだけ彼の作る魔法陣は独創性に溢れていて、素晴らしかった。この才能はもっと別の事に使った方が世の為人の為になるのでは……と思うけれど。

 特にいつもより10センチ高くジャンプ出来るようになる魔法って、使い時いつ?


「読みおわったの?」

「お陰様で!めっっっちゃ、面白かったです」

「すごいね。意味のわからない魔法式を見つづけるなんて大変じゃなかった?」

「いやいや、凄いのはブラッドリーですよ。それに魔法式見てるのは結構好きですし」

「それでも十分すごいよ」

「そうですか?ふへへ、悪い気はしないです」


 ストレートに褒められてデレデレに照れていると、フィル先輩は少し考え込むような顔をする。


「どうかしましたか?」

「この魔導書、クレアにあげる」

「えっ」


 あげる?魔導書を?わたしに?

 フィル先輩の相変わらずの眠そうな顔を凝視しながら呆ける。先輩は何を言っているのだろう。魔導書をあげる?あげるって、タダで?

 魔導書は希少だ。そして、当然ながら高価だ。人の作った魔法が詰め込まれた本の譲渡は、つまり唯一無二の魔法の受け渡しだ。教科書に書かれているような、知れ渡った魔法とは価値が全然違う。

 高名な魔法使いの魔導書は国宝級であるし、無名の魔法使いの魔導書でも宝石と同じ値段が付く。謂わば、骨董品のような物だ。

 それを『あげる』だなんてとんでもない。


「あっ、何か交換条件があるんですね。それなら……」

「ないよ」

「ないの?」

「使いたい魔法は自分の魔導書に写しとったから、原本はなくてもいい」

「えっ、写した?先輩の魔導書に?」

「うん。作りかけだけど」


 フィル先輩はそう言って、ダンボールの山に手を突っ込み、雑多な物の中から本を引っ張り出す。

 ブラッドリーの魔導書と比べると魔力の気配もごく僅かで、魔力がまだ馴染んでいないように感じた。装丁も新しく、紙の色も真っ白だ。


「写していいんですね……」

「クレアも言ってた。魔導書は自分がよく使う魔法を詰め込んだものだって。写すのは悪いことじゃない」

「量産されたら価値が下がっちゃいそうですけど」

「魔導書は本来、自分のために作る実用的なものだよ。自分の魔導書を持ったら一人前、オリジナリティがあればなお良し。希少性を守る必要はない」

「なるほど……?」

「門外不出の魔導書もたしかにあるけど、これはそんな大層なものじゃないし」


 頭の上に魔導書が乗せられる。わたしが受け取ろうとしなかったからだろう。

 そのまま魔導書をわたしの頭に乗せようとバランスを取っているようなので、何となく動かずじっとしていた。受け取るつもりは勿論無いけど。


「いや、でも魔導書に価値があるのは事実じゃないですか。わたしにあげて良いんですか?付き合い短いですし、不法侵入者ですよ?」

「そういえばそうだった」

「忘れてたんですか」

「まあいいよ。あげる」

「タダで貰うのは……それに、理由が分からないです」

「理由?理由……」


 フィル先輩はうわごとのように呟きながら、何も考えていないような顔で「うーん」と唸った。

 ゆっくりと先輩の手が魔導書から離れ、わたしの頭の上で魔導書が自立した状態になる。落とさないように気をつけている自分がいた。何だこれ。


「じゃあ、預けるよ。魔導書の契約者は俺のまま」

「理由を聞いてませんけど……」

「これを持っているのは、俺よりクレアの方がしっくりくるから、かな」

「抽象的でよくわかんないです」

「クレアって、めんどくさいね」

「……」


 どうしろと。

 フィル先輩は意外と押しが強くて頑固だ。しかし、素直に受け取れる訳がない。この人が何故ここに居るのか、何者なのかをわたしは知らないのだから。そんな間柄じゃない。

 自分の頭の上に乗っかった魔導書を手に取って、同じようにフィル先輩の頭の上に乗せようとする。身長が足りなくてバランスが取りづらかった。

 いくら相手がソファに座っているとは言え、小学生レベルの身長と大人の男性レベルの身長では頭の位置が違う。

 案の定、魔導書はフィル先輩の頭の上から滑り落ちて、ソファを跳ねてから床に落下した。


「魔導書であそんだらダメだよ」

「フィル先輩がそれ言います?」


 床に落ちた魔導書を先輩が拾い上げて、再びわたしの手元に戻される。受け取った後に突っぱねれば良かったと後悔した。


「交換条件は……えーと、あ、魔導書の魔法式を魔法陣に組み立ててみて」

「フィル先輩に何の得があるんですか、それ」


 魔導書の契約者でないわたしは魔法陣が文字化けして見えている。しかし、契約者であるフィル先輩にはしっかりと魔法陣の本来の姿が見えている筈だ。

 そういえば、そんな感じの授業があったなと思い出す。魔法式を魔法陣に変換する問題はよくテストに出る。要領としては、魔法式を部品に見立ててロボットを作り出す感じに似ていた。

 フィル先輩はわたしに学校の宿題のような事をさせてどうしたいのか。


「暇つぶし?うーん……興味、かな」

「興味?」

「クレアは魔法に関してずいぶん熱心だから、どこまでできるのかなぁ、ていう興味」

「もしかして試されてます?」

「そうなるのかな?答え合わせは何度でもするし、いつでも来ていいよ。あ、でも期限は俺が学園卒業するまで」

「フィル先輩って今何年生ですか?中等科?高等科?」

「高等科1年。だから、あと2年半。足りない?」

「余裕ですよ!」


 反射的に強気な発言をしてしまう。何となく『大したことないな』とは思われなくなかった。

 正直、どの程度かかるのかは予想がつかない。ブラッドリーの魔法は独創的であるし、組み立ての段階でも何かあるのかも知れない。数も50……それ以上あったような気もする。

 いくら魔法式の意味を理解していたとしても、それを使い熟せるかは別問題だ。


「うん。じゃあ、楽しみにしてる」


 フィル先輩は目を細めてゆるく笑う。

 わたしが内心で焦っている事に気付いているのかはよく分からなかった。



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書き溜めていた話がここまでとなりますので、以降はのんびり更新していきます。

活動報告に大体の更新日等を書いていますので、よろしければ覗いてみて下さい。

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